金と緑の魔導士
外壁の下部分でジェイは息を吐いていた。
指先が千切れるほど痛い。
じりじりと動かして、ようやく手の平で掴むことが出来た。
片腕にはククラがいる。
これを離すぐらいなら、自分が落ちた方が良い。
ジェイは上を睨んだ。
誰もいない様子を窺って知り得ると、そこを上ろうと試みる。
途中で目が覚めたククラがうるさく言ってくるが、それは適当に流した。
本当に鍛えていてよかったと思う。
中に落ちてからも、ククラが何か言おうとする。
ジェイは自分の手でククラの口を塞いだ。
ククラが大人しくなる。
ジェイは、ゆっくりと息を回復する。
その時間のあいだ、ククラがじっとしているのが気になって来た。
しかしまだ口がきけない。
ククラは何処かを見ながらじっとしている。
と言うか微動だにしない。
ジェイが心配するぐらいに、ククラの動きは無かった。
ククラは右目を押さえてはいなかったが、右目だけをつぶってその代わりにしている。物凄い勢いで、知識を探っていた。
魔導はまだ使えない。
持っている道具は魔法が打てても大した威力じゃない。
使えてもこけおどしぐらいだ。
僕は他に何ができる。
何が。
ククラがピクリと動いた。
「…ククラ?」
口がきけるようになったジェイが心配して声を掛ける。
「…うーん。それは足があるし、自分の血でいいんだけど。…紙がなあ」
急に独り言を言い出した。もうジェイの手は離れている。
「…おい?」
「あ。ジェイ。…まさか紙なんて持ってないよね?」
どれだけ前向きなんだこいつは。
ジェイは溜め息を吐いてから、自分のポケットを探る。
がさりと音がした。
そこからは来るときに見ていた書類が出て来た。
「…置いてこなかったんだ」
「ああ。後でトビナに怒られるな」
それをジェイが広げてくれる。
よし。
「…ジェイ、まさかと思うけど刃物は持ってる?」
「…ああ」
靴底から小さなナイフを出す。
さすが武闘派。
ジェイに頼んで自分の足を切ってもらう。
その血に自分の足の指を付けて、紙に書いていく。
見た事がない不可思議な模様に、ジェイがじっと見入っている。
同じ形を二枚。
違う形を一枚。
「…よし」
集中を解いてククラが息を吐く。
何かの魔導に近い事だけが分かったジェイは、ククラに見られて見返した。
「何だ」
「…面倒くさい事頼むけど、良い?」
「…何だって聞いてやるぞ」
その台詞にククラが笑った。
こいつは。
何で笑うんだよ、こんな状況で。
「じゃあ、手を叩いてほしいんだ」
「…は?それが面倒くさいのか?」
「うん」
ククラの答えにジェイは首を傾げる。
「気持ちの問題でね。…その一音で此処を浄化できるぐらい。神域に変えられるぐらいの気持ちで叩いてほしい」
「…それは」
確かに面倒くさいな。
ククラが見ている中、ジェイは自分で想像してみる。
…神域か。あの空気は独特だよな。
数回行った事のある場所を思い出す。肌の感覚も気持ちの持ちようも。
ジェイが息を吸いこむ。
ククラは祈るように、じっと見守っていた。
ぱあん!
それは見事に響いた。
「シロシメスツラナリタルイソススグシモススグミカミナルツグヤツグヤシマノシシツドイシヤ。シシイザヤキタリナヤカツエンシストモヤ」
ククラが唱え出すと、その言葉に合わせて紙が二枚ククラの腕に張り付いた。
「ミクルマノアトズレシカバコノウチナルシシトナラヌ」
紙の形が変わる。
それは甲冑の腕の様に硬く固まっていく。
ククラが息を吐く。
自分の腕のようにそれをぐるりと回した。
「…有難う、ジェイ」
「いや。…お前、魔導以外も使えるのか」
「あはは。…なるべくなら、内緒にしてくれるかな」
ククラの言葉にジェイは肯いた。
「じゃあ、そっちね」
「え?」
ククラが出来たばかりの手で柏手を打った。
ぱあん!
ジェイは、その威力の違いに舌を巻く。
おいおい、全くの別もんじゃねえか?
