鈍色の魔導士





地中の鉱脈を探して、山の中をゆっくりと歩き続ける。

砂や枯葉を踏む音だけが、二人が歩いている後に続いて行く。


ククラの横顔を見ながら、クレッシェンドは口を開く。

「誰か魔導の師匠がいるのか?」

そんな短期間に一人で魔導を覚えるのは、不可能に思えた。


ククラは立ち止まる。

手元のペンダントがユラユラと大きく、左前へ揺れる。


藪が生えているが、構わずにククラは入っていく。

少しためらった後クレッシェンドも入っていった。

ガサガサと足もとで草が鳴り、体や顔に木の枝が引っかかる。

ククラは足を止めずに進む。

少し遅れたクレッシェンドには、ククラの顔が見えない。


「…最初はいたよ。…教えてくれた人」

小さな声で、ククラが言った。

その声が何だか泣き出しそうな声で。

クレッシェンドは、その人物の事をそれ以上は聞けない。



「そうか。…俺にも、居たんだ。…師匠が」

クレッシェンドは気付くと何故か、そう話し始めていた。

ククラのことばかり聞いているのが、悪く思えてきたせいかもしれない。


この話は誰にも言ったことがない話なのだが。

クレッシェンドは、自分の中でだけ抱えておこうと思っていた。

誰かの耳に入る事自体が、師匠の恥のように思えて。


とても尊敬していたのに。絶対に高名な魔導士になるはずだったのに。事実はそうならなかった。

「俺の師匠は変わっていた。…人としては最低で、生きていくのに意地汚かった。金にも汚いし、女にはだらしなかった」


前を歩いているククラが、聞いているのは分かった。

クレッシェンドは話を続ける。

「だけど、魔導の腕は最高だった。誰にも引けを取らないくらいに」

クレッシェンドが懐かしむように言う。

ククラは足を緩めて歩いている。二人の距離は近づいていた。


「師匠はいつか賢者と呼ばれる。…俺はそう思っていたんだ。だから時間を惜しんで、必死で教わった。賢者になってしまったら、自分のような貧乏人のガキは相手にされなくなってしまうかもしれない」

クレッシェンドが小さく息を吸う。


「今のうちに。そう思って、毎日勉強をしている暇があったら魔導を覚えた。ガキの中では出来が良いぐらいにはなれた。俺はそれでは満足できなかった。もっと先を、もっと力を。だがその俺を、師匠は止めたんだ」

クレッシェンドがグッと口を閉じる。

歩く速度が少し緩む。


「…俺の貪欲さを師匠は危ぶんだ。…いつか自分自身を食らって魔物になるって。俺はそこで自分の成長を止められるのが嫌だった。だから勝手に師匠の下を離れた」

クレッシェンドが言葉の重みに耐えられないように、立ち止まった。

ククラも足を止めていた。振り返ってクレッシェンドを見ている。

手元のペンダントはクルクルと回っている。


「もうすぐ、新たな賢者と呼ばれるはずだった。…俺の暴走を止めなければ」

クレッシェンドがククラを見た。

ククラは静かに、その相手を見返している。


「俺は一人で、魔導を覚える事にした。師匠が俺には、強い魔導を教えなかったし。魔導書は貴重品で、図書館にも数はなくて。…当時の俺では読める魔導書にも限度があったしな。仕方なく、魔導を使える奴に聞いて覚えていた。だけど気持ちは満足しなくて、どんどん先を見たくなる一方で」

クレッシェンドの目が揺らぐ。

「気が付くと、俺は邪法も使うようになっていた。強ければ何でもよかった。魔導力が強い物なら何でも覚えた。倫理観なんて知った事じゃねえ」

吐き捨てるように、クレッシェンドが言った。

ククラはそれをただ黙って聞いている。


静かな山の中、話はまだ続く。

「そのうち身体がおかしくなって来た。でも俺は気のせいだと思う事にした。それが魔導の妨げになるのは嫌だったから。教える相手の事なんて、考えもしなかった。…子供だったんだ。相手が自分に害を与えない、なんて信じこんでいるぐらいには」


