死に戻りの魔導士




ゼノンは、足元に倒れている魔導士をまだ見ていた。

自分のナイフを右手に持ったまま。


ゼノンのナイフは特殊なナイフで、魔導を発動している相手にだけ、殺傷力を持つ魔法が掛かっている。

つまり魔導士以外にはリンゴすら切れないものだが、防護魔導を纏った者には絶大に効果があった。それを、破り切り裂くのは、このナイフには簡単で。

昔のガジェットを作った錬金術師の、執念の塊だった。

これがゼノンの強さの一つでもある。


そして、ゼノンにはもう一つ、魔導士に対して有利な点があった。


薄暗くなってきた町に、冷たい風が吹いて来た。

ゼノンはククラの遺骸に屈み込む。


それを抱き上げようと思った時だった。

「……は…」

ククラの口が動いた。

「う?」

さすがのゼノンも固まった。


ククラを倒してから、もう時間が随分と過ぎている。

流れ切ったククラの血も乾いていた。

身じろぎをするククラの身体の下で、その血がパリパリと音を立てて剥がれた。

ゼノンは出していた手を引っ込めて、眼を離せないでいる。


有り得ない。

これは、有り得ないぞ。


ククラは自分の口の中に広がるイチゴの味が、そのまま血に変わっていくのを体感して苦笑する。

…黄泉路で貰った物は、全て何かの意味があるんだったっけ。

あの方は本当に、優しい神様で。

御恩返しが出来ない僕を、どうか許して下さい。


ククラの手元に白い紙が集まって来る。

それが両腕になり、ククラが体を起こすと、目の前でお化けを見たような顔をした男が立っていた。

「…有り得ねえ、お前は何なんだ!?」

ゼノンが有り得ない現実に叫ぶ。

「…魔導士だよ」

「いやいやいや!?それで片付けられるもんじゃないだろう!?」

「…五月蠅いな」


ククラは立ち上がって伸びをする。

身体が凝っている気がした。

「…お前は何だよ!?」

「だ・か・ら。魔導士だって言ってるだろう?」

ククラがそう言うと、ゼノンは納得がいかないまま、ククラの身体を抱き上げた。


「何で?」

「…しばらくは、俺の好きにさせろ。…納得がいくまで」

何故これを納得させなければならないのかが、ククラには疑問だったが。

疲れていたククラは、そのまま運ばれていく。


ゼノンは腕の中にある体温に、落ち着かない気持ちのまま自分の店に戻った。

風呂場に入ると、ククラの服を脱がそうとする。

さすがに顔を叩かれた。

「…自分で入るよ」

「お、おお。そうか、そうだな」

何か慌てるようにゼノンが出て行く。


ククラは湯船にお湯をためながら、自分の中を探していく。

少しも変わっていない気もするが、小さな明かりはまだ灯ったままで。

心の中がほんのりと温かい気もした。


…自分を許すことは出来ないが。

他の人がそう言ってくれるなら。僕を心配してくれるなら。

その気持ちも、また僕の物にしよう。


そうやって溜め込んだ光が、僕を照らし導くだろう。

いつか真の闇に出会っても。

ククラは湯に身体を沈めた。



いや、あれは何だ。

ゼノンは店のカウンターで、酒瓶をあおっていた。

魔導士って事じゃないよな。それで片付く話じゃないはずだ。

あれは何だ。

何故、死すら翻して生きているんだ。


それはさすがにどの魔導士でも出来ないだろう。

ゼノンはふと、むかし聞いたおとぎ話を思い出す。


最初の一人。世界を闇から救った魔導士。

全ての魔導の初めて。


…それは確かに、死をも退けて何百年と生きて、今も生きているという話だが。



「いや、有り得ねえ」

ゼノンは、また酒を口にしながら呟く。

