慈善の魔導士



光が消えると、そこは魔導士協会の部屋の中だった。

大きな転移陣から出ると、トビナが待っていた。

「お帰り。二人ともご苦労様」

「俺は」

「どういたしまして」

ヴァイスの声はククラの声に消される。

トビナが不思議そうに首を傾げる。


「…村の方の被害は建物が少し有ったきりだって連絡があったわ。人的被害はゼロだって」

「それは良かった」

ベンチに腰掛けることなく、ククラはそう言って二人に手を振ると、部屋を後にした。

ヴァイスが追いかけて行く。


ククラの姿が見えない。今、出て行ったはずなのに。

探すと本棚の影に、ククラがうずくまっていた。


魔導士協会の中では、魔導は許可なく使用してはならない。

それは貰った手引書に書いてあった。

外に出る前に、ククラは痛みに耐えかねて座り込んだのだ。

ただし他の人に心配を掛けるのも嫌だったので、人影のない所を選んでいた。


痛みが治まるまで。

そう思ってお腹を抱えてじっとしている。

息は乱れているが、苦痛の声は聞こえない。


「…痛むのか」

ヴァイスの声に、ククラがびくりと動く。

顔を上げる前に、耳をすまさなければ分からないような溜め息を吐いた。


静かな此処でも、意識しなければ聞こえないだろう。

しかしヴァイスはククラの横に屈み込んでいたから、それに気付いた。

その溜め息に少しだけ、痛そうな声が混じっていたことも。


ククラがぱっと顔を上げた。

ヴァイスと目が合う。

ククラは笑って答えた。

「違げえよ。腹が減っただけ。…何?此処も報告書とか書くの?」

「…ああ。報告の義務がある」

質問に答えてしまってからヴァイスは、ククラがそれ以上の言葉を言わない事に気付いた。

自分の最初の疑問には答えていない。


だが、もう分かっている。

ククラは立ち上がり、トビナの居るカウンターに歩いて行く。


「何か、書くの?」

ククラの声に、トビナが顔を上げる。

「ヴァイスが捉まえてくれたのね?…そうなのよ、ここに概要でいいから書いてくれないかしら」

「うん」

ククラは書類を、考えながら書き込んでいく。

その顔が随分腫れて来ているのを、トビナはじっと見ている。


「これで良いかな?」

「どれどれ。…その魔獣を確保してきたの?」

「…うん。まあ」

ククラがそう言うと、トビナはどこかに連絡を取りだした。


遠距離との連絡は魔導士なら大体念話を使うが、使える人が限定されるので念話の係りがいる。

その人の所へ行って、何処かと話をしているトビナをククラはぼんやりと見ている。ヴァイスはククラの横で、そんなククラを見下ろしてみていた。


小さな少年だ。

彼は逸話を持って、コンマリにやって来た。

オンウルから伝わってきていた話は、皆にはおとぎ話のように思われていた。

事実、自分もそう思っていた。あんな話は信じられない。


だが、今日見た彼には、その噂話が本当だったかもしれないと思わされる。

…それなら、あの下世話な話はどうだったのだろうか。

そう考えたヴァイスの顔を、不意にククラが見上げた。

ヴァイスは、今自分が考えていた愚かな事を悟られたのかと、ぎくりと焦る。


ククラがへらっと笑って言う。

「…ここら辺で、ご飯の美味しい店って知ってる?」

「え?…ああ。なら、エバンスの店が美味いが」

ククラが笑って聞いてきた。


「へえ。どこら辺にあるの?」

「…今、地図を書いてやる」

紙を貰ってヴァイスが書きだした地図を、ククラが覗き込んでいる。

見えるククラの頭のてっぺんにも、血が付いていた。

まだ少し乾いてない所を見ると、深く切ったのだろう。

ククラは自分の手元を見ている。


「…これで分かるか」

「うん。ありがとな」

