裏界隈の逃亡者
ここ一か月の間、コンマリの魔導士協会は慌ただしかった。
先月のとある日、何人かの魔導士が報告に来た。
地方の町で、何か強大な魔導が使われた痕跡が発見されたと。
しかしそれは何者かの魔導によってかき消された跡もあった。
調べると、使われたのは、人知を超えた魔導だと判明した。
そしてそれを無くしたのは、おそらく、時空最強の魔導だろうと。
だがその魔導を使える人物は、今のところ、ワーズルーンに一人が確認されているだけで、他の国では誰も使えないはずだ。他に使える人物は、魔導士協会には登録されていない。冒険者ギルドにも登録はされていなかった。
調査が行き詰った時に、誰かが言いだした。
ククラなら、何か分かるかもしれないと。
しかし、そのククラが掴まらなかった。
自分の店を、ククラはここ最近開けていない。
2階の家にもあまり戻っていないようだった。
魔導士の念話にも答えず、一般人に渡した通話の石にも出なかった。
誰かが姿を見かけても、追いかけると何時の間にか見失う。
コンマリの魔導士協会の誰もが探していたが、誰にも捕まえられていなかった。
「…俺が探してみる」
調査をしていた一人であるトビナから聞いたジェイが、そう言った。
ジェイは遠くの都市の内戦にかかりきりで、コンマリには昨日戻ってきていた。
まさか、ククラが行方知れずだとは、知りもしなかった。
事件の調査の事よりも、ククラ本人が心配だった。
まさか、何かやばい仕事にでも関わって、協会に連絡が取れないんじゃあるまいな。
ジェイは魔導士がククラを見かけたという、夜の街に出かける。
ジェイは夜の界隈を歩いて回るが、ククラの姿は見つからない。
段々といかがわしい街の中に入っていく。夜のお姉さんや呼び込み、酒を扱っている店とかにも聞いて回ったが、何処にも情報が無い。
ククラの姿を見たという者は居なかった。
薄暗い道の上でジェイは足を止める。
この先は、ジェイでもあまり入りたくない界隈だ。
所謂、裏の人間が行き来している界隈で。あくどい事なら何でもある区域だった。
人を人とは思わぬ人間が多く生息している。
魔導士と言えども、気を抜くとたちまちにこの世から消え失せる場所だ。
ジェイが躊躇っていると、その足元に汚れた服を着た少女が近寄って来た。
「…金か?」
少女を見降ろしてジェイがぶっきらぼうに聞く。
これぐらいの年齢の子供が、ここに居る理由は物乞いか身体を売っているか。
あるいはもう、そういう世界に身を浸しているかだった。
「あれ。何も言わないのに、お金をくれるの?…お兄さんバカだねえ」
少女がへらへらと笑う。
手を差し出されたので、ジェイが銀貨を一枚乗せる。
それを見て少女がまた笑った。
「お金持ちだねえ、お兄さん。…もう一枚寄越さないかい?…お兄さんの欲しい話をしてやるよ?」
銀貨をポケットに入れてから少女がそう言って、また手を差し出す。
ジェイは疑問に思いながら、もう一枚銀貨を渡した。
「ふふ。…本当によこすのかあ」
手の平の銀貨を見て、少女がへらっと笑った。
ジェイは少女をじっと見る。
この界隈に来てから、まだ数ミムトしかたっていない。誰に話を聞いたわけでもなかった。
しかし少女は、ジェイにこう告げる。
「あんたの探し人は、ゼノンの店にいるよ」
その店の名前を聞いて、ジェイが嫌そうな顔をする。
だが少女はニヤリと笑った。
「…案内してやろうか?バカなお兄さんじゃあ、誰かに掴まっちゃうかもねえ?」
子供と言えど、少女はこの界隈に住んでいるようだ。
差し出された手を見るが何か仕掛けがある訳でもない。ジェイは少女の手を握った。
手を引かれてジェイはその町中を歩く。
町にはとても正視できないような壊れた人間や、小さな少年少女を買っている男の姿があった。手を握っている少女がいなければ、ジェイが此処を歩くのは難しかったろう。
魔導士のローブを着ているだけで、町の住人が狙って見ていた。
ジェイは自分が獲物として狙われている事に、すぐに気付いた。
少女に出会ったのは、幸運としか言いようがない。
…此処にククラがいるのか?
