桃色の乙女



ククラは自分の空間から魔導書を一冊出して読みだした。

もう食事は終わっていて、二人で紅茶を飲んでいた時の事だ。


フランソワは、思っていた様な展開は無いだろうと諦めて、お風呂に入りに行く。

その展開よりも明日の事が気になって来た。


フランソワは魔導士ではあるが、その実、魔導よりも力技で解決する方が多かった。魔導士としての魔力を身体強化に使う方が得意なのだ。

それがとても強いから、ここまで魔導士として活動で来ていたが、それをバカにする者も多くいた。武芸では勝てても魔導では劣る。


いっそ剣士になれば良かったのだが、魔導の力が少しだけ人より多かった。三流と呼ばれても魔導士でいたかったのは、小さい頃から魔導士に憧れがあったからかもしれない。

魔導の知識も勉強が得意ではないため、他に劣る所が多い。


共に戦うと、見下されることが多かった。その外見と共に。


戦わずに済めばあるいはククラは、今のように接してくれるかもしれない。

それでも長くコンマリに住んで、魔導士協会にずっといるならば。

私の事をもう、こういう風には扱ってはくれないだろうな。

ククラの視線が変わる瞬間を、きっと自分は当分の間忘れられないだろう。


フランソワは湯船に頭まで浸かる。

湯船から大量のお湯が流れた。


外では、凄い水音にククラが腰を浮かしかけていた。

しかし他人の入浴中に入るのも失礼だし。

フランソワが出て来るまで、ククラは不安に思いながらページを捲っていた。


無事にフランソワが風呂から出て来たのを見て、ククラは溜め息を吐く。

そんなククラの視線にフランソワは首を傾げた。


ピンク色の持参のタオルで髪を拭いているフランソワを、ククラがじっと見ている。気にしないようにしながらもその熱いまなざしに、乙女はドキドキしていた。


ククラは目の前で動いている、その筋肉を纏った身体が少し羨ましかった。

何を食べたらあんなに逞しくなれるんだろう。

昔見た彫刻の様なマッチョな身体の人にククラは感心している。

その目線が、とんでもなく勘違いされていることなど思いもしない。


「…あの、ククラ。寝ないの?」

「ん?…もう少し読んでから寝るよ」

勉強熱心なのは素晴らしい。

だけどきっと、私には分からない話も知っていて、きっと別の誰かとは楽しく話すのだろうな。フランソワがじっと見ているのに気付いて、ククラがそっちを見る。

その視線の意味は探らなくても分かった。苦笑を浮かべて本を閉じる。


「…明日は早いんだろうから、僕も寝ようかな」

「え。でも」

ククラが微笑みながら言った。

「本はいつでも読めるから。…一緒に寝ようか」

「……うん」

顔を赤くして俯いたフランソワの頭を撫でて、ククラはベッドに入る。

フランソワがその横に入って来た。


一つしかない上掛けをフランソワに半分掛けてあげて、ククラは目を閉じる。

フランソワは、じっとククラを見る。

その浮かれている心とは別の所で、ひどく感激していた。


何が戦禍だよ。

この子はこんなに純真で人を信じることが出来て。

何よりも真っ直ぐに前を見つめようとしている。


その見る先を守ってやりたい。

私でも俺でもいい。

その困難な道を切り開く手助けができれば。


寝入ったククラを、半身を起こしたフランソワが見下ろしている。

そのまなざしは情熱の色と慈愛の色を帯びていた。

自分の心の変化に戸惑いながら、フランソワは見つめ続ける。


守られたいよりも、守りたいと思う気持ちが強くなるとは。

…私にとってこの相手は、どれだけ魅力的なのだろう。

まだ子供なのに。



「…お早う」

ククラが抱きしめられたまま目を覚ました。

自分の上の顔をぼんやりと見る。

ククラの寝起きの顔は、信じられないくらい可愛い。


フランソワがそう思っているのをあまり気にせずに、ククラはフランソワの腕の中から出る。手慣れたように、するりと下から出て行った。

ベッドの横で大あくびをするククラを、少しだけ不安に思いながらフランソワが見守る。この状況をかわせるなんて、この子はいったい何をしてきたのか。


顔を洗って幾分目覚めたククラが、フランソワに笑いかける。

「おはよう、フランソワ。…朝ごはんを食べたら行こうか?」

「…うん」