ククラが笑って、その紙を大事そうにポケットにしまい込んだ。

トビナが、すまなそうな顔で二人に近づいて来る。


「ごめんね、ククラ君。あのね」

「うん。いいよ。何処に運べばいいんだ?」

トビナの言葉を遮る様に、ククラが答えた。

「…魔獣を研究している研究所なんだけど。…そこまで行ってもらえる?」

「どうせだから、すぐ行くよ。…後で行く方が手間だし」


そう言って笑うククラに、トビナがほっとした顔をした。

ヴァイスは逆に心配になる。

さっきの態度は微塵も見せないククラを。


魔導陣には二人で乗った。

ククラもトビナも、ヴァイスは帰るものだと思っていたので、不思議そうに見ている。

もちろん一番不思議に思っているのは、ヴァイス自身だったが。


魔導の光が身を包む時に、ククラが嫌そうに眉を寄せた。

隣にいたヴァイスは気付いて、ククラの腕を掴む。

ククラが見上げて困ったように笑った。


光が消えて着いた先は、大きな古い形の建物の前だった。

誰かが話を聞いて出て来るだろうと、二人で待っていたが出て来る気配がない。

顔を見合わせたヴァイスとククラが、建物の扉を見つめる。

その扉から人が出て来る気配はない。


それどころかこの建物の中にも、人の気配を感じられなくてククラは困った顔になる。ヴァイスも渋い顔になっていた。

「入ってみるか」

「…うん」

ヴァイスの言葉にククラが頷く。

建物に入るがその扉に鍵は掛かっておらず、簡単に開いた。


中はしんとしていて何の気配もない。

扉を開けて吹き込んだ風が、床に落ちている紙片をかさかさと動かす。

少し積もった埃が、風で浮いて舞った。


「…んくしっ」

ククラがくしゃみをして鼻を擦る。

ヴァイスはそんなククラをちらりと見た後、ロビーらしき場所の奥にあるドアを見つめる。

「…誰もいないな」

「ああ。…トビナが連絡を取ったはずなんだが」

ククラの問いに、ヴァイスも不確かな意見で答える。

二人とも、そのトビナを疑っているわけでは無い。

むしろ疑っているのは、転送を決めた魔導士が地点を間違えたのではという方だった。


それにしたって、場所的には建物の前に飛んだわけだし、このロビーにはいかにも研究所らしき資料の山が積んである。

ククラはその資料の山から、一枚抜いて見てみる。

魔獣の簡単な見分け方を、優しく分かり易いように書き込んである。

誰が見ても分かる様に、かみ砕いて説明してあった。


ククラが眺めている紙を、ヴァイスが横から眺める。

少なくともここは魔獣の研究をしている所らしい。

「…奥に行ってみるか」

「そうだな」

ヴァイスの言葉にククラが同意した。


埃が、歩くたびに空気に舞う。

ドアを開けると、その先は通路になっていた。

窓から光が射していて、光源に困ることはない。


傍のドアを開ける。

中は小さな部屋でやはり、資料がたくさん積んである。

椅子は引かれ、今迄誰かが使っていたような形をしていた。

ククラが机に近付く。

書類は書きかけのまま、ペンが転がっている。


「…何か、変だな」

ククラがヴァイスを振り返り呟く。

「…そうだな。…もう少し奥まで行こう」

「……うん」

本当はあまり奥には行きたくは無かった。

ククラは誰かを呼んだ方が良いのではと思っていたが、ヴァイスが廊下に出てしまったので後を追う。


廊下に面したドアをどれも開けて見たが、そこに人はいない。

その代わり、どの部屋にも誰かがいた気配が残っていた。

廊下の突き当りのドアの前で、ククラがヴァイスの手を取る。

ヴァイスを見上げて、ククラは首を横に振った。


「この先にはいかない方が良い。…なあ、誰かを呼ぼう」

そのククラをやけに冷静な目でヴァイスが見下ろす。

ククラは瞬間に、その手を離した。

