月夜の落し物




その日の夜は綺麗な星空だった。


ククラは仕事の帰りにその星空を見上げた。

見慣れた星になりつつある星座を、指先でなぞって完成させる。

この世界に大熊とか、いないんだよな。


…ホクトは元気かな。

不意に思い出した、自分が名を付けた男の子。


此処にはない星。

遠い世界の星。

その名を冠する子供。

まあ、元気だろうさ。

何せアガタさんの子供だし。


ククラがまた前を向いて帰ろうとすると、近くの路地で影が動いた。

薄暗い中、目を凝らして見ると人の足が一本道に出ている。

それが、もそりと動いた。


ええ?

ククラが近づくと、その影が倒れている人だと分かった。

身をかがめて確かめて見ると、魔導士のローブを着ている。

どこか怪我をしている様では無かったが、もう夜は更けていて、辺りに他の人の気配はない。

医者に駆け込むにしても、時間が遅すぎる。


ククラは仕方なく、その人を担ぎ上げる。

…お姫様抱っこはしねえよ。

誰にも言われていないのに、何処かに向けてククラが言い訳をした。


ククラは家に帰って、1階の店のソファに抱えていた人物を寝かす。

フードを取って顔を見ると、あまり自分と変わらない年齢の様だ。


気を失っているのか。それとも深く眠っているのか。抱えられても寝かされても、目を開ける気配がない。酒臭くは無かったから、酔っ払いではないだろう。


その人物が、ソファの上でぶるりと震える。ククラは此処に寝かすのが心配になって来た。風邪でも引いたら困るか。

ククラが、何の気なしに額を触る。


…熱かった。

急いで2階へ運んで、自分のベッドに寝かす。

もう風邪ひいてるんじゃねえか!