クレッシェンドが浅く息を吐く。

少し心配になったが、ククラは話の腰を折るような事はしなかった。

その眼が翳っていくのが見えている。


クレッシェンドが、また話し出す。

何かに取りつかれたように、ククラに自分の心をさらけ出していく。

「その不具合が、自分の身体が変化しているせいだと気付いた時には、正直終わったと思ったよ。自分の身体が自分ではコントロール出来なくなっていく。意識も段々と自分から離れていって。魔導を使った痕跡はあるのに、何の魔導を使ったかさえ分からない日々が続いた」

少し声が大きくなる。


「俺はいったいどうしたのか。何をして何が起こっているのか。…その時に魔導を教わっていた相手が魔族だったんだ。そうとは知らずに俺は、自分の身を捧げる契約を結ばれていた。気が付くとそいつの意のままに魔導を使っていて、嫌だと思っても自分の身体はいう事を聞かなくて」


ククラが少し目を伏せる。

自分にも同じような過去がある。

でもそれは言うべきではないだろう。

似ているようで、きっと違うのだろうから。


「俺はその魔導士に聞いてみた。自分の体の不調が気持ち悪かったし、いつも一緒にいたから、俺の行動も見て知っているだろうと思って。…奴は笑って言ったんだ。俺は半分魔族になっているって。その血を飲んで。毎日、奴が魔導を掛けて、俺は」


クレッシェンドがぶるりと身体を震わせる。

自分の身体を信用できないのか、手でゆっくりと腕を触った。

そこにあるのは人の身体と、確かめるように。


「俺は奴を倒した。その力は強かったが俺も必死だったしな。そいつを俺は食らった。…その力が自分の中に入っていくのが分かった。俺は狂喜した。このやり方で、俺がもっと強くなるんじゃないかって」


ククラをクレッシェンドが見る。

その眼が変わった色になっているのが見えた。

ククラは少し用心するが、この距離では向こうが有利だろう。


「手当たり次第に食った。魔族も魔獣も。…俺が行くと魔物がいなくなると評判は良くなったけどな。そいつらは知らねえし、俺も事実なんて教える気も無かった。…まだどこかで、悪い事だと思えていたから」

クレッシェンドが、ククラに近付く。

さして距離がなかったせいで、ククラの真ん前に3歩ほどで立てた。


真近で見ると、その眼はほんのりと赤みを帯びている。

「…俺が怖いか?」

「いや」

ククラがそう言うと、クレッシェンドが嫌そうに口を歪める。

「……そうか」

クレッシェンドが溜め息を吐いた。


それはこれから先に話すことを躊躇うかのようで、ククラは心配になる。

そのククラの気持ちが分かったのか、クレッシェンドはククラの手を取った。

ペンダントの揺れが止まる。


ククラは話を邪魔せずに黙っていてくれた腕の中の少女を見る。

「…いいかな」

「なあに。かまわないよ」

少女はそう言って、ククラの腕を降りる。

ククラがペンダントをポケットにしまった。


改めてクレッシェンドの手を握る。

その小刻みに震えている手は、随分と冷たくなっていた。

少女はククラの足を抱えて立っている。


「…俺はほとんど魔族になった。その頃には魔族退治としては有名になっていた。俺が行けば、どいつもきれいさっぱりいなくなるしな」

「…」

ククラを見つめるクレッシェンドは、少し泣きそうな顔をしていた。

「…ある日、師匠が訪ねて来た。俺の活躍を聞いて嬉しかったみたいで、祝いの品を持って来たんだ」

「…」


クレッシェンドが苦しそうに息を飲む。

ククラが自分を見ているのを確認してから、また口を開いた。

「俺を見て、その酒瓶を落とした。…俺につかみかかって師匠は、師匠は大声で泣いたんだ」


ククラが掴んでいる手が、ギュッと握られる。

その手に握られて、ククラは手が痛んだがそれを顔には出さなかった。

「…俺は師匠の禁約を知っていた。師匠は色々な生活を禁じてそれを魔導力の強さに代えていた。…その中の最大の禁約が泣く事だったんだ」

「…うん」

小さくククラが頷く。

「師匠の身体から魔導力が大量に無くなっていくのが分かった。俺が呆然としていると、師匠が俺に言ったんだ。…自分を食らえと」


ククラにクレッシェンドが抱き付く。

息が詰まりそうになるが、その必死な気配にククラはクレッシェンドを抱きしめる。震えは収まらない。

「俺の前で師匠が自分の喉を掻き切った。俺は血の色に眼がくらんだ。……俺は自分の師匠を食らったんだ」


ククラの首に熱い滴が落ちてくる。

「俺の中から声がした。不肖の弟子を止めるのに、わざわざ中に入ったんだってそう言った。…俺は中から魔族としてのすべてを消された。きれいさっぱりと全てが無くなっていた」

