贖罪の日々・3
家に帰ってからも気分が優れなかった。
…そうだよな。
僕の無罪放免は、政治的な口実で。
重犯罪者なのは変わらないんだよな。
ククラは自分の家の中で、台所にあるアガタの料理を目にする。
なぜか泣けて来た。
自分でやっといて、泣くなんて卑怯過ぎるだろ。
ああ。でも自分の意識がない時にいいようにされるのはきついな。
…怖いな。…誰も信じられなくなりそうで。
ククラは椅子に座ってその料理の前で、身体を震わせながら泣いた。
役所から出される難題は、日を追って増えていった。
ククラはくたくたになりながら、毎日それをこなしていった。
今迄に習得をしていない部類の魔導を使う事が多かったが、それをぶっつけ本番で行使して、夜に家に帰ってから魔導書を読み返して自分の物にする。
延々とそれを繰り返した。
1日に3件の依頼をこなす時もあった。
そんな日は流石に家に帰ってから、ククラは自分の魔導力が底をついている事を自覚する。それでも嫌とは決して言わなかった。
必死になって繰り返す贖罪の日々。あがいてあがいて、それでも答えは出ない。
「…大丈夫か?」
トラスがククラの顔色を見ながらそう聞いてきた。
「…ん。平気だ」
ククラは前を見ながら、そう答えた。
あの日からククラは一切笑わなかった。
それは自分のせいだろうとトラスは自覚をしている。
だが、この3か月の間、謝るタイミングがなかった。
紙にサインをするとククラはすぐに家に帰るし、仕事量が増えてきた分、会話も減ってきていた。
ククラはいつも前を向いて、無言でトラスの隣を歩いている。
移動の馬車の中では大抵うたた寝をしていたし、それを起こしてまでする話でもないとトラスには思えた。
しかしトラスはずっと心の中に抱えている事が嫌になってきた。
一言、謝ってしまえば良いだけじゃないか。
そうすればまたククラが笑える様になるだろう。
それでも今日も、仕事を終えたククラは足早に役所を出て行く。
トラスは今日に限っては、ククラに言ってしまいたかった。
初日のあの笑っているククラを知っているだけに、この日々は罪悪感で埋められていた。早くあの子を自分の言葉から解放してやりたい。
今日までの日々はどれほどつらかったろう。
だから帰るククラの後を追った。
その日に限ってトラスの知っている、帰宅する道をククラは帰らなかった。
ひとりで町の住宅街を歩いて行く。
トラスは追いつこうとするのをやめた。
いつも仕事と家の往復しかしていないククラが、何処に行くのかに興味がわいてきた。
ククラに気付かれない様に後を付けていく。
「…あ」
ククラが嬉しそうな声を出した。
その声をトラスは久しぶりに聞いた気がした。
住宅街の一軒の家の前で女性が立って待っていたようだ。
ククラが小走りに近寄る。
「久しぶりねククラ。待ってたわよ?」
「…はい。お待たせしました」
ククラが頭を撫でられて嬉しそうに笑っている。
その満面の笑みに、物陰のトラスは知らないうちに不愉快になった。
トラスは何だか自分がひどく傷つけられたような気がした。
あんなに悩んでいた事が馬鹿らしくなった。
ククラは仕事以外の時はそうやって笑っていたのだ。
自分が言ったから自分の前で笑わない様にしているだけなのだ。
何だそうか。
あの発言で随分傷ついたのではないかと心配をしていたが、ククラには全く関係がなかったのか。
女性と家の中に入っていくククラを見ながら、トラスはそう思っている自分の気持ちを形を変えて納得させる。
あれに同情をしてはいけない。
あれはこの国を壊そうとした犯罪者ではないか。
その心は黒く歪な形になっていく。
トラスは物陰から出て家に帰る。
ククラが笑った顔を久しぶりに見た事が、怒りに変わっていることなど分からなかった。ましてそれが、自分に向けられたものでない事に怒っているとは思いもよらない。全てククラが悪いせいだと思った。
あんな顔で笑うククラが悪い。
ククラは緊張しながら、キダチェクの家に入った。
ずっと待たせていた約束を、今日やっと果たしに来たのだ。
「…決まったのね?」
アガタが微笑んで聞いてくる。
そのお腹はもうずいぶん大きくなっていた。
「…はい」
ククラが頷いて、そう言った。
キダチェクも神妙な顔をしている。
この何か月の間にククラの評価は随分と変わっていた。
だからこそ、名前を貰っても良いとキダチェクも思ったのだ。
もちろんアガタが貰う気なのだから、彼に拒否権は無かったのだが。
「…ホクト、です」
「ホクト。…良い名前だわ」
アガタはお腹を撫でながらそう呟いた。
「…僕の故郷で付けられた星の名前です。…その星を中心に全ての星が回っているんです」
「凄い名前を貰ったな。…ホクト、か。」
キダチェクがククラの説明を聞いて満足そうに頷いた。
ククラが照れたように笑う。
「…あなたの名前が決まったわよ。ホクト」
アガタがそう言って囁くようにお腹に語り掛ける。ククラはそれをとても嬉しいと思った。