こんなに好きになるのは初めてかも知れない。

どんな自分でも好きだと思える。

俺と呼びたくなかった自分の中身さえ、この子には明け渡しても良い気がする。

…泣かしてもみたくなる。


「ん?」

フランソワの視線にククラが笑って問いかける。

黙って首を振るフランソワに、また笑った。

ああ。

本当に駄目かも。これが本気の恋かな。

食事の味が良く分からないなんて事は、フランソワには初めてだった。


宿を出てから気を引き締めようと努力をしたが、その気持ちが逆に体の動きを鈍らせる。訪ねた魔導士への質問も何となく的をえない。上手く考えられないほど恋に夢中だった。


それが隙を生んだのか。

目の前の男の身体が変化した時には、フランソワの腕はもがれていた。

「フランソワ!!」

ククラがフランソワの前に立つ。


魔導士と思われていた男は、真黒な狼の身体に変化している。

その異様な気配は、どうやら本物を引き当てたようだ。

「コール!エンジェルハート!」

ククラがフランソワの肩に魔導を掛けた。

魔導とはいえ、治るのに数秒は掛かる。


その間はどうしても、ククラは魔族に背中を向けなければならない。

その瞬間、ククラに黒狼が飛びかかった。

集中しているククラは気付かない。


ククラの背に迫る魔族の姿を、フランソワが見逃すはずがなかった。

黒狼がその口を胴体にまで広げて、体の半分を口にした。

魔導で出した戦斧を片手に持ったフランソワが、ククラをその柄で押しのける。


ククラの視界が真っ赤に染まった。

自分の身体の前で、フランソワが頭から狼に食われていた。

黒い狼は厭らしく笑いながらその体を咀嚼している。


「う、あああ!?」

自分の声だと気付かずにククラは叫んでいた。

目の前で半身を失った肉体が、地面に音を立てて倒れる。


「…いつの世も人は愚かよな…」

血濡れた口で狼が呟く。


嘘だろ?

此処まで破壊されたら元に戻すのは不可能だ。

嘘だろ?

自分の魔導の知識を猛スピードで探すが答えは無い。

嘘だろ?

何で何もできない。

この姿になったって生き返らせることが出来るはずだ。



黒狼は、ククラをニヤリと笑いながら見る。

「我に、魔導は通じんよ?」

余裕の、その笑みが凍る。


ククラが両手を打ち鳴らす。

「トウトウヤナリヤ、ヤナルハマナカノフタスジノヤミヤ!」

息とともに言霊を吐き出した。

「縛鎖!!」


魔導ではない、その力は黒狼をいともたやすく縛り上げた。

手足の自由を奪われて、黒狼はその場に横になる。

暴れても咆哮しても、それは取れなかった。


「何をした小僧!?」

「うるせえ!!黙ってろ!!」

驚いて叫んだ黒狼にククラが怒鳴り返す。

いまククラの頭の中は、自分の持てる知識をひっくり返してる最中だった。


フランソワの身体の横に膝立ちして、その遺体を見ながら。

ありとあらゆる知識を猛スピードであさっていた。


見た事も聞いた事もない知識が、奥底から出て来た。

これを得た事を知らない。覚えもない。

だがそれは、今のククラには必要だった。


それを行うためには自分の血が大量に必要だった。

ククラは何の迷いも無く、フランソワの戦斧で自分の足を切り落とす。

此処に太い血管があるのを知っているのは向こうの記憶だ。

勢いよく吹き出す自分の血を見ながら、ククラは呪文を唱える。


「ガーテガーヤモリグジナスミニア。デーテルーテナグラジニア。メステルヂュタイムスク、マーデフーテエングレブシア」

全く知らない呪文だった。

だがそれで何ができるかは何故か知っている。


ククラが発した言葉を聞いて、動けない黒狼が驚きの声を上げる。

「何故、人間のお前がそれを知っているのだ。…それは魔族の呪文ぞ」


しかし血を失いながら必死で呪文を唱えているククラには、その言葉は届いていない。

目の前の肉体がもぞもぞと動き出す。

赤と紫と黒。

その光が壊れた肉体を包み込み、形を少しずつ変えていく。


「タヒクレススマヌヒタブレア。ヒカオウスレトムナ。サーデナーデフヴレズヨ」

ククラの息が切れる。

もう一度息を吸って呪文を続ける。

光の色が変わってきている。もう少し。


たのむ。僕の命、持ってくれ。

この呪文を言い終わるまででいい、持て!

