死にたがりの魔導士
ククラがここに来たのは、半ば自暴自棄になっていたからだった。
魔導の事はもう、どうでもいいと思っていた。
自分の力が人よりも強い事も、恨めしいだけだった。
どんなに強くても、大事な人ひとり守れない。
フラフラと界隈を歩いているククラを、町の住人がじっと見ている。
魔導士のローブを着たままのククラは都合のいい獲物だった。
そのククラの足元に、身を投げ出すように得体のしれない者がしがみつく。
ククラが見下ろすと、それは口を開いて、血と反吐を吐いた。
声はもう出ず口だけが動いて、ククラはそれを読み取る。
屈んで、魔導を掛けた。
「癒したる金の天使よ、ここに降り立ちその力を我に授けたまえ。ミカエルの息吹」
その人の身体がまばゆい光に包まれる。
光が消えた後にきょとんとした顔で、その男はククラを見た。
それから自分を見る。両手が動いて立ち上がれた。ビョンと飛び上がる。
それからククラにこう言った。
「バカじゃねえかお前。俺は金なんか持ってねえぞ!?」
「…別に、お金はいらないから」
ククラがそう言った途端に、辺りから人が湧いて出て来た。
どの人も、酷い怪我をしていたり治りそうもない病で駄目になりそうな人たちが大勢、町の影から出て来る。
ククラはその場に座り込んで順番に魔導を掛け始めた。
2アトも過ぎたころだろうか。店にいたゼノンの耳に伝達が届いた。
町の真ん中で魔導士が病人の治療をしている。
ゼノンは立ち上がって店を出る。
いったいこの町でそんな事をやる奴は、どんな奴なのか。
何の目的で、町の中央なんて目立つ場所でそんな事をおっぱじめたのか。
もしも、自分の宣伝の為なら、無駄な事を。
この町で魔導士が辿る先なんて、実験動物よりもひどい扱いしかないのに。
歩いて教えられた場所に向かっているゼノンは、聞こえて来る人々の騒ぎ声に首を傾げる。
その先に言われた魔導士がいるはずなのに。
何故かたくさんの人間の気配。
ゼノンがひょいと角を曲がると、そこにはまだ長蛇の列があった。
ククラは光魔導をもう何十回と掛けていた。
来る人は皆、重症な者ばかりで最上級でないと治らないような者ばかりだった。
ゼノンが後ろから近づく。
ククラの真後ろに立った。
しかしククラは振り向かない。
「癒したる金の天使よ、ここに降り立ちその力を我に授けたまえ。ミカエルの息吹」
また魔導を使う。
ゼノンの見ている前で、何だかわからない形の人間が綺麗な人間に戻っていく。治された人がどいたククラの前に、母親が抱える息が止まった赤ん坊が差し出される。
ククラの手が止まった。
ゼノンはそれはねえだろうと、ククラの前の母親を見る。
生きていない人を治せだなんて、勘違いも甚だしい。
魔導士は万能じゃねえし、それが出来るとして、こんな貧民にそれを使う価値もねえ。
「冷めやらぬ天の咢、そのいわれなき渇望に嵌り流離う人々をどうか今一度、見逃したもう」
ククラは禁忌を詠唱しだした。
ゼノンは聞いた事のない魔導の詠唱に、ククラを見下ろす。
「食われ得ぬ可児」
光が逆巻き触れた先から肌の色が変わっていく。ククラの手元で赤ん坊が声をあげて泣き出した。その声に周りの人たちから、さざめく声が広がる。
感動した母親は何かつぶやいてから急いで走り去る。
ククラの後ろに、ゼノンが立っているからだ。
だがククラはまだ、次の人の手を取る。
そのククラの手が震えているのに、ゼノンが気付く。魔力が切れそうなのだと想像できた。
見られているククラが怪我人の手を取って、魔導を詠唱する。
「癒したる金の天使よ、ここに降り立ちその力を我に授けたまえ。ミカエルの息吹」
ククラは息を吐く間もなく、次の人の手を取る。
病人は肌が腐っていたが、ククラはその手を握った。
「癒したる金の天使よ、ここに降り立ちその力を我に授けたまえ。ミカエルの息吹」
ククラが詠唱する。
その病人が泣きながら礼を言っても、ククラは少し肯くだけで、次の人の手を取った。
いっこうに止めない魔導士に我慢できなくなったゼノンが声を掛ける。
「おい、お前」
ゼノンが声を掛けても、ククラは振り向かない。
頭に来たゼノンが前に回った。怪我人や病人たちを蹴飛ばして退かせる。
ククラの正面に屈んだ。
「おい、お前は何をやっているんだ。こんな事をして何の利益が欲しいんだ?」
伏せていた顔を上げてククラがゼノンの顔を見上げた。
ククラの眼から涙が零れる。
