贖罪の日々・4



翌朝、役所に現われたククラは随分と疲れた顔をしていた。


ククラがここに来るようになってから、毎日ククラの顔を見続けている受付のエメンダはひどく心配になった。

最近は口もきいたりしている。

話してみるとククラは、最近こそ笑わないが普通の少年だった。


強い魔導力を持っている事を除けば、自分の弟たちと何ら変わりがなかった。

だから少し気にかかるし、大体、弟たちよりはるかに可愛い顔をしている。

可愛がりたくなるのが女としては普通だよね。


それにククラ君は構うと面白可愛いのだ。

エメンダはそんな事を思っていた。

なのに今日のククラは朝から酷く疲れて塞いでいた。


「どうしたの、ククラ君」

カウンター越しに声を掛ける。

「ん?…何でもねえよ」

ぶっきらぼうな口をきいてククラが答える。

その口調には元気がなかった。

「そうお?」

「…うん」

エメンダが聞いても俯いて肯くだけだ。


これはおかしい。

エメンダはじっとククラを観察する。

カウンターに寄りかかって、トラスを待っている。

何時もならこの時間にククラと話すのだが、今日は話しに付き合ってくれそうもない。

トラスの足音がする。

ククラがびくりと身を竦めた。それから、そろそろと息を吐き出してギュッと口を引き結んだ。何か覚悟を決めた顔をする。


ククラが顔を上げてトラスを見る。

つられてエメンダもトラスを見た。

ククラの顔を見た瞬間のトラスの顔を見てしまった。


それは筆舌に尽くしがたいほど醜悪な顔をしていた。


ククラはその顔を見て手をぎゅっと握る。


やばいよこいつ。

エメンダは自分の同僚に恐怖を感じた。

それと同時にククラの危険を察知した。

どうしよう。

エメンダの方を見た時にはトラスは普通の顔をしていた。

それでもエメンダは今見た顔を忘れることが出来ない。


二人に書類を渡しながら、エメンダは必死で考えている。

役所から出て行く二人を見送りながら、エメンダはなるべく早くトラスをククラから引き離す方法を考えていた。

あのままじゃククラ君が壊れちゃう。

そんな確信めいたことを思い込んで。


何か、いい方法がないかな。





ククラは木に縫い付けられたまま、けらけらと笑っていた。

何で自分が笑っているのかさえ分からない。


ただトラスの手に抱きかかえられている子供が生きている事を願った。


今日は普通の農地の開発だった。

山を少し崩して畑にすればいいだけだった。

最近はククラに直接会って話を伝える人も出て来ていた。

その方がより正確に魔導を使えるだろうし、ククラは話してみると怖くはないし話がきちんとできる相手だと、今までの仕事の中で密やかにしかし確実に伝わっている。

今日の人もそうだった。


ククラと話をして魔導を掛ける地域を指定した。

近隣トラブルや他の苦情はないかとククラが聞いてきた時には随分感心をした。

為政者に言われて嫌々やっていたと言う噂が本当だったのだなと、その地主はククラに対する認識を変えていったのだ。


今だって、自分がトラスと話している間に自分の孫と遊んでくれている。

ククラは孫がからかっているのを、苦笑しながら受け答えをしていた。

そうやっていると普通の少年だった。


「…今度は普通に遊びに来ると良いよ」

にこやかに地主が言うと、ククラは顔を真っ赤にして小さく肯いた。

その孫が嬉しそうにククラの腹にぶつかる。

ククラは屈んで笑いながら、その子をぎゅっと抱きしめた。


そうして話が決まったあと、手を振りながらククラとトラスが山の方に向かうのを見送った。足元に居るはずの孫がいない事に地主が気付いたのは、しばらく時間がたった後だった。




