鍵屋は何処だ
闇夜が支配していた。
辺りに住まうのは、沈黙の使者たち。
蠢く者すらなく、ただ、静かな闇のある世界。
そこを足音高く歩く者がいた。
靴音を控える事もなく、地面の上を歩いて行く。
闇はその身をも包んでいた。
髪は黒く少し長い。着ている服も履いている靴も黒かった。
その眼だけがうっすらと金色に光っている。
吐く息が白くたなびく。
彼が目指しているのは、この闇の満ちた森の奥。
そこに住んでいる薬師に用があった。
世間を隠遁して、一人で自生している薬師。
数々の毒薬や劇薬を作っては、悪い事に使われるのを承知で手渡している。
その筋には有名人だった。
薬師の小屋の扉をノックする。
「…誰だい?」
中から籠った声が聞こえる。
「…ヘロンさんかな?」
「そうだけど、お客さんかい?」
中から問いかけられる。彼は薄く笑う。
「ああ。薬が欲しいんだ」
「…今、開けるよ」
ガタガタと支えの棒を動かす音が聞こえる。
ゴリゴリと音がして引き戸が開いた。
そこには小さな男が立っている。
「…初めまして」
「入んなよ。…どんな薬が欲しいんだい?」
彼は中に入りながら、引き戸を閉める。
「出来るだけ強い、ほ」
そこで言葉が途絶える。引き戸が閉まり切った。
小屋の中からの音は外には聞こえない。
闇夜は静けさを取り戻し、それに包まれた森もまた沈黙を続けた。
「お早う、ククラ」
…何故、ここに居るんですか。
目を擦りながらベッドの上で、ククラはフランを見上げている。
フランは鼻歌を歌いながら紅茶を入れに行く。
…いや、だから、何故。
昨夜は確かに鍵をかけて寝たはずだ。
それに、魔導を掛けて侵入を拒んでいるはずで。
入ってくれば僕に分かるはずでは。
…目の前の人物は幻だと?
「ミルク入れる?」
振り向いたフランの笑顔は、決して幻では無かった。
ククラは溜め息を吐いてベッドから起き上がる。
何をして入ったんだ、この人は。
ククラの目線を気にもせず、フランは自分の分も入れて椅子に座った。
顔を洗ってきたククラを嬉しそうに見つめる。
ククラが仕方なく二人分の朝ごはんを作るのを、とろけるような視線で見ている。
「…フランは好き嫌いあるの?」
「ううん。何にもないよ?」
両手で頬杖をついて、微笑んでいるフランを見てククラは苦笑する。
何時もよりは分量を多めに作るが、足りるかは分からない。
その殆どをフランの分に盛り付けると、ククラも椅子に座った。
「いただきまーす」
多分語尾にハートが付いているフランは、そう言って食べだした。
目の前の美少女を眺めながら、ククラは紅茶を飲む。
…今日は、どうなる事やら。
朝から幸先のいいスタートで?
ククラはそう思いながら、自分で作った朝ごはんを口にした。
「じゃあ、行ってきます!」
出掛けるフランに手を振って見送ってから、ククラはクルリと自分の店を見る。
…何故、侵入できたんだ。
どう見ても魔導は掛かったままだった。
鍵もこじ開けた形跡もない。
…まさか。
ククラはとある事項を考えついて、その場に座りたくなった。
仕事に行きながら、フランは手の平の上の鍵を眺める。
ふふ。ククラの店の合鍵、手に入れちゃった。
ククラのいない間に、鍵屋を店に呼んで作らせたのだ。
その店の従業員で、鍵を無くして店長に怒られると言って。
魔導のかかった鍵だったけど。
作ってもらえてよかったな。
物凄い上機嫌で、フランは仕事に向かった。
…きっと、作られている。
ククラは溜め息を吐いた。
自分の持っている鍵を見つめて、組み替えるかどうかを考える。
そうしなければ、ならないのだが。
相手はフランなのだ。
ククラとしては、彼女のしたい事を制限するつもりは無かった。
それは罪の意識の成せることなのだが。
ククラはまた溜め息を吐く。
きっと、悪い事には使わないだろう。
そこは信用が出来た。
しかし、毎朝あれはちょっと。
そのうち、ベッドにダイブされそうだ。
ああ、いや、それはないか?
