─6─ 時流、More Better
「コヒナちゃん、エールおかわり!」
「コヒナちゃ〜んテーブルのコショウ無くなっちゃったァ」
「はーいただいま!」
真昼間、ご飯時の『ヴィノクの兎亭』は大忙し。
親父さんは厨房でガルガル唸りながら、二つの大鍋と三つのフライパンの間を行ったり来たり。ホールはすっかりわたし任せで、わたしも汗を流してあっちこっち駆け回っている。
「コヒナ! 五番テーブルにビーフシチューだ」
「はい!」
「これ運んだら休憩行ってこい」
親父さんのウインクに、ほっと溜息をつく。
今日は朝からチキンの仕込みが大変で、まだユウジンの寝間着を洗えていなかったからちょうど良かった。
───わたしが目を覚ましたあの日から、もう三年の月日が流れていた。
十九歳になったわたしだけれど、結局まだ冒険者として外へ出ていくことは出来ていなかった。
仕事を受けられたとしても、仲間のいないわたしではせいぜい迷子のペット探しとか、足を悪くした方の代わりに図書館へ本を返しに行くだとか、三時間だけ子供と公園で遊んできて欲しいとかそのくらい。『ライターズ』として『
「おはよう、ユウジン! ごめんね。昨日から泊まり込みのお客さんたちのお弁当を作らなきゃいけなかったから、朝は見に来られなくて……!」
もう、三年。
未だ目を覚まさないユウジンに、それでもわたしは声を掛け続けている。
てきぱきと窓を開け、秋の涼しい空気を室内に迎え入れた。最近は前より過ごしやすい気温が続いている。
ユウジンの体はわたしより大きく、重い。それでも毎日のように看病を続けていれば、服を取り替えて体を拭くのもどうってこと無くなってきた。
いつ目を覚ますか分からないのだから、目が覚めた時、とびきり綺麗な姿をしていた方が嬉しい!
わたしがそう駄々を捏ねて、日々の看病のルーティーンに髪や、肌の手入れを勝手に加えるようになった。ソウビはまるでよく分からないものを見るような目でわたしを見ていたけれど、実際わたしが無駄に手を加えるようになってから、ユウジンは元の窶れた姿よりもかなり歳相応に見えるまでになったのだから、結果は上々。
ユウジンが今、もし、この状態で『生きている』と呼べるなら───彼は今年の冬で三十二歳を迎える。
「……やあ、ウサギちゃん」
「あ、リン兄! こんにちは」
「はい、こんにちは」
開けたままのドアをわざわざノックして、リンがこちらへ声を掛けてくれた。
初めは怖い人だと思っていた彼も、何だかんだ言ってわたしによく手を貸してくれる。
リンはいつも通りニコニコ笑いながら、ユウジンの部屋の椅子に腰を下ろした。彼がこの部屋をほとんど自分のものみたいに使うのはいつもの事で、何ならすぐそこの机の上も、今はリンの私物で散らかっている。
机から本を一冊、二冊取り、パラパラと捲っては放る。リンは宛もなく何かを探すように暫くそうして、それから「はあ」と溜息をついた。
「下、騒がしいね。あの冒険者たち、いつまでうちに居座る気だろうか」
「いつまでって、昨日来たばかりだよ。もう少し調査でカラットに留まりたいって言ってたし、あと二日三日……」
「そんなにいるのかい。彼らも定宿があるだろうに、勘弁して欲しいものだな」
「リン兄ってよその人にも厳しいよねえ」
「当たり前だよ。俺は特定の誰かに甘いなんて事は無いんだ。天は皆等しく人の下に人を作らず人の上には俺を配置してだね……、……ああそうだ。ウサギちゃんに伝言があるんだった」
「伝言? 誰から?」
「下にナタばあさんが来てるんだ。依頼をしたいって、君をご指名だよ」
「ごめんねぇ。また、腰が辛くてね……」
ナタばあさんは真っ白な頭をぺこぺこ下げながら、わたしに地図を見せてくれた。
そんなに体がしんどいならいつもみたいに手紙を寄越してくれれば良かったのにな、と思ったけれど、どうやら今日はいつものおつかいではなく急ぎの用事みたいだった。
「カラットの外へ出る依頼になってしまうんだけれども、ヴァデロンに住む息子へ、荷物を届けて欲しいのよ。新聞社で働いていたのだけれど、突然辞めて、死んでやるからさようならだって、急に変な手紙を送り付けてきてね。きっと貧しくなって、お腹が空いて、構ってもらおうと騒いでいるだけさね。うちの野菜と、洋服を少し、一緒に届けてやってちょうだいな」
快く引き受けて、広場からカラットの門を出る馬車に乗った。
南門を出てすぐに降り、森の小道を十分ほど真っ直ぐ歩けば、ヴァデロンの町へ辿り着く。ヴァデロンへは親父さんと一緒に、業者さんのところへ蜂蜜を買い取りに行ったことがあった。
だから気掛かりなのは、「死んでやる」とまで言い放ったという息子さんのこと……。
住所はここで間違いない。
地図を見て、表札の名前も確認して、小さな住宅街にある目的地へと到着した。
リュックの中にはたくさんの人参、大根と、秋物の上着が何着か詰まっていて、わたしはよたよたと左右に振れながら家の扉へ近付いて行った。
「ごめんくださーい。……ごめんくださーい! 『ヴィノクの兎亭』でーす。お届け物でーす!」
………………。
……………………まさか、本当に中で死んでいるとか、無いよね?
