メケメカス 篇

一つを知る男



ククラはそこに立っていた。

意味もなく立っている訳ではないが、そこに立っていてもあまり意味はなかった。


ただ一面の荒野。

ここはそんな場所だった。

何処を見まわしても、その先にも荒野しか見えなかった。

此処はジンライ国の端に当たる。


境界の森からは離れているが、ジンライの主要な都市はもっと海寄りに集中していた。

見える岩場には骨が転がっている。


オンウルの国境の町で聞いた噂では、いまだに内戦をしている国だと言われた。

この大陸のこちら側の国ではいまだに戦争が続いている国が多かった。

ジンライ、ポイソナ。テルーサム、ゲレルゲラル。

どの国も内乱や内戦が多かった。


強い風が吹いてくる。

ククラは溜め息を吐くと、また歩き始める。


砂埃が目に入る。ククラが立ち止まって目を擦る。

不意に後ろでジャリっという音がした。

誰かが後ろにいる。しかも、ククラの真後ろに立っていた。


「…よお、坊主。お前煙草は持ってねえか?」

ククラは後ろを振り返らずに、首を横に振る。

声は随分高い位置から聞こえた。

「そうか。…それじゃあ仕方ねえなあ」

ククラの首に固い刃物が当たる気配がした。

「金は持ってねえか?」

「…あるけど、あげる程は持ってないよ」


ククラがはっきり言うと、後ろの人物がぶふっと吹き出した。

「お前、今、自分がどんな状況か分かっているのか?」

「…うん。分かってる」

「…へえ」

後ろの声が面白そうに呟いた。

「死ぬかもしれないって分かっているか?」

「…それはないから大丈夫」


「はあ?」

後ろの声がひどく驚いた風に言った。

ククラは刃物を気にせずに後ろを振り向いた。

当たっていた刃物でククラの首が薄く切れる。


「おいっ」

正面を向いて見えた大きな男が、慌てたようにククラの首を触ろうとする。

「…自分でやったんだろう?」

ククラが冷静に返すと、男はまた驚いたように息を吐く。

指先を少し動かしてククラが傷を治す。

目の前で傷がくっついていくのを男は目を開いて見ている。

それからククラの顔をしみじみと見つめた。


「…お前、魔導士か」

「そう」

ククラは男を見るために顔を随分上げなければならなかった。

大きなその男は、ククラよりも40ミメルは大きいだろう。

日に焼けて傷がたくさんついた顔をしていた。

ククラが眺めているのを、目を細めて見返している。


「…へ。お綺麗な顔をしてんなお前は」

ククラがムッとしているのを気にせずに、男はナイフを構えて呟く。


「…んだよ」

「そんな面じゃあ、男にモテてしょうがねえだろ」

ククラがひどい目線で見ているのを気にしないで男はククラの顔を撫でようとした。

その手を強く払う。

男は払われた手を振りながらにやにやと笑った。


「可愛らしい事で」

ククラはその場を離れようと後ろに下がる。

だが男はナイフを構えたまま目を合わせ、うすら笑う。


「何の用だよ」

「どれだけお前は気が抜けているんだ?俺は敵だぜ?」

「敵?」

「そうさ、魔導士さんよ。お前は今、命のやり取りをしているんだぜ?」

その言葉に、今度はククラが薄く笑う。

ククラの顔を見ていた男が身構える。


「魔導士相手に何を言ってるの?」

不思議そうな口ぶりに、男の方が鼻白んだ。

杖も持たず、魔導書を抱えている訳でもない。

しかし、その少年は、笑って立っている。


「お前魔導士なんだろう?何で魔導を使って俺を払わないんだ?」

「僕、剣も使えるよ?」


何でこんな会話しているんだろう。

少し不思議に思いながら、ククラは答える。


「ほお」

男がナイフを振りかぶって走り込んできた。

ククラはそれを躱して、右手に剣を召喚して目線を合わす。

男はククラの手に現われた長剣を見て、嬉しそうに笑う。


「自衛できるのかい」

「何だよ、それ」

剣を打ち込むと、男も器用にそれを避ける。

ナイフと剣では打ち合わすことが不利だと分かっているのか、刃を合わすことはしない。


「…暴力を振るう者ならこうやってお前を手に掛ける。お前は何で魔導を使わない?」

「魔導を使うほどじゃないから」

「俺を舐めているのか?」

そういう訳じゃないけど。

男がナイフを仕舞わないので、ククラも剣を仕舞えないだけだ。


「なあ、何の用だよ」

「さあな」

物取りにしては、この男はしつこい。


「お前が甘いからだよ」

男がまた話し始めたので、片足に力を入れたままククラは話を聞く。


「甘い?どこが?」