思考がまとまらずに、ククラは頭を掻く。
…好かれているのは、宣言されているから知っている。
それが恋愛感情なのも分かっている。
鍵、組み替えるか。
ククラは店の前から歩き出した。
ククラは鍵屋を探して町を歩いている。
色々な店があるのだが、肝心の鍵屋は無かった。
近くの店の人に聞くと、この先の角を曲がった先にあるとの事。
礼を言ってからククラはその角を曲がった。
人にぶつかる。
ククラはその人を見上げて、詫びを口にした。
「すみません。だい」
口の中に何かが入った。
その人が手でククラの口と鼻を塞ぐ。
ククラは目を見開く。
自分の口を塞いでいるのは、アルカナだった。
もう一方の手で首の後ろをとんと叩かれる。
ククラの喉が反射で動く。
飲まされた何かを嚥下した。
ククラの口を塞いだまま、アルカナがにっこりと笑う。
視界が揺らいだ。
ククラの顔が真っ赤に染まる。
それを眼の前の人物に見せたく無くて、ククラは顔を伏せた。
アルカナはククラの様子を見てにっこりと笑った。
あの薬師から買った薬は効いたようだ。
最高の効き目の惚れ薬だと言われて使用したのだが。
疑い半分で使ってみたが、効くものだな。
「ア、ルカナ、さん」
「アルカナと呼んでくれないかな」
ニコニコしている男の前で、ククラは顔を上げられない。
「私達の間柄で、他人行儀な呼び方は止めようじゃないか」
は、とククラが息を吐いた。
「罠はあんた個人の事だったのか?」
「え?」
顔を上げたククラは、真っ赤な顔で怒っていた。
いやいや、かなり怒っている。
「こんなくだらない罠を仕掛ける理由を、教えて貰えませんかねえ」
低い声で、座った眼で、聞いてくる。
アルカナは離れようとしたが、瞬時で防壁を掛けられていた。しかも五重。
「魔導士の本気、舐めて貰っちゃあ困る」
「あ、いや、君を好きになってしまって。だから」
何故か冷や汗という物が背中を伝う。
睨みつけてくるククラは、さすがに可愛いと思えないが。
何か言わないと、命の危険がある気がする。
「そうですか。なるほど、僕に惚れていると」
「あ、ああ。そう、なんだ」
片言しか言葉が出て来ない。
この迫力はどうした事だ。
兄がいなければ、さした強さのない魔導士では無かったのか。
「あなたは、悪魔ですか?」
「…は」
目の座ったククラが言った。アルカナは動きが止まった。
「名前は ですね」
「………は」
アルカナは本当に身動きが出来なくなった。
何故。
「なぜ、君が」
「勘です」
「か、勘!?」
「そうです。まあ、探って当たりは付けていましたけど」
アルカナの口が震える。探るとは。
ククラが眉根を寄せる。
「これで僕に手は出せませんよね」
「あ、…ああ。そうだ。それは私の真名だから」
「でしょうね」
ククラはハアッと大きな溜め息を吐く。
アルカナは、自分では動けない。
じっとしているアルカナに、ククラは軽く手を振る。
「使役はしません。そういうの嫌いなので。だから、いつか、困ったときに呼びます。本当にいつか。それまではご自由にどうぞ」
「は。そんな事でいいのか?我々を使えば何でもやりたい放題で」
言葉の途中で、ククラの顔を見た。
首を横に降っている。
「僕は、あなたの兄弟の知識だけで十分ですから」
ああ。兄は本当にそこにいるのか。
アルカナは納得した。
「探してどうするつもりだったの?」
兄の話だろう。
「ただ、話がしたかった」
恥ずかしい事に、この少年にはもう嘘がつけない。
アルカナは恥ずかしそうに告白した。
「……そう。じゃあ」
ククラは親指と人差し指で輪を作って、右目で覗いた。
「あ」
そして五重の防壁を解く。
アルカナはククラを見た。
もう怒ってはいないようだ。
「ありがとう、ククラ」
「どういたしまして。じゃあ、いつか」
ククラは道を曲がって何処かへ行った。
アルカナはぼうっとした頭で、闇の世界へ帰る。
何処かぎこちなく、どこか幸福な気持ちで。
「おはよう、ククラ」
…ああ。鍵の事を忘れていたよ。
ククラはベッドの上で目を擦りながら、そこにいるフランを見上げる。
フランは何時もの通りに上機嫌だ。
「…今日は私がご飯を作るね」
やはり語尾にハートマークのフランは、そう言ってキッチンへ向かった。
その後姿をククラはぼんやりと見ている。
頭を掻きながら、ベッドから出る。
ククラは風呂場へと向かった。
その姿を見たフランが、いらぬ妄想を始めた事などは、ククラの想定外だ。
頭からシャワーを浴びてククラは溜め息を吐く。
僕ははっきり言った方が良いのか?
