─5─ 思語
「まあ! まあ! まあ! やっと目を覚ましたのねこーひーちゃん! 僕、とっても嬉しいのだわ!」
招かれたのはリンの私室だ。
ユウジンと同じ三階にあって、ここもユウジンの部屋と同じくらいの広さがある。
我が物顔でベッドに腰掛けて足をパタパタ揺らしながら笑っているのは、三兄妹の末っ子であるタスク。サイドの髪は床に着くほど長く、それでいて意思を持つように自在に動くみたいだった。
わたしに「どうぞ!」とクッキーの入った小箱を差し出してくれたのも、タスクの細く嫋やかな指ではなく、金糸のような輝く髪の束の方。
断る理由も無くて、わたしは受け取ったクッキーをもぐもぐと頬張っている。
部屋にはタスク、リン、それからソウビと英知まで揃っていて、何故かソウビと英知は冷たいフローリングの上に正座。……なんで正座?
「とりあえずソウビとえーちゃんは今月無給かなあ」
リンのとんでもない発言に、正座組が頭を抱え出す。
「いやいやいやいやいやおかしい……おかしいって……大体勝手にコヒナさんを遺跡に連れて行ったのは英知だろ。俺はなんも知らねえし。てかコヒナさんの治療も俺がしたし。むしろ功労者では?」
「僕は悪くない! コヒナが勝手に手を離したから! だいいちあの程度の傷がなんだっていうんだ、冒険者なんて五体満足で帰って来たら優秀だろ」
「君たちがどれだけ騒ごうが喚こうが関係無い。俺が決めることは絶対だ」
「そうよそうよ! リン兄様が僕たちのパーティーの『ルール』なのだわ!」
パーティーっていうのは、一緒に冒険者として働く仲間のこと。さっき英知がぼそっと教えてくれた、新用語だ。
記憶を無くす前はわたしにもその『パーティー』の仲間がいて……ユウジン以外は皆、帰らぬ人になってしまった。だからつまり、今目の前にいる四人はわたしや、ユウジンの仲間ではない。そういうことになる。
なんだか急にこの部屋でひとり、わたしばかりが浮いているような気がしてきた。
さっきまで甘く感じていたクッキーも、やけにボソボソの食感が目立ち始めて、三枚食べてお腹いっぱいかも……なんて思えてくる。
「さて、自分は関係無いって顔してるウサギちゃん?」
「うさ……、わたしのこと?」
テーブルに頬杖をついて、リンがにっこりとわたしに微笑みかける。
この人の笑顔はちょっと怖い。というか、この人は会ってからずうっと笑っているけれど、わたしに対してポジティブな言葉をくれたことは未だに無い。……他の人にあげている所も見ていない。
「君以外に誰がいるのかな? こんなに目を合わせて話しているのに、察しが悪いにも程があるんじゃないかい?」
「どうしてわたしがウサギなの?」
「ユウジンがそう言っていたから」
「えっ」
ユウジンと話したことがある。
───わたしの、かつての仲間と?
「で、でも……、おかしい。親父さんはたしか、ユウジンが眠ってから皆が来たんだって……」
「そうだよ」
「ならユウジンと話した事なんて」
「話したなんて言っていない。君の早とちりで勝手に話を進めないでもらえるかな」
「……むむ」
「ユウジンの看病をしていたのはそこのソウビだけじゃない。俺もだ。勿論、君のこともたまには見ていたよ。たまにはね。でも俺は強い方に興味があった。だからユウジンを観察していたんだ」
ソウビが何か言いたげに口を開きかけたけど、リンが軽く手を振って遮った。やっぱり、このパーティーではリンこそがルールで、正義みたいだ。
「ユウジンはどうしたら『生き返る』んだろうと思って、色々試した。本当に色々、君のような子供相手に言えないことまでね」
「……」
「ふふ。たった一回、声を出したあの時は傑作だった。何をしたと思う?」
「……してはいけないことをしたと思う」
「なるほど。俺はそうは思わないから『した』んだけどね。……同じように眠っていた君の髪を切って、彼の枕元で燃やしたんだ」
「!!」
思わず自分の髪に触れた。
もしかして、もしかすると、わたしの髪は本当はもう少し長くて……眠りにつく前は今のような姿ではなかった?
