√K Chapter:0
─1─ Better End
「分かった?」
金色の髪に、ブルーグレーの瞳。
お世辞にも目付きがいいとは言い難い、そんな青年。
「……わからない」
わたしは口を開いた。
目の前でわたしを見下ろしているその人に、正直に答えた。
その人は木製の天井をバックに、わたしを見下ろしたまま眉をひそめた。ぎしり、と音がしてその人が遠のいたから、わたしはさっきまでその人が、ベッドに寝ているわたしの上に跨っていたのだと気付いた。
「何が分からない?」
「ぜんぶ」
「おい、思考放棄するな。何から何まで僕に頼る気じゃないだろうな」
「?」
「まあ僕はそれでも良かったんだけど」
「今の話がわからない」
「分かる必要が無い。僕の独り言だ」
「じゃあなにをわかればいいの?」
「お前の知りたいことを」
「うーん……」
ベッドから起き上がると、正面に姿見が置いてあった。金髪のショートヘアに、赤い目をしたわたしが映る。身長はあまり高くない。手足が小さく、腕も細い。暫くなにも食べていなかったみたい。ぐう、とお腹の音がした。
思えばどのくらい眠っていたのか分からない。眠る前の事も覚えていない。ただ何となく、オールドローズの色をした短いカーテンや、さっきまで横になっていたベッドの形とか、そういうものを見る限り「自分のものだ」と認識はできる。だから、ここは間違いなくわたしの部屋だ。そのはず、なんだけど。
「わたしの名前は?」
「調べてみるといい」
「調べる? どうやって?」
「冒険者の基本だぞ。聞き込み」
「……うん、わかった」
「お前そんなだから騙されるんだぞ」
青年はハァと溜息をついた。それから「まあいいや」と言って、ベッドの傍に置かれた小さなテーブルの、そのまた上に置かれた小さくて薄っぺらい何かに手を翳した。
光る板だ。硬くてすべすべしたその板に触れると、彼はたちまちその指先から光の粉になって、音も無く板の中へと吸い込まれてゆく。
「わあ!」
思わず板を持ち上げて、ひっくり返したり縦に振ったりしてみた。見かけよりしっかりした重さがあって、板からは「絶対に落とすなよ!」とさっきの彼の声がした。
「ほら、行けよ。じゃなかった。まずは着替えてから」
「着替え?」
「そこにあるだろ」
板に映し出された彼が顎で示した先には、割と使い古された見た目のクローゼットがある。扉に手を掛ければ、木にはほんのり温かみがあって、やっぱりこれもわたしが毎日使っていたもののはずだと思えた。
白いブラウスと、赤いワンピースが目に付いたので手に取ってみる。下の引き出しにはドロワーズやタイツ、靴下、アクセサリーの類も入っていた。何となくピンと来たチョーカーや、ヘッドドレスを一緒に引っ張り出す。
「ん……?」
黒いチョーカーに、鉄くさい匂いがこびり付いているような気がした。
「血の、匂い?」
「早くしろって! 僕を待たせるなよ」
「わかった」
彼に急かされて引き出しを閉めた。
部屋を出ると似たようなドアが幾つか並んでいて、上へ行く階段と、下へ行く階段が廊下の先に一つずつあるのだった。わたしはとりあえず下行きを選ぶ。
何故って、美味しそうな匂いがしたからだ。思わず口の中にじゅわっと唾液が滲むくらいの、甘酸っぱいトマトの香り。廊下に射し込む光の具合からして朝だから、きっとこれは朝ごはんの匂いなのだ。
「くんくん……」
匂いにつられるまま階段を降りた先には、椅子が上に乗せられた幾つかのテーブル席と、誰もいないがらんとしたカウンター席があった。
貼紙のある掲示板。
大きなハープが飾られている簡素なステージ。
カウンター席の脇には『ヴィノクの兎亭 八つの掟』という一際目立つ貼紙があって、わたしは隅の席に腰掛けながら、掟に目を通すことにした。
「ひとつ、レモンをかけていいか必ず同席の者に訊ねる。ふたつ、『味の友』は悪じゃない。みっつ……」
「え…………、コヒナ、さん?」
「?」
不意に声を掛けられた。
足音がしていたか、していなかったかは分からない。わたしは相当集中して、スープの匂いと貼紙を読む事だけに一生懸命になっていたから、誰かが近付いてくるなんて思ってもいなかったんだ。
緑色の髪の、痩せぎすの少年が呆然と立ち竦んでいる。階段の最後の一段を降りることもすっかり忘れて、わたしのことを、幽霊か何かでも見るような目で見つめている。
「えっと……こんにちは」
おはよう、の方が良かったかな? なんて考えてももう遅い。少年は「大変だ……」と一言呟いて、バタバタとどこかへ駆け込んで行った。
それから間も無くして、
「なぁんだって?!」
ガシャン! ドシャン!