「…大丈夫だ」

そう言ってヴァイスはドアを開けた。


ドアを開けた先は何故か真っ暗な部屋だった。

後ろから廊下の光が射しているが、部屋の奥までは見えない。

ヴァイスは気にせずに奥に入っていく。

「ヴァイス!」

ククラがその名を呼ぶが、少し立ち止まっただけで、更に進んで行く。

ドアを離し、ククラは走ってヴァイスの腕を掴む。


ドアが閉まる。

部屋は暗闇に閉ざされた。

ククラは腕を掴んでいる相手を見上げる。

暗闇に目が慣れてくると、その相手が自分をじっと見ている事に気付いた。


「…ヴァイス、正気に戻れ」

ククラが強い声でそう言った。

この場を支配している暗闇が、嫌そうにその気配をよじる。


少し息を吐いてヴァイスが目を何回かしばたたかせる。


「……ククラ?」

「うん。気が付いたか?」

「ここは?」

ヴァイスが闇に満ちた部屋の中を見まわす。

「…多分、何かがいる」

ククラの返事にヴァイスが息をつめた。


部屋の気配がゆっくりと変わっていく。

今まで何もなかった辺りに、ざわざわとした音がしだした。

その音は部屋一面から聞こえだす。


暗闇に、蠢く沢山の何か。

ククラが指先に光をともす。

その光に照らされた部屋の中には。


一面の蜘蛛の巣の中に、沢山の蜘蛛と何個もの繭玉のような物があった。

その蜘蛛たちが動いてざわざわとした音を出している。


「…はは」

ククラが渇いた笑い声を出した。ヴァイスは顔を引きつらせたまま声も出ない。

蜘蛛の巣の中心にひときわ大きな蜘蛛がいた。

それが、がさりと動く。


周りの蜘蛛が震える糸の上でじっとしている。

ククラはヴァイスの腕を離して、蜘蛛をじっと見る。

その沢山の複眼に、ククラが映りこむ。

ククラはふっと息を吐いた。

「…あんまし、お痛してんじゃねえぞ?」

そう笑ったククラをヴァイスが見る。


「…ヴァイス、あの繭玉を頼む」

そう言ったククラの手には剣が握られていた。

「分かった」

その声を聴くとククラが大きな蜘蛛に走り込んだ。


「いっくぞお!!」

ククラが振りかざした剣に、蜘蛛たちが群がるように集まる。

小さな蜘蛛が大きな蜘蛛を庇うように壁を作った。

そこにククラが切り込む。

緑色の体液が辺りに散る。ククラの顔にも身体にもそれが吹きつく。


「!?」

ククラが目を擦った。

その隙に蜘蛛がククラに圧し掛かる。

ククラが仰向けに倒れて、蜘蛛が体の上に被さった。牙がカチカチと鳴る。

その口にククラは剣をはさんで防いでいる。

しかし蜘蛛の顎の力は、何を挟んでもびくともしない。牙は折れることなく、ククラの喉を狙う。


ククラはドアの近くに運ばれる繭玉をちらりと見る。

もちろんヴァイスにも小さな蜘蛛が密集していた。

「ち」

ククラが舌打ちをする。

「…ごめんな、ヴァイス!」

ククラが叫ぶ。

急に謝られたヴァイスは驚いてククラを見た。


「コール!アイスブリージング!」

部屋の中の温度が急激に下がる。

空気がキラキラと光って氷の粒が浮かんだ。

部屋一面が小さな光を反射する氷で、うっすらと光に満たされる。

それが次の瞬間には、突風で部屋ごと掻きまわされた。

「うわ!?」

ヴァイスが顔を覆う。身体にも無数の氷が当たって痛かった。

しかしヴァイスの被害はそれだけだった。


顔を覆っていたヴァイスは、部屋の中がしんとしたことに気付き、顔を覆っていた腕を外す。

部屋の中は一面の氷に覆われていた。

蜘蛛などは完全に氷の中に閉じ込められている。


「…は」

大きな蜘蛛の下からククラが這い出して来た。

ヴァイスが近寄ってククラの手を取る。手を借りて、立ち上がったククラが苦笑した。


「ごめんな、痛かっただろ」