「…」


滴は次々と落ちてくる。

「最後に師匠は言ったんだ。魔族なんかじゃ強い者にはなれないって。…俺に本当に強い者になれって言って、それだけ言って師匠はいなくなった」

「…うん」

抱き締めていたククラの肩を、がっと掴んでクレシェンドが離す。

ククラの真面目な顔を見て溜め息を吐く。


木々の間を吹き抜ける風が夕暮れだと告げる。

足元でガサガサと枯葉が鳴る。少女が、鳥の声に空を見上げた。

「…俺はその町を出た。コンマリに辿り着いて、また魔導士をしているが、師匠の言葉が耳から離れない」

そう言った後、クレッシェンドは口を閉じた。

ククラの眼が自分を見ているのに耐えられないのか、顔を俯かせる。


その顔をククラの両手が包む。

顔を上げさせられて、クレッシェンドは再びククラの眼を見た。

ククラは真っ直ぐに目の奥を見てくる。

「…ははっ」

その視線から目を逸らせずに、引きつったようにクレッシェンドが笑う。

ククラはまだ、その眼を見ている。


「…俺はどんな物になれば、師匠の気にいるのだろう?」

「……僕が、答えて良いのか?」

ククラの問いかけに、クレッシェンドが少し怯んだ。

答えられるのが少し怖かった。


その答えを受け入れてしまったら。

自分は、それにならなくてはいけない。

そんな、気がした。


クレッシェンドはしかし、頷いた。ククラの両手を自分の手で掴む。まるでその両手をいつくしむように、そっと掴んだ。

ククラの手首は細くて、少し違和感があった。


少し考えてから、ククラが口を開いた。

「…君が成るべきなのは……人間、だと思う」

ククラの言葉に、クレッシェンドが瞬きをした。

聞こえてきた言葉が飲み込めないのか、まじまじとククラを見つめる。


その言葉を認識したのか、クレッシェンドの顔が真っ赤になった。

「…俺が、人では無いと言うのか?」

震える声でククラに聞く。ククラはためらいなく頷いた。


それを見てクレッシェンドの膝から力が抜ける。

枯葉の上に座り込んだクレッシェンドの前に、ククラも膝を着く。

ククラを見上げたクレッシェンドは、納得した表情だった。


やけに穏やかな顔で、ククラに微笑む。

ククラの方が、痛そうに顔をしかめた。

「…そうか。俺は人間になればいいのか」

クレッシェンドの呟きに、ククラは頷くのを躊躇った。

その声がとても落ち着いていて。


「俺は、人では無いと言うんだな?」

「…本当の意味での人では、ないと思う」

ククラの言葉にクレッシェンドが首を傾げる。

自分の思っている事とは違って聞こえた。


「どういう意味だ?」

聞いてくるクレッシェンドに、ククラが悩みながら言葉を継ぐ。

少女はククラが座っているから、その背中になついている。


「…君の魂の中には、まだ魔族が混じっていると思う」

ククラの言葉に、クレッシェンドが目を剥いた。

「何だと!?」

「…さっき話を聞いている時に、君の眼の色が変わって見えた。…まだ君の中では魔族が魂に混ざっていると思う」


クレッシェンドが自分の瞼を手で触る。

瞼の上から触れてもそれは分からない。

「…本当か?」

「そんな事で嘘は言わない」

はっきりと答えるククラを、クレッシェンドは見つめる。


そうだ。

此処まで話を聞いてくれた相手が、嘘を言う訳がない。

それなら、師匠は何のために死んだのか。

「…なんで…」

クレッシェンドが呆然と呟く。

そのクレッシェンドにククラが問いかける。


「…君はきっと、まだその時代を良いと思っているんだよね?」

クレッシェンドがククラを睨んだ。

その眼が、憎しみで染まっていくのを、ククラはじっと見ている。

「そんな事が!!」

素早く立ち上がり、ローブを払った。


ククラは少女を庇う。

無詠唱の魔導が飛んでくる。

ククラは自分のローブで払うと、少女を抱き締める。そのククラの腕を握って少女が微笑んだ。