そんな年寄りには見えねえ。どちらかと言えばあいつは。

横から手が伸びて来て、ゼノンの瓶を奪った。

瓶に口を付けるククラを見ながらゼノンが思う。


そう、どちらかと言えば。…こいつは、小さな子供だ。

瓶から口を離して、ククラがゼノンに低い声で言う。

「…何だよ」

酷く機嫌が悪そうだ。


「何でそんなに機嫌が悪いんだ?」

意味が分からないゼノンが、ククラに尋ねる。

「…僕の服はどうしたんだ?」

「風呂に入っている間に捨てた。…ローブは取っといてあるから」

ククラの眼が座った事に、ゼノンが慌てて言葉を注ぎ足す。


「…お前。あれはもう着れないぞ?」

「で。これを着ろと」

ククラは黒い色の服を着ていた。ゼノンが頷く。


「似合うと思うけどな」

「…そう」

ククラの声音が元に戻る。

ゼノンはほっとしながら、先の意見に確信を持つ。

やっぱりこいつは、子供だ。


ククラのまだ濡れている髪に手を伸ばすと、すげなく叩かれた。

ククラはじっとドアを見ている。

曇りガラスに透けて外の光が分かる。


「…帰ろうかな」

「此処に泊まればいい」

ククラの呟きに、ゼノンが答えた。

そのゼノンを睨んでから、ククラはまたドアを見る。

帰りたくない訳じゃない。

ただ、自分が納得しなければ、魔導士としての仕事が出来ないだけだ。

どうすれば納得がいくのか。


ククラが溜め息を吐くと、ゼノンがふっと笑った。

じろりと睨まれても、気にしていない。

「…泊まっていけよ、ククラ」

「……それで、あなたに有利な事でもあるのか?」

ククラの問いかけに、ゼノンは笑いだす。


「ははは。有利かどうかなんて知った事じゃねえな。…俺が思うからそう言っているだけだ。ククラも嫌なら、そう言えばいいだけだろう?」

「…そう、かな」


ククラが不思議そうに見るのを、ゼノンがまだ笑いながら見返す。

「それだけで、いいのか?」

「気持ちの問題だろ?良いか嫌かは自分で決めろよ、ククラ」

考えているククラに、ゼノンが煙草をくわえさせる。


「?」

「まあまあ」

何が、まあまあなのかは分からないが。


ククラは火を付けられて、ひと口吸ってみた。

苦い味と、不思議な煙。

それをぼんやりと見ているククラは、悩むことをやめる。


「…あなたには、お礼を言わなくちゃいけないな、ゼノン」

「は?」

「…あなたがそう願ってくれたから、僕は黄泉路に行けたんだ」

「何の話だ?」

ゼノンが酒を飲みながらククラに言った。


「だから」

「…俺は知らねえな。だから礼もいらねえ」

口を開いたククラに、ゼノンはそう言ってその次の言葉を言わせない。

困ったように口を閉じたククラを、にやにやと笑ってゼノンが見ている。


「礼なら別で貰うが?」

「…言葉がいらないのに、体で返せなんて言わないよな?」

「そうか」

「そうだよ」

ゼノンが隣に立っても、ククラには違和感は無かった。

この場所では、そうしているのが当たり前なのだろう。


自分の感覚を信じて、行動してみよう。

考えるばかりじゃなく。

気持ちが先でも、納得がいくように。


店のドアが開く。

ゼノンの知り合いや、裏稼業の奴らが入って来た。

ククラを見て驚いた顔をするが、ゼノンがククラの顔を撫でてからそっちへ向かうと、なんだか納得したような雰囲気が流れた。


…どういうことだ。

ひとり、ククラだけが納得がいかなかったが。


ワザとゼノンがそうしたのだろう事は、容易に想像が出来たので敢えて何も言わずに、そこで酒を飲んでいる。

嫌な話も出て来るが、それは聞くに任せた。

ククラは此処で、世界の半分を知ろうとしていた。