ククラは緑の魔導を続けて使った後で酷く息を切らせていた。

「コール。エバーグリーン」

使い慣れた魔導を掛けて、その場は終わるはずだった。


大地を一面の緑が埋めていく。

削った場所は何も落ちて来ない様に固めてあるし、雨がひどく降ってもなるべく崩れない様に角度も考えた。

ククラは魔導をかけ終わった景色を眺める。


よし。出来る限りのことはやった。

ククラはまだ整わない自分の息に、少し閉口しながらトラスを見る。


そこにぐったりとしている子供がいた。

その光景を見た瞬間に時間が止まった気がした。

子供はぐったりとしてトラスの腕の中にいる。


「…ど、うしたんだよ、その子」

ククラはトラスに近寄りながら、そっと手を伸ばす。

トラスは動かずにククラがその子を触るままにさせている。


まだ生きている。

ほっとしたククラの前でその子供が何かを吐いた。

地面にびちゃりと落ちたそれは白くて落ちた後も蠢いている。


「え。まさか」

ククラはその子の顔を見る。

顔には赤い斑点が浮いていた。魔法の蟲に侵されている。

内臓に入り込んだそれは暫く体中に納まっているが、時間がたつと中を食い破って外に出て行く。魔法の中でも邪法だったはず。


ククラはゆっくりとトラスを見上げる。

魔法使いはククラの顔を見てにっこりと笑った。


「治すぞ」

ククラが言ってもトラスは笑みを崩さない。

「…さすがのお前でも魔法をかけ続けている俺の手の中の物を、治し続けられるかな」

そう言ってトラスが見下ろしている。

ククラはどうしたらいいのか分からずに、子供を抱えているトラスの手を掴む。


それを目を細めてトラスが見る。

「…お前が代わりに受けるならこの子供から抜いてやる。その代りお前は治さない事。それでいいか?」

ククラは迷う事なく肯いた。

トラスはその子供に口を付けて口から直接蟲を吸い上げる。


子供の顔から斑点が薄れていく。

しかしどこまで蟲が浸食したかが分からない。

早く治してやりたいが、そのためにはトラスの気が済まないといけないだろう。


顎を持ち上げられる。

多量の蟲が喉を圧迫して流れ落ちていくのが分かる。

尋常ではない物量が喉を通る。

ククラは自分で喉を鳴らして飲み込んだ。


蟲を全てククラに流し込んだ後に、トラスは愉悦にうるんだ目で、ものの1ミメルの距離からククラを見ている。

蟲が動いてククラが屈んだ。

それが気に入らないトラスは、自分の剣でククラの鎖骨の下を貫いて木に縫い付ける。


もう一本の剣を何処からか出してきてもう片方の鎖骨の下に刺す。

ククラは何かの標本の様に木に縫い付けられたまま、蟲に身体を侵食されていく。


トラスが紙に書かれた魔方陣をククラに張り付けた。

それが何かを見極めることがククラにはできない。

貼られたそれはトラスの短い呪文で発動する。


綺麗に魔法陣が光った。

こんなに苦しいのに自分はトラスの魔法の手際の良さに感心している。

ククラは苦く笑う。何処まで馬鹿なんだろう僕は。


「…あ…ぐっ…」

身体の中を蠢いて行く感覚が強くなる。

その内、中で何かが破れるような音がした。蟲が神経を食い破る。


「ああああああっ!!」

さすがにククラが声を上げる。

トラスはうっとりとそのククラを見ている。ククラの喉が枯れるまで絶叫をしてもこの山の麓には誰もいない。

余りの痛みで思考が定まらない。

ククラはほとんど何も考えられなくなっているように見えた。

トラスがククラに向かってまた強要する。


「笑えよ、ククラ」

ククラは涙がボロボロと流れる目でトラスを見る。

「…そしたら、その子を、助けて、くれる?」

子供の様に聞いた。

そのククラに子供を抱えたままトラスが近寄る。

すぐ傍に立ったトラスをククラが見上げる。


「…ああ。俺の為に笑えククラ。…そうしたら助けてやる」

ククラはこくりと肯くと、耐えきれないようにくすくすと笑いだした。

まるで笑いたかったかのように。

「…いいな、お前は…」

笑っているククラを見ながらトラスが呟いた。

酷く興奮をしているのはその顔を見ればわかる。

ククラに触れようとして子供が邪魔だと思った。

足元に置いてククラに触れる。

中から蟲が食い破って出て来ているのに、ククラはけらけらと声を立てて笑っている。


「…すごく、いい…」

ククラの喉元に口づけようとした。

その時ククラの視線が、じっとトラスを見る。

トラスの動きが止まった。