ゼノンがぎょっとして座り込むと、ククラはそれにつられて目線を下げる。
「おい?」
「…僕は何でこんな事をやっているんだろうか…」
ククラがそう呟いた。
その眼は何処も見ていないようで、ゼノンは自分に向かせるために顔を叩いた。
バアンと酷い音が界隈に響く。
ククラは叩かれた勢いで、横に飛んでいた。
そのククラを担ぎ上げると、ゼノンはその場を離れる。まだ待っていた住人たちが、絶望の溜め息を吐いた。あの魔導士はもうここには生きて帰ってはこられない。
ゼノンが連れて行ったのだから。
自分の店の二階にククラを連れ込むと、バタンと部屋のドアを閉めた。
ゼノンが肩からククラを降ろす。ククラは起きていて、ゼノンを見上げた。
「…お前は何であんな事をしたんだ?」
ゼノンはククラに対して、今度は対等に口をきいていた。
「…分からない」
「はあ!?あんなに魔導を使い続けて、自分の息が続きもしないほど体力を消耗して、やってる理由が分からないだと!?」
ククラが頷くのを、ゼノンはあきれて見下ろしていた。
「…助けてと言われたから、助けただけで…」
「お前は助けろと言われりゃあ、自分がどうなっても助けるのか?」
ククラが頷くのを、ゼノンは溜め息を吐きながら見下ろしていた。
「…死にたいのか、魔導士?」
ククラがゼノンをしっかりと見る。
…そして、頷いた。
「…そうか。…自分が死ぬ前に使えるだけの魔導力で、治せるだけ治してやるってのか。…愁傷な心がけだな」
ゼノンの言葉に、ククラは首を横に振った。
「…言われたから、しただけで。そんな気は無かったよ…」
「はあ」
ゼノンが大袈裟についた溜め息に、ククラは俯く。
「…お前は何なんだ?」
「…死にたいなんて、今言われるまで思わなかった」
「じゃあ、お前はどうしたいんだ?」
ゼノンが少しイライラしながら、ククラに聞く。
ククラは小さく息を吸って、ぼそりと言った。
「…戻りたい」
「は?何処に?」
「…メリッサの隣に」
そう言ってククラは黙った。
ゼノンの目の前で、ククラの伏せた顔からボロボロと涙が零れる。
泣き声も上げずにただボロボロと零れていく涙を前に、ゼノンは黙って煙草に火をつける。
ククラはじっとしたまま、ただ泣き続けた。
何本か煙草を吸った後に、ゼノンが聞いた。
「…お前の死んだ彼女か?」
ククラが首を振る。
「…メリッサは生きているよ」
「…なら傍に行きゃあいいだろうが」
「…町の人も生きているよ」
「うん?」
ククラはゼノンの言葉を聞いていない。
「…生きてるのに、僕はもうそこへは行けない。…元凶はいなくなったのに、僕が近づくことは出来ない」
「…」
ゼノンはククラが喋るのに任せる。
「…人は何も覚えていない。僕だけが、事実を持っていて、その先が怖くてそこには行けない。僕が行かなければあんな事にはならなかったのか、僕が好きにならなければ、あんな事にはならなかったのか」
「…お前…」
「時間が巻き戻っても、人が生き返っても、僕は安心が出来ない」
「…おい…」
ゼノンの問いかけには答えずに、ククラがゼノンを見る。
その眼が、壊れそうなことにゼノンは溜め息を吐く。
「…何で、魔導があるのに」
「魔導士は万能じゃねえよ」
ククラの前にゼノンが屈み込む。
その眼をやっと、ククラが見つめた。
「…どれほどの魔導が使えても、所詮は人だろ?魔導士なんかが最強な訳じゃねえよ。此処じゃあ常識だ」
「…常識?」
首をわずかに傾げるククラに、ゼノンは頷いて見せる。
「ああ。此処に来た魔導士が生きて帰ったって話は聞かねえな」
「…そう、なんだ」
ククラがほっとしたように笑ったので、ゼノンは眉をひそめる。
「…帰れないんだ」
そう言って笑うククラを、ぽかりとゼノンが叩いた。
叩かれた頭をククラが触る。
「だから、安心したなんて顔をするな。酷いなんて言葉じゃ言えないような目に合うんだぞ?」
「…うん。いいよそれで」
ククラがそう笑うので、ゼノンは困って頭を掻く。
…変なものを拾っちまったな。
ククラはそのまま床に座って、朝までそこに居た。
しかしゼノンが目を離したすきに、そこからいなくなった。
慌てて探そうと下に降りると、店の常連が笑って言う。
「…お前の彼女は、少し螺子が緩いのか?」
「は?」
ゼノンが不機嫌に聞き返すと、常連はそのまま笑いながら言った。
「町の真ん中に座っているぞ?」
ゼノンが走っていくのを、ニヤニヤしながら見送る。
あのバカは、本当に真性のバカか!?