この世の半分は、悪意に満ちている。





ジェイは魔導士協会に帰ってからも、余り口を利かなかった。

トビナが心配をして話しかけるが、五月蠅そうに唸っただけだった。


ジェイは悩むように、視線をじっととある場所から動かさないでいる。

そこは、魔導士の名前が書いてあるロビーの一覧表だった。

ククラの名前が書いてある。そこをじっと、ジェイは見つめていた。

それを見ながら考えている。一体、ククラに何が起こったのか。

あの態度は何だったのか。


ジェイは天井を見て、溜め息を吐く。

本人に聞かないで、話を作っては駄目だ。真実はいつだって、本人が持っているんだ。

ジェイは魔導士協会を出て行く。もう一度、あの界隈に入るつもりだった。


その道に行く途中で、ジェイは立ち止まる。

道は、月の光で薄く照らされている。

淡い光が照らす道の真ん中に、ククラが立っていた。


「…何処に行くんだ?」

「お前の、ところに」

ジェイは言葉を上手く言えない。

そこに居るククラは何だか、月の光を纏って違う生き物に見えた。


人とは違う。そこに、ただ、有るモノ。


「ククラ」

「…ん?」

そう答えて笑っているのは、何時ものククラのはずなのに。

触れようと思って伸ばした指先が、僅かに震える。

ジェイが触るのを、ククラはじっと待っているようだった。


その指先がそっとククラの頬に触れる。

ヒンヤリとした頬は、けれど生きている温もりがあった。

ほっと息を吐くジェイに、ククラが笑いかける。


「…どうしたんだ?」

その笑みはまだ不思議な表情で。

「いや。…何でもない」

ジェイがククラを抱きしめる。

ククラがそのまま動かずに、じっとしているのが不思議だった。


何時でも自分がそういう対象に見られるのが嫌で、それを感じさせることは僅かでも拒否反応を示していた。

ましてや自分は、告白めいた事をしているのに。


腕の中のククラをジェイが見下ろす。

ククラは顔を上げてジェイを見る。

そうやって見つめあっていると、なんだか胸が痛くなってくる。

ジェイはククラを離す。

…この先を望んではいけない。


ククラはまだ微笑んだまま、そこに立っている。

その姿はけれど、ジェイの知っているククラとはかけ離れて見えて。


「…僕の所に来て、何を話すつもりだったんだ?」


ククラがそう言って、またジェイを見る。

しかし、その目線はさっきまでの物とは違っていた。

それは冷たい氷の様に、酷薄な色を帯びていて。


ジェイは思わず、懐のナイフを握る。

目の前の魔導士は、ニヤリと笑って指を打ち鳴らした。ジェイの眼前で魔導が放たれる。

「ククラ!?」

ジェイの声に、ククラが笑って答える。

「ほらジェイ、早く言わないと。…黒こげになるよ?」

ククラが指を打ち鳴らす。

また、無詠唱の魔導がジェイに向けて放たれた。


「ククラッ!?」

「早く言いなよ、そうでないと」

ククラが、また指を打ち鳴らす。

火の勢いが増していく。


「何で俺が、お前と戦わなくちゃならないんだ!?」

「…お前が、魔導士協会の犬だからだろう?」

そう言うククラの眼は、ひどく冷たい。

ジェイはこれがククラだとは思いたくなかった。

あの時のククラはこんなでは無かった。


自分の命さえも差し出して、他の人を助けようとしていた。


これはククラじゃない。俺の知っているククラはこんな奴じゃない。


「コール!エレクトリックサニー!」

ジェイが魔導を放つ。

辺りが昼間の様に光り輝く。雷がククラ目掛けて放たれる。

ククラは手のひらを返しただけで、その光を弾き返した。