「うあっっつぅうぅ?! おい何やってんだ親父!」
「すまんすまん! 片付けといてくれ!」
「なんで俺が!」
そんなやり取りが奥から聞こえて、カウンターの向こうの扉がバァンと開け放たれる。
ピコン! と音でもしそうなくらい、その人の頭のてっぺんにある大きな耳が震えた。飛び出たマズルに、あんぐり開いた口に並ぶキバはまさしく、狼のそれである。
毛むくじゃらの腕で、彼は思いっきり自分のほっぺたを抓った。
「そんな……まさか。夢じゃない……」
「……親父さん?」
わたしは声を掛けてみた。たしか、奥でそう呼ばれているのが聞こえた気がしたから。
この建物にわたしの部屋があったということは、わたしも『ヴィノクの兎亭』に暮らしているか、泊まり込んでいるかのどちらかだろうと思ったのだ。彼のことは全く覚えていないけれど、一か八か呼んでみて、何のリアクションも無ければ「寝ぼけていた」で誤魔化そう……。
「あ…………」
彼はぎょろりとした目玉を瞬かせ、見る見るうちに大粒の涙を溜めていく。
何かまずいことを言った? それとも───もしかして、とんでもなく『大正解』だった?
「う、うおおおおおおおッ! コヒナ! コヒナぁぁ!」
「わ?!」
親父さんは遠吠えというか、雄叫びというか、とにかくすごく大きな声で叫びながらエプロンを引きちぎった。そして大きな手を使ってカウンターを乗り越えて、わたしの体に飛びかかりぎゅうぅと熱く抱き締めた。
「よかった! よかった! アオーーーーン!」
「くる、くるしっ」
「コヒナ! おおお良かった良かった本当に! ワシの事を覚えているんだな?! 皆の事も覚えてるんだよな?!」
「え、えっと」
「リンのヤツめ、適当抜かしおって! コヒナの記憶エーテルがぶっ壊れてるなんて言うから、てっきりもうダメかと思ったじゃあないか! ああ良かった! これであとユウジンさえ目覚めてくれれば……」
「あの、あの……おやじ、さん」
「なんだ?! どうした?! 何が食いたい?! いやあお前が起きてくるなら今日はコーンスープにしておくんだったな! お前はトマトが嫌いだったものなあ! ガッハッハッ!」
「覚えてなくて……」
「え! えっ……、…………え?」
「わたし……あの…………、わたし、コヒナっていうんですか? ここは、『ヴィノクの兎亭』……宿ってことで、合ってますか? あなたが……ここの、一番えらいひと? それとも、シェフ?」
「……………………」
「親父さん?」
さっきまでイキイキとしていた目が、一転、グルンと後ろに大きく回る。
わたしは「きゃあ!」と小さな悲鳴を上げた。親父さんは次の瞬間、ビターン! と仰向けにひっくり返ってしまったのだ。
ど、どうしよう。どうしよう……!
わたしが何も覚えていないから、ショックを受けてひっくり返っちゃったんだ!
慌ててワンピースのポケットからさっきの板を取り出して、「どうしよう!」と呼び掛けてみる。けれどもさっきまで光って、青年の姿を映していた板は真っ黒のまま、喋りもしなかった。
「どうして?! 壊れちゃったのかな……」
「コヒナさん、横のボタン押すんすよ。それ」
「あっ」
さっきの少年が、またいつの間にか立っていた。カウンター越しに両肘をついて、彼は頻りに両手の匂いを嗅いでいる。
零れたスープの後片付けをしていたのだろう。お礼を言わなくちゃいけない。いや、それより先に親父さんのことを相談しなくちゃ……。
頭の中がグルグルと、忙しなく動いている。わたしがボタンも押さず、何も言い出せないでいるうちに、彼は腰の高さくらいの扉を押しのけてカウンター側から出てきた。親父さんの頭へ手を翳して、小さく言葉を唱える彼。前髪で左目が隠れているせいで、わたしの方からは表情が窺えないけれど、こういった事には随分慣れているふうだった。
「あ……ありがとう」
「いえ。……ここは冒険者の宿『ヴィノクの兎亭』で、この人は亭主のガンダルヴァっす」
「あなたは?」
「俺は……、名前はいくつかあるんすけど、ソウビって呼んでもらえれば大丈夫っす。見ての通り、ヒーラーっすね」
「ヒーラー?」
「癒し手ってことすよ。まあともかく親父はそのうち起きるんで、そこのソファにでも転がしておきますか」
「わたしが運ぶよ」
「でも」
「大丈夫。わたし、見かけよりちょっと力持ちな気がするんだ」
「……そうっすね。俺よりはそうでした」
ソウビは笑って頷いた。
眉毛をきゅうっと真ん中に寄せて、涙を堪えるみたいな変な笑い方をしていた。
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