誰かに掴まっているとしたら。もうとっくに、ひどい目に合っているはずだ。
薄暗い界隈のひときわ奥に、その店は在った。
ほの暗い明かりが出ているが、店という構えでは無かった。
少女は気にせずにドアを開ける。
ジェイは中に入ってすぐに、鼻を押さえる。酷い臭いがした。汚臭以外にも、様々な臭いがする。
煙草と薬の臭いの他に性的な何かもした。勿論血の臭いも。
「…ゼノンは、いる?」
少女が声を掛けると、カウンターにいたバーテンが肯いた。
「お客だよって伝えてよ」
少女がそう言うと、バーテンがカウンターの後ろの細い階段を上っていく。
ジェイはあたりからの好奇の目線を、気にしない様にしていた。
何も知らない一般人でも、この店の噂ぐらいは知っている。
ゼノン。
彼はこういう世界では有名人だった。
悪い事を知りたければ、ゼノンに聞けばいい。
そんな事まで言われるぐらいだ。
野獣。魔物。魔神。人非人。
曰くのあるあだ名は、数えきれないくらいあった。
そのどれもが、聞こえてくる話を肯かせるに十分な物で。
足音がする。
バーテンの後ろから降りてきた男を見て、ジェイは気が抜ける。
確かに体つきのいい男だが、そんな噂話のような野獣では無かった。
此方を見てニヤリと笑う。
「…アンヌが連れて来たから、どんな奴かと思ったら」
そう言って、ジェイをじろじろと見る。
ジェイの足元にいる少女が、へらっと笑った。
「…あんまりバカだからさ。あたし、バカが好きなんだよね」
「へ。生意気に」
少女にそう言って笑いかけるゼノンは、ジェイから見て少し悪そうにしか見えない。
ジェイが口を開こうと思ったら、少女が止めた。
「…お兄さんは黙ってな。…ゼノン、ククラに会いたいんだよ」
「……は?」
急に声が低くなった。ゼノンの眉が寄る。
纏っていた気配が、寒々しくなった。
気温が下がったかのように、あたりの空気が冷える。
幾つもの戦場を渡って来たジェイでさえ、この気配は異常だと思った。
こいつは、確かに魔神だ。魔導力は感じない。だが確実に、今この場所の気温が下がっている。それはこの男が下げたのだ。
何をすれば、こんな芸当ができるのか。
ジェイの目線に、不機嫌そうにゼノンが鼻を鳴らした。
「お前はククラの何なんだ?」
「…友人だ」
ゼノンが考えるように腕を組んだ。
足元の少女はジェイが答えてもゼノンが怒らなかったので、ほっと息を吐いている。
「…今日は機嫌が良いようだね」
少女の呟きに、ゼノンはニヤリと笑う。
「…そりゃあな。…今朝のククラは可愛いかったしな」
「ありゃあ。…ククラが可愛いだなんて、何時もの事だろう?」
少女の言葉にゼノンが深く頷く。
へらへらと少女が笑っていると、階段から足音がした。
「…あんまり、恥ずかしい話をしないでくれるか?」
そう言って降りて来たのは。
着崩した格好の黒い服を着た、ククラだった。
寝ぐせのついた髪のまま、階段を降り切ると、カウンターの中に入って酒瓶を手にする。
「…起きたのか」
ゼノンが笑って聞く。
それにため息交じりで、ククラが答えた。
「…ここは声が筒抜けなんだよ。五月蠅くてしょうがない」
そう言ってから、ジェイを見た。
「…ククラ」
「ん?」
何時もどうりの返事に、ジェイがほっと息を吐く。
ククラはそう答えてから、手元で酒瓶を開けて口を付ける。
ゼノンが、吸っていた煙草をククラに咥えさせた。
眉をしかめるが、ククラはそのままジェイを見る。
「…話をしに来たんだろう?」
ククラが聞いてくる。
ジェイが肯くと、ククラはカウンターの外へ出て来た。
奥のボックス席に歩いて行くククラを、ジェイが追いかける。
それをゼノンはじっと見ているが、口は出さなかった。
少女の姿はもうここには無い。
椅子に座ってから、ククラがジェイを見る。
ジェイはしばらく見ない間にククラが変わった事に気付く。
何かが決定的に違っていた。
「…何の話かな」
頬杖を吐いてククラが聞いてくる。
「…一月前の話だ。…とある町が魔導でどうにかなったらしい。その後に時空魔導で修復されたという話が出たんだ」
ジェイが話し出すと、ククラはその話を聞いているようだった。
咥えていた煙草の煙を吐き出す。
「…それで?」
「だが、時空の魔導を使える奴はそうそういない。…お前なら探れるかもって話だ」
「…ふうん。…それを僕に調べろって?」
「早い話がそうだ」
ククラは瓶に口を付ける。
ジェイはククラが即答しない事に疑問を持つ。
以前のククラなら、嫌でも良くても答えは割とすぐに出した。
待っているが、ククラは答えを出さない。
その内にゼノンが近づいて来て、ククラに料理を置いて行く。
ククラはゼノンが持ってきた料理に手を着ける。
ジェイも勧められたので食べてみる。
食べながらもククラを見ているが、ククラは何かを考えている風では無かった。
ただ普通に食事をしている。
「ん。…美味しかったよ、ゼノン」
食べ終わってから、カウンターにいるゼノンにククラが笑いかける。
その言葉に、ゼノンが肯いた。
食べ終わったククラは、ゼノンの傍にいってその上着を脱がせる。
「…借りるよ」
「ああ」
ゼノンが顔を撫でる。
