─2─ 忘世

 緑に満ちた国、ジェイダリア。

 四方を大森林に囲まれながらも、豊富な風エーテルを利用した独自の飛空挺技術で、他国との行き来や輸出入を行い、栄えている。

 そんな国の中にある、都会すぎる事も無ければ田舎過ぎる事も無い街カラットに、『ヴィノクの兎亭』はあった。


 わたしはどこにでもいる普通の冒険者。───の、見習い。生まれた時からこの宿にいて、冒険者の皆や親父さんに育てられ、本物の家族みたいに愛されて十三歳になった。


 ───というのも、もう三年前の話。

 わたしはある依頼で死にかけて、なんとか生き残ったもう一人の仲間と共に、命からがら宿まで帰ってきたのだ。あとの四人は死んでしまった、遺品も何一つ残らなかったと親父さんに伝えて、仲間は昏睡状態に陥ったという。

 わたしも、同じだ。ついさっきまで丸二年、死んだように眠り続けていたらしい。

 その間、宿の冒険者たちがわたしたちの世話を代わる代わる引き受けてくれて、わたしたちの肉体はほとんど綺麗に保たれていた。


 でも……死体同然の宿の仲間を見ていられなくなって、多くの冒険者がこの宿を出ていってしまった。

「コヒナは妹のような存在だったのに、こんな姿を見続けるなんて……私にはとても……」

「親父さんには悪いが、もう限界だ。俺たちは楽しく冒険がしたいんだ。ここにいたらいつまでも、あの悲惨な事件と向かい合う羽目になる」

 親父さんは何人もの冒険者を見送って、日々を過ごした。



 まるきり人がいなくなってしまった頃、寂れかけた『ヴィノクの兎亭』に三人の冒険者がやって来た。彼らは見目麗しい兄弟で、一番上の兄がリン、二番目をソウビ、末の妹をタスクといった。

 彼らは次々に依頼をこなし、あらゆる討伐依頼で名を上げて、みるみるうちに宿の調子を立て直していった。三人とも、少し態度が悪かったり、協調性が無かったりはしたけれど、親父さんは彼らにとても感謝したという。


「ね、親父さん。あの部屋には誰がいるの? そろそろ教えて欲しいのだわ」


 ある日、末の妹のタスクが訊ねた。

 それはわたしが眠る部屋だった。親父さんは少し悩んでから、わたしとタスクの歳があまり変わらないのを考えて、彼女にわたしの世話をお願いした。


「任せて! 人っ子ひとりくらいどうってことないのだわ。完璧に看病するから、みててちょうだい」


 彼女は三日坊主だった。

 いや、三日ももたなかったと親父さんは笑う。

 酷いものだった。体を拭くのなんて一回きりで飽きてしまって、部屋の換気をする為に窓を開ければ、そのまま出掛けて大雨が降り込む始末。親父さんが叱りつければ、「僕、自分の部屋の片付けすらマトモにできないのよ?! 人の部屋なんてもっともっと出来るわけ無いのだわ!」と何故か開き直る。

