─4─ 戦双

「ラズロ……ロス・メルタ」

「人の名を気安くッ!」


 ほとんどゼロ距離からの発砲。

 絶対に死ぬ、間違い無く死ぬはずのその距離で、わたしはあろうことか弾丸を避けた。雷のように地を転げて、慣れた動きで受身を取る。自分でも理解が追いつかないまま、わたしは自らの胸に手を当て、そのセリフを叫んでいた。


「〈向き合う必要がある。何度繰り返そうとも、繰り返さざるとも〉」


 瞬間、わたしの体からごうごうと燃え盛るページが舞い散る。

 ラズロと名乗り上げた少女は半身を庇うように、右足を退いた。彼女の唇が微かに動き、「……じゃない」と何事かを呟いている。


 幾つものページがわたしの両手に集まってきた。それらは赤く燃える刀身を持った、一対の双剣に姿を変える。不思議と手に馴染む柄には、薔薇の花を模した綺麗な装飾が施されていた。

 わたしは双剣を構えてラズロへ向き直った。戦う方法が全く無いわけじゃない。その事がわたしに勇気を与えてくれた。


「『文豪』の詠唱ではなかった。『作風』は『太宰治』のそれかと思ったのですが……」

「よくわかんない!」

「来る気ですか!」


 間合いを詰める。地を蹴るわたしの体は羽のように軽く、ラズロの銃撃を物ともせず回避していく。埒が明かないと舌を打って、ラズロは更にもう一丁の拳銃を腰から引き抜いた。


 何個あったって同じだ!

 歯を食いしばり、全神経を瞳に集中させれば何という事は無い。速さだけならわたしの方がずっと上だ。

 その事が分かっているからか、ラズロは一向に距離を詰めてこない。下手に動き回ればもっと狙えなくなる。彼女は自分の予測に全てを賭けているのだった。


「流石ですね、『ライターズ』。無名とはいえ『キャラクター』の心情を読むのは造作も無いと」

「『キャラクター』?」


 ふと、彼女の言葉に引っ掛かりを覚えて、速度を下げてしまった。走る事をやめた訳じゃない。跳ぶのを諦めた訳でもない。ただほんの少し、最短からはちょっぴりズレたルートを描き振り返ってしまっただけ───。


「いッ!!」


 膝を強烈な熱が掠めていく。

 見なくてもわかる。撃たれたのだ。ラズロはわたしの足を確実に狙った。つんのめって、頭から崩れ落ちていくわたしの体に、ラズロはもう一発をお見舞した。今度は右手首を狙って、たったの一ミリも外しはしない。

 言いようも無い激痛だった。こんなに痛いのに、右手が取れて吹っ飛んでいかないのがかえって不思議なくらいだった。わたしの手から落ちた双剣が、くるくる回りながら地面を滑って行った。這い蹲って取りに向かっても、この手では握れようも無い。わたしは残った左手の相棒を一際強く握り直した。


「あなたの『筆名』は存じ上げませんが、白状なさい、『ライターズ』。あなたのボス───『芥川龍之介』の居場所を」

「ボス? あくたがわ?」

「もう一方の手も撃ち抜かれたいですか?」

「待って待って待って!」


 悠々と弾を込め直すラズロの銀色の目は、もうどこからどう見ても本気だ。わたしは両手を顔の前でブンブン振って、わざとらしく膝をぺたんと地面に着けて座ってみせた。

 さっきまで如何にも戦い慣れているふうに逃げ回っていたくせに、この態度である。わたしが敵なら「何を今更!」って逆上してもおかしくないのだけれど、案外ラズロはぴたりと手を止めて、わたしをまじまじと見つめてきた。


「……何か仰りたいことでも?」


 話をしてくれるつもりなのか。

 わたしがぽかんと口を開けていると、「何も無いなら結構です」と再び銃を構え始める。


「うわーっ?! 違う、違うんです! わたし知らないの! あくたがわりゅうのすけって人のことも、わたしは自分が『ライターズ』なのもさっき知ったばかりで!」

「芥川龍之介を知らない? ……そうですね、『ライターズ』が皆『文豪』に与するとも限らない……。しかし、自分がライターズであるとさっき知った? 何を馬鹿なことを。だったら、あの詠唱はなんなのです。何故あなたは自分の『作品』を繰り出すことができるのです。あなたは信用に値しない」

「詠唱? 作品……?」

「本当に言っているのですか……? ───『ライターズ』は『名文詠唱』によって、作品を武器にして戦うのですよ。あなたの双剣は紛れも無く、あなたの『作品』です。自分がライターズであると自覚していないのなら、その詠唱すらできないはず。さっき知ったなんてこと、あるわけが無い!」

「作品……ってことはつまり、わたしは作家だったの? 小説家? 絵本作家とか、漫画家とか……?」

「あなた、何を言って」

「わたしはコヒナ。三年前に大きな事件に巻き込まれて、それから二年と少しの間まるまる眠ってたんだ。それで、さっき起きた。起きたら記憶が何にも無かった。同じ宿の人にこれまでのことを教えてもらって、それから遺跡を案内されていただけで……」

「……………………」


 今度はラズロが呆然とする番だった。

 彼女の顔には感情なんて、そうそう現れないものなんだろうとばかり思っていたけれど、今のラズロは目を見開いて、困ったように眉毛を下げてこちらを見下ろしているのだった。

 ───もしかして、彼女は何か勘違いでもしていたのだろうか?