「ごめんくださ……あれっ」
扉を何度か叩いていると、鍵が開いている事に気付いた。
いや、おかしい。絶対におかしい。田舎はドア開けっ放しの家も結構あるなんて聞くけれど、ナタばあさんから聞いた息子のマシューさんは、真面目で用心深い人だそうだ。そんな人が玄関の鍵を忘れるなんて、あるのかな?
わたしはリュックを背負ったまま、とりあえず家の中へ入ってみることにした。
明かりはついていない。ランプに火をつけるような時間でもないし……でもカーテンが一つも開いていないのか、家の中は夜みたいに薄暗い。
───変な匂いがする。これは……頭が、気持ち悪いくらいスッとするような……薬……?
ここにいたらいけない。わたしはリュックを肩から下ろして、後退りした。
なんだか妙にドキドキする。気分が悪い。前髪の生え際のあたりが無性に痒くなってくる。気持ち悪い。気持ち悪い……。
ずるずると、床に座り込んだ。
寒い。右の頬が引き攣って、思わず手で触れるけど何も感じない。おかしい。慌てて引っぱたく。───痛くない。おかしい。おかしい。わたしのからだが、おかしい……!
体が横に傾いていく。多分、左に。自分では立って歩いているつもりなのに、現実のわたしは黴臭い絨毯の上を、ぐるぐる転がっているだけだ。
やがてぬるい風が額に当たるのを感じた。規則的に、それはひゅうひゅうと細くわたしに触れている。薄目を開けるとわたしの視界には、前歯の抜けた人の口が「お」の字に開いて迫っている。
べろん。まろび出た舌は黒ずんでいて、それがわたしの瞼をべっちょり撫で回していた。
「ひひぃ……かわいいね……かぁわいいねぇ…………いっしょに……きもちよく、なろうねぇえ」
「………………!」
下から聞こえた音。べりべりべり。何かが破れる音。わたしの服? いやまさか。まさか。
どうにかしなくちゃ。
どうにか、どうにか……。
『詠唱』をしようと口を開いても、横向きに転がるわたしの口からは濁点の付いた呻き声と、涎が溢れてくるばかり。
重い。痛い。人がわたしに伸し掛っている。抵抗なんて出来るはずも無いのに、その人は念の為にわたしを殴りつけている。
───わたしは、死ぬ?
こんなところで?
今、ここで?
───「お前はいつもそうなんだ。『向き合う必要がある』ときは、絶対に逃げたりしない」
「ッ!!」
全力を振り絞って、下半身を振り子のように思い切り蹴り上げる。誰かの後頭部にわたしの爪先が叩き込まれて、わたしはその人の下から懸命に転がり出た。
「てん、めぇええぇっ!」
逆上した男が頭を振り乱す。伸び放題の髭をばりばり掻き毟って、落ちていたリュックを掴み上げた。それが結構な重さであると気付くなり、わたし目掛けてぶん投げようと大きく体を反らす───が。
「いぎッ?!」
男は悲鳴を上げて後ろに倒れ込んだ。
何かと思って目を凝らせば、そこにはもうひとつの人影がうっすら、存在している。
それがむくりと立ち上がって───暗がりに、一筋の光が煌めいた。
あれは、刀…………?