…どっちでもないって?
好きでも嫌いでもないって?
…それは酷い言葉だよな。
フランの好意は嬉しい。けれど僕がその好意に答えられるかは別で。
ククラは溜め息を吐いたが、それはシャワーの音に消された。
その頃、キッチンではひと悶着起こっていた。
ククラが風呂場から出ると、フランが泣きながら抱き付いて来た。
「ククラ!助けて!!」
「へ!?」
ククラが視線をキッチンに向けると、大きなネズミがこっちを向いていた。
いや。ネズミと言うか、カピバラと言うか。
とにかく大きなそれは、仁王立ちしてこっちを見ていた。
ええ?
ククラが指先を動かして網をかぶせると、難なくその中に納まった。
中でもがいている。
「…あ」
ククラに抱き付いたままフランが、気が付いたように言った。
「…私、魔導士だっけ」
ええ。
ククラが心の中で答えると、フランがこっちを向いた。
物凄い至近距離だ。
「…ふふ」
「え?」
ククラは床に押し倒された。
「…ちょ、ま」
フランの胸が自分の身体に当たっている。
いや、それどころじゃなくて。
唇が重なる寸前で、ククラはフランの口を自分の手でふさいだ。
フランは頬を膨らます。
「何よ良いじゃない。ちょっとぐらい」
「良くないっ…何を考えているんだ」
「え?…婚前交渉?」
ククラの耳が赤くなるのを、フランが楽しげに見ている。
その時、時計のベルが鳴った。
「ああ。時間だ!」
フランが、がばっと身を起こす。
「じゃあね、ククラ行ってきます!」
「…ああ。いってらっしゃい」
フランが階段を駆け下りていく。
ククラは溜め息を吐きながら、今日こそは鍵を替えて来ようと思った。
放っておかれた、床に転がっているネズミが鳴いた。
ククラはそれを見る。
網の中でもがいているが、持ち上げると大人しくなった。
毛並みがきれいだし、本物のネズミでもなさそうだ。
誰かのペットかも知れない。
ククラはそれを持って、近所に声を掛けて回った。
持ち主がいた。
それは前のこの家の持ち主の娘さんだった。
この町に来た時に1回だけ会っているが、それ以降は会っていなかった。
お互いに交渉が済んでしまえば、会う理由もない。
「…有難う。夕べから探していたの」
そう言ってネズミを受け取る少女に、ククラが笑いかける。
「そう。それなら良かったよ」
ククラがそう言って立ち去ろうとするのを、少女が服の裾を掴んで止めた。
少女をククラが見る。
「…あの、名前はなんて言うの?」
「僕?ククラだよ」
ククラの名前を口の中で復唱する。
「…私はセレス」
「ん。分かった」
ククラが答えても、まだ手を離さない。
セレスの長い黒髪がサラリと風に揺れた。
「あの一階は、お店にしたの?」
「…店と言っても、お話をするだけのものだけどね」
そう言って笑うククラの顔を、じっとセレスが見ている。
セレスの青い瞳が、ククラの眼を見つめた。
ククラは少し戸惑いながらそこに立っている。
まだセレスの手は離れない。
「…私、遊びに行っていいかな」
「いいよ。…今日は誰も来ないし」
そのペットを大きなかごバッグに入れてから、セレスはククラの服をまた掴んだ。
ククラは掴まれたところをちらと見てから、自分の店へ歩き出した。
店の中へ入ると、セレスはあたりを見まわす。
「…図書館みたいだね」
「そう?まだ足りないけど」
ククラの言葉に、セレスが少しだけ笑う。
二階から紅茶を持って来ると、セレスは本を一冊持って読んでいた。
「…興味があるの?」
ククラの問いにセレスが肯く。
「…でも、私には才能がないの」
「え。…そんな事はないんじゃないか?」
そう言ったククラにセレスは首を振った。
「学校でそう言われたの」
「…魔導士の学校?」
セレスは頷いてソファに座った。
ククラが自分で出した紅茶に口を付ける。
紅茶を飲んだ時だけ、セレスの表情が少し緩んだ。
「…ククラ、は学校に行ったの?」
名前を呼ぶときに少し緊張したのか、セレスが言いにくそうに言ったのをククラは笑顔でスルーした。
「僕は行ってないよ、学校は何処もね」
「…ロウスクールも?」
「うん」
その年代は過ごしませんでした。誰かのせいで。
まさか3歳からすっ飛ばして14歳になったとは言えない。
セレスが羨ましそうに見ているのを、ククラは不思議そうに見返す。
「…学校、嫌いなのか?」
「……うん。きらい」
セレスが何かを我慢するように言った。
その表情からは、あまり感情を読み取れない。
セレスは笑いもしないし、眉も顰めない。
ただククラをじっと見ている。それ以外は少し目を伏せて無表情に見える顔で、紅茶を飲んでいる。
ククラは相向かいのソファに座りながら、セレスを見ている。
不思議な子だな、と思いながら。
「…ククラ」
「ん?何?」
セレスがまた自分を見上げた。
ククラはその深い湖のような瞳を見つめ返した。
セレスは真っ直ぐにククラを見ている。
…綺麗な眼だな。
ククラはそう思いながら、首を傾げた。
セレスから次の言葉がなかなか出て来ない。
「…あの」
「ん?」
言葉に詰まっているセレスに、ククラは短く返事をする。
セレスがまた口を噤んだ。
ククラは紅茶を飲みながら、セレスの言葉を待っている。
店の中は静かなまま、時が流れていく。
ククラが答えを急かさない事に、セレスはほっとしていた。
…この人は、安心できる人だ。
自分の中でセレスは確認をした。
その間も時計の音だけが、時間の経過を告げている。
「…私に、魔導を教えて欲しい」
「…僕が?」
ずいぶん経ってからセレスが言った言葉は、ククラには意外だった。
自分が誰かに魔導を教えるなんて、考えた事もなかった。
「…僕もまだまだ修行中なんだけどな」
「いい」
セレスはそう言って、ククラをじっと見る。
その大きな瞳は長い睫毛で縁取られていて。
セレスが真剣なのは分かった。
ククラは暫く考える。
その視線が自分からひたと離れないのを、意識しながら。
「…暇な時でいいかな」
ククラの言葉にセレスが肯いた。
その表情が嬉しそうに見えたのが、ククラには嬉しかった。
「…でも、いつが暇なのかが、分からない」
セレスの言葉に、ククラもそうだなと思う。
いつも来てもらう訳にもいかない。緊急が入ったりしたら断るだろうし。
ククラは立ち上がって、大きな机から二つの石を取り出した。
その青いビー玉の様な石の一つを、セレスに手渡す。
「…これは何?」
「お互いの声を届ける石だよ。…魔導士の念話みたいなことが出来る」
本当はアガタに渡そうと思っていた物だ。
しかしククラは渡さなかった。
それが彼女の禍になっても嫌だったから。
今なら手渡しも出来るだろうが。
ククラはオンウルに帰る気は無かった。
手の平でころころと転がしながら、セレスが眺めている。
「…きれい」
セレスの瞳の色に似あうとククラは思った。
「それで話をしてから来ればいい。…現場では返事が出来ないけど、なるべく答えるから」
「…分かった」
肯いたセレスが、何かを聞きたそうに口を何回か動かした。
ククラは声になるまで待っている。
「…何でもない時には、使っては駄目なの?」
「え?…いいよ」
ククラが笑いながら答えると、セレスは真剣に頷いた。
セレスが頷くたびに、その髪がさらさらと音を立てる。
「…ふふ」
手の上の青い石を見てセレスが笑う。
壁の時計が五回ちいさなベルを打った。
「…じゃあ、私帰るね」
「あ。そうか」
セレスが立ち上がったので、ククラはドアの所まで見送る。
横に並ぶとセレスはククラの胸ぐらいの身長だった。
ククラをセレスが見上げる。
「…また来る」
「うん。…待ってるよセレス」
ククラに名前を呼ばれて、セレスは自分の顔が赤くなる前に走って逃げた。
なんだか寂しい気持ちになって、ククラは自分に失笑する。
…バカか、お前は。
咎人にそんな感情なんていらないだろ?
そこでククラは考える。
僕は今、どんな感情と思ったんだろう。
その淡い色の物は、ククラの中で他の色に紛れて見えなくなる。
だけど、それは確かに、ククラの中にもあって。
それはセレスの中にも芽生えていた。
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