「ねえ、芥川龍之介という人を追ってるの? わたしをその人の仲間だと勘違いしたってこと?」

「……答えましょう。芥川龍之介を追っているか? はい。仲間だと思ったのか? いいえ、あるいはどちらでも良い。しかしながらあなたを襲ったのは見当違いだったようです。遺跡に近付いたあなたの『作風』……、あなたに流れる魔力のようなものが、どうにも『文豪』の一人と似ていたので、私の仲間が間違ってここへ落としたようです。…………仕方ありません。あなたを解放しましょう」

「わあ……案外あっさりだね」

「実を言うと無害な『ライターズ』の方が数としては圧倒的に多いのです。しかし芥川龍之介を始め、『文豪』と呼ばれるライターズのほとんどが強大な力を持ち、そして害悪。我々は警戒しなければならなくなった。ですから───」


 そう語って、ラズロがわたしへ手を差し伸べてきた。その右手が淡く、白い光を帯びている。この人もソウビと同じ術を使うんだ。わたしの傷を癒してくれるつもりみたい。

 わたしが何の疑いも無く彼女の手を取ろうとすると、───ドォン! ……と、背後でけたたましい爆発音のようなものが聞こえた。それから遅れて、地面の振動。何かが激しく崩れ去るような音。


 きょろきょろと慌てるわたしの視界に映ったのは、だだっ広く黒い天井がボロボロ崩れて落ちていって、その向こうに何の変哲もない、森の景色が広がってゆくさまだった。


「『リッターズ』……!」


 ラズロが飛び退き、銃をわたしへ向けている。……いや、違う。彼女が狙っているのはわたしじゃない。わたしの背後に歩いてくる、誰か、別の人───。


「クソ、『ライターズ』一人かと思ったのに……分が悪い……!」

「ダメだよ弱いものイジメを公言しちゃあ。お兄さん黙っていられなくなるからさ」


 飄々とした声。

 わたしより頭一つ分はゆうに越える、すらりとした背格好の男の人だ。

 品の良い白いハットと、丈の短い同色のジャケットが印象的で……何より目を引いたのは、彼の持つゾッとするほど大きな鉄槌。ただの人間じゃ振り回すどころか、握って担ぐことさえ難しいようなそれを、彼は難無くグルグルとリズミカルに回して見せる。


 ラズロは一瞬、わたしの方に目を向けた。

 そしていきなり早口に何かを叫んで、わたしへ向かって小さな石を投げつけた。うっすらと感じる、あたたかい力。これが魔力なのだろうか?

 ぼうっとその石に見入っていると、次に瞬きしたその時には───




 わたしは『ヴィノクの兎亭』の前に座り込んでいた。


「あ……、……え?」

「おっと。何してるんだい? こんな所で」

「えっ」

「玄関の前に座られたら邪魔だよ。よく見たら怪我をしているようだし。うん、邪魔だな。景観が悪いと宿の売上にも響くからね」

「?」


 また知らない人が増えている。

 わたしの頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだ。

 そして何が何だか分からないながらも、見知った場所へ戻って来られた安心感で、いよいよ傷の痛みが現実味を帯びて襲いかかってきた。


「うっ……! いたた……!」

「当てつけかい? 俺が助けるとでも思っているのかな? だけど可哀想にね。なんだっけ、ほら、冒険者にものをお願いする時はお金が必要になるんだよ。知らないかい?」

「ちが……う、ちがうくて……」

「『違うくて』? おかしな言葉を話す子だね。頭の悪い子かな? きっとお金も数えられないだろうね。どうしようか」

「そうじゃなくて! わたし冒険者で! ここの! いたたた……っ! ちょっと肩を貸してくれれば……中に入れるから……!」

「……おや? 君は」


 ようやっとこの男の人はわたしの傍に屈んでくれた。

 鮮やかな桃色の両目が、じぃっとわたしを見つめてくる。絵の具のレモン色のように美しい金髪はふわふわと靡いて、絵画の天使様を思わせるほど美しい。

 彼は暫くわたしを黙って見続けて、わたしがもう一度痛みに苦しみ始めたところでやっと、わたしを抱き上げた。


「ああ、なんだ! ウサギちゃんじゃないか! 生きて動いている所を見るのは久々だったから、誰かと思ったよ。勝手に出歩いて勝手に怪我をしてきたのかい? ユウジンが聞いたらきっとまたカンカンに……ああ、あいつまだ死んでるんだっけ?」


 物騒な言葉を耳にしながら、わたしはぐったりと意識を手放した。


 そうだ……きっと、この人が───親父さんの話していた、リン……だ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る