ゼノンが昨日と同じ場所に着いた時には、ククラの前にはもう、長い列が出来ていた。
光魔導の最上級をかけ続けている。
ククラの後ろにゼノンが立つが、やはりククラは気にしなかった。
並んでいる次の人の手を取る。酷い水泡が体中に出来ていた。
ゼノンは眉をひそめる。こいつは伝染病じゃあねえのか?
その手を取って、ククラが魔導を唱える。
光が辺りに満ちる。
病人は自分の足で立てた事に号泣しながら、ククラに礼を言った。
ククラは小さく頷いて、次の人の手を取ろうとする。
ゼノンが止めようとした時、ククラがことりと倒れた。
言った事じゃあない。
ゼノンがククラを抱える。
ククラの顔が真っ白になっている事に、ゼノンが舌打ちをした。
魔導士が魔導力を戻すために一番有効なのは寝る事だ。
人なのだから当たり前で。
それで戻さない、あるいは戻せない時には魔晶石を使うが、体力の低下や健康の障害までは取れない。
あくまでも、魔導力だけが戻るものだ。
ククラは魔晶石を使ってはいなかった。
全て自分の力だけで行使していた。昨日寝なかったククラには、魔導力が尽きるのは分かっているだろうに。
大体こんな細い体じゃあ、体力だって大して無いだろう。
自分のベッドに寝かして、ククラを見下ろす。
可愛い顔をしている。まるで女のような顔だ。これで、魔導士か。
ゼノンは珍しく獲物に手を振れずに溜め息を吐いた。
ククラは目が覚めて、ぼんやりと辺りを見回す。
見慣れない部屋に首を傾げる。ベッドを降りようとすると眩暈がした。
あ、れ。
ぽとりとベッドから落ちる。
仰向けになってから、ここが他人の家だと理解する。
階下から酷い臭いと喧騒が聞こえた。
…僕、ここの人に随分愚痴った気がする。
ククラは床に寝転がったまま、天井を見ていた。
階段を上がってくる音がする。
「…おい。お前は何をやっているんだ」
イライラとした声がした。
ククラが見ると、黒髪に黒い眼の男が銜えたばこで自分を見下ろしていた。
「…ベッドから落ちた」
「ワザとでない限り、俺の質問の答えじゃねえな、それは」
ククラを抱き起してベッドの上に乗せてから、ゼノンがそう言った。
ベッドの上で、ククラが立っているゼノンを見上げる。
「…床の上で寝てた」
「それは自分でやったのか」
ククラが考える。
「…天井を見てた」
「……そうか」
やっとゼノンが答えを飲み込んだことに、ククラは不思議そうにゼノンを見る。
変わった人だな。
「お前の名前はなんていうんだ、魔導士」
「…何で?」
名前を聞かれた事に、質問をし返すと男は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「お前の墓に刻んでやるよ。」
ククラが少し笑うと、余計不機嫌になる。
「…ククラ」
ゼノンの口から煙草が落ちた。
ククラが屈んで拾う。
「はい」
煙草を返そうと、掴む。
ククラの手元で、ジッと嫌な音がした。きょとんとククラが見ている。自分の手を見てから笑った。
「ああ。今のは焼けた音か」
ゼノンが慌てるが、ククラは首を振って笑った。
「大丈夫。僕の手は本物じゃないから」
そう言えば、包帯を巻いているように何かに巻かれていたが。義手か。
ゼノンがそう思って見ていると、ククラがゼノンを見た。
「あなたの名前は?」
「…ゼノンだ」
ククラが驚かずに考え出したのを見て、自分もまだまだだなとゼノンは思う。
「…聞いた事があるような気がする」
「俺も、お前の名前は聞いた事があるよ」
ククラの答えに、ゼノンも答える。
ククラが眉をひそめたのに対し、ゼノンはいたって普通にしていた。
「…噂では、魔神とか聞いたけど」
ククラがそう言ってからゼノンに笑いかける。
「…そうは思えないな」
