桃色の魔導士



ククラはそれを見て口を大きく開けた。


それはまさしく列車だった。

向こうの世界で言えば、汽車の類いだろうか。


黒い雲を煙突から吐き出し、大きな車輪からは白い蒸気が上がっている。

黒い蒸気機関車。


ククラは駅らしき高台に、フランソワと二人で立っている。

周りには列車に乗る人達が同じように待っていた。


「…凄いや。僕、ここで初めて見たよ」

「そうか。喜んでもらえたら嬉しい」


そう言ったフランソワを、ククラが首を傾げながら見上げる。

ククラのその視線を何だか嬉しそうにフランソワが受け止めた。


「…この列車を作ったのは、私の父親なの」

「そうなんだ?凄いなフランソワのお父さんは」

無邪気にそう言うククラに、本当に嬉しそうにフランソワは笑った。

ククラはフランソワと連れ添って列車の中に入る。


相向かいの席の作りになっている中は、人が意外に多く乗っていた。

二人は車両の端に、空いている席を見つけて座る。

椅子は綺麗な布で覆われていて、背もたれと掴むところに木があつらえてある洒落た造りになっている。

鉄と木が上手く融合していて落ち着いた雰囲気の車内は、まさに国の自慢にふさわしいものだった。


ククラが窓を開ける。

そこから見える景色がゆっくりと動き出した。

汽笛が鳴り響き、車輪の音がガタゴトと聞こえる。

気持ちの良い風が吹きこんでくる。二人の髪が風で揺れる。


ククラが満面の笑みでフランソワを見た。

フランソワは、その眼を細めてククラを見つめる。


此処にはこんなに発達した文明があるのか。

今迄にない景色にククラは驚きを隠せない。

その少年を、フランソワは微笑みながらじっと見ていた。

列車はガタゴトとレールの上を進んで行く。

ククラは少し落ち着いたのか、フランソワの向かいで資料を見せて貰っている。


町中で不審な影が出没している。

それがどうやら魔族らしいという話が出回った。

町の魔導士が話の真相を確かめるために動いたが、彼は重傷を負って家に籠ってしまっている。

コンマリの魔導士協会にその話を持ち込んだのは、その魔導士の家族だった。


「…本人から話が聞けるのかな」

ククラの呟きにフランソワが、首を傾げる。

「どうだろうな。本人は依頼を良しとは、していないだろう」

フランソワの言葉をククラは考えてみる。

…確かに、依頼は家族からで本人からではない。

「…嫌だったって事かな」

「プライドもあるだろうし、ヤンソンでは結構有名な魔導士らしいから」

ククラを見ながらフランソワが話をする。

プライドか。

ククラはそっと溜め息を吐く。


それは結構重要な問題だ。

気持ちがついていかないと、人は動けなくなるからな。

その人が協力をしてくれないとなると、初めから調べなくてはならない。

前やっていたことに少し似ているが、多分随分と勝手が違うのだろうな。

ククラは資料を捲りながらそんな風に思った。


フランソワは窓枠に肘をついて外を眺めている。

ふと、眼を上げたククラに気付いて、顔を再び車内に向けた。

「大体は分かったか?」

「…うん」

頷くククラに微笑んで見せる。

きちんとした大人な対応に、ククラは少し感じていた不安を杞憂と思う事にした。

それは、少し早かったかもしれない。


「…なあ、ククラ」

「ん?何?」

フランソワは少し言いにくそうに、指先をもじもじと動かしながら口を開いた。

「…その、ククラは年上が相手でも嫌じゃないか?」

「え?何の話?」

急な話題に戸惑いながら聞き返す。


「…こ、恋人とか、さ」

恋人?

「…考えた事ないな」

ククラの答えに、フランソワが少し頬を膨らませながら言った。

「じゃあ、いま考えて」

「え。…うーん」

ククラが腕を組んで考え出したのを、何かを期待するようなまなざしでフランソワが見守る。


「…年は関係ないかな。別に好きになったら上でも下でもいいと思うよ」

真面目に考えたククラの答えに、フランソワは嬉しそうに笑った。

「そうか。…じゃあ、身長が自分より大きい人は?」

「…それは平気。僕が小さいから、そこは何も言わない」

ククラが少し苦笑しながら言うと、目の前の人物はまた笑った。


「え、えっと。その、強い人は嫌かな?」

「強い人?腕力とか、そういう事?」

フランソワが頷くのを見てから、ククラは少し考えた。

「…気にしないかな。そういうので嫌になる事はないと思うよ」

「本当に?」

何だかとても嬉しそうなフランソワに、ククラは頷く。


「じゃ、じゃあねえ。その、えと」

フランソワが顔を赤くしながら、口元に手を当てて躊躇いがちに言葉を選んでいる。ククラはそんなフランソワの言葉を待って、じっと見ている。


ククラのその眼を、うるんだ瞳でフランソワが見返した。

その表情を少し可愛く思えて、ククラが微笑む。

…多分、他意はない。


「あの、私はどうかな?」

「…誰か、好きな人が居るの?」

今迄の話の流れを全く無視した台詞に、フランソワが頬をぷっくり膨らませた。

「あのね、ククラ」

「うん?」

問いかける自分にごく普通に答えるククラを、フランソワはキュンとしながら見つめる。その自分に微笑んでいる顔は、今は自分の物だ。


「…鈍感」

「…え。僕のこと?」

「そうだよ」

フランソワが外を見るようにそっぽを向いたのを、ククラは困ったように見ている。その視線が心地よかった。

フランソワが怒ってはいなさそうなのを確認して、ククラは息を吐く。


え、と。何の話だったっけ?

腕を組んで考えているククラを、向かいの席に座ったピンクのローブの魔導士がちらりと見る。

…一緒に泊まるのが楽しみだ。

ぞわりとした悪寒が、ククラの背中を駆け抜ける。

慌てて顔を上げたククラは列車がスピードを緩めた事に気付く。


駅に着くようだ。高く汽笛が鳴った。

フランソワがその音に目を細めて聞きいってるのが、ククラは少し気になった。




人が入れ替わるように出入りする。

その中で二人はまだ降りずにいた。


「…フランソワのお父さんが、この列車を作ったんだっけ?」

静かな相向かいの席に声を掛ける。

フランソワがちらりとククラを見た後、小さく頷いた。

「…昔の遺産を今風に改造したの。もっと早く便利な方が良いって」

「昔の遺産?」

ククラの疑問の声に、フランソワは顔ごとこっちを向いた。


「…聞いた事が無いだろうか。ガジェットと言うんだ」

その言葉を、どこかで聞いた事があったような気がして悩みだしたククラを、静かにフランソワが見ている。

その視線はさっきとは打って変わって少し沈んでいた。


「…焦土に昔あった国で発達した技術の名前だっけ?」

「近いが正確には違う。…錬金術師たちが創り出した道具の総称だ」

フランソワが少し俯いて、何かを思い出すようにゆっくりと話す。

その姿を、ククラは見ている。


「…昔あったそれは、古い国で人知れず眠っている事が多い。それを発掘しては今の時代に即した物に作り替える。それが今の時代の錬金術師の主な仕事だ」

顔を上げない話し手を、少し心配しながらククラは話を聞く。

「錬金術師がいるんだ?」

「ああ。この国には少数だがいるんだ。…鉄鋼が盛んだからそういったものを使って遺産を組み替えやすいらしい。もっとも、魔導士に比べると開発にお金が掛かるから貧乏人が多いけどな」


そう言って自嘲的にフランソワが笑う。

ククラはその顔をじっと見ている。

「…それが、この列車なのか?」

ククラの問いかけには頷かずに、フランソワが話を続ける。


「とある国から出て来たガジェットは、シップと言う名前の空を飛ぶ船だった。その仕組みを錬金術師たちは必死に解明をしようとした。…けれど断片的な物しか残っていなかったシップを、どうしても作ることが出来なかった」

フランソワが完全に俯く。

いくら身長差があるとはいえ、ククラの眼にも口元しか見えない。


「…仕方なく錬金術師たちは、解明できた技術で国に貢献しようとした。けれどそれを国は良しとはしなかった。…国はシップが欲しかったんだ。…解明を任されていた錬金術師は断罪された。国賊と呼ばれて。…シップの解明には国からお金が出ていたから」

フランソワの口元が歪む。


「…その錬金術師が残した設計図を基にこの列車は作られた。こうやって人々がもっと楽に生活ができるのが、錬金術師の生きがいだからと」

フランソワがククラをちらと見る。

真剣に自分を見ているククラを見て、安心したように息を吐いた。


「…この列車を作るのに、国からお金は出なかった。だから錬金術師たちは自分たちでこれを作るお金を何とか絞り出した。…自分の身体の不具合が分かっても治しもせずに」

「…うん」

ひとこと、ククラが頷く。


「最初に出来たのは地方の町で、そこからすぐに噂になって国がやっとお金を出した。…それからは順調に列車が色々な町を繋ぐように造られていった。…何人かの錬金術師たちの命と引き換えに」

フランソワのローブの上に、煌めく滴が零れる。


「…私はこれを作った父を尊敬している。だが、それを支えた母も本人も命を懸けるものだったのか疑問に思う時がある。…誰一人この列車がそうだとは思わずに使うんだ。二人はそれでいいと言っていたけど、でも」

パタパタとローブに滴が零れる音は、動き出した列車の音にかき消される。

ククラはフランソワの足元に膝を着いて座った。

そして、その手をそっと握る。


「…あなたが知っているんだろう?…それに今からは僕も覚えておける。二人じゃ足りないかな」

そう言って見上げているククラに、フランソワが首を横に振った。

その返事を微笑んで見上げている少年を、まるで王子さまの様だとフランソワは思った。

…何度も言うようだが、ククラには他意はない。


ククラが足元に座ったのは隣に座るスペースがないからだし、泣いている人をほうってはおけないのは元からの性分であって。

しかし、乙女には通じないだろう。

その眼の輝きが増しているのをククラは気付かずに、フランソワの大きな手をまだ握っている。

泣き止んで微笑みが浮かんだのを確認すると、やっと相向かいの席に戻った。

フェミニストも大概にするべきである。


「…町に着いたらどうしようか」

ククラの発言に勘違いをしている乙女は心臓を高く鳴らす。

「え、ええと。…どうしようかって?」

「ん?すぐに話を聞きに行くか、町を調査するか。どっちがいいかな」

かなりがっかりしたが、仕事と割り切るのは何時もの事だった。

だてに何十回もの失恋を経験している訳じゃない。

「そうだな。…話を聞きに行こうか」

フランソワの言葉にククラが頷いた。



何回かの停車の後に、列車はヤンソンの町に着いた。

地方とはいえ、そこそこには栄えている町で、何人かの魔導士が所属をしている魔導士協会があると言うので、二人はそこに向かった。


小さな看板が出ているそこには常駐の魔導士はいなかったが、たまたまいた魔導士に話を聞くことが出来た。

怪我をした魔導士が、結構な実力者だと言われている事。

その魔導士が怪我をした翌日から、町には魔族らしき噂の人物が出なくなった事。

撃退されたはずの魔族の遺骸がいまだ見つからない事。


そしてもう一つ。

その日にもう一人大怪我をした人物がいる事。

その人物は治療院で未だに治療を受けているとの事だった。

ククラがフランソワを見る。

見られた相手は、顎に手を当てて考えている。


とにかく話を聞かなければと、医療院に足を運んだ。

フランソワの思考を邪魔しては悪いと、声は掛けないでククラは寝ている怪我人を見る。ククラの視線を感じて男がククラを見た。

確かに冒険者の様に鍛えられた体をしている。

ギルド員ならば、名前を言えば身元がすぐに分かるから、そうそう嘘も言わないだろう。


「…あなたは何処のギルド員なんですか?」

「俺か?俺はミン・マク・リョクの町、ソンウンのギルド<赤き狼>の所属だ。…コウガイと言う」

ククラはそれをメモする。

その手元をフランソワが見ている。


コウガイと名乗った男は、フランソワをしみじみと眺めた。

その視線に気づいた二人がコウガイを見る。

「…強そうだな。うちの兄貴といい勝負をしそうだ」

その評価は嫌では無かったのか、フランソワがにっこりと笑った。

その笑みにベッドの中で男の身体が硬直する。

「…失礼だな」

「あ、いや。すまねえ」


コウガイが謝るが、目線はククラに助けを求めていた。

…ククラには通じずに、不思議そうな顔をされたが。


「相手の詳しい人相とかは分かるか?」

フランソワの言葉に、男は首を振る。

「変幻している時のことなら分かるが、人型がどんな顔をしているかまでは分からねえ」

「…変幻していたのか。それだとやりにくいな」

そう言って顎に手をやるフランソワは、ククラの視線に気づいて聞いてくる。

「もしかして、変幻が分からないか?」

「…魔族が姿を、元の姿にしているって事であっている?」


ククラの質問に、フランソワはすぐには頷かない。

何かが違っているんだろうと、ククラは答えを待っている。

「変幻とは、魔族が使う擬態だ。自分のもとの姿には勿論なれるが、それではすぐに自分の弱点が相手にばれてしまう。だから他の魔族の形を使う場合が多い。…有名な強い魔族に化けるものもたくさん居る」

「…ふうん。確かに厄介だね」

ククラが納得をして考え込むと、フランソワがコウガイに聞いた。


「何に化けていた?」

「あれは魔族の黒狼だろうな。あの姿はよく見かけるから」

答えられたフランソワは少し唸った。低い地鳴りのような声を出す。

ククラも驚いたが、コウガイは完全にベッドから落ちそうになった。

「黒狼か。…本物だった場合が厄介だな。ククラ、宿を取って対策を考えよう」

「…そうだね、魔導士に話を聞くのは明日でいいかな」

ククラのその言葉に、コウガイが口をはさんだ。


「何だ?他の魔導士が関係をしているのか?」

その言葉にフランソワが不審そうに眼を細める。

「…お前には話は来ていないのか?それとやりあった魔導士がいるはずだが。…一緒に戦ったのではなかったのか?」

「いや。俺は一人で戦ったんだ。…二人なら仕留めているさ」

その言葉にククラとフランソワが顔を見合わせる。


「…別件かな」

「いや、二つもいたらそういう話が来ているはずだ」

ククラの言葉をフランソワが否定する。

そのままの疑問をベッドの上の怪我人に投げかけた。

「お前が戦った後に魔導士が戦ったとしたら、やはり仕留めていると思うか?」

「そりゃあ、あんだけ手傷を負わせたんだ。軽く仕留められているだろうよ」

コウガイの言葉に嘘の響きはない。

魔導士二人は不思議そうな顔のまま、病室を後にした。


ククラが悩みながら歩いている。

その後ろをどの宿にしようか悩みながら、フランソワが歩いていた。

「…やっぱり、魔導士にも話を聞きに行った方が良いかな」

ククラがそう言いだしたのを、フランソワは首を振って否定した。

「魔族の黒狼が本物だったら、まずいから、行かない方が良い」

そう言うフランソワをククラが見上げる。


「…あなたは、魔導士を疑っているの?」

「その可能性が高いと思う。」

肯きながら答えるフランソワに、ククラは首を傾げた。

その可能性は話を聞いてからじゃないと、埋められない気がするけど。

でもこの仕事を、正式に受けているのはこの人だし。

ククラは自分がおまけなのをよく分かっていた。

だから強く否定をせずに、フランソワに頷いた。


「…分かった。…どの宿にしようか」

「え、えっと。…あそこなんてどうかな」

フランソワが指差したのは、何処よりも可愛らしい内装の宿だった。

ククラはそんな所に泊まったことはないが、何となくあれっぽいなあ、と思ったりする。


「…あなたの好きでいいよ。僕はついて来てるだけだし」

「本当?じゃあ、あそこにする」

嬉しそうに歩いて行くフランソワの後ろを、何となく不可解な悪寒と戦いながらククラが付いて行った。


そこは本当に素晴らしい宿だった。

何せベッドが大きすぎる。そして一つしかなかった。

…いやあ。

これはないと思ってたのだけど。

こっちにもあるんだな。それっぽい宿って。

何だかキラキラしている部屋の中を、フランソワは満足そうに眺めている。


ククラは少し疲れながら、そのフランソワを眺めていた。

「…じゃあ、僕は先にお風呂入って来るね」

そう言って風呂場に消えたククラに、フランソワはドキドキしながら熱い視線を送る。

風呂の湯船も確実に人が二人入れる大きさで、ククラはぐったりしながら浸かっていた。


そして少し考える。

コンマリに来て初めての仕事が、結局自分の依頼ではなく魔導士協会からの話になっている事について。

それが嫌ではないのだけど。

もちろん自分一人で生きるわけでは無いのだから、多くの人と関わっていかなければならない訳で。


僕は隠者生活を選ばなかった訳だし。

オンウルで役所の仕事をこなしながら、沢山考えた。

その中に、隠者として人とは関わらない方が良いんじゃないかと考えた事も何度もあった。自分が関わるのは良くないのではと。



ククラは手を伸ばし、自分の白くて細い腕を見る。それから湯気が満ちている空間をぼんやりと見る。

誰かを好きになるとして。それが男の人だったら。僕は納得するんだろうか。

列車の中でされたフランソワの問いかけには無かった質問。

好きになる相手は、男女どっちでもいいのか。


心の話ならそれはイエスだ。

だけど、それ以外がきっと伴うし、僕はそれで嫌だと思っている訳で。


不意に、右目がしくりと痛む。

ククラは右目に手をかぶせて、考えてみる。

…その時になってみないと分かんないよな。何せ、気持ちの話なんだから。


魔導の呪文や計算式の様に、明白な答えは無いのだから。




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