「私は少し遠くに行こう。…あいつをたしなめてやれ」

少女がそう言って、翼竜の翼を背から出した。少女は空へ舞い上がる。


やっぱりね。

ククラは一瞬だけそんな感想を持った。

「コール!エレメンタルソード!」

クレッシェンドがその手に、光り輝く剣を持って切り込んでくる。

それを躱しながら、ククラも手に剣を握った。


金属のはじける音が響く。木々に何度も剣の交わる音がこだまする。

腕力はクレッシェンドの方が上だった。

ククラは自分の剣で自分の喉を斬りそうなくらいに押し負けている。

合わさっている剣が嫌な音を立てた。


「…俺が自分のそれを知っているって?」

クレッシェンドの言葉に、ククラは息を乱しながら答える。

「そ、うだ。君は、自分の中を、容認している」

クレッシェンドの眉が嫌そうに跳ね上がる。


「ふざけんなっ!!」

剣が砕ける。ククラが身を沈めてそれを躱す。

後ろから腕を切られた。

その腕が白い紙にほどけていくのを、クレッシェンドが驚いて見る。


「お前!?」

「強い力は確かに魅力的だ。…だけどそれだけを求めては、いつか君は堕ちてしまう」

ククラの言葉にクレッシェンドの手が止まった。

「…俺は」

「君が成るべきは君の師匠が払ってくれた先だ。…彼は君に何になって欲しかったんだと思う?」

すぐには答えられず、クレッシェンドが剣を持っている手を下げる。

その手に魔導の光が弾ける。剣は無くなっていた。


「…師匠が俺に何を望んだかって?」

「そうだ。君が強さだけを求めた時に、彼は君に魔導を教えなくなったんだろう?…その彼が君に求めたのは、何だったと思う?」

クレッシェンドはじっと考えている。

その答えが出るのを、ククラもじっとして待っていた。


もう夕暮れも過ぎて、空には星が出始めている。

ククラが気づいて空を見上げた。


そのククラの動きを見ていたクレッシェンドも空を見る。

木々の隙間から、綺麗な星が瞬いていた。



「…師匠には子供がいなかった」

クレッシェンドが呟く。ククラは星を見ながらその言葉を聞いている。

星を見上げたまま、クレッシェンドがまた言う。


「…俺の事を自分の子供の様に可愛がってくれていた。俺はそれに甘えていたんだと思う。師匠には我が儘を言っていたし」

少し笑ったのか、言葉の合間に息が漏れた。

「…もしもそうなら、師匠が俺に求めるのはただ一つだよな」


ククラは自分の傍にクレッシェンドが来たことに気付いて、空から彼に視線を戻す。

少し情けなさそうに、クレッシェンドが笑った。

「…教えてくれないか。魂を分ける魔導を」


「…僕が知っていると?」

「知っているだろう?」

はっきりと言い切るクレッシェンドに、ククラは溜め息を吐く。

右目に手をかぶせて知識を探る。

そのククラをクレッシェンドが見ている。


「…」

ククラが眼を閉じる。

何を考えているのか、クレッシェンドには分からない。

「いいよ。…少し長いけど」

「ああ」

ククラが膝立ちで屈む。

その前に、クレッシェンドが座り込んだ。


「じゃあ、僕の後に復唱してくれ」

「分かった」

ククラの顔を見ながら、クレッシェンドが頷く。

大きく息を吸ってから、ククラが呪文を唱え出した。


「夢の中より出でたる忌まわしき魔神がために。その道すがら咲き誇る花を手折る様に」

「夢の中より出でたる忌まわしき魔神がために。その道すがら咲き誇る花を手折る様に」

出て来た呪文に少し眉をしかめながら、クレッシェンドが復唱する。


「光が織る紬糸を解く様に。愛でる娘を散らす様に」

「光が織る紬糸を解く様に。愛でる娘を散らす様に」

更に眉をひそめる。

しかし、集中は切らさない。


「今懸かる初めての思い。その全てを掻き乱し導とせよ。魔神が魔神足る様に」

「今懸かる初めての思い。その全てを掻き乱し導とせよ。魔神が魔神足る様に」

ククラがじっとクレッシェンドを見る。