ククラがそう言うと、ゼノンはククラを見ていた眼を細める。
その眼がひどく冷酷な視線なのはわかったが、ククラは笑っていた。
「お前は死ぬのが怖くないんだったな」
「…ううん。怖いと思うよ」
ククラの答えに、ゼノンは構わずにベッドの上に乗る。
二人分の体重でベッドがギシリと音を立てた。
「…怖いのか」
「怖いさ。…黄泉路はいつだって、恐怖するところだろう?」
ククラが知らない言葉を言う。
ゼノンはククラを押し倒す。
「…何処だって?」
「黄泉路だよ。…ここからは行けないだろうな」
何の抵抗もしないで、ククラはゼノンのそれを受け入れる。
余りにもすんなりと口づけている事に、ゼノンは疑問に思う。
口の中に違和感が広がる。
ゼノンがククラから自分の身を引きはがす。
離れたゼノンの口から、血が溢れていた。ゴボリと口から血が零れる。
ククラは自分の顔にボタボタと落ちてくるゼノンの血を、楽しそうに見ている。
「…おま、え!?」
ククラはくすりと笑った。
「…あんたは、何を相手にしているんだ?」
ゼノンは自分の口を押さえるが、胃の中から血が溢れてくる。
まさか、魔導で攻撃を仕掛けてくるとは。
敵意は全くなかったのに。
ククラはゼノンがベッドの上から離れたので、そこに座りなおす。
ゼノンは床に膝を着いてククラを見ていた。
今でも敵意は無い。ククラは普通にそこに居る。
「…そういう事は、誰か他の人とやってくれるか?」
しかし、そう言って微笑んだククラの言葉には、敵意が含まれていた。
ゼノンはこのままだと、内臓がせりあがって来るだろう感覚に恐れを抱く。
これは何の魔導だ?
ゼノンの眼の動きをじっと観察していたククラが、くすりと笑う。
「…それは、禁忌だよ」
詠唱は聞こえなかった。
まさか禁忌を無詠唱で使ったのか?
「…約束できるか?…それともこのまま全部、中身を吐き出してみる?」
楽しそうに自分を見ているククラに、ゼノンは仕方なく肯いた。
肯いたゼノンを見て、ククラは残念そうに溜め息を吐く。
「…もう少し、根性があっても良いと思うけど。…まあいいか」
手の平をばっと開いて、何度か複雑な動きをした。
ゼノンの体の中から、嫌な感覚が消える。
「げ、は、…てめ、え」
残った血を吐きながら、ゼノンがククラを睨む。
「…まだやるのか?…僕は別にいいけど。お前が持つかなあ」
にんまりと笑うククラを見て、ゼノンはククラの噂が本当だと知る。
オンウルを動かした魔導士、ククラ。
しかし為政者に使われていただけの、被害者との見方が強かったはずだが。
目の前の魔導士は、とてもそうは見えない。
こいつは、悪意を現さずに相手の前に立てるのか。
ゼノンはククラを見る。
ククラは見られてにっこりと笑った。
「…お腹が空いたな。…この町にもお店ぐらいあるだろう」
ぼそりと言ってからククラが立ち上がる。
ふらりと、ククラの足元が揺れる。
自分の身体を支えきれない足に、ククラが目線を下げる。
その手に剣が召喚されていた。
「は?」
ゼノンが抜けた声で、そう疑問を口にするのと同じくらいの速さで、ククラは自分の足に剣を叩き込んでいた。部屋の中に血飛沫が飛ぶ。
ゼノンはあっけにとられている。
自分の足の傷を見て、ククラが手を打つ。
「ミカミスルヤナシカモクナリシヤ、ツルトマウナリクモトマウナリ」
早口でククラが何かを言った。その途端に傷口に何かが這っていく。
…正常な使い方では無かった。
痛みに眉をしかめるが、ククラはその傷の上を叩いて何かを確認した後に、身を翻して瞬く間に消え去った。
ゼノンは自分の髪からまだ滴っているククラの血を見ながら、勢いよく立ち上がる。
くそ。噂がどうこうじゃねえ。
あいつ、俺が押し倒した時に、往っちまいやがった!!