 見かねたソウビが看病の役目を引き継いで、これまでわたしを世話していてくれたのだ。




 冒険者の基本は聞き込みだと板の中の青年に言われたけれど、わたしがわざわざ聞き出さなくても、目を覚ました親父さんはこれまでの事を話してくれた。

 ミルクと砂糖たっぷりのコーヒーはわたしの好物だったらしい。わたしが一口飲んで、「美味しい」と言うと、親父さんは大きな口でめいっぱい嬉しそうに笑った。


「朝様子を見に行ったら部屋にいなくて……本当に驚いたんすからね」


 ソウビはすっかり疲れ切っている。朝から大変な目に遭わせてしまったなと思い、わたしは自分に出されたトーストを半分、ちぎってソウビの前に差し出した。


「ごめんなさい。これ、どうぞ」

「え、あ、いや良いっすよ。俺朝は要らない人なんで」

「冒険者なのに、食べなくて働けるの?」

「朝以外は食ってるんで……あのホントお気になさらず」

「やめとけ、コヒナ。こいつは意外と頑固だから、冷めちまう前にお前が食った方が良い」

「わかった。……ソウビは……」

「えっ?」

「ソウビは、どうしてわたしの世話をしてくれていたの?」

「そりゃあいつが投げ出したから。途中で」

「でもソウビがやらなくても良かったんじゃない? ソウビたちが来るまでは、親父さんが世話してたんでしょう」

「それは……」


 彼は、ちょっぴり悩んでいる。

 冒険者の聞き込みらしくなってきたかな? そう思って板の、『電源ボタン』を押してみる。板の表面は光ったけれど、中には誰も映っていない。

 お出かけしたのかな? ……お出かけとか、できるの? ああでも最初に会った時は外に出てたし……。

 あれこれ考えていると、何故か居心地悪そうな顔でモゾモゾし始めた親父が、「さ、さて」と裏返り気味の声を出した。


「ワシは開店準備でもするかね……。ソウビ、話なら部屋でやっとくれ」

「了解。コヒナさん、会わせたい人がいるんす」

「?」

「食い終わったら三階まで来てください。階段上がってすぐ、青い花瓶のところでお待ちしてます」

「わかった」


 ソウビは律儀にひとつ礼をして、わたしが先に食べ終わっていたサラダのボウルを持って行った。

 「いいのに!」とわたしが呼びかけても、彼は知らん顔。ずっとわたしの世話をしていてくれたようだけど、無事に目が覚めた今、わたしの身の回りの事をやってもらうのは偲びない。

 のんびり食べていたらまた迷惑をかける。残りのトーストを口に含んで、コーヒーでお腹まで流し込んだ。


 会わせたい人って、一体誰だろう……?




 階段を昇ってすぐ、踊り場の大きな窓際にわたしの腕くらい大きな青い花瓶があって、その付近でソウビは変にウロウロ、落ち着きも無く歩き回っていた。


「ソウビ」

「あ、早かったっすね」

「ううん。……ねえ、聞きたい事がちょっとあって」

「なんすか」

「わたしって、元々ソウビのことをソウビって呼んでた?」

「分かんないっすね。俺が面倒見てた間、コヒナさんが目を覚ましたり返事をしたりした事は一度も無いすから」

「そっか。そうだよね。じゃあソウビさんって呼んだ方がいい?」

「ヒッ!」


 廊下を歩く彼がつんのめる。薄い背中にぶつかりそうになって、わたしは既のところで足を止めた。眠っていたわたしよりもほっそりした体格の彼は、わたしがちょっとでもぶつかったら絶対転んでしまう。


「だ、大丈夫?」

「大丈夫っすけど全然あの、ソウビさんとか、いやあのマジで全然いいんで、全然、勘弁してください……」

「そんなに嫌だったんだ……」


 気を取り直して、彼は三階の突き当たりにある扉へノックした。

 「失礼します。ユウジンさん」───と、そう言って。


「ユウジン……?」


 ───何故か、聞き覚えがある気がする。

 キィ、と蝶番の軋む音。日光と埃の混ざった匂い。


「くんくん……」


 煙草の……匂い。懐かしい、匂い。


「……」


 ソウビはわたしを一瞥して、それから部屋に入っていった。わたしも彼の後に続く。

 わたしの部屋のものより大きなベッド。人が二人は横になれるその上に、───男の人が眠っている。

 頭から首、右腕を全て包帯に覆われたその人をすぐに男の人だと思えたのは、眠り続けているであろう彼が、それとは思えぬほど逞しい体付きをしていたからだ。


「…………」


 わたしは恐る恐るベッドに近付いた。

 包帯から覗く顔の左半分にも、夥しい数の傷が残っている。切り傷に、火傷の痕。包帯の下はもっと酷いことになっているに違いない。ごくりと唾を飲み込んで、「この人は?」とソウビを振り返る。


「コヒナさんと一緒に帰って来た、たった一人の生き残りっす」

「え……」

「かつてこの宿で最強の剣士と言われていたそうっすけど、こうなっちゃ最強もクソも無いすね」

「…………」

「今の言い方気分悪いっすか?」

「え? ……えっと……よく分からないかも」

「そうっすよね。知らない人の悪口言われても、その反応になりますよね」


 ……でも、この人は知らない人じゃない。

 わたしと一緒に帰ってきた唯一の生き残り。何があったのかは思い出せないけど、この人との関係も分からないままだけど、でも、『知らない人』にしておくにはなにか……運命的なものが、わたしを縛り付けすぎている、ように思える。


「……ユウジンさんを見たらなんかしら思い出すかと思ったっすけど、なんかそうでもないっすね。気の所為でした。すんません。部屋に帰りましょう。起きたばっかなんで動き続けるのも良くないと思うっす」

「待って」

「なんすか」

「これから、この人の世話はわたしがしてもいい?」

「……………………なんか理由とかあるんすか」

「へ……」


 意外にも、ソウビは顔を顰めた。

 いや───なんで意外だなんて思ったんだろう。この人はわたしのことも、ユウジンという人のことも見続けていた人だ。急に目を覚ましたわたしに、その仕事を譲って欲しいなんて言われて、良い気がしないのだって分からないでもない。

 ソウビの鋭い三白眼に気圧されて、わたしは「うーん……」と口篭る。

 朝の太陽の動きは速く、床に落ちる窓枠の影が、次々形を変えていく。それを目で追って、わたしは何か言わなければと考える。考えて、考えて……強く握り締めた手の中の板が、ぼうっと光を灯した。


「良いじゃないか、そのくらい。看病役代わってやれよ」

「わ……!」

「てめッ……英知えいち!」


 ボタンを押し込んでしまったせいか、光り出した板からはさっきの青年が顔を覗かせた。

 ソウビと彼は顔見知りなのだろうか。『英知』と呼んで、ソウビは首まで真っ赤になって、物凄い勢いで捲し立てる。


「朝から見当たらねえと思ったら今度はンな場所に! 俺がコヒナさんのバイタルチェック用に残しといた端末だぞ!」

「コヒナは目を覚ましたんだ。必要無いだろ、そんなもの。ゆーちゃんの世話ならコヒナに任せたら良い。たすくんと違って途中で飽きたりしないさ。なあ、コヒナ?」

「えっ」

「勝手な事を!」


 ソウビがわたしの手から『端末』を取り上げる。そして───


「う、らぁッ!」


 開け放した窓から外へ、ぽーい! と……放物線を描いて薄っぺらい板が吹っ飛んでいく。な、なんてこと……!


「投げ…………、えぇ?! 投げた?! 大丈夫なの?!」

「ソウビ、短気は損気って聞いた事無いか?」

「?!」


 あ、あれ?

 さっき投げ捨てられたはずの端末……の中に居たはずの英知が、何故か等身大ですぐそこのベッドに腰掛けている。

 白と黒を基調としたぴっちりと肌にフィットする服に、所々青く光る模様が入っている。彼の格好だけ少し異質で、明らかに『ヒトじゃない』。少なくともわたしたちと同じような種類では……ないかも。

 英知は立ち上がって、わたしの肩に腕を回すと「な?」と再びわたしに意見を求めた。


「ほら、ちゃんとやりきるだろ? 仕事はさ」

「う……」

「お前は僕に嘘をつかない」

「……!」


 囁いた彼の目が、ぼうっと青白く輝いたような。


「これがお前の最初の仕事だ」

「……わかった」

「それじゃ、決まりだ。親父さんにはソウビから説明しといてくれよ。僕はコヒナに外のことを教えてくる」

「てめぇいい加減にッ!」


 ソウビが英知へ手を伸ばしたのと、英知がわたしを抱き寄せて指をぱちん! と鳴らしたのが同時だった。


 眩い光に視界を遮られ、わたしはぎゅっと固く目を瞑った。

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