「ユラユラへフルユラヘキシタルヤソギタルヤクサムクリテソシセントモナリシキノイツワレエン」
ジェイの首の後ろに紙が飛んで行く。
そのまま首輪に張り付いた。
紙が伸びてクルクルと首輪を巻いて行く。
その途端に、ジェイには魔導力が戻った事が感知できた。
「…おい」
ククラが自分には使わない事に、ジェイが不満を漏らす。
「あはは。紙が3枚しかなかったんだよね。…だからジェイが優先」
笑いながらそう言うククラを、感極まってジェイがギュッと抱き締めた。
こいつはバカだ。
もしもの時に俺だけは此処を出られるようにだろう?
ああ。バカだ。
こいつは。
「…さあ、行こう」
ククラがジェイの腕を解く。
「何処へ行くんだ?」
「…もちろんあの城主の所だよ」
ククラがそう言って城を見ている。
ジェイは復讐に行くのかと思った。けれどあまりにも雰囲気が違う。
「…できればこの城を落としたい」
「はあ?」
ククラの言葉にジェイが聞き返す。
「…あんな事を繰り返すのは嫌だ。…僕で終わりにしたい」
「…そうか」
そのまなざしがジェイには眩しかった。
ククラの様にはなれない。
だが手助けをするのは、自分でも出来るだろう。
…友人として。
「…この城を動かしている装置があるはずだ。それは俺が壊す。…お前には時間稼ぎをしてもらっていいか?」
ジェイが言うとククラが笑って頷いた。
「…お願いしようと思ってたんだ。…頼んだ!」
ククラはジェイの肩を叩いて、城の中へ走り出した。
ジェイは城の地下を目指して走り出す。
…魔導士を敵に回した事を後悔させてやる!!
複雑な造りでは無かった。
だがその守りは厚く、次から次へと人が襲ってくる。
「コール!エレティックバウンド!」
ジェイが手元から雷魔導を放つ。
何時もなら多分、この気持ちのまま刈り取っているだろう。
だがククラがこいつらを助けたいと言うんだ。
俺が刈り取る訳にはいかない!
ジェイは手加減をしながら、確実に地下を降りていく。
周りにはたくさんの人間が倒れている。
しかしジェイの息は上がってもいない。
手加減ってのはこういう効能もあるのか。
ジェイはまた魔導を放ちながら、ククラには教わる事があるかもしれないな。などと思っていた。
地上ではククラが応戦していた。
「イクトコヨノハナサクククナリ!」
手元からたくさんの花びらを出して人の目を欺く。
その香りを吸い込んだ人たちがバタバタと倒れていく。
それでもまだ人が来る。
どれだけ居るんだよ。
「フワナルヨミジノミョウドナス!」
光が逆巻き、人を殴り倒す。
傷が深い相手からは血も出ているが、息絶えるには程遠い。
気を失う人の後ろから、また人が出て来る。
無限かよ。
ん?
無限?
…もしかして、地上と繋がっている魔導陣でもありますか?
人が現れる方向にククラが走り出す。
それを止めようと、また人がククラを狙ってくる。
その隙間に魔導の光がチカッと見えた。
よっし!
ククラは全力でそこへ向かった。
ククラが踏み込むのを人が塞ごうとする。
その多さに閉口しながら、ククラは爪先をその魔法陣に掛けた。
それを抉る勢いで引く。円を消されて効果のなくなった魔導陣の光が消える。
ククラは自分の靴の裏に、まだ自分の血が付いている事に賭けた。
それは成功したようだ。
もう人は出て来ない。
ククラはなぎ払いながら、城主を目指した。
巨大な装置の前にジェイはいた。
その大きさに驚くが、取り敢えず雷を落としてみる。
見事に跳ね返された。
「ぐうっ」
ジェイ自身にも跳ね返って来た。
ならばと剣を召喚して叩き込む。その剣が簡単に折れた。やはり魔導でなければ駄目なのか。
くそ。
ククラが上にいるのに。
俺がこれを壊せないでどうする。
ジェイは氷の最上級を唱え出す。何時もは無理なので絶対やらないのだが。
「つかの間の静寂こそが全天の恵みと知れ。騒がしき者共の息の根を今すぐに止めよ!」
その手を機械に突き出す。
「雲母めく晦日!!」
烈風と共に襲った冷気が機械を凍らせる。
すかさずジェイが次の魔導を唱える。
「悪魔の山に住まう黒き焔の神よ。その怒りの拳を地上に落とさん!」
自分の拳を機械に叩きつける。
「業火の怒り!!」
ジェイの拳の当たった所から機械に亀裂が入った。
氷と炎で機械はその強固な壁を壊される。
「よし!!」
機能が止まったのを確認するとジェイは階段を駆け上がる。
ククラのもとへと走りだした。
ククラは広間までたどり着いていた。