「魔導なら一撃で俺を殺せるだろう?」

「そんな事は」

「…じゃあ、もしもお前の大事な人が殺されそうな時に、お前はその相手を討たないのか?」


ククラが、ぎくりとして男を見た。

男は、おやっという顔をしてナイフの構えを下げる。

「…僕は…」

「へえ。思ってたよりは修羅場をくぐっている訳か」

「本当になんなんだよ、お前は」

ククラも剣を下げる。


「…力が有るのなら振るうべきだ」

「…分からない、何でそんな話を」

本当に困ったようにククラが言うのを、男はじっと見ている。

この男には何か理由があるはずだ。

僕に話をする理由が。


「お前が魔導を使わなかったばかりに、誰かが死ぬかもしれない」

ククラは男を黙ってみている。

「その時に後悔しても、何も帰らない」

「そんな事は知っている」

赤の他人に言われなくても。


「危険だと思うなら、一撃で仕留めろ」

え、辻説法の人?

ククラの混乱している顔を見て、満足したのか男はナイフを仕舞った。

男はククラをじっと見る。


「…日が暮れる前に家に来い」

「へ?」

ククラの気の抜けた返事に男は笑った。

「ここから先に当分町はない。…近くの町はならず者しか住んでいない。お前が行ったらすぐにおもちゃにされて終わりだ。俺と一緒ならそういう事もない」

「…信用して良いのか?」

ククラも剣を仕舞って、男に尋ねる。

男はにこやかに笑った。

「それはお前が決める事だ、坊主」


結局、ククラは男について来た。

探査の魔導でこの先の町が、遥か先にある事が分かったからだ。


男の後ろに着いて町に入る。

町に入った途端に口笛を吹かれたり、触られたり、男と交渉が始まったりした。

随分高い値段も言われていたが、男は全てをやんわりと断ってククラを自分の家に連れ込んだ。


「ああ。面倒くせえな」

家にはいった途端に、男が頭をぼりぼりと掻きながら悪態をついた。

ククラはそりゃあ悪かったね、と思いながらその家の中を見まわす。

男が一人で住んでいるには随分と綺麗だった。


「…案外、綺麗好き?」

「バカかお前は。…文句を言う奴がいるんだ」

「へえ。僕はその人に断らなくって良いのか?」

ククラがそう聞くと、男は苦虫を噛み潰したような顔をした。

そして。


「…すぐに分かる」

そう言った。

ククラは腑に落ちなかったが、家主のいう事に口出しも出来ない。


簡単な食事を貰った。

案外と男の料理はおいしかった。

その後に男は自分のベッドを示したが、ククラは丁寧にお断り申し上げた。


「…じゃあ、こっちだ」

そう言って男がもう一つの部屋を開けた。

その部屋は随分と使われていないような気配で、ククラは少し困った顔になる。

「…この部屋って?」

ククラの質問が、あらかじめ分かっていた様に男が答える。


「…弟の部屋だ」

ククラが部屋の中に入ると、男は部屋に明かりをともした。

部屋には魔導士のローブが掛かっている。

壁にかかっていたローブはあまり使われていなかった。

黒い光沢のある布に金糸の縁取りがしてある。大人用の物だった。


ククラがしみじみと見ていると、男が口を開いた。

「弟は魔導士だった」

ククラは男を見る。

男はドアに凭れかかって話を続ける。


「…気の優しい奴でな。自分よりも他人の方が大事だなんて抜かしていた」

ククラはじっと男を見ている。


「俺みたいな乱暴者とは違って誰にでも優しかった。…おかげでいろんな仕事を貰って魔導士としては繁盛をしていたさ」

男がローブを見る。つられてククラもそのローブを見た。

「…でもある日、弟は酷い姿で帰って来た。…この町にならず者が集まってきていた時期だった。あいつは」

男がククラを見る。

ククラは真剣に男を見返す。


「…お前みたいに優しい顔立ちをしていた。母さん似だったしな。…それからはそういう事が良くあるようになった」

男が下を向く。

ククラはそんな男を見ている。


「それでもいいと弟は言った。…俺は嫌だった。良いと言いつつも弟は心のバランスを崩していった。俺は見ているしか出来なかった」

男は顔を上げない。


「ある日弟はこの町を出て行ったきり帰ってこなかった。俺は必死になって探した。…見つかった時に弟は物言わぬものになっていた。男たちに散々使われて逝っちまったんだ」


男が顔を上げる。

ククラはその視線を受け止める。

「…自分が他人にどうされても良いと思うのは本人の勝手だ。

だが、そいつを思ってその身を案じている者の気持ちは、どうしたらいいんだ?

そいつに幸せになってもらいたいと、周りが思っているのをそいつは気付かないのか?

何で、他人に優しくするならその十分の一でも、自分を大事にしてくれないんだ?そうして欲しいと思う者がいるのに!?」


男は一息にそういうと、口を閉じた。

「…うん。そうだな」

ククラの呟きが部屋に響いた。

この男が僕にかまったのはそういう理由だったのか。


「…お前も実力はあるんだろうが、せめて考えて欲しい。…嫌なら魔導を使ってでも嫌がってくれ。お前を思う者はそれできっと安心するから」

「…考えてみるよ」

ククラがそういうと男はほっと息を吐いた。

「…これから必要になるだろう。この部屋の物は持って行ってくれ」

「え!?何で、だって弟さんの思い出の品だろう?」

ククラが焦って答えると、男が笑って嘘のような話をした。


「俺は明日いなくなる。ここももう用済みなんだ」

「いなくなるって、どこかへ行くんだ?」

それなら持って行けばいいだろうとククラが思うと、そのククラの気持ちを察したように男が笑った。


「…俺は明日、弟の所へ行く」

「……え?」

ククラの声に男は、また笑う。


「…俺に魔導は使えない。ただ一つできる事は自分のその日が分かっている事だけなんだ。生まれた時から俺は明日を知っていた」


聞かされたククラはただ茫然と男を見た。


そんな事があるのか。

それはどんなに絶望的だろう。


ククラの視線に気が付いた男が苦笑を浮かべる。


「…持って行ってくれ。今日お前に会えたのはきっと弟の導きだ」

ククラの視界が不意に歪む。

それはあんまりだろう?そんな出会いなんてないだろう?


ククラに男が近寄ってその頭を撫でた。


「…なあ」

そう言ってククラの顔を覗き込んだ。

ククラは男の眼を覗き込む。嘘のない綺麗な黒い眼があった。


「…自分を大事にしろ。何よりもとは言わない。せめて、暴力には屈しないでくれ」

「…分かった。…約束する」


ぽろぽろと零れるククラの涙を、男は丁寧に拭った。


男は弟の机に近寄ると、鍵のついた引き出しの鍵を開けた。

そこから、綺麗な丸いカードを出す。


「…何、それ」

「弟が使っていた占い用のカードだ。…何でも先祖代々の物らしい。良く見えると言っていた」

男がククラにそれを手渡す。

それを両手で大事そうにククラは受け取った。


裏側は薄茶色のクッキーのような模様をしている。

表には色々な絵が描いてあった。確かに強い魔力を感じる。


「…この中も本も全部持って行ってくれ。俺がいなくなったら他の奴が入ってきて売られちまう。…それなら魔導士に使ってほしい」


ククラがこくりと肯くと、男がそれは嬉しそうに笑う。


「…あなたの名前を聞いてないよ」

ククラがそういうと男は首を横に振った。

「名前はいい。俺も弟ももうこの世界に融け込むんだ。…名前は誰にも覚えて貰わなくていい」


何でそんなに、潔いのか。

ククラの顔を見て男が笑う。


「…最初はすまなかったな」

「…本当だよ。どんな悪人かと思ったよ」


男が笑う。


「俺は悪人だろ。…今だってお前を泣かしている」

「…悪人の為には僕は泣かないよ」


ククラがそういうと男は照れ臭そうに笑った。

男の話を聞いてククラは自分の行先を決めた。

ゲレルゲラルは国民になるのに随分な手続きが必要らしい。


それなら鋼の国を目指せと男は言った。

そこはまだ魔導士が不足をしていて店を開くのには良いだろうと。


いなくなった弟の為に仕入れていた情報だったらしい。

ククラがそうすると頷くと、男は無駄にならなかったなと笑った。


ククラは結局、この日は眠らなかった。

男と過ごす時間が少ないのに寝るのは勿体無かったのだ。

「…ばかだなあ、お前は」

男は、そう言って笑った。




翌朝早く、全ての物を貰ってククラはその家を出た。

男がそうしてくれと言ったのだ。


黒い魔導士のローブに身を包んで、ククラはその町を後にした。

弔おうかとも思ったが、それはあの男が嫌がるだろうと思った。


男は町はずれまでククラを送った後にいなくなるのだろう。


荒野の強い風に黒いローブが翻る。

確かにこの出会いは、彼の弟の導きだろうとククラも思った。


ククラは一路、鋼の国メケメカスを目指した。




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