ジェイは弾かれた自分の魔導をよけながら、次の魔導を放つ。

「コール!グランディア!」

足元が揺れて、大地が裂けていく。

ククラの足元が陥没するが、ククラは何でもない様に、そこに立っている。


「…本当に、そんな魔導しか使わないのか?」

ククラが呆れたように言った。

ジェイは大きなナイフを片手に、ククラに走り寄る。

駆け寄ってくるジェイを見て、ククラがにっと笑った。

「来いよ!!魔導士ジェイ!!」


ジェイは自分のナイフに手ごたえを感じて、その手を緩めようとする。

口から血を垂らしたククラが、その手を離させない。

「…これで終わりか?それならお前の負けだな、ジェイ」

血を吐き出している、その口がそう言った。


「…何を」

「…お前が勝つ見込みは何一つないよ、魔導士」

ククラがそう言ってにっと笑う。

その手はジェイの手首を掴んで離さない。

出来るだけ強い力で引くが、ジェイはククラの手を払うことが出来ない。

「…ククラ、どうして…。」


その綺麗な緑色の瞳に、ククラの冷たい顔が映る。

おかしそうに笑うククラの口元は、血に塗れていて。

ジェイはこの時が嘘だと思いたかった。

こんなのはククラじゃない。俺が知っているのは。


「…何を考えているんだ?敵の前で」

ジェイがククラを見る。

ククラはにっこりと笑ってから、ジェイに火の魔導最上級を放った。

無詠唱のそれは幾らか力が軽減されているが、人を一人焼き尽くすには十分だった。


自分の視界が炎で埋め尽くされるのを、ジェイはどうする事も出来ずに、ただ見つめていた。酷く焦げた臭い。油や肉の焼ける音。

それに伴う痛みが襲ってくるはずなのに。




ジェイは冷たい床に横たわっていた。

「…え?」

起き上がるとそこは、魔導士協会の本棚の間だった。

前にここでククラを見かけた事がある。熱心に魔導書を読んでいた。

ジェイは知らずに泣きそうになって涙を止める。


…ククラは何処へ行くのか。

俺はそれに、ついては行けない。あのククラを、俺は認められない。あれを、ククラとは思えなかった。

楽しんで魔導を使い、人を陥れる事などなんでもない様な。



「…は…手加減しろよな、まったく…」

ククラは口元の血を片手で拭うと、刺された胸を魔導で治す。

キラキラと光るそれは、ククラの身体を包み込む。


「…これで、協会が僕を敵だと、認定してくれればいいんだけど」

ククラは浅く息を吐く。


今、魔導士協会を抜けることは出来ないだろう。

何せあの協会では、かなり名前が出回るほどの事をしてしまった。

何かがあると、すぐに呼ばれるぐらいには。


ミミトメリの事を魔導士協会が諦める訳がない。

巨大な魔導の発動方法や、使った人物を探すに決まっている。

僕の事がばれるのは仕方がない。

それは良いんだ。


だけど、最初の強大な魔導力で町を襲った、魔導士を捉まえたいと思われたら。

…メリッサは、まだ生きている。

あの町を疑問に思われても、それを解析できる魔導士をあの町に入れてはいけない。

それを阻むには。

…僕は敵対しなければならない。魔導士協会と。

そう、今迄、仲間だと思ってくれていた人たちと。



これが冷静な判断だとは思っていない。浅い考えだと分かっている。

それでも、これは譲れない。


僕はメリッサを守りたい。たとえ外道に落ちても構わない。

…あの友人たちの全ての命を、奪う事になっても。

僕はあの人を守りたいんだ。

そのためには、出来るだけ僕に注意を引いておきたい。

あの町の事なんか、どうでも良くなるように。

…これはまだ、手始めだぞ?