狂気に踊らされる、最強の魔導士なんてシャレにならねえ!!
ゼノンは自分の店で、通信網を使って手下を呼び出す。
町全体がざわりと蠢くほど、ゼノンは急いで呼び出した。
店の前に何十人もの手練れが集まる。
「…魔導士を探せ。なるべくなら殺すな。…黒い色のローブの魔導士だ。良いかお前ら、死ぬなよ」
珍しく言われた言葉に、手下たちが顔を引き締める。
町に散ったのを見た後で、ゼノンも外に出る。
せめて、俺が息の根を止めてやらなくては、申し訳が立たないだろ。
まさか、そんなにギリギリだとは思っていなかった。
…何で俺は、そんなに気にしてるんだろうな。魔導士ぐらい、幾らでも代りはいるのに。
ククラを探しながら、ゼノンは考えていた。
ククラはその町の中で、食事をしていた。
「…何か有ったんですか?」
ククラが聞くと、店の人も首を傾げる。
昨日助けた人の家が営んでいて。
ククラが聞くと、二つ返事で食事を出してくれた。
パンを口に入れながら、ククラは外を見ている。
ローブは脱いで、椅子に置いてあった。
残念ながら、脱いだローブを丸めておいてあると、他の上着とさして変わりは無い。
店の外を横切って行く人がちらりと見るが、そのまま走り去った。
ククラはまた首を傾げて、スープを飲んだ。
何の味もしなかったが、お腹が膨れていく感覚は有るのでそれで満足する。
…人って面倒だな。
ふと思って、ククラは席を立つ。
だけど僕は人以外にはなれない。
こんなものは、人以外がなっちゃいけない。
通常よりも多めにお金を置いて、ククラは店を出た。
町の中にたくさんの人が走っているが、いったい何があったのだろうか。
ククラは走っている人を一人、捕まえてみる。
町の路地を何かを探している風な、屈強な男。
ククラはそこに魔導を叩き込んだ。足元ではなく、直接本人に。
男が壁際に吹き飛ぶ。壁が崩れて、男も何本かの骨が折れていた。
「…ねえ、ちょっといいかな?」
まるで道を尋ねるように、ククラが笑ってそう言った。
男は地面に座り込み、口から血を流している。
「あなたは、何を探しているんだ?」
男は目の前に、探していた魔導士がいる事に驚く。
「…魔導士を、探していた」
男の答えに、ククラが首を傾げる。
「…い、た?」
「ああ。…黒いローブの魔導士、お前を探していたんだ」
ククラがまだ不思議そうに男を見ている。
男は抵抗できない自分が歯がゆいと思ったが、何とか時間を稼いで他の仲間が来るのを待ちたかった。
「…ゼノンが探している」
ククラはまだ考えている。
いや。
考えているように見える、だけだ。
何故なら。
「…そうか。でも僕は会いたくないから、そう伝えろよ?」
「いや、しかし」
ククラの眼がすっと細くなる。
男は呼吸まで止まりそうなぐらい、怖気がした。
「…まだ何かするなら、ここ、壊すぞって伝えておけよ?」
そう微笑んでから、ククラは魔導を詠唱する。
「…ミカエルの息吹」
最上級も、詠唱破棄が出来るようになっていた。
男は治された自分の身体を見た。
ククラは自身を確認している男を無視して、路地を出る。
歩く先で何人かの人に掴まりそうになったが、それを笑ってかわした。
つまり。
壁に多数の血のシミを作り。町の中を多少壊し。
怪我人を治し。壊れた場所を修復した。
ククラは散歩の様に、街中を歩く。
窓から見えるものに興味があると、中に入ってそれを見聞したり。
手に取って眺めたり。
美味しそうなものは買って口に入れた。
まるで観光の様に、悪夢の界隈と恐れられる街並みを歩く。
怪我や病気の人がいれば治し、枯れている草花をも回復させた。
そうやって歩いているククラの前に、黒髪の男が立った。
「…遅いよ?」
「待たせて悪かったな。…お前がフラフラと移動するもんだから、遅れちまったな」
まるで待ち合わせていた相手の様に、二人は会話をしている。
ゼノンがククラの前に立っていた。
ゼノンはじっとククラを見ていて、隙がない。対するククラは、息を切らせていて顔色も悪い。無駄に歩き回り無駄に魔導を使った。