不意のその視線の強さに、クレッシェンドがククラを見つめる。


「…、…」

ククラが声に出さずに、魔導名を告げた。

クレッシェンドは肯いて、それを唱える。

「蓬莱の道標!!」

魔導の光が、クレッシェンドに吸い込まれていった。


「う、ああ」

クレッシェンドが呻いた。

心の中が気持ち悪いくらいに、かき回されていく。


…分かっていた。

自分の中にまだ魔族の残滓がある事を。


知識を手放したくないがゆえに、意識にもそれがある事を良しとしていた。

意識と知識が違うものだと分かっていても。

それが無くなるのが怖かった。

魔導が使えなくなるのが怖かった。知識が無くなるのが怖かった。


恐れが故にと、自分を甘やかしていた。



グルグルと世界が回っていく。

ふらつくクレッシェンドの手をククラが握る。

自分の手を握った相手を見つめる。

その紫と赤の眼を見て、安心した自分を認識した。


…俺は、もしかして。


倒れ込んだクレッシェンドをククラが支える。クレッシェンドの意識は完全に無くなっていた。

ククラは溜め息を吐いて、クレッシェンドを抱える。

「…お姫様抱っこはしないの?」

「しません」


空から降りてきた少女に言われて、ククラが答える。

クスクスと笑っている少女にククラが謝った。

「…ごめん。また来るから、それまで待ってくれるかな?」

「仕方がないな。…何かお土産を持ってきてくれるなら、待っても良いよ」

笑う少女に、ククラが困った顔をする。


「…何が欲しいんだ?」

「それはあなたが考えて」

言葉に詰まるククラを見て、少女が声を上げて笑った。

その快活な笑い声に、ククラが微笑む。少女と約束をして、ククラは町に転移した。


夢と現のあいだを行き来する間に、何度もその瞳を見た。

その色違いの眼がそこにある事で、自分は正気だと思った。

「…大丈夫だよ、君は」

その言葉に頷いて、また意識の狭間を漂った。


ククラのベッドをクレッシェンドが占領してから3日。

その看病をしながら、ククラは過ごしていた。

魔導士協会には適当な事情を話して、仕事を保留にしてある。

トビナが怪訝な顔をしたが、ダッシュで逃げて来た。


この3日のあいだ、誰も訪ねて来ない事は良かったのだが。

ククラとしては何となく不安だった。特にフランについては。

あれきり来ない相手に、どう言っていいかも分からず。此処を離れも出来ないので、余計に心配になるが、本人が来ないのでは仕方がない。


コーヒーを落としている時に、クレッシェンドの声が聞こえた。

ベッドに近寄ると、眼を開けている。

ククラの姿を見ると、クレッシェンドは手を伸ばした。

空いているククラの手を掴む。


「…居ないから」

ぼそりと言ったその言葉に、ククラが微笑む。

「…お帰り。クレッシェンド」

「ああ。…ただいま、ククラ」

そう言って笑うクレッシェンドの髪をククラが撫でる。

くすぐったそうにしている相手に、ククラがしみじみと思う。


…本当に、弟みたいだ。決して本人には言わないが。

クレッシェンドにしてみれば、言われない方が良い。

理由は、ククラには分からないだろう。


ククラの店を、クレッシェンドが出て行く。


今度はドアの所で振り向いた。

「…ククラ」

「ん?」

首を傾げるククラに、クレッシェンドが言いよどむ。

暫くしてやっと言った言葉は。

「…また、来てもいいか?」

「え。…いいよ。いつでも来なよ」


嬉しそうにクレッシェンドの口が緩むのを、不思議そうにククラが見ている。

「…じゃあな」

「うん」

去っていくクレッシェンドを見送った後で、ククラは仕事の支度をする。


ドラゴンとの約束があった。




その後で、メケメカスにロックドラゴンの地下迷宮が出現するのだが。

その話は、今はまだ、しないでおこう。



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