相手の服を何とか脱がして、自分の寝巻きを着せた。

頭に冷たいタオルを乗せる。その冷たさに寝ていた人物がうっすらと目を開けた。

ククラが覗き込むと、少し眉を寄せる。


「…大丈夫か?」

声を掛けると、少し肯いた。

「…熱があるみたいだけど。…魔導で治そうか?」

その人物は少し考えてから、首を横に振った。

「…そうか。…ならもう少し寝ていけばいい」

眼がゆるゆると閉じていく。

よく見れば、随分赤い顔をしていた。


ククラは引き出しから、薬草を出してくる。

正式に学校を出たわけでは無いから、薬草学は習ってはいない。


しかし今までの生活で、必要最低限の事は覚えている。

お湯を沸かして、薬を練りだす。

気が付くと、その人物が薄目を開けて見ていた。


「…ん?」

ククラが聞くと、眼を閉じる。

また薬を練る。ゴリゴリと薬研の音が響く。

…また、見てるな。

しかしククラは、それ以上は声を掛けなかった。


その人物は何度も薄目を開けて、ククラが動くのを不思議そうに見ている。

動く先に視線がくっついてくるのを、ククラは分かって、彼の見えない所で苦笑する。


…凄い、年下みたいだ。弟がいたらこんな感じだったろうか。

ああ、そうだ。薬の前に何か食べさせないと。

本当はお粥が良いのだけれど、生憎とここではコメは普通には買えないので、パン粥しか作れないが。

ミルクとパンを鍋に入れキッチンで煮ていると、よろりと起きて来た。


「…ん?どうした?」

「……水屋、どこ?」

「ああ」

ククラがドアを開けてやると、入っていく。バタンと閉じた扉を見ながら、弱火にする。

水屋から出て来てからキッチンの椅子に座られて、今度は堂々と見られている。


「…そこに座ってて平気か?」

「平気」

「そっか」

ククラが気にしないでいると、彼は頬杖をついたまま、じっと見ている。

…何だろうな。


出来上がったパン粥を彼の前に置く。

「…まだ熱いから、冷ましながら食べろよ?」

彼がククラを見あげた。

「…ん?」

「…俺の?」

「そうだよ。…僕のじゃないよ」

「…俺の為に作ったのか?」

不可解なのか不思議なのか、彼がそう聞いてきた。


「うん。…食べ終わったら、薬を飲んでほしいからね」

ククラが丸薬状にした薬を見せる。

彼はそれを見てから、また口を開いた。

「…それをさっきから作っていたのか?」

「そうだよ。僕はあまり、作り置きはしない方だから」

余った薬草をまとめているククラを、やはり不思議そうに見る。

片付け終わるまで、彼がパン粥に手を着けないのを、心配になりククラが尋ねた。


「…熱いの苦手?」

「……冷まして食べる」

スプーンでかき回して、パン粥を口に運ぶ。

まだ熱いのか少し顔をしかめた。

ククラが笑って水を出す。

上目使いにククラを見ながら、どちらも口に運んだ。

ククラは向かいの椅子に座って彼を見ている。


お腹が空いていたのか、彼は綺麗に食べ終わった。

手渡した薬も大人しく飲む。

ふらつく彼を支えてベッドに寝かした後に、ククラは傍に椅子を持ってきて座る。

彼の顔色はまだ赤かったから、心配だったのだ。


そこにククラがいる事を不思議そうに見ている。

「…ん。心配しなくていいよ。ここに居るから、ゆっくりお休み」

ククラの台詞に、彼は恥ずかしそうに布団をかぶった。

それからちらりと覗く。

ククラが微笑むと、少しだけ肯いて目をつぶった。



椅子に座ったまま、ウトウトしていたククラが、触られて目を開ける。

ベッドの彼が、近くに寄ってククラを触っていた。


「…ん?どうしたんだ?」

「誰か、来ている」

ククラが目を擦りながら下に降りていくと、確かに物凄い勢いでノックをされていた。

…これは。

ククラがドアを開けると、案の定フランが外で怒っている。


「何で、入れてくれないの」

「…鍵は変えました」

「分かってるわよ」

店に入ろうとするフランを、ドアに手を着いてククラが止める。


「え。何で?」

「…悪いけど、今日は帰ってくれないかな」


フランがククラの言葉に目を丸くする。

「…何で?」

「何でも」

「どうして?」

「どうしても」

ククラがどかない事に、フランが頬を膨らます。


「…理由を教えてくれないと、帰らないわ」

そう言うとは思っていました。

「…昨日会った人が居るんだ。その人がいるから騒がしくしたくない」

ビシ。

聞こえたのはそんな音でした。


「……分かったわ。……帰るわね」

フランがよろよろと帰っていく姿を、見送ってからドアを閉める。

…悪かったかな。

でも他人の身体の具合の事とか、関係ない人に言うのは悪いだろ?

鍵をかけてククラが二階に戻ると、ベッドの上ですまなそうな顔をしている人物と目が合った。


「…俺、居ちゃまずいか?」

「いや。平気だよ」

ククラが彼の額を触る。

まだ、熱は完全には引いていない。

「…また、薬を飲まないとな?」

ククラが言うと、目の前の人物はこくりと肯いた。


大人しく看病されてくれたから、その日の夜にはその人物の熱は下がった。

ククラが肯いて大丈夫そうだというと、彼は寝巻を返し身支度をする。

「まだ、泊まっていった方が良くないか?」

ククラは心配して言ったが、彼は首を振って断った。

下に降りた彼が、店の中を不思議そうに見まわす。

「…本屋か?」

「いや。違うよ」

ククラの苦笑を見て、彼がその次の言葉を飲み込む。


「そうか」

ドアを開けて、彼は夜の街に消える。

礼も挨拶もなく、その、夜の落し物は出て行った。

名前も聞かなかったが、そうそう会う人物でもないだろう。

ククラは暫く開いたドアを見ていたが、夜風が吹き込むのにその身を震わせてから、そっとドアを閉めた。




久しぶりにゆっくりと寝た。

朝にフランが来なかったのだ。


…昨日、言い過ぎたかな。

いったい、どの辺が言い過ぎなのかは分からないが、とにかくククラはそう思った。

ゆっくりと起きて、支度をする。平和を堪能できたのだが。


来なければ来ないで心配になる。

魔導士協会へ顔を出して、フランの話を聞いてみよう。

ククラは鍵をかけて、外へ出る。


魔導士協会に着くと、久しぶりに皆がいた。

フランもいるがククラをじっとりとした目で見るだけで、話しかけては来ない。

ヴァイスもジェイも、ククラを見るが遠巻きにしている。

…え?どゆこと?