「グーテルーデサレンシア。トアステヌルジアナム」


目の前の光が柔らかい白い光になる。

身体を包みんこんだそれは、呪文が終わると風に吹かれるように霧散した。


ククラはフランソワの頬を触る。

触られたフランソワはびっくりして飛び起きた。

「あ、私は…ククラ?」

目の前にククラの苦しそうな笑顔があった。

荒い息を吐きながら、自分を見ている。


身体を起こそうとして着いた手が何かで滑る。

フランソワはバランスを崩して、もう片方の手を着いた。


当然視界は地面を見る。

そこは一面の血だまりだった。


「…え?」

出所を確かめようと視線を動かす。ククラの足が片方なくてそこから多量の血が出ていた。

まだ止まる気配がなく、だらだらと出続けている。

「ククラ!?」

フランソワがククラの間近に近寄る。

自分がククラを見上げた事に違和感をかんじた。

ククラの腕を掴んだ自分の手が細くしなやかだった。


「!?」

「…ごめんね。…残った身体で構成するにはそれしか出来なくて。…本当にごめん…」

ククラが呟くようにフランソワに謝った。

フランソワは自分の身体を確認する。


それは華奢な女性の身体だった。

ククラを見る。

…涙が出る。私は欲しかったけど望んでも手に入らなかった。

それを、この人は。

ねえ、分かってやったの?私を思ってやってくれたの?