そのククラにヴァイスは微笑みを返した。

「…大した事はない」

「そっか。なら良かった」

そう言って笑うククラを、ヴァイスは眩しそうに目を細めて見ている。


繭玉を破ってみる。

中の人たちは憔悴をしているものの、全員が生きていた。

糸の中には蜘蛛もいなかった。

ククラが念のために魔導で探るが、体の中にも魔獣の気配は無かった。

ほっとして、やっと外へ連れ出す。


部屋全体に封の魔導を施してから、ククラが振り向いてヴァイスに言った。


「…なあ。僕の魔獣、ここに預けても平気かなあ?」

ヴァイスも、それには首を傾げるしか出来なかった。


気が付いた研究員に話を聞く。

どうやら中の一人が操られて、他の研究員をはめたとの事。

その人物は皆の視線に小さくなっていた。

ククラは笑いながらこう言った。


「まあ、いいじゃん。…研究には体験も必要だろ?」

周りからは、ええ~、という声が上がったが、ククラは笑っている。

「あはは。まあまあ。…ところでさ。僕が捕まえて来た魔獣って、此処に置いていっていいの?平気?」

研究員たちは全員で肯いた。

ああ。好奇心には勝てないんだな。

ククラは苦笑しながら、外で魔獣の受け渡しをする。

その巨大な魔獣の姿よりも、巨大な空間の方に視線が集まった。

研究員たちがチラチラとククラを見る。


ククラはその視線を無視して、ヴァイスの腕をつついた。


「じゃ、よろしく。…行こうか、ヴァイス」

「ああ。…後ほど報告を頼む」

ヴァイスの言葉に研究員が肯いた。

二人は転移陣が描かれた場所まで歩いて行く。

転移の連絡が来るまで陣の中で待つ。


ヴァイスの腕をククラが掴んだ。

見ると、ククラが随分荒い呼吸をしていた。

「ククラ?」

呼びかけると、俯いているククラが答える。

「…悪ぃ。少しだけ、腕を貸してくれる?」

「……ああ。構わない」

強く握られたその腕に、ククラが震えているのが伝わって来る。

それはそうだ。これで今日は2戦目だ。


ヴァイスはじっとククラを見下ろしている。

蜘蛛の体液もまだ落としていない。

…何か毒性が無ければいいのだが。


空気が震える。

ヴァイスの耳に魔導士からの言葉が聞こえた。

ククラの腕を、掴まれていない方の腕で掴む。

光が陣の中に満ちる。


その瞬間にククラがにっと笑った。

ヴァイスには口元しか見えないが、それは頑張って顔を作っているように見えた。


魔導士協会の部屋に戻る。

ククラは陣の中からパッと出て、トビナの前に立った。

「ごめんね!ククラ君!ヴァイス!」

トビナの謝る声にククラが笑った。

「あはは。どっちにしろ被害がなくて良かったじゃん。…魔獣も置いて来れたし」

「そうね。…大丈夫?ククラ君」

「ん。平気だ」

軽口をきいているククラの横にヴァイスが立つ。


「…報告の書類は俺が書こう。ククラは戻ると良い」

ククラがヴァイスを見上げる。

ヴァイスはわざと、しかめ面をした。

「はは。良いの?」

ククラが笑うのをヴァイスはわざと無視して、トビナから書類を受け取る。


「…お前の書き方は気に食わない。俺が書く」

「え。…それって、さっきの書いたやつを見ての意見か?」

ククラの台詞にヴァイスが頷く。

横でトビナが吹き出した。

「ぷ。…ククラ君は帰っていいよ?」

「はあ?…分かりましたよ、帰りますよ」


ククラはそう言って部屋を出ようとする。

その背中を見送っている二人に、ククラが笑って振り返った。

「じゃあな。…またなヴァイス。またねトビナさん」

「うん。気を付けてねククラ君」

「…ああ。またな」


二人の言葉を聞いてククラは眉を寄せたが、また笑ってから出て行った。

ククラが出て行ってから、ヴァイスは書類を書き始める。