そういえば、どうしてわたしのクローゼットにはあんなにアクセサリーが入っていたのかと不思議だったんだ。あの中には髪を結ぶリボンや、バレッタも入っていて、今の長さのわたしには到底使えるとも思えなかったから。
「なんでそんなこと……」
「『私のウサギだ』」
「!」
「ユウジンはそう言って、眠っているはずなのに俺の事を指さした。驚いたよ。嘘かと思った。夢を見ているんじゃないかって。火を消したらそれきり、ユウジンはもう動かなかった。……それでずっとあのままさ」
「…………」
「俺は決めたんだ。ユウジンが目を覚ましたら、彼を必ず俺の仲間にしようってね。その時に決めたんだよ。彼が最強の剣士だなんて半信半疑だったけれど、信じてみても良いかもしれないと。だけど君は」
ぴっ、とわたしを指さして、リンがゆっくり瞬きする。
「邪魔なんだ」
「…………なんで……?」
「俺はユウジンがどこまで行くのか見てみたい。何処まで行けるのか。でも、君という存在はきっとあいつの足枷だ。だからねウサギちゃん、君がどうしても冒険者を続けるなら、自力で仲間を探してくるんだよ」
「…………わかった」
「! コヒナさん!」
───頷いた。
頷いてしまった。
なんとなく分かっていた。多分、わたしは元々そんなに強くなかった。聞いた話を思い出しても、記憶を無くしたわたしに対する皆のリアクションを見ていても、そう、なんとなく───わたしはユウジンより『重要度』が低いんだ。と……そんなふうに思っていた。
最強だなんて言われていた彼があんなふうになって、他の仲間は皆死んでしまって、けれどわたしは生きている。そのことも、『ウサギ』と聞けば合点が行く。ああ、きっとユウジンにとってわたしは、フワフワして臆病な小動物だったに違いない。宿の皆が可愛がってくれていたから、そんなペットみたいなわたしのことを、見捨てられずに最後まで庇って連れ帰って来た。きっと、そうなのだ。
───わたしが、足を引っ張ったんだ。
「…………ユウジンの部屋、見に行ってきていい?」
「どうぞ。これからは君が看病するんだろう? 当然さ。行っておいで」
「わかった」
「ちょっとコヒナさんッ…………! ……おい、リン! てめぇな……ッ!」
閉じた扉の向こうで、ソウビが何やらリンに詰め寄っている声が聞こえた。
もう少しわたしが元気だったら、彼を止めようと部屋に戻ったかもしれない。でもそんな気にはなれないまま、とぼとぼとユウジンの部屋まで足を進めた。
ソウビはこの部屋に入る時、わざわざノックして、挨拶までしていた。
「し、失礼します」
同じようにしてみたけれど当然返事は無くて、気持ち悪い静寂と不安だけが残る。
部屋に入ったらわたしの時みたいに、ベッドがもぬけの殻に……なんてことも無く、やっぱり今朝訪れた時と全く同じに、ユウジンという人の体はそこに横たわっていた。
看病を代わるとは言ったけど、こんなに大きな男の人の世話をするのは大変そうだと、なんだか突然冷静になってしまった。見たところ傷の具合はわたしより酷くて、元がどんな顔だったかも分からないくらい、半分以上が焼け爛れている。きっとこれでもマシになった方なのだろう。初めはもっと……。
───考え過ぎても良くないか。どうせ、悔やんでも時間は巻き戻ったりしない。
わたしはベッドの傍にあった椅子を引っ張ってきて、ユウジンの枕元へ腰掛けた。さっきは気付かなかったけれど、ベッドの軸に手作りの冊子のようなものが引っ掛かっていて、そこには綺麗な文字で看病の手順が記されていた。ソウビは冒険者だ。必ずしも毎日彼の面倒を見られる訳じゃない。丁寧にこれを書き残しておくことによって、自分が不在の時も仕事をこなそうとしていたのだろう。
冊子に目を通しながら、ユウジンの姿を確認する。
切り傷にはこの薬、火傷にはこの薬、といったように冊子には事細かな指示があって、頭の中が忙しい。薬の保管場所も注釈を添える形で書いてある。
せっかくなら冊子を見ながら、最初の仕事として傷の手当をこなしてみよう。そう思い立って、わたしは冊子を手に立ち上がった。
部屋を出ようとドアノブに手を掛けた瞬間、
「うお!」
「っ?!」
「なんだ、危ないな!」
反対側から扉を開けた英知とうっかり衝突しかける。わたしがごめんを言う隙も与えず、英知はすぐに溜息をついた。
「今すぐに新しい仲間を見つけなきゃならない訳じゃない。この宿の中だけでもお前の仕事は十分にあるし、暫くはゆーちゃんの世話をしながら親父さんの手伝いでもすると良い。親父さんもその方が助かるだろうしな」
「……さっきリンが言ってたこと?」
「ああ。お前それを気にしてたんじゃなかったのか? 急に仲間を取り上げられて、新しく探せって言われたのがショックなんじゃなく?」
「いや……ちょっと違って……」
わたしはぽつり、ぽつりと話し始めた。
英知に対してその吐露が適切だったかは分からない。彼はそんなこと、聞きたくはなかったかもしれない。
彼がわたしにして欲しいことは遺跡の修復。旧文明が存在する、
英知は黙ってわたしの話を聞いていた。
心地良かったのは、彼はわたしが「ユウジンの足を引っ張った」「わたしがいなければこんな事にはならなかったのかもしれない」と言っても、決して「そんなことは無い」と返さなかった事だ。
「……まあお前が思うならそうなんじゃない。真偽はどうあれ、お前がその時感じた『直感』は信じた方がいい。それを感じ取れるのはお前だけだし、信じる自由も疑う自由もお前の中にだけある」
「うん」
「全部、ゆーちゃんが目を覚まさなければ答え合わせもしようが無いんだ。なら、やるだろ?」
「うん」
「お前はいつもそうなんだ。『向き合う必要がある』ときは、絶対に逃げたりしない」
「!」
英知の体が指先から消えていく。やがて全てを光の粒子に散らして、彼は跡形もなく消滅した。きっとまたどこかにふらっと現れたりするだろう。
「向き合う必要が……、……」
───ラズロはあの言葉を『名文詠唱』と言っていた。なら、わたしがあの時無意識で唱えたあれは、わたしが作った文章のはず。……わたしが、考えた。
「…………わかんないな……」
何かを思い出そうとしても、白紙みたいにわたしの思い出はさっぱりしていて、どのみち今のわたしには『これからどうするか』───という、未来しか無いのだと思った。
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