そこに居た人の殆んどを倒して、もはやそこに居るのは人質の女性が二人と城主だけだった。
しかし、ククラの息は世話しなく、それを見ている城主は笑みを崩さない。
「お前が私に許しを請うなら、この者たちは助けよう」
「…僕が、あなたに、許しを?」
ククラが困った顔をした。
城主は仰々しく頷くと、両脇の女性の腰を抱いた。
怯えている女性たちが、城主に逆らう気配はない。
「…どうしろ、と?」
「ここへ来て跪け。そして私に奉仕しろ」
緩く開いた自分の足元を顎で示す。
「…それしかないんですね?」
「勿論だ。…お前はまだ魔導が使えないのだろう?」
「…ええ。残念ながら」
ククラの呼吸が戻っている事に、城主は気が付かない。
近寄って城主の前に立つ。
「…くく。所詮子供だな、魔導士よ」
「…」
ククラが屈む動作をする。
「イナホナスカグツチ」
その手に雷を纏う。
ククラの顔に稲光が反射して、凄味が増していた。
城主は自分が危険なのに、微笑むククラから目が離せない。
「…新しい人生を頑張ってください」
そう言ってククラはにっこりと笑った。
情けない男の絶叫が広間に響いた。
ジェイが広間に着いたのは、まさにその絶叫が響いている時だった。
「…はあ?」
ククラが城主の足元から立ち上がる。
「おい!」
また何かされたのではと、ジェイが駆け寄るが城主の姿が見えた途端、ピタッと立ち止まる。見なければよかったかもしれない。
…男としては。
「…いや、なんていうか」
「大丈夫だよ。生きてるから」
笑ってククラが答える。
ジェイはその笑顔が少し怖かった。
二人の身体がぐらりと揺れる。
城が落下を続けているのは体感が出来た。
けれどこのままでは、この城は地上に落ちて地上も大惨事になるだろう。
どちらにも多大な被害が出ることは間違いなかった。
死者の数などここで削らなかった人数の、何百倍になる事か。
「…どうするんだ、ククラ」
「うん。…やってみるよ」
「何を!?」
ジェイの言葉が終わらないうちに、ククラは何処からか手に入れていた工具で、首輪を壊した。反動がある事は覚悟だった。
だからジェイの首輪は壊さなかったのだ。
首から血が吹き出す。
「バカやろう!!」
ジェイが自分の手でククラの首を押さえる。
血が止まる訳はない。
だがそんなジェイにククラが笑いかける。
「…悪い。そのまま押さえててくれる?」
何の気休めにもならない。
今だって、だくだくと流れているのに。
「…時間がないな」
その言葉が自分の命のカウントだと分かって、ジェイは叫びそうになった。
止めちまえと。俺達だけで逃げようと。
けれどククラの眼差しに、その言葉を許す余地はない。
ゆっくりとククラがバルコニーに出る。
落下している風が逆巻いて起こっていた。
ククラが口を開く。
もうジェイには止められない。詠唱を途中で止めることは魔導士を滅するようなものだ。
見つめるしか出来ない。
祈ることしか出来ない。
この血が少しでも遅く流れるように。
ククラの命が少しでも長く持つように。
「誘うは古の翼。迎えるは神代からの女神。逢瀬は無く悲しみがこの世を包む」
全くジェイが聞いた事がない呪文だ。
いったい何の呪文なんだ。
「嘆くなかれ翼よ。嘆くなかれ女神よ。我が分かたれた魂を今再びに会わさん」
城の勢いが少し緩んでいく。
詠唱の途中から効果が出始めるなんて有り得ない。
「囚われたわが命の盟約を解き、今一度この世に降臨せん」
詠唱が長過ぎる。これは個人で使う術なのか。
ククラの身体から、数えきれない光が天と地に立ち昇る。
それはそのまま、ククラが消えてしまうんじゃないかと思えるほど。
「翼よ女神よ。その微笑みを天と地に分け与えたまえ!」
光は止まらない。
自分がククラに触っている感触が薄くなっていく。
「狭間の邂逅!!」
最後の呪文名で分かった。
これは時空か!
まるで時が止まったかのように、落下がゆっくりになった。
だが行使を続けているククラは光を出し続けている。
これが地上に無事に降りるまで、魔導を切る気はないのだろう。
やめろ。
お前が。
お前が死んじまう。
その言葉を言えなかった。
やめろ。止めてくれ。
ジェイは手を離す。
もうそこには血なんて無かった。
全てが返還されて、ククラの魔導は続けられている。
泡のように姿が薄くなっていく。
まるで幻の様に。
そこに立っているのが嘘のように。
もうすぐ地上だ。
もう良いだろ。なあ。もう良いだろ!?