ククラは気にせずに撫でられていたが、ふいっとジェイの手を掴んで外に出た。
店の外の空気がまともに思えて、ジェイはつい深く息を吸う。
そのしぐさを見てククラが笑う。
「あはは。店の中は空気が悪いよね」
そう言いながら、ジェイの手を引いて街中を歩く。
「…ククラ」
「ん?」
返事だけを聞くならば、以前のククラと変わりがない。
だがジェイの前を歩いているククラは、何かが違っていた。
それが良く分からない事が、ジェイにはもどかしい。
町の中を泳ぐようにククラが歩いて行く。
住人はククラには目をくれない。
つまりは、ククラは此処の住人という事だ。
ジェイの手をぱっと放す。
ククラがそうした場所は、ジェイが少女と会った場所だった。
此処が境なのか。ジェイは眉をひそめる。
ククラがジェイに手を振って街中に戻ろうとするのを、引き留めるために腕を掴んだ。
ククラは掴まれている腕をじっと見る。
以前なら掴んでいる人物の顔を見ただろう。
ククラはまだその腕を見ている。そしてそっとその手を叩いた。
「…どういう事?」
顔を上げずに、ククラが聞いてくる。
叩かれても手を離していないジェイが、ククラを見ながら答えた。
「自分の家には帰らないのか?」
「…気が向いたら帰るよ」
「協会には来てくれないのか」
ククラがジェイを見る。そしてにこりと笑った。
「…その話は受けない。僕はそれをしたくない」
「…何でだ?」
少し嫌な予感がしてジェイが聞く。
ククラは肩を竦めて、ジェイに言った。
「…興味がないな、その話」
また笑った。
ククラの笑顔にジェイは疑問を持つ。
「…興味じゃなくて、協会が困っているんだが」
「困ってればいいじゃん。…僕には関係ないだろう?」
ククラの言葉に、ジェイが呆然とする。
今、ククラはなんて言った?
「え?」
聞き返したジェイに、ククラが笑って答えた。
「困れよ、好きに。僕には関係ないね」
笑顔で言われた台詞が理解できない。
ジェイの顔を見てククラが声を出して笑う。
「あはは。なんて顔をしているんだよ、ジェイ。…気を付けて帰れよ?じゃあな」
そう言ってククラは、薄暗い界隈に走って消える。
残されたジェイは、そこからしばらく動けなかった。
協会がどうのではなかった。そんな問題ではなくなっていた。
…ククラは、いったいどうしたんだ?
自分の足がそれでも魔導士協会へ向かっている事に、ジェイは苦い気分を味わった。
フラフラと店に戻ってきたククラを、ゼノンは眺めている。
ククラがバーテンから酒を貰って飲みだしても何も言わない。
ゼノンに近付いて、ククラがポケットを探った。
そこから煙草を出して口に咥える。
ゼノンが火を付けてやる。
すられたマッチに屈み込んで火をつけると、そのままゼノンを見上げる。
そのククラにゼノンは微笑んだ。
「…なに?」
その笑みに嫌な感じをかぎ取って、ククラが尋ねる。
「…家には帰らないのか?」
ジェイと同じセリフを言われて、ククラはゼノンに煙を吹きかけた。
煙は気にせず、ゼノンはククラの答えを待っている。
ちっと舌打ちをしてから、ククラは口を開く。
「…帰らない」
「そうか。…じゃあ俺はまだソファで寝る訳だ」
ククラがゼノンを見る。にっこりと笑い返されて、また苦い顔をする。
「…ベッドで寝ればいいだろう?」
「お前が寝てるのに?」
「…じゃあ僕がソファで寝るよ」
「また、風邪をひかれたら困る」
苦虫を噛み潰したような顔で、ククラが酒瓶をあおった。
「…一緒に寝ればいいだろう?」
ククラが言うとゼノンは肩を竦める。
「俺の身が持たない」
「…失礼だな」
ゼノンがニヤリと笑う。
ククラはそっぽを向いている。
「…隣で寝ているお前に、どうも思わなかったら俺は不能だな」
「男同士なんだから、思わなくっていいんだよ」
「…まだ本当に男だとは確認してないしな?」
「……一生確認しなくていいよ」
二人の会話に、辺りからざわめきが起こった。
ゼノンともあろう者が、まだ手を出していないなんて。
あの魔導士はどれほどの魔導を使って、ゼノンの魔の手を逃れているのか。
ククラは騒がしくなっている店の中を見て溜め息を吐いた。
ゼノンは言った奴らの傍に行く。数人がカードをしながら酒を飲んでいる。
「…ククラは強いぞ?」
「やっぱりな」
男と話をしだしたゼノンを見るともなしに見ていると、ククラは店のドアが開いたのに気付き、そっちを見る。
ドアが開いて覗いているのは、死にそうな顔色をした病人だった。
この店に用事があるとは思えない。
「…あ」
ククラがドアに近寄る。
近づいてきたククラを見て、その病人は心底ほっとした顔をした。
「…外で、かけるけどいいかな?」
「う、が」
声も出ないほどの病に身を置かされている人は、ククラに抱きかかえられる様に外に出た。
そのククラの姿を見て、ゼノンと話していた男がふっと笑う。
「…相変わらずだな、お前の天使はさ?」
「…」
ゼノンは不満そうに、ドアを眺めている。
初めて会った時からそうだったと、ゼノンは思い返す。
ククラは初めから、自分の事を投げ出してしまっている。
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