次の瞬間には木には2本の剣だけが刺さっていた。

急いでトラスが振り向くと、ククラが子供を抱えてその手を魔導で光らせていた。

トラスはしばし呆然とその場面を見てしまう。

ククラはまだその体から蟲が出てこようと沢山の頭が蠢いているのを気にせずに、集中して魔導を駆使していた。


そのまま子供を転送の魔導で送り返す。

手を組んで祈るように頭を下げた。

これはやばいな。ぞくぞくする。

トラスはそう思ってククラから目を離さない。


ククラはトラスを見ながら立ち上がると、指先を器用に動かして自分の中から蟲を追い出す。瞬間で蟲が全て外に出て地面に叩きつけられた。

動いている蟲など一匹もいない。

ククラがペッと地面に血を吐いた。

トラスを見ながら手の甲で口を拭う。


その眼は静かに怒っていた。


「…どういう事だ、トラス」

その声に、今までとは違う感覚が背中を降りていくのをトラスは感じた。


目の前に対峙しているのは、この国きっての魔導士、ククラだった。


「…子供を巻き込むなんて、どういう事だ」

ククラが静かに言う。

しかしその声はあたりに響くほど強い声だった。


トラスはわずかに自分の呼吸が震えているのが分かった。


どうして自分は忘れていたのか。

この相手はこの国で誰も敵う相手がいないとまで言われた魔導士だという事を。



「…お前が僕を気に入らないとして、その感情を僕にぶつけてくるなら仕方がない。お前はこの国の人間だから」


ククラが一歩前に進む。

トラスは一歩下がった。


「…だがあの子は何の関係も無いはずだ。…何故こんな事をした?」

その声は強く力を帯びている。

本物の魔導士の声とはこういうものなのか。トラスは場違いに思っている。


「答えろ、トラス」


ククラがトラスの名を呼ぶ。

その言葉そのものがまるで呪縛の様にトラスをその場に張り付ける。

ククラが近づいて来ても、トラスはもう一歩も引けなかった。


「…お、俺は」

トラスは自分の声が情けなく震えているのが分かった。

しかしそれを直すことは出来ない。

それどころかこの空間で自分に出来る事は何もないと気付く。


今この世界を支配しているのは目の前のククラだった。


「う、あ、ゆ、許してくれククラ…」

膝が震える。まともな声が出ない。冷汗が止まらない。

トラスは座り込んでククラを見上げる。


ククラは揺るがぬ目でトラスを見下ろしていた。

その右手が緩く上がる。


「うわああ!!」

トラスは自分の頭を抱えて目をつぶった。

この後に訪れるのはどんな恐ろしい地獄か。




「…ど、どうしたの、トラス?」

エメンダの声がした。

トラスは抱えていた自分の頭をそっと離す。

そこは役所のカウンターの前だった。


「う、あ、あれ、ここは」

きょろきょろとトラスがあたりを見まわすのを、周りの同僚が不審そうに見る。

「…疲れているんじゃないの?早く帰ったら?」

エメンダがそう言ってサインが書かれた書類に、何時も通りポンとハンコを押した。

トラスが左側に目線を落とすと、カウンターに肘をついて頭を支えているククラがいた。ちろりと目線が合う


「うあ」

トラスが息を飲んでククラから離れる。

役所の中がシンとする。

ククラがついていた肘を離してカウンターに寄っかかる。


「…帰れよ」

低い声でククラが言った。

トラスの動きが止まっているのを皆が見つめている。

「…次はないぞ」

ククラの言葉にトラスが激しく肯くと、そのまま慌てて走り去った。

その背中を見送ってククラが深く溜め息を吐く。


「…どしたの、ククラ君」

エメンダが恐る恐るククラに聞く。

「ん。…あいつがポカしたんだ」

「ええ?本当に?」

エメンダがおかしそうに笑う。

その顔を見てククラは苦笑を浮かべた。


エメンダの笑い声で役所の中の嫌な雰囲気は払拭された。

皆がそれぞれの自分の席に戻っていく。中にはエメンダに釣られて笑っている人までいた。


女性はすごいな。

敵わないという様に、ククラは首を振った。




「でね、そういう事なのよ」

次の日役所にいったククラに、エメンダがそう告げた。

ククラは少しぼうっとしながらエメンダに頷く。


昨日の今日で何かが変わるわけでは無いと、ククラは思っていた。まだトラスと仕事をしなければならないと思っていたのだが。


しかし、エメンダは早急に手を打たねばと思っていた。

だから昨日の午後には上司に申告をしていたのだ。

つまり、ククラはもう一人でやらせても平気だろうと。