それでもゼノンは気を抜かなかった。相手は全くの未知数の魔導士。
…おそらくは、この世界でも十指に入るだろう実力の持ち主。
ククラが片手をあげて、自分の胸に当てる。
「…さあ、僕をどうしてくれるんだ?」
「…望みどおり、送ってやるよ。ヨミジとやらにな」
ククラが微笑むのを確認してから、ゼノンはククラ目掛けて走り出した。
ゼノンがナイフで切り込むが、ククラは何でもない様にフラフラと躱す。
執拗にそれで切り込んでくるゼノンに、ククラは疑問を持つ。
それ自体が何かなのかもしれない。魔導の道具とか。
ククラは魔導障壁で、自分の体を覆う。
そして相手をするために、巨大な斧を召喚した。
ゼノンの頭上を突風が吹き抜ける。大降りに振ったそれを、ククラは器用に扱っていた。すぐに切り返して、ゼノンに刃を向ける。
「…案外、力持ちなんだな?」
斧を躱しながら、ゼノンが言う。
「…そうかな、普通だと思うよ?」
その斧を振るいながら、ククラが答えた。
上手く逃げ躱していたゼノンが、ククラの斧を壁にぶつけさせることに成功する。
「つっ」
斧から手を離したククラが、もう一方の手に剣を召喚して切り込む。
それを器用に避けながら、ゼノンはまたナイフを差し込もうとする。
危険を感じたククラが、指を打ち鳴らす。焔の魔導がゼノンの眼前で爆発する。
「!?」
ククラが、もう一度指を打ち鳴らす。
やはりゼノンには当たらず、寸前の領域で発動していた。
「…何だよ、あんたは」
ククラの言葉にゼノンがニヤリと笑った。
「告白が直接的だな、お前は」
ナイフがククラの真横を掠める。
「…そりゃあ、すいませんね。何せ経験不足で」
ククラの指が連続で鳴るが、全てがきれいにゼノンを避けている。
その合間にも、ゼノンはククラに向かってナイフを振るい続けている。
よけながら撃てる魔導は無詠唱しかなく、ククラは少しづつ追い詰められていった。
「…受け取ってくれないんだ?」
ククラが無詠唱で撃てる最強の魔導を叩き込む。
ゼノンの腕に当たった。
しかしゼノンはそれで体の動きが鈍る事は無かった。ククラの剣をはじいて、空へ飛ばす。
ローブを翻し、ククラが新しく剣を召喚しようとする。
「…俺の告白を先に受け取れよ?」
振り向いた時に、ククラの懐にゼノンが入り込んでいた。
喉元にナイフが突き刺さっている。
ククラは自分の血の味を感じた。
「…遊びは終わりだ、魔導士」
ゼノンが首に刺さったナイフを奥まで差し込む。
ククラの口から血が溢れだす。
「…ん…」
「…これで死ぬとは思わねえぞ?」
ゼノンがそう言って、もう片方の手でククラの心臓に太いナイフを突き立てた。
ククラの身体がびくんと動く。
ナイフの先から、心臓がごとごとと動きを緩めていく感覚が伝わる。
ゆっくりと止まっていくその感覚を、ゼノンはじっと辿る様に手先から感じていた。
ククラの眼がゼノンを見あげる。
ゼノンはそれをしっかりと見返す。
何故かその最後の瞳を、見ておかなければいけない気がして。
それは、とても嬉しそうに、ゼノンには見えた。
ずるりと、ククラの身体が地面に倒れる。
ゼノンはククラの片腕をまだ握っていた。
その腕が、崩れるように無くなる。
自分の手の中に残った紙屑を見て、ゼノンが呟く。
「…そう言えば、自分の手じゃないと言っていたな。…魔導が切れたから、無くなったのか」
ククラの横たわる身体に、そう語り掛ける。
血の海に倒れた魔導士には、もう聞こえていない。
…お前は、何がしたかったんだろうな。
それを探す時間があれば、良かっただろうに。
ゼノンはククラの胸に刺さったナイフを引き抜く。
胸から、まだ残っていた血が流れた。
…お前が言っていた場所には行けたか?
くそ。何で俺は、こんな後悔なんか。
…後悔なんかしているんだ。
ゼノンはその場を動かずに、ククラの身体を見下ろしていた。
苦い顔のまま。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます