空飛ぶ城に住まう魔物
ククラはジェイの腕の中で動けずにいた。
溜め息が漏れる。
そっと見上げると、ジェイが苦しそうにしている。
「…もういいよジェイ。僕を離しなよ」
「ばか、言ってる、な」
二人の足元に、地面は無い。
遥か下に大陸が見える。
ククラたちの横を、細い滝が流れ落ちている。
その先は風に吹かれて霧になって消えていく。
流石にこの高度では、魔導を使っても助かるかどうか。
大体、今の二人は魔導が使えなかった。
ジェイの右手が掴んでいるのは、城の外壁の縁だ。
ククラを抱えたまま、ジェイは何とか自分の身体を持ち上げようとしている。
しかし腕一本の力では、ぶら下がっているのが精いっぱいに見える。
「離してくれ、ジェイ」
「い、やだ」
ククラはせめて自分の腕があればと思う。
そうすれば自分で何とかできるのに。
ククラには動かす腕が無かった。
此処の城主にもがれて今はない。
血は止まっているが、この先どうすればいいのかさえ考えつかなかった。
生き延びられるかさえ分からないのに。
ジェイの負担になっている自分が嫌だった。
「離せ」
「だま、れ」
ジェイが奥歯を鳴らしてじりじりと体を持ち上げる。
ゆっくりと身体を外壁の上へ運ぶ。
ごろりと、外壁から中側に転がり落ちた。
腕の中からククラを離さずに、ジェイが息を激しく吸っている。
「…ごめ」
ククラの口をジェイの手が塞いだ。
今は言葉が言えないジェイの意思だと気付いて、ククラは口を閉じる。
そもそもは、魔導士協会に来た依頼から始まった。
それはククラを指名していた。
呼ばれたククラは、その内容に眉を寄せる。
「…これって、ただの招待状じゃないのか?」
「うーん。そうとも言えるわねえ」
トビナも困った顔をしている。
とある城の城主から、パーティでの護衛を頼みたいとの内容だった。
是非、ククラに来てもらいたいとの事。
自分の城で開催するパーティに、護衛は必要ないだろう。
首を振ったククラはそれをトビナに返そうとした。
顔を見て、トビナが非常に困った顔をしている事に気付く。
「…受けないと、まずいの?」
「……協会に、多額の寄付が来たのよ」
ククラが苦い顔をする。
自分を呼ぶために、金を積まれたという事だ。
「…気に入らねえな」
ククラが言う前に、隣に来たジェイがそう言った。
「…行って、もらえないかなあ」
トビナが言いにくそうにお願いする。
ククラは腕を組んで顔をしかめる。
あまり良い気はしない。というか全く乗り気にならない。
「…俺も行く」
ジェイが言った。
「え、でも」
トビナの止める声など気にせずに、カウンターに置いてある書類を勝手に見て、ジェイが肯く。
「…ククラ一人で来いとは書いてない」
「それって屁理屈…」
トビナの声を無視して、ジェイがククラに宣言する。
「変な事があったら、さっさと帰ってきちまえばいいんだ」
「うわあ…」
トビナの声はまたも無視をされた。
ククラは頭の中でよく考えてる最中だったが、隣の魔導士が暴走していらっしゃる。
「…分かったよ、行ってみる」
「有難うね、ククラ君。…ジェイの暴走は止めてね?」
その言葉にククラは苦笑で答えた。
そこに行くには指定をされた馬車に乗るように書いてあった。
当日の魔導士協会の裏庭に、わざわざ大きな馬車が止まっている。
豪華なその馬車には6頭の馬が付いていた。
どの馬も少し変わっているように見える。
何がどうと言われても、ククラにはうまく説明ができないが。
中は、ふかふかの椅子がある豪華な馬車だった。
「何だか特別性ですね」
ククラの言葉に、御者の人がにこやかに言う。
「それはそうでございますよ。わざわざククラ様に来ていただくのですから」
「…え。いや僕は、そんなに大層な物じゃ…」
ククラの言葉にまた御者が笑った。
「ふふふ。ご謙遜を」
言葉に詰まったククラは一緒に乗ったジェイを見る。
見られたジェイは肩を竦めた。
馬車が動き出す。
暫くはカラカラと地面を走っている音がしたが、不意にその音が無くなった。
不思議に思ったククラが御者の方を見ると、その先の馬たちが翼をひらめかせているのが見えた。
「へ?」
急いで窓から外を見る。
「うわあ!?」
それは空を飛んでいた。
もう街並みが小さくなっている。
ククラは窓から顔を出して行先を見る。
最初は雲がたくさんあって良く見えなかったが、じきに雲を割って建物が出現した。
それはまさしく天空城だった。
空に浮かぶ大地に、白亜の城がそびえていた。
大地からは幾筋もの滝が、地上に向けて落ちている。
初めて見る光景にククラは驚いていた。
馬車はその城の入り口に静かに降りた。
御者が馬車のドアを開ける。ククラとジェイは馬車を降りた。
空気が地上とは違う。
冷たい風が城を吹き抜ける。
城の城壁から見えるのは、果てしない空ばかりだ。
「…なんだか、すごい所に来ちゃったな」
ククラの横でジェイが溜め息を吐いた。
見上げると、声は出さずに口だけで言ってくる。
気を抜くな。
「…ん」
ククラが肯くと、ジェイはククラの頭をくしゃりと撫でた。
二人は中から出て来たメイドに連れられて、城の中に入る。
メイドの後を付いて行く。
城の中は何処も綺麗に装飾されていた。
壁も廊下も。天井も手すりも。
豪華なシャンデリアは、この世界では珍しい。
ガラスもキラキラとふんだんに使われ輝いている。
「…ククラ」
口を開けて天井を見ていたククラは、先に歩いていたジェイに呼ばれた。
慌ててジェイの傍まで走っていく。
待っていたジェイは、ククラを少し呆れて見ている。
「…へへ、ごめん」
笑うククラに、ジェイは溜め息で返事をした。
一緒に待っていたメイドが微笑みながら言う。
「後でパーティの時に、いくらでも眺められますよ。」
「あはは。ごめんなさい」
笑って言うククラに、メイドはくすくすと笑って頷いた。
大広間には何人もの人が居て談笑をしていた。
ククラたちはその横を通り過ぎて、玉座の所まで歩いて行く。
そこには王様のような服装の人物が座っていた。
座っている眼はいかにも世間の事に飽いた、怠惰さを漂わせている。
ククラを見るとその眼が大きく開かれた。
「おお。よくぞ来られたな、稀代の魔導士よ」
「…お呼びとありましたので、我が身で良ければと馳せ参じました。…本日は護衛をご希望との事、私共、全力で取り掛からせていただきます」
ククラの口上にジェイが目を丸くした。
…いや、僕だってこれぐらいは言えるさ。
下げた頭でちらりとジェイを見る。ジェイも頭を下げた。
「おお。流石に礼節もわきまえておるな。…うむ。期待をしているぞ」
「はい」
ククラはまたメイドに連れられて部屋の脇まで下がる。
ジェイが感心したようにククラに言った。
「お前、あんなのどこで覚えたんだ?俺だってとっさにあんなこと言えないぜ?」
「…うん、まあ、昔ね」
そこでジェイは、ククラがオンウルにいた事を思い出した。
その時の事だろうか。
ククラがそれ以上は話して欲しくない様だったので、ジェイは広間の中を眺めることにした。
広間で綺麗な服を着た人たちが話をしている。多分貴族どもだ。
だがジェイにはその者たちが、ククラをチラチラと見ているのが気になった。
その視線が何だか獲物を見ているようで。
「…ククラ」
声を掛けたジェイの首に、いきなり細い首輪が掛けられる。
とっさに振り向くがその執事は慌てずに、カチンとはめ込んだ。
「ククラ!」
ククラの首にもそっとメイドが首輪を掛けている。
ジェイの声に、ククラはその身をぱっと翻した。
後ろでメイドが呆然としている。
「…それは?」
メイドにククラが問いかける。
しかしメイドの顔は見る見るうちに恐怖で彩られた。
「…え?」
「か、掛けさせてください、そうじゃないと、わ、私…」
ガタガタと震えて、涙がボロボロと零れた。
尋常じゃないその態度に、ククラが言葉を無くす。
そのメイドの後ろにゆらりと人が立った。
後ろの人物は黒い布を頭からかぶっていて、顔が分からない。
だがその手に握られた大きな鎌が、何をする人物なのかを物語っていた。
「おお、お願いです、掛けさせてください!」
メイドの後ろで鎌が振り上げられる。躊躇なく。
「待って、分かったから」
ククラが後ろの人物を止める。
メイドの首の少し手前でその鎌が止まった。
広間の人々から不満の声が上がる。
ジェイはそれを睨みながら、ククラの傍に来た。
ククラはメイドに首輪を付けられていた。
カチンと音がして、メイドがほっとする。
涙と鼻水をエプロンで拭くと、メイドはお辞儀をして去っていった。
「…おい」
「仕方ないだろう」
ククラはその細い首輪を触る。
嫌な感触だった。
ジェイは広間の人間を睨むように見ている。
まるで見世物の様だ。
こっちをずっと伺っている。
「…帰るぞ」
「え、でも」
「魔導士協会のメンツなんか知るか。…嫌な気しかしないんだ。帰った方が良い」
ジェイがそう言ってククラの腕を引いた。
そのジェイの後ろから、大きな鎌が喉元に当てられる。
「…魔導士相手に、これはないだろう?」
ジェイの台詞に黒い布をかぶった男が、くぐもった笑い声を出した。
ククラもジェイも、その笑いに不信感をもつ。
その鎌がジェイの首を薄く切った。防護魔法が効いていない。
血が伝って流れる。
「…そうか、これが…」
ジェイが悔しそうに呟いた。
ククラの首輪をジェイが見る。
見られたククラは自分の首輪を触った。
「…魔導が封じられている」
鎌を喉に当てられたまま、ジェイが呟く。
「さあ、稀代の魔導士よ。こっちに来てもらおうか」
玉座の人物が声を張り上げて、ククラを呼んだ。
ククラは振り返ってその人物を見る。
その顔は何事かに興奮していた。
ぎらぎらと光るその顔を、ククラは醜悪だと思う。
しかし今はその言葉に従うしかない。
ククラは広間の人物たちが見守る中、その玉座に近づいた。
「…さあ、パーティを始めよう。…主菜は君だ。魔導士ククラ」
「しゅさい?」
ククラは言葉の意味が分からずに聞き返した。
「そうだ。…そうだな、その友人の命と引き換えに、君の腕を一本寄越したまえ」
「…え?」
ククラが眉をひそめると、分からないククラの為に、城主は女を一人連れて来させた。
「いやあああああ!!たすけてええ!!」
連れて来られたのは、手足を縛られた裸の女だった。
その絶叫がククラの心臓を不安定にする。
何だ?何をしようって言うんだ?
城主は恐ろしい顔で笑った。
女は泣き叫びながら、逃げようとするが、その体は城主の部下たちが押えている。
城主がその女の肩に齧りつく。
「たすけてええ!!」
ククラは、やっと意味が分かった。
「やめろおおおっ!!!」
女の絶叫に負けないぐらい大きな声で、ククラが叫んだ。
広間がシンとなる。
空気までが震えていた。
ククラが真っ直ぐに城主を見る。
その眼を見て、満足そうに城主が笑った。
「…お前がそう言うなら、この女を助けてやっても良いぞ?…ただし、もう一本腕を貰おうか」
ククラは肯いた。
「止めろ!ククラお前が」
後ろでジェイの声が途切れる。
見ると口を布で塞がれていた。殴られたわけでは無いと知ってククラがほっとする。
ククラの肩を城主の部下が掴んで、その前まで押していく。
歩かされてククラが城主の前に立つ。服の袖を捲られた。
「…しっかり自分で見るんだぞ?目を逸らしてはいけない」
「……分かった」
城主の言葉にククラが頷いた。
その手にフォークとナイフを持って、いかにも優雅に城主が食事を始めた。
痛みと共に酷い吐き気がククラを襲う。
その咀嚼されているものが、目の前で展開している事実が。
しかし見ない訳にはいかない。そうと約束をしたのだ。
それを破ったら、次は何を言い出すか。
ククラの血が床にボタボタと落ちていく。
痛みよりも。事実が、ククラの心を確実に折っていく。
城主はその口を、ナフキンで丁寧に拭いた。
ナフキンは血で真っ赤に染まった。
「さすがのこの量は食えんな」
城主はククラにそう言って笑った。ククラは声を出せない。
「…待っているようだから、皆にも振舞うとしようか」
ククラの背中を悪寒が抜けていく。
皆?振舞う?
城主が手をあげると、玉座の後ろから使用人が大ナタを持ってきた。
そのままククラの肩に刃物が入った。
両肩から切り下げられる。
その衝撃に、物理的に抗えなかったククラがその場で膝を着く。
吹き出す血を止める事も出来ずに、ククラは気を失いそうになる。
「おお。そのままではあんまりだな。…止めてやれ」
城主がそう言うと、ククラは自分の傍に物凄い暑さを感じた。
「!!」
その傷口が焼かれる。熱せられた金鏝を傷口に押し当てられた。
声は出さなくても激痛には変わらない。
ククラの顔を見て城主は満足そうに頷いた。
「良い顔をするな、お前は。さすが噂通りだ」
「…う、わさ?」
「おお。まだ喋れるのか。…そうだ、オンウルからの奴に聞いたのだ。お前は大層強い、そして」
冷や汗まみれのククラの顔を持ち上げる。
焦点があっていない目で、荒い息のククラを見て、城主がいやらしく笑う。
「我慢強く良い声で鳴く、そうだな?」
「…」
ククラが答えないのを肯定ととった城主は、ちらりとジェイを見た。
「だが、わしは女人が好きだから、お前を満足させてやれないのだよ」
見られたジェイは怖気がする。
「まあ、まずはこれを飲め」
何かがなみなみと入っているゴブレットを使用人から受け取ると、城主はそれをククラに飲ませる。
ククラは息が出ないぐらい液体を口に注がれる。
その顔を城主がじっと見ている。
「だが、わしも見る分には良いと思うのだよ。だから後程、遊戯でもしようではないか、魔導士よ。お前を掛けて広間の奴らで何か面白い事を」
ジェイが遠くから見ても分かるぐらい、ククラの息が上がっている。
城主が何事かをククラに耳打ちする。
ギュッと口を噛んだのが見えた。
「さあ、言うんだ」
膝立ちのまま、ククラが顔を上げる。
「……僕の身体を好きにして下さい。お願いします」
広間で食事中の男達が厭らしげに笑う。女たちは眉を顰めながら、それでも興味深そうに城主の近くにいるククラを眺める。
「ふふふ。浅ましいなあ魔導士よ。だが身体を持て余すのはわしの城では許されない。ゆっくりと、お前が我慢できなくなるまで、遊んでもらうがいい」
城主のもとに裸の女たちが集まってくる。
ククラの横で、城主の戯れが始まる。
随分ククラの息が上がっている。顔もかなり赤い。
食事が終わった男たちが、ククラの近くに行って、じろじろと見ている。今夜の遊戯の景品なのでまだ誰も触ってはいないが、見世物にはなっている。
ジェイは目の前で展開されている事から、目を離すことが出来なかった。
この悔しさをこいつらに、叩き込んでやらなければ俺は生きていけない。
ククラが一人で耐えている拷問の酷さを、俺が見てなけりゃならない。
俺が覚えていなければ。
あいつは一人で抱えなきゃならなくなる。
それにしたって。
あんまりだろう、これは。
ジェイは自分の眼から涙が零れそうなことに気付く。
ニヤリと笑いが浮かぶ。
久しぶりに泣いたな。
さあ、床に落ちろ。
反撃の狼煙を上げてやる。
目から溢れたジェイの涙が頬を伝って床に落ちた。
途端に床が爆発する。
木端微塵になった床を蹴って、ジェイが玉座に駆け登った。
自分の涙を指先にとって、壁に投げる。
城の壁が粉々に崩れた。
ククラを奪い返すと、そのまま壊れた壁を抜けて外に出る。
そこは外壁の内側だった。
そのまま、とにかく走る。
少しでも城の内部から離れたかった。
自分の腕の中のククラが気を失っているのが分かって、余計に頭に血が上る。
自分がついて来たのは、ククラに何かあった時に庇ってやろうと思って、ついて来たのに。
これでは。
俺が来ない方が良かったのか。
走っているジェイを狙って魔法が放たれる。
それを器用に避けながら、ジェイは足を止めないで走っていた。
魔法の攻撃を避けているうちに、外壁の上に追い詰められる。
息を切らしながら、ジェイは追手を睨みつける。
ジェイがその身を外壁の外へ投げ出した。
自分から飛び降りたのかと追っていた部下たちが、外壁から外を見る。
そこにはすでにその身は無かった。
ククラの身体を奪還できなかった自分たちの事を考えると、明日が来ない事は分かっていたが、この城から出る事も出来ない。怒りの城主に墓を作られるだろう。
しかし事実を話すしかない。
部下たちは誰も口を利けず、静かに城内に帰っていく。
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