トビナはジェイが気落ちしているのを心配していた。

けれど、ジェイは何も言わずに、協会を出て行こうとする。

「待って、ジェイ。…何があったの?」

「…トビナには関係ない」

ジェイの冷たい言葉に、トビナが少し顔をしかめる。


「…ククラ君を探しに行ってくれたんだよね?」

「…もう、ククラはいない」

「え!?」

トビナが跳ねるように答える。

ジェイはその姿を見て、少し笑った。

あまりにも苦しそうに笑うので、トビナは言葉を掛けられなくなる。


「…もう、いないの?」

「ああ。もういない」

トビナは残念そうに俯いた。

ジェイとは長い付き合いだ。トビナはジェイの言葉を最優先する。

ククラはもういないとジェイが言うのなら、そうなのだろう。



その二人の会話を聞いている魔導士達がいた。

ククラを探していた、3人だ。

ジェイよりも前から、随分熱心に探していた。

ヴァイスも、フランも、クレッシェンドも。


今、ジェイの言葉を聞いて、それを真実とは受け取りがたかった。

しかし、すべてを嘘とも言い切れず。

ジェイは嘘を言う人物ではない。

それは付き合いが長いほど、分かるもので。


つまり、ヴァイスはその言葉を信じがたかったが、信じないわけにはいかなかった。

口喧嘩をしながらも、ジェイとは長い付き合いだった。

ここ最近は、口喧嘩もせずに話せるようになっていた。

主に、ククラの話だったが。


ヴァイスは魔導士協会を出て行く。

中ではなく、協会の外で考えてみたかった。

ヴァイスは、もう灯火が消えかけている町の中を、無言で歩いて行く。


暗い街の中で、誰かの話し声が聞こえた。

何処かで聞いた気がする。

ヴァイスはその声を、辿る様に追ってみた。


街角のひときわ暗い建物の影に、黒いローブが見えた。

コンマリの魔導士で、黒いローブを着ているのは何人かで。

その内の一人が。


ヴァイスはその影に向かって歩いて行く。

黒いローブはその場にじっと立っていた。

しかし、ヴァイスを待っていたわけでは無い。

黒いローブには相手がいて、それと話をしているようだった。


「…良いのか?」

「何が?」

近くで聞けば、その声はよく聞いた声だ。

真っ直ぐな瞳。真っ直ぐな心。

魔導士としての、目標でもある人物だった。


「あれは友人だったんだろう?」

「は。友人?…残念だけど、僕は実力のないやつを友人とは認めないよ?」


ヴァイスの足が止まる。

その声の辛辣な響きに、戸惑いを隠せない。

少し離れたヴァイスには気付かずに、その魔導士は男と話を続ける。


「…相変わらずだな?」

「…魔導なんて実力主義で当たり前だろう?…そこが分からないで、友人ごっこなんて」

黒いローブは肩を竦めた。

話を聞いている男は苦笑を浮かべる。


「お前らしいが」

「…大した力のないやつは、すぐに群れたがるからね。…仕方なく付き合っているだけさ」

黒いローブの人物が溜め息を吐くのを、ヴァイスは息をつめて聞いている。


「…それで、魔導で追い払ったという訳か」

「仕方ないだろう?魔導士協会のイヌなんて、お断りだよ?…何かあるたびに僕を頼るなんてさ」

その言葉は、心の奥底に響く。

強い魔導士としての言葉は、ヴァイスの気持ちを揺るがしていく。


「…それで、どうするんだ?」

「僕に手を出さないなら、それでもいいかとも思ったんだけど。…なあ、どうしたらいいと思う?」

黒いローブが、話している男に問いかける。

「いっそ何処かへ行くか?」

「僕の方から立ち去るなんて嫌だね。大した事も出来ない奴らに、思い知らせるべきだ」

「は、お前は」

話している相手が面白そうに笑った。

黒いローブの人物はその声に、やはり笑い返した。

「手伝ってくれる?」



まさかこんな姿を見るとは。こんな話を聞くとは。

ヴァイスの思考は混乱していく。

こんな事は、絶対にないはずだ。

嘘だろう。有り得ない。


ククラは俺達をバカにしていたのか?

その会話を最後まで聞いていられずに、ヴァイスはその場所を後にする。

早足の自分の心臓はひっくり返りそうだった。


いや、嘘だ。

これは自分が見ている幻覚だ。


ヴァイスがさらに足を早める。

町は暗く、ヴァイスの心を変えてくれるような明かりは、一つも灯ってはいない。

焦っているせいか、足元が怪しい。

あれがククラか?

いや違うだろう、あれは別人だ。


だが耳に残っている声は、まさしくククラの物で。

憧れていた人物の声だ。ヴァイスだって、間違ったり勘違いをしたりするはずもない。

魔導士の仲間はいないと言った。


知らない誰かと一緒になって、魔導士を見下している。

確かにククラは、前代未聞の魔導士だが。

他の魔導士が、それより劣るという事はないのだ。

ヴァイスはきつく口を噛む。


あれは誰だ?

ククラは、俺の憧れていたククラは何処へ行ったんだ?

それともあの時のククラは、虚像だったのか?