「あ。ククラ君。良い所に来たわ」

その空気を読まずに、姿が見えたククラにトビナが声を掛けた。

「どうしたの、トビナさん?」

呼びかけに答えてカウンターに近寄る。

「うん。こいつらが仕事をしたくないなんて言うからさ。…悪いんだけどお願いできる?」


こいつらって。

…この3人ですか?え、どうしたの?


「…いいけど」

「そう良かったわ。あのね」

微笑んだトビナが、ククラに頼もうとしたその時、少し高い声がした。

「そんな奴に頼まなくてもいいよ。俺様がやるから」

ヴァイスとフランが嫌そうな顔をする。

トビナが声の主を見た。


少し赤っぽい茶毛の長めの髪を後ろで結び、濃灰色のローブを着ている。

きつい栗色の眼をしたクレッシェンドが、カウンターまで来てそこに寄りかかる。

「あら。クレッシェンド。…お休みは終わったの?」

「ああ。有意義な休日だったぜ?…それで話ってのは」


その時、ククラがクレッシェンドを見た。

クレッシェンドの言葉が止まる。

「…やあ」

ククラが微笑むのを見て、クレッシェンドの顔が見る見るうちに赤くなった。

少し後ろにたじろぐ。

ククラが驚いて、手をさし出した。クレッシェンドがその手を軽く弾いた。

「俺様に触るんじゃねえよ。…お前ごときが」

しかしその赤い顔では、何時もの迫力はない。

周りの人たちも少し訝しげだ。


ククラが笑って言った。

「ああ。ごめんな?」

クレッシェンドが、ククラを見る。

少し目を細めたククラの、優しげな気配に顔を伏せた。

その顔を伏せたままの姿勢でトビナに手を出す。


「おい。話を寄越せ」

「あ。うん。これが資料よ。…できればククラ君と行って欲しいんだけど」

そう勧めるトビナに、クレッシェンドが何かを言おうと口を開く。

しかし自分の視界にククラが入ると、そのまま口を閉じた。

「…僕が行かない方が良いか?」

ククラが、お願いするような声で聞いた。

「……足手まといになるなよ」

クレッシェンドが素早くカウンターを離れる。

少し笑い顔のククラが後を追った。


仕事の話を断った3人は、あっけに取られたまま見送る。

その視界の遥か先の、協会の入り口付近で。

ククラが笑いかけ、クレッシェンドが赤い顔で肯くのが見えた。


「どういうこと?」

「どういう事だ?」

ヴァイスとフランの声が重なる。

ジェイは苦い顔をして黙っていた。

トビナは少し笑っている。

クレッシェンドまで友達にしちゃうのかしら、ククラ君は。




「お前が、ククラだったのか」

「…僕のこと、知ってたんだ?」

ククラが聞くと、クレッシェンドは肯いた。


「…お前は、有名人だろ」

「僕が?…あまり嬉しくないな」

そう肩を竦めるククラを、クレッシェンドは不思議そうに見た。

二人を乗せた馬車は、ゆっくりと進んで行く。


魔導士協会に属している魔導士の中でも、ククラは群を抜いて話題の的だった。

いかにみんなと仲が悪いクレッシェンドと言えども、その話題は耳にする。

そして大概の噂はククラに好意的だった。


新参者のくせに。

他の国で有名人だからって、メケメカスでも同じようにいくと思ったら大間違いだ。クレッシェンドはそんな風に思っていた。

だいたい、オンウルは魔導の後進国だ。

そこでどんな活躍をしようと、この国に来れば、自分が何でもできる訳じゃないと分かるだろう。それが知れ渡れば、皆も少し落ち着くさ。

そんな風に勝手に考えていた。


だが、ここに来てからのククラは、噂以上に何でもやってのけた。

嘘なんじゃないのかと、思うほどに。

組んだ奴らが、虚偽の報告をしているんじゃないかと疑うほどに。


噂の全てを、この目で確かめなければ納得しない。

そう思っていた矢先に、この人物だ。

余りにもイメージが違った。もっと胡散臭い人物かと思っていた。変な噂もたくさん聞いていたし。

だけど違った。



違った事がクレッシェンドには、少し悔しかった。

もう少し嫌な奴なら憎めたろうに。

目の前のククラは、悪く思う要素が見当たらなかった。

昨日の事を含めて。

…あんな事をする奴が、変な噂通りの訳がない。


クレッシェンドがじっと黙って自分を見ているのを、ククラが首を傾げて見返す。しかし相手の反応がない。

ククラは確認のために口を開く。

「…何処へ行くんだ?」

聞いて来たククラの声を、柔らかいと思ってしまったクレッシェンドが横を向いた。


「…近くの鉱山だ」

ククラの顔を見ないで答える。

その態度に、ククラが微笑む。

クレッシェンドは、そのままククラの顔を見ないで話を続ける。


「そこに、ロックドラゴンが出たから、それを退治してくれっていう事だ」

「…退治、か」

ククラの呟きに、クレッシェンドが眉をひそめる。


「…言われた事だけをやればいい。…余分な事はしない方が良いに決まっている。自分の魔導力を無駄に使うだけだ」

「…それも、一つの考え方だな」

ククラは何かを考えるように、そう呟いた。


クレッシェンドは真面目にククラを見る。

「魔導力は無限じゃない。俺達に出来るのはその有限な中で、どうやって効率良く魔導を使うかだ」

「…うん。…そうだな」

やはり何かを考えている。

ククラの視線をクレッシェンドが追いかける。


小さな山が見える。そこが目的の鉱山だった。

ククラに場所は教えていない。

だがククラはそこを見ながら、何かを考えていた。


馬車は鉱山の近くに停まった。

降りるのは二人だけだ。

ドラゴンが出た事で今は封鎖をされているのだろう。

早く退治をしなければ、鉱山で働く人たちの生活がままならなくなる。


クレッシェンドは先に歩き出した。

ククラはまだ何かを考えながら、後を付いて来る。


鉱山の外側に作られた細い道を上る。

切り立った崖の横に作られた道は、少しでも注意を損なうと落ちそうだ。

それなのに、ククラは考えながら歩いている。

前を歩くクレッシェンドは、チラチラと見ながら進む。


その視線にククラが気付いて苦笑する。

「…前を見てていいよ。僕は大丈夫だから」

「べ、別にお前は見てない。周りを警戒しているだけだ」

クレッシェンドがそう言うと、またククラが苦笑した。

自分よりも分かり易いと思えて。


クレッシェンドは、山の上を見る。

その先の頂上に大きな掘削跡があって、そこにロックドラゴンがいると言われていた。

ただし相手は生物だ。移動をしているかもしれない。


本当に警戒しながら登る必要があった。

相手は知能を持つ生物。

下手をすれば人間よりも、優れた頭脳を持っている。


ドラゴン種は、遥かな昔から生き続けている種族だ。

昔話にはよく登場するが、今ではその姿はたまにしか見なくなっている。

種の繁殖力が低下したとも、人間との生存競争に負けたとも言われた。

しかし、真実は誰も知らない。



山の上から、からりと音がする。

二人が見上げると、小さな子供が走って逃げた。


「はあ?何でこんな所に」

そう言ってクレッシェンドが子供を追いかけて、走り出す。

子供はさっきまでそこに居たのに、もう穴の底に立っていた。


此処が言われていた掘削跡だろう。

削られた跡が生々しく残っている。

そのすり鉢状の穴の底に、子供が立っている。


クレッシェンドが降りる為の道を探して、左右を見渡す。

その時視界の端のククラが不意に消えた。

慌てて目で追うと、ざらざらと石を蹴散らして、一直線に子供を目指して落ちている。


「お、おい!」

クレッシェンドが仕方なく後を追う。まだ掘削跡のそこに着いていないのに。

先に降りて底を走っていたククラが抱き付くように、子供を抱えた。

「…おい、ククラ!?」

そのままククラが走って逃げる。

「はああ!?」

子供を脇に抱えたまま、ククラがそこから全力疾走で逃げた。

穴の底にクレッシェンドが取り残される。


「な」

何なんだ?どういう意味だ?


その時、大きな影が出現する。

クレッシェンドが空を見上げると、ドラゴンが急降下してきた。

「ち!」

ローブを払って、クレッシェンドが魔導を放つ構えをする。


「待ってくれ!!」

どこかからククラの声がする。

見上げていたクレッシェンドの眼に、子供を抱えたままのククラがそのドラゴンに飛び乗ったのが見えた。

「…ごめん!!クレッシェンド!!」

大きな声で謝ってから、ククラが子供に何かを言った。

言われた子供が高く笑いながら、ドラゴンの首を撫でる。


降りて来ていたドラゴンが、滑空をして、クレッシェンドを掠めていく。

そのまま空へと飛び去った。

「はああっ!?」

穴の底に取り残されたクレッシェンドは、口を開けて立ち尽くした。



ドラゴンの背に乗っているククラは、子供を抱えたまま空を飛んでいた。

「あなたは何でわかったの?」

子供がそう聞いてくる。

その微笑みにククラが笑って答える。


「…気配かな」

「へえ。そんなので分かるんだ」

子供はその白黒半分の髪を風になびかせて、ククラに笑いかける。

ドラゴンは悠々と滑るように飛んで行く。


「じゃあ、私の目的は知っている?」

「…いいや。それは君に聞かないと分からないよ」

子供はククラの苦笑を、不思議そうに見た。

「魔導士は何でも分かるのかと思った」

「…それは、無理。…気持ちまでは分からない」

「ふうん」

子供は、ククラにしっかりとしがみついている。


ずいぶん遠くまで飛んできた。

山並みが無くなると小さな森が見える。

ドラゴンがそこへ降り立つ。


地面に着くと二人が降りられるように、ドラゴンが首を下げた。

そこを滑ってククラが降りる。

まだ子供は腕の中だ。降ろそうかどうするか悩みながら、ククラは、抱えたままの子供の顔を見る。

その子はにっこりとククラを見た。


「…一緒に来て。あなたなら何とかできるかもしれないから」

ククラは、良く分からないまま子供の示す方向へ歩いて行く。

その子は自分の頭をククラの胸に預けている。


もたれかかっている子供の体から、暖かい香りがした。

それは地上の恵みに違いなかった。


ククラは子供の見ている方向へ歩いて行く。

その先に灰色の巨体が見えてくる。

さっきのドラゴンなど比べ物にならないほどの大きさだ。

森のなか、身を丸めてドラゴンが横たわっていた。

その顔先へククラは歩いて行く。


ドラゴンが頭をもたげた。

ククラを、目を細めてみる。

息を吐きながら、ドラゴンが喋った。

『…何をしに来た、人の子よ』

その言葉は龍言語にしては柔らかい音だった。


人の耳には、龍言語は金属が擦れるような音に聞こえる。

それを分かって、ドラゴンはなるべく優しく話してくれていた。

人で言えば囁く声のように。


「…この子に言われて来ました。…何か出来る事がありますか?」

ドラゴンが呆れたように子供を見た。

子供はククラの腕の中で笑っている。

その悪戯のような微笑みに、ドラゴンが溜め息を吐いた。


『…あなたは、何を考えているんですか?』

『…助けてくれるなら良いじゃないの』

子供がそう答える。

ドラゴンはその大きな頭を横に振った。


『…お好きにどうぞ』

ドラゴンがそう言うと、ククラの腕の中で子供が笑いながら言う。

「探して欲しいの。…新たな鉱山を」

「…え?」

ククラが聞き返すと、子供がもう一度言った。


「私達の鉱山が欲しいの。…探してくれるかしら、魔導士?」

…それは。地中を調べろって事だよな。

ククラは道具の中を探すために、両手を空けて探り始める。

子供をドラゴンのしっぽの上に乗せた。

少女はククラの事を見ている。

その眼は何かを期待するように、少し揺れていた。


ククラが手にペンダントを握る。

それは小さな剣が付いた、銀色の普通のペンダントだった。

それをしゃらりと手に持つと、確認のために子供を見る。


「…何処を探そうか?」

「なるべくなら、人と争わない所が良いかなあ」

そう言う子供に、ククラが肯いた。

それが賢明だ。


「しばらく歩き回るけど」

「勿論、あなたに付いて行くよ」

子供がククラに両手を伸ばす。

ククラはその手を取って、もう一度子供を抱き上げる。

少女は声を上げて楽しそうに笑う。


森を出る時に、横たわっているドラゴンがククラに言った。

『すまないな。…その方をよろしく頼む』

「…うん。分かってるよ」

ククラの返事に、ドラゴンは安心したように頷いた。


森を抜けて、山の中に出る。


いきなり目の前に、クレッシェンドが転送してきた。

森の中は探知できなかったのだろう。

「ククラ!!お前は」

そう言いかけて、ククラの状況を見て口を閉じる。

腕の中でククラに懐いている少女をまじまじと見てから、クレッシェンドがククラに質問した。


「…どういう事だ?」

「いや。…色々あるんだよ」

「それじゃ分からない」

少し機嫌の悪いクレッシェンドに、ククラは困っている。

だが上手い言葉が見つからなかった。


何せ自分も、予想で動いているに過ぎない。

真実はこの子供だけが持っている。


ククラが困った顔のまま、口を開きかねていると、クレッシェンドが溜め息を吐いた。

「…何をするんだよ?」

「……鉱石を探す。それが欲しいって言うから」

クレッシェンドが子供を見る。

その少女はクレッシェンドを見ながら、ククラの胸に自分の頬を摺り寄せた。


何となくクレッシェンドが不満に思う。理由は分からない。

その気持ちはなるべく無視してククラの横に並ぶと、その背が自分よりもいくらか小さい事にクレッシェンドは気付く。


「なあ。お前は幾つなんだ?」

「…え?」

いきなりの話に、ククラがクレッシェンドの顔を見る。

真面目な顔をしている相手に、ククラは溜め息を吐かない様に答えた。


「…僕は15歳だ。…冬には16歳になる」

「そうか。…俺よりは2つ下か」

ククラが歩き始める。

そのゆっくりとした歩みに合わせて、クレッシェンドも歩く。


「クレッシェンドは18歳なんだ?」

「ああ。…春先になったな」

ククラが右手を降ろさぬようにしながら、ちらと隣を見る。

見られたクレッシェンドは、顔を少し赤くする。


「何だよ」

「…いや。自分の年齢と近い人に会うのは久しぶりだなって」

そう言ってククラが嬉しそうにする。

クレッシェンドは、そんな事で喜ぶのかと思う。


そんな、簡単な事が。

ククラには、ないのだろうか。


「…お前は、いつから魔導を覚えたんだ?」

「え。…いつから、かあ。…2年ぐらい前かな」

ククラがあまり自信のない様子で答える。


クレッシェンドは息を飲んだ。

たった2年だって?

そんな短い期間で魔導を覚えたのか?


…いや、色々な噂は1年半前ぐらいにはすでに、流れ始めていた。

つまり、覚え始めた年にはもう噂になる程の魔導を使いこなしていたという事か?

そんな、まさか。

何者だよ。こいつは。


クレッシェンドは隣を歩くククラを、穴のあくほど見つめた。

「…変な事を言ったかな」

ククラが手元を見ながらクレッシェンドに聞いた。

目線を上げようとはしない。


「ああ。かなり変な話だ」

「…そっか」

手元を見たまま、ククラが呟く。

立ち止まったククラは、ペンダントを握っている手を見ている。


ぶら下がったペンダントは、僅かに右側に多く揺れた。

ククラがそちらを向いて歩き出す。

クレッシェンドも付いて行く。


「…そんなに、早く習得できるやつを聞いた事がない」

ククラにそう言ってみる。

案の定、ククラは苦く笑った。

「…そっか」

さっきと同じ呟きをしたきり、ククラは口を結んだ。




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