床をのたうち回っている男の背に、その人は音も無く一撃を見舞って、刀身を鞘に納めた。その頃にはもう、男は完全に伸びて動かなくなっていた。
「死んでる……?」
「殺してはいない」
はっきりと、そう返ってくる。
断言出来るなんて余程、相当の手練だ。一体どこの冒険者だろう? 身なりからしてこの地方の自警団とかではなさそうだ。
だって彼はまるで病人みたいにゆったりとしたシャツを羽織っていて、立って歩けるのが嘘みたいに、顔も首も、右腕もボロボロの、傷だら、け……で…………。
「…………………………ゆ、」
見間違えるわけが無い。
三年間、わたしが毎日のように手入れをしていたのは、この珍しい紫色の髪。焼けて左右非対称の長さになっていたそれを、わたしが、毎日櫛で梳かしていたんだ。
「…………ユウジン、………………なんで、ここに……」
目を覚ましたんだね、とか。
無事だったんだね、とか。
言うべき事はたくさんあった。彼が起きたら言おうと思っていたことはもっといっぱいあったのに、そのどれもが頭からすっぽり抜け落ちている。
「………………」
ユウジンの瞳は夏の空のように青かった。
右目は瞼ごと焼き切れて、眼球が皮膚と一体化してしまっていたから見る影も無いけれど、残った左目はどこまでも美しく、刃物のようにわたしを鋭く見つめていた。
彼は無言で懐から端末を取り出した。慣れない手付きで電源ボタンを押して、「完了した」とだけ短く言い放つ。
『ありがとう。えーちゃんからの情報があって助かったよ。マシューがクスリでクビになってたなんてね。ウサギちゃんはどんな様子だい?』
ユウジンはちらとわたしを一瞥して、「……目立つ外傷は無い。体が前後に大きく揺れている。下の服は駄目だろう、使い物にならない。近場で用意できるので問題は無いが」
『分かった。無傷なら俺から言うことは何も無いさ。好きにするといい』
「了解」
話はそこで終わった。
……えっ、なに? 好きにするといい? なんのこと? 言うことは無い……ってなに? リンが、わたしに言う? なにを? 好きに? な、……なに?
呆気に取られているわたしを前に、ユウジンがその場へ片膝をつく。
わたしを正面からじっと見据えて───というか睨んで、彼はぎゅっと眉を寄せた。
「コヒナか」
「コヒナ、です」
「私のことを覚えているか」
「……? …………え、っと、あの、わたしは三年間ユウジンの看病をしていてユウジンと喋ったことはこれが初めてで」
「二択だ。『はい』か、『いいえ』」
「いいえですすみません覚えていません」
ユウジンは盛大に溜息をついた。
えっなんでそんな反応されなくちゃいけないんですか……? こ、これが三年間看病していた人間に対する態度ですか……? 『最強』って何しても許されるんですか。わたし最強になったことが無いのでちょっとわからないです。
立ち上がったユウジンは手近な窓へ手をかけて……そこにあった木のつっかえ棒を無理矢理片手でへし折って、窓を開けた。
外の空気がそより、そより、少しずつだけど流れ込んできて、わたしの視界はいくらか明るさを取り戻していった。
「着替えを用意してくる。大人しくしていろ」
「あ、大丈夫。ちょっと休んだら立てるから」
「大人しくしていろ」
「はいごめんなさい大人しくですね大人しくします大人しくするの得意じゃないんだけどやりますわたしやらせてください」
わからない。全然わからない。
あの態度は一体なに? わたしのこと看病してくれた人だってわかってるよね? わかっててこれ? 別に感謝されるためにやってたわけじゃないけど「ありがとう」の一言くらい人として出てこない?
……それを言ったらわたしもまだ、助けてもらって「ありがとう」を言えてないんだけど。
「あのっ!!」
出て行こうとするユウジンの背中に、身を乗り出すようにして叫ぶ。
「……あ、……ありがとう! 助けてくれてありがとう!」
「…………」
ユウジンが振り返った。懐をまさぐった彼は探し物がそこに無いのを悟ると、下唇を軽く舐めてから「ああ」と低い声を絞り出した。
「こちらこそ。私の眠っている間世話をかけた」
「……!」
「コヒナ」
「う、うん!」
「冒険者を辞めろ。大人しく、私の言いつけを守れ。……帰ったら話をする」
「…………は、……え?」
「えっ…………え……?」
───√K Chapter:0
Completed.
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