ヴァイスは抜けて来た魔導士協会に再び戻った。

ククラの話をする為に。


特にフランとクレッシェンドには、言っておきたかった。

あれをもう探す必要は無いと。


再び入って来たヴァイスの顔を見て、残っていた魔導士達は何事かと見る。


「…話がある」

トビナに掴まっていたジェイも含めて、ヴァイスはククラの話を始めた。

フランも、クレッシェンドも、その話を信じない。

ヴァイスは苛立つが、仕方のない事だ。


そして、ジェイは別の事で眉根を寄せた。

…ククラの真意が、分からなくなってきた事に。


「…有り得ないわ。そんな事」

フランが声をあげた。

その通る声は、他にそこに居る魔導士達の注目を集める。

「…あなた、気でもおかしくなったんじゃないの?」

「本当だ。たった今そうだったのだから」

フランはヴァイスの顔を見て、困惑する。


クレッシェンドは、ヴァイスとジェイの顔を見て、首を傾げる。

「お前たちはそれで、ククラを捨てるのか?」

クレッシェンドの言葉に、二人が顔を上げる。

「…そういうつもりはない。ただ、ククラが嫌がるなら…」

「俺様なら、ククラの真意を聞かない限りは、それを納得できないな」

クレッシェンドがそう言うが、ヴァイスは首を振った。


「…お前には分からないんだ」

「いや。…クレッシェンドも、ククラに会うだろう」

ジェイが考えながら、そう言った。

突然の言葉に、ヴァイスが疑問を口にする。


「…何で、そう分かるんだ?」

「…もし、ククラが俺の考えている事を考えているなら、多分」

ジェイの言葉は、ヴァイスを納得はさせられない。

「お前たちの好きにするがいいさ」

ヴァイスはそれ以上の話をしたくない様に、その場から離れた。


「…俺様が会ったら、聞いてやるよ」

クレッシェンドは、魔導士協会を出て行った。

フランは仕事の手続きをする為に、カウンターに向かう。

ぽつんと残ったジェイに、トビナが聞いてくる。


「…ククラ君は居るんだ?」

その質問に、ジェイは自信が無さそうに呟く。

「…居るとしても、それは、きっと違うククラだ」

ジェイがそういうのを、トビナは珍しく険しい顔で見ている。

この傾向を良くないと考えていた。


もしもククラが、何かをするとして。

ジェイがそれに加担するかもしれない。

それは許せなかった。


トビナにとって、ジェイは大事な家族だった。

精霊郷を出てしまったトビナには、家族はいない。

そのトビナに、ジェイは大事な家族となって。

彼が大きくなるのを嬉しく思い、自分と同じ魔導士の道を選んでくれたのを、とても嬉しく思っていた。

…ククラが来るまで。


彼がククラと親友になったと知った時から、トビナは胸の奥で違和感を抱えている。

それが憧れなら良かった。

けれど、ジェイの思いを聞いてしまった時に、トビナは胸の内に苦痛を感じた。


幾多の男に貪られた魔導士。

そんな相手を、ジェイの親友にさせる訳にはいかなかった。

なるべく別行動を取らせるように、仕事を振り分けたりもした。

けれど、今のジェイの顔は。

離れていてもククラを理解しようとして、苦しんで。


あの、魔導士に、振り回されて。

トビナは溜め息を吐く。

ジェイの為には、あれがいるのは良くない事かも知れない。


トビナは、念話の出来る魔導士のもとへ行く。

魔導士長へと連絡を入れるために。

そのトビナの後姿を、ジェイは何かを考えながら見つめていた。


「…よし、これで動きそうだな」

ククラは高い建物の上に立っている。コンマリの町が、良く見渡せた。

自分の故郷になると思ってここに来たのに。

ククラは苦く笑う。


何処かを故郷にするには、そこに居る人を大事に思えなければならないのかもしれない。

場所に心を寄せるのではなく。そこに居る人に、心を寄せるのだから。

それならば。

僕の故郷は何処になるのだろう。


誰かの傍に、いつかは居たいと思うように為るのだろうか。

彼女の傍には、もう行かないのだし。

…誰か、か。

そう思っているうちは誰の傍にも行けない事を、ククラは最近知ったばかりだ。


求める相手が出来ればいいけれど。

…きっと、僕にはできないだろう。

そんな幸福は、きっと訪れない。僕には、誰かの笑顔を壊すことしか出来ない。


風に乗って、静かな音楽が聞こえる。

何処かの酒場で、吟遊詩人が曲を奏でているようだ。

ククラはそれに耳をすます。

自分で選んでいる道だが、こう選ぶしかない自分に嫌気がさす。

もっと簡単に生きられればいいのに。その英雄譚は、悲しく町に響く。声のいい吟遊詩人だ。


ククラは暫く聞いていたが、やがて、開けそうな夜空を見上げた。



…さあ、いくぞ。

抵抗してくれ、魔導士達。



ククラの身体から、立ち昇る様に魔導の光が天に向かっていく。

コンマリの空に、昼の様な光が満ちる。


巨大な魔導陣が、コンマリの天空の全てに展開された。




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