自分の命を削ってまで。


ぐらりとククラの身体が揺れる。しかしまだ倒れない。

自分の手で体を支えると、ククラは浅い息を吐きながら言葉を紡いだ。


「夢なきは来よ良さや全ての物立ち行かん。神薙の東風がその身を留めん」

何時もの様に祝詞にはできなかった。

それでもその言葉は魔族を弱めるには十分だった。


「うぐ、貴様は何者ぞ。我をこのように」

黒狼が呻き声を上げた。

既に虚ろなククラが、黒狼の姿をその眼にとらえる。


何故かククラの吐く息が白い。

「…ククラ?」

フランソワの言葉も、もう聞こえないようだった。

ゆっくりと黒狼に手を伸ばす。


『…スベカラクスベテヲスベルアマツカミヨ。カノチヨリジンダイニイタルイマカミヨノチカラヲワガチニヤドシタマエ…』

何時ものククラの声ではなかった。

どこか遠くから響くような幽玄な声がその口から出ていた。


フランソワの目の前で黒狼がククラの身体に吸い込まれていく。

黒狼はクルクルと丸めこまれて、ククラの右足に宿る。

無くなったはずの足は、何でもなかったようにククラに生えた。


自分の血溜まりにククラが倒れ込む。

「ククラ!!」

その身体にフランソワが縋った。

異様に冷たいククラの身体に泣きたくなる。

だけど自分だって魔導士なんだ。

フランソワは自分の使える光魔導をククラに施す。


「コール。サードエディション」

知っている中で一番強い魔導だ。

淡い光がククラを包んでいく。今の身体でククラを抱えられるだろうか。

フランソワは立ち上がり、ククラを抱きかかえた。

腕力は前のままだった。


そのまま、昨日行った医療院に駆け込む。

治療師が目の色を変えてククラを治療し始める。

それを見ながらフランソワは本当に泣き出した。


嫌だ。行かないで。

泣いているフランソワの声に反応して、意識の戻るはずのないククラが口を開いた。


「…フラン…泣か、ないで…」

それはまだ自分以外の者を気にして発せられた言葉。

フランソワは、治療師の魔導が光る部屋で座り込んで泣き崩れた。


嫌だよ、ククラ。遠くに行かないで。

もっと話そうよ。

私の話を聞いて。あなたの話を聞かせて。



治療師が根を詰めて魔導を掛ける。

それは、おそらく光魔導の最上級を何度もかけ続けていた。

治療師の息が上がって来る。汗も床に滴り落ちるほど。

その治療師の手を、ゆっくりと上がった右手が掴んだ。

「…もう、だいじょうぶ、だから、それ以上は、使わなくていい」

ククラが細く目を開ける。


その瞬間のこの世界は、なんと素晴らしく感じた事か。

「ククラ!!」

フランソワの声に、ククラが目を動かす。

目線を合わせてきて、少し笑ってくれた。

それがフランソワには嬉しかった。


治療師がククラの身体を急いで調べる。

確かに施した魔導以上に治っている。

治療師が首を振りながら、ククラを見下ろしている。

ベッドの上でククラは相手に笑ってみせた。



その凄さ。


きっと魔導士とはこういうものなんだ。


フランソワは小さいころから魔導士を目指して、頑張って魔導士になった。

それでもいつも自分との葛藤で手いっぱいだった。


人のために出来る事は何なのか。

探しているつもりでも、自分がままならなかった。


周りの魔導士達もそこまでする人はいなかった。

自分の命が失われても良いなんて。


しかもその相手は別に自分の大事な人でもなく。古くからの親友でもない。

ただ、あったばかりの、ただの知り合いを。


自分の出来うる限りの全てで守ろうと思い、それを実行できる者。

崇高な言葉もなく、説教臭い言い訳もない。


ただ純粋に。


この世界を守る者。



それが、本当の魔導士なのだ。


そのために私達は力を与えられたのだ。





「…ククラ」

フランソワの声に、ククラが細く目を開けて笑う。

「…気分はどうだ?」

しかし相手の容体を聞いたのはククラだった。

そのククラの頬を柔らかい手でフランソワが撫でる。

ククラは苦く笑った。


その感触は自分の罪の一つだと思う。

けれど告げられた言葉はククラの考えとは違っていた。

「…有難う、ククラ。私は今すごく幸せだよ」

「フラン」

そこまで言ったククラの口を、目の前の美少女が手でふさぐ。


「さっきククラがそう呼んだのがとてもしっくりきたの。…私、今日からフランって名乗るわ」

「…そうか」

ククラの戸惑う音律もフランの笑顔に消される。

「ククラ」

「…ん?」

フランは短いククラの返事に微笑む。


「…大好き」

ククラが驚いた顔をしたのがとても嬉しかった。

生きて自分の話を聞いてくれるのがとても、嬉しかった。




今はまだ、どの魔術師も現場の魔術師の家には来ていなかった。

床の上にまだこぼれたままの、乾いて固まろうとしているククラの血を影のような人物が、指先ですくい上げ、その指を舐める。


「…いいな。…この味は」

もうひとすくいして、また口に運んだ。

目を閉じて、ゆっくり味わう。

「ああ。探していた味だ。…さて、容姿はどうだろう?」


黒ずくめの人影がそう呟く。

服も靴も髪も黒い。

唯一の色は、その鋭い目つきの中に光る金色の瞳孔だ。

それは夜の月の色の様に、怪しく光っていた。




コンマリに帰った二人は、魔導士協会で驚きの事実を知る。


照会を頼んでいたミン・マク・リョクから、該当の人物はいないという返事が来ていたのだ。

その話を、カウンターで聞いたククラとフランは顔を見合わせる。


医療院にククラがいる間に、あの男は怪我が治って退院していったのだ。

その事に、フランは何の疑いも持たなかった。


「どう思う、ククラ?」

「…もう一体、別のがいたって事だろうな」

あの町ではその後の被害報告は聞いていない。

どこか別の町へ行ったとしたら。


「…私のミスだ。…出来るだけ気に掛けるようにしよう」

「別の町で同じような話が出たら、疑った方が良いかもな」

ククラの言葉にフランが頷く。


受付の魔導士が報告書を見ながら、フランの顔と書類にある名前を交互に見ている。何度見ても納得がいかないらしい。

そのカウンターにトビナが姿を現した。どうやら交代の時間の様だ。

「あら、ククラ君お帰りなさい。…お姉さんは?」

カウンター越しにククラに声を掛ける。

「お前は何処を見ているんだ。私ならここに居るだろう」

そんなトビナにフランが答える。


トビナは30秒ほど固まった。

そしてククラにゆっくりと首を傾げる。

「……え?」

「ああ。うん。色々有ってさ。…本人だよ」

苦笑を浮かべているククラには、トビナの目が丸くなる様子がよく見えた。


「う、うそおおお!?」

トビナの大声が魔導士協会に響き渡った。


その後、協会側が何度も魔紋や魔力波を調べて、本人と認定されたフランは少し憤慨しながらまた仕事へと出かける。

新しい姿になった事で、組みたがる魔導士が増えた事もフランはうんざりしている。


そんなフランは、出かける前には必ずククラの店に寄っていく。

ククラの顔を見てからでないと、元気になれない気がするからだ。


「じゃあ、行ってくるね」

「…うん。いってらっしゃい」

自分の店から出かけていくフランを、ククラは複雑な気持ちで見送った。

少しの後悔と罪悪感。

そして無償の好意は、どうにも落ち着かない気分になる。


本人は以前よりももっと元気そうで、言われた言葉が嘘ではない事は分かるのだが。それでも許可なく変換したことに、自分の愚かさをつくづく痛感している。


ククラのそんな気持ちは知っていても見ないふりをして、フランは今日も楽しく生きている。







フランの姿を見送った後、店の中へ入ろうとしたククラに、影が落ちる。

その影の主をククラは見上げる。


太陽を背にして、ククラのすぐ横に人が立っていた。


「…ここは、魔導士の店なのか?」

「はい。…何かご依頼ですか?」


その人物は、その両目に金の光を湛えて、微笑んでいた。


「ああ。…君に頼みたい」




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