そのヴァイスを見ながらトビナが口を開いた。

「ククラ君、大丈夫かな」

「…早く帰したんだ。休めるだろう」

その台詞にトビナが目を丸くする。

ヴァイスからそんな台詞が出て来るとは青天の霹靂だ。


常に周りの魔導士には、敵意をむき出しにしていた。

熱心だが、魔導士同士の仲間は作らなかった。

ヴァイスのそこが良くない所だと、トビナはいつも思っていた。

もっと仲良くできれば、得るものも多いだろうに。


つい微笑んでしまうトビナは、自分の頬をむに、と動かした。

そのトビナとヴァイスの目が合う。

手で頬を持ち上げたまま、トビナが笑う。

変な奴だ。

ヴァイスの眼がそう思っているのが分かっても、トビナはめげなかった。


トビナの目線が、研究所の中に居た魔獣の事を書いている、ヴァイスの書類の上を走る。

「…え!?」

トビナの小さな驚きの声に、ヴァイスが手を止める。

「…どうしたんだ?」

その声には答えずに、その書類を手に取ってじっと眺める。

そして書類をバンと置くと、トビナは走って何処かへ行く。


何かの本を抱えてトビナが走って来た。

パラパラとページを捲って、開いたページをヴァイスに見せる。

「これ!?これじゃなかった!?」

慌てるトビナに、ヴァイスは嫌な予感がしてそれを見る。


魔獣・分類・虫系。

名前・アラクネ

詳しいイラストは、寸分たがわずに研究所に居た魔獣だった。


特徴・子供を使って攻撃をする。人間を捕食する。

   牙や爪を使って、肉を引き裂く。

注意・その体液は猛毒のため、必ず早く洗い流すこと。


ヴァイスは魔導士協会を飛び出した。

ククラの店の話は、魔導士の中でも噂になっていたので、人付き合いの悪いヴァイスでも場所は知っていた。


店のドアをノックする。

返事はない。

焦ってノブを回すとドアが開いた。


中に入ると、階段の手前でククラが倒れている。

「ククラ!?」

呼びかけるが、返事はない。

抱き上げると、息はしているが真っ青な顔色だ。


あたりを見るが、一階には風呂は無さそうだ。ヴァイスは2階へ上がると、ククラを風呂場に連れ込む。頭からシャワーをかける。

緑色の体液が流れていく。

体液が落ちた後には、赤くなった皮膚が現れた。



どれだけの苦痛だったか。それなのに笑っていた。


気を失うほどの痛みがあっても、ここまでは帰って来た。

「…お前は」


そうだ。これが俺の目指す魔導士じゃないのか。


自分を犠牲にしても、人に不安は与えない。



「……誰?…」

ククラが、ぼそりと口を開いた。

やっと気が付いたようだ。

毒を洗い流したから影響が少なくなったのだろう。


「…俺が分かるか?」

「…ごめん、視界が今やられてて…」

そういえば目を擦っていた気がする。

「…ああ。でも、分かって来てるのなら、ヴァイスだろ?」

ククラがそう言って、笑った。


まだ笑うのか。

お前はそれでも、笑うのか。

「…ごめん、手間かけてる」

「いい」


ヴァイスはククラから手を離す。

…ククラが少し嫌そうだったのだ。

すると、困ったようにククラが言った。


「…悪い。もう少し手を貸して。…魔晶石を取りたいんだ」

そこまで魔導力を使い果たしているとは気付かなかった。

誰にも辛さを見せない様に笑っている。


いつか死の淵にいても、笑っているんじゃないだろうか。

ククラの息が止まるまで、それは誰にも分らないんじゃないのだろうか。


ヴァイスはククラを抱き上げる。

「…え、と。…いいや。机のとこまで運んで」

少し嫌そうな気配があったが、それはすぐに無くなった。

ククラに言われた机は、小さな書き物ができる程の机で、それには引き出しが付いていた。


見えにくい眼を細めて、ククラが手を伸ばそうとするのを、その手を押さえてヴァイスが止める。