ククラは地上に着くまで分からない。
接地しなければ判断ができない。
ジェイは自分の目で確かめられた。
此処からなら被害なんてそんなに出やしない。
「もう、やめろっ!!!」
ククラを後ろから思い切り抱き締めた。
その魔導から引きはがすように。
自分の方へ。
生きている方へ。
そこにはまだククラの身体があった。
光が霧散する。
伸ばしていた両手がゆらりと崩れた。
元の紙に戻っていく。
ハラハラと紙吹雪が舞う。
恐る恐るククラの呼吸を確かめる。
僅かに息をしている。
「…死ぬ気だったのかよ…」
ジェイはククラを抱きしめたまま顔を伏せた。
二人の上に、雪の様に白い紙が舞っている。
「…お前は…一人にしちゃ駄目だな…」
ククラの顔を撫でながらジェイが呟く。
お前は自分を顧みない魔導士の鏡だ。
だが、お前自身の事を考える奴がいてもいいだろう?
お前が自分で考えないなら。
俺が考えてやる。
…大事な……友人として…。
天空城が揺すられるように音を立てた。
地上に無事に接地をしたようだ。
ジェイがククラを抱き上げる。
他の降りていく人に紛れて一緒に降りた。
その人達が気付いて、一人二人とその道を開けていく。
何時の間にか、ククラを抱えたジェイ以外の人たちは、じっと二人を見守っている。
その人の林を、ジェイはククラを抱き上げたまま歩いて行く。
これが、ククラが生きているから良い様なものの。
本当に死んでいたら、きっと俺がお前らを全員刈り取っていたぞ。
ジェイが歩くたびに、仰向けになっているククラの顔が揺れる。
それは周りの人には生きている様には見えなかった。
迎えに来た魔導士協会の人達にも。
真っ先に駆けて来たトビナにも。
トビナは呆然としてその場で座り込みそうだった。
「あ、あ、うそ、嘘よ、ね?」
ジェイはトビナが触れるように、抱いているククラを少し下げる。
けれどトビナはククラに触れない。
指先がぶるぶると震えている。
その時、ククラの口が動いた。
「…だいじょ、ぶだから…泣かない、で…」
「あ。ククラ君!?ああ。本当!?」
今まで我慢していた涙がトビナの頬を流れる。
ジェイは苦笑いを浮かべる。
まだ意識はないのに。
お前はどれだけ他の人が大事なんだよ。
…いいさ。
お前の心配は、俺がするから。
ジェイが大事そうにククラを抱きかかえて歩いて行くのを、トビナは呆然と見送った。
ククラが目を覚ましたのは、それから1週間後だった。
ゆっくりと目を開ける。
顔を横に向けると、そこにはジェイが椅子に座って本を読んでいた。
その金色の巻き毛が、日差しを透かして光っている。
緑色の眼がじっと本の文字を追っている。
「…ありがとう」
ジェイがククラを見る。
「…いや」
そう言ってジェイが微笑んだ。
ククラも嬉しそうに笑った。
手を伸ばしてククラの髪を触り、ジェイがほっとしたような顔をした。
ククラは不思議そうに見る。
余り僕に触れる人では無かったのに。
今はククラの頬を指先で撫でている。
「…くすぐったい」
「ん。そうか」
すぐに指を離す。
そこは相変わらず律儀だった。
「…お前の腕の話だが、方法を探しているそうだ…多分創造じゃないと駄目だろうって話だ」
「ふうん。…僕は替わりが作れるから良いのに」
「…俺は言わないって約束したぞ?」
「あ。そうだね」
そう言ってククラが笑う。
ジェイがじっとククラを見つめる。
「…ん?」
「いや。…俺はお前の友人だよな?」
「え。…うん。嬉しいよ」
無邪気に笑うククラを見て、やっとジェイも安心できた。
ように思う。
もう嫌だ。
あんなに侮辱されて玩具の様に扱われる友人の姿を見るのは。
俺はもっと強くならなければならない。
「また明日、見に来る」
ジェイが部屋を出て行ってから、ククラも反省する。
「…魔導の封印か。何か抵抗できる方法を考えないと」
二人別々に、それでも考えて向く先は一緒だと、この時は思っていた。
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