ククラの噂は上々で、役所としても鼻が高かった。

確かにもうお目付け役は要らないだろうと思われた。

それに加えて、昨日の夕方の話だ。

トラスがククラの足を引っ張るのでは本末転倒であると、上も判断をしたとエメンダが笑って言った。


まじ、すごいな。

ククラはエメンダを見ながらそう思う。

女の人ってすごいや。


「だから今日から一人でやる事になるんだけど、大丈夫かな」

笑って言っているエメンダにククラは頷いて見せる。

ククラが笑うとエメンダはびっくりした顔になった。

「…ククラ君」

「え?」

何かまずい事をしたかとククラが眉根を寄せると、エメンダがばちーんとククラを叩いた。


「てっ!?」

いきなり叩かれてククラはぴょんと飛び上がる。

「いやああ!かわいすぐるうう!!」

エメンダが真っ赤な顔で叫んでいるのをククラは呆然と見た。

「…いや。喜んでもらえたなら、何よりで」

ぼそりと言ったククラに、全力でエメンダが肯いた。

首を傾げながら役所を出て行くククラを、エメンダは全力で手を振って見送った。


移動の時も自分一人なら転移が出来た。

ククラは何だか少し楽になっている自分に気付く。

依頼の数が減ってきているのが分かって来たのは、それからさらに3か月がたった後だった。

丸1日休める日が増えてきた。


ホクトの出産日にも駆けつけることが出来た。

ククラは生まれたての赤ちゃんなんて初めて見たのだ。

キダチェクもアガタもとても幸せそうで、ククラもすごく嬉しかった。

ホクトが、そっと触るククラの指をその手でぎゅっと握った。


その小さい手が幸せであるようにと願った。


この国がこれからも平和であるようにと願った。


そのためには自分が、この国を出なければいけないと思う。


ククラはそんな気持ちで此処を出ようと思ってはいなかった。

けれど強い魔導士はこの国にまた不和を生むだろう。

此処はもっとゆっくりと発展して欲しい。


ククラは、そう思っている。


季節はまた秋に入ろうとしていた。




その日は快晴だった。

ククラは目を覚ましてゆっくりと伸びをした。


起き上がって洗面所へ向かう。

顔を洗って鏡を見る。

ククラが頷くと鏡の自分も、うんと頷いた。


朝ごはんを食べて食器をかたづけた。

ベッドを綺麗に直して掃除をした。

来た時と変わらぬように、家の中を整えた。


ドアを開けて中をもう一度見る。


それから外に出た。



町は何時も通りにぎやかで美しかった。

ククラは目を細めながら町の中を通り過ぎる。もう誰もククラを注目している人はいなかった。

この国の脅威は過ぎたのだ。


噴水は煌めき、さまざまな人種の住人がにこやかに笑っている。

通り過ぎる旅人も一息を吐く、草原のオアシス。

美しきみやこ。オンウルの中央都市。



居るかどうかは賭けだった。

全く連絡はしていなかったし。

今朝、起きた時に決めた事だから。


ククラはその家へ向かう。

居なかったら頭だけ下げていこう。そう思って足を向けて行ったのだ。


けれどククラはその家の前に人が立っているのを見つける。

こんなに朝早いのに。


その人はそこに立ってククラを待っていた。

じっと見つめながら近寄り、その人の前に立つ。


「…おはようございます、アガタさん」

「おはよう、ククラ」


微笑んで立っているその人に、ククラはたくさん感謝の言葉を伝えたかった。

けれど言葉は出て来ない、喉の奥で蓋をされたように。

どの言葉でも足りない気がした。


アガタをじっと見つめたままククラは動けない。

動かないククラを、微笑みながらアガタも見つめている。


「ふふ。どうしたの、ククラ?」

「…アガタさん、僕は」


そのククラの口をアガタがそっと顔を近づけて押さえた。

ククラは全ての言葉を失う。


「…また、いらっしゃい。いつでも歓迎するわ」

「……はい」

ククラの頬を撫でながら、アガタが呟くように言った。

そっと答えてククラは肯く。

ククラはそこを離れがたく思ったが、何も言わずに踵を返して歩き出す。

アガタもそれ以上は何も言わなかった。


少し歩いた後で振り向くと、小さく見えるアガタが手を振った。


ククラも大きく手を振り返して、また背を向ける。

もう、振り返らなかった。


どうか、お元気で。さようなら。


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