「何処だ?」

「…確か、上の引き出し」

開けると、上質の魔晶石が何個も入っていた。

「…一番小さいので良いよ」

ククラに言われた通り、一番小さな魔晶石を渡す。

それを手に握って、ククラはヴァイスの腕を降りる。


「癒したる金の天使よ、ここに降り立ちその力を我に授けたまえ」

ククラが唱える、光魔導の最上級。

簡単な呪文だが、それ故に完璧に唱えて、その力の全てを引き出すのは難しい。

「ミカエルの息吹」

薄い金色の光がククラの体を覆っていく。


ああ。これが完璧な使われた形か。

ヴァイスの見つめる中、ククラの身体が全て治っていく。

魔導の光が消える。

ククラが座った姿勢のまま倒れた。


当たり前だ。

身体はとうに限界を超えているだろう。

自分の魔導力を全部使うという事は、全てを限界まで使い切っているという事だ。

そこに魔晶石を使ってまでも力を行使するという事は。


普通なら自分の限界を知らない、愚か者がやる行為だ。

だがこの魔導士は分かってやっている。

…俺が来たから魔晶石を使ったのだろう。

ヴァイスはククラを抱き上げて、ベッドに寝かせながら考える。


自分が来なければククラは一昼夜気を失って、それからゆっくりと身体を治しただろう。勿論今よりは身体はもっと酷い事になっているだろうが。

それを自分が来たことによって、自分に心配をかけない様に無理をした。


ヴァイスは、寝かしたククラの髪を整える。


…お前は。何という魔導士なんだ。




ククラの店を出てから、ヴァイスは書きかけの書類を完成させるために、魔導士協会に戻った。

トビナが飛んでくるが、ヴァイスの顔を見てほっと息を吐く。

「ククラ君、大丈夫だったんだ…」

「…ああ。明日には元気になるだろう」


「へえ。ヴァイスが誰かの事を気に掛けるなんて、めっずらしいじゃないか」

二人の会話に、別の声が混ざった。

少し高い声の持ち主。

ヴァイスは仏頂面をして、書類をトビナから受け取る。


トビナは苦笑してその人物に声を掛けた。


「お帰りなさい、クレッシェンド。今回はどうだった?」

「は。俺様に出来ない事なんてないよ」

そう言って肩を竦めるクレッシェンドに、トビナは頷いた。

「そうね。あなたには不要な質問だったわね」

「そうさ。…トビナも覚えが悪いよな。もう年かな?」

「…ふふ。そうねえ」

そう答えるトビナに、ヴァイスは感心する。

クレッシェンドは、ヴァイスを見て鼻を鳴らした。


「ふん。今日は失敗しなかったんだな?」

その台詞を無視して、ヴァイスが書きあがった書類をトビナに渡す。

まだ何か言いそうなクレッシェンドの横を通り過ぎて、ヴァイスは協会を出て行った。


「…相変わらず、不愛想だなあ。」

呟くクレッシェンドに、トビナは微笑む。

「…そうねえ」

微笑んでいるトビナを振り返り、クレッシェンドは首を傾げた。





町の中を歩きながら、ヴァイスは自分の胸を触る。

思い出す感情は、自分の中をかき乱す。

眉をひそめてヴァイスは頭を軽く降った。


誰かにそんな事を思うのは初めてで、確かにクレッシェンドの言う通りなのだが。奴の言い方は気に入らない。傲慢で他人を見下している言い方だ。


けれど、多分。

ククラの実力の方が遥かに上だ。

それを奴が気にしない訳がないだろうが。


ククラはどうするだろう。



足元を小さく渦巻いて、風が吹いて行く。

ヴァイスは、明日にはククラが笑っているかが気になった。

…明日、見舞いに訪ねてみようか。


夕日を眺めながら、ヴァイスは家路への足を速めた。


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