その日は遅くまでキダチェクの家にいた。
次の日の朝に何時もの様に役所に向かう。
何故かひどく不機嫌なトラスが待っていた。
「…おはよう」
いつもと変わらずにククラが挨拶をしても、肯くだけでこちらを見ようともしなかった。
何か自分がしただろうかとククラは首を傾げたが、思い当たることが無かった。
「…今日はどれ?」
ククラが傍に言って紙を見る。
その顔をじっと睨まれた。
トラスの態度にククラが少し怯む。
その行動にトラスがカウンターを叩いた。
「う」
ククラが流石に驚いて身を竦める。
周りの同僚たちも大きな音を立てたトラスの方を見た。
皆の視線に気付いてトラスが口を開く。
「…虫がいたんだ」
「やあねえ、トラス。びっくりさせないでよ?」
同僚たちが笑っている。
その中でトラス本人は笑わずにククラをじっと見ていた。
ククラはその視線の意味が分からない。分からないが、少し嫌な気がした。
…今日は早く終わらせて帰ろう。
トラブルの予感が外れた事がないのを、ククラはまだ自覚していなかった。
ククラの事を任される時に言われたことが幾つかトラスにはあった。
その中の一つに魔法は使わない事という項目があった。
もちろんククラがする事を手伝ってはいけないからだが、ククラと手を組んで何かをしやしないかと思われていたのだろう。
今ではそんな事を役所の上司ですら思わないだろうが、当初はククラがどういう人物かは分からなかったので、そんな対策を立てられていた。
だから、トラスは今までに魔法の道具を仕事に持ってきたことはなかった。
もちろんククラも見た事は無かった。
だが今日に限ってククラはトラスの腰に見慣れないものを見つけた。道具カバンだ。
それが魔法力を帯びている事は気付いたが、ククラはトラスが魔法使いなのは知っていたから深く考えなかった。
ククラが目的地に着いた時に、トラスが口を開いた。
「…今日はどうするんだ」
事前に仕事のやり方をトラスが聞いてくるのは珍しかった。
ククラは少しだけ不思議に思ったが、言う事に別段抵抗はない。
「…魔獣退治だから、詠唱破棄でも大丈夫かな」
ククラがそう言うのをトラスはじっと見ている。
「そうか」
そう返事をしてトラスは何時も通りに、ククラから離れた。
ククラは一人で草むらに入っていった。
荒地の魔獣の気配を探る。何匹かいた。
あれ、おかしいな。
ククラは眉をひそめる。
確か書類には1匹だけと書かれていたはず。
…増えるのなら、巣穴でもあるかな。
それだと少し手こずるかも。
ククラはそんな事を思いながら、魔獣の気配に近寄った。そして人の姿を確認して血の気が下がる。
誰かが魔獣の下敷きになっている。血が大地に流れていた。
「コール!エンジェルハート!」
先にその人を治すべくククラが光魔導を唱える。
魔導の光に気付いて倒れてる人がククラを見た。
良かった。まだ生きている。
魔獣達もククラに気が付いて風の様に接近してきた。
「コール!スカイハ」
単詠唱を最後まで言えなかった。
予想よりも早く魔獣が喉を目掛けてぶつかって来たのだ。
「ぐ」
ククラはその手を避けたかったが、眼の隅で他の魔獣が倒れている人に圧し掛かろうとしているのを見てしまった。
その数秒だけ回避が遅れた。喉に直撃を受ける。きれいに血飛沫が上がった。
ククラが急いで指先で魔導を発動する。
倒れた人を魔導で運び出す。行先はトラスの居る場所で良いだろう。
その人の身体が浮くのを確認する。
それを魔獣に追わせるわけにはいかない。
トラスだっているんだ。
此処で自分が引き止めなければ。
「うああ!!」
叫んで魔獣たちを引きつける。
ククラは剣を召喚して魔獣に振りかぶった。
武器を持ったククラを、早急に倒すべき敵と認識した魔獣たちがククラに殺到した。ククラは考え通りに上手くいった事にほくそ笑む。
しかし笑うことは出来なかった。
目の前に魔獣で壁が出来る程、魔獣の数が一気に増えていた。
さっき感知したよりも遥かに増えている。
しかも種類が違うなんてあり得るのか?此処に巣穴がある訳ではないのか。
ククラは疑問に思いながら剣を振るう。
1匹倒すと、どこかからまた1匹出て来た。
傷が増えるたびに魔導を使うが、その度に喉を狙われる。
誰かが操っているとしか思えない。
ククラは戦いながら魔導を探知するが、魔導が使われている気配がない。
周りには山のように魔獣が倒れている。
足元はそれで水たまりができていた。ククラの息は完全に上がっている。
こんなの、おかしい。
誰もいないなんて有り得ないだろ?
一体何処から来ているんだ。
しかしそれを解明する隙がない。
ククラは一撃食らう覚悟で自分の喉を押さえる。
思った通り腹に爪が食い込むが、その隙に喉は治った。
「コール!アイシングレイン!!」
ククラは血を吐きながら魔導を唱える。
氷の雨が一面に降り注ぐ。
魔導の氷は触れた魔獣をたちまちに凍り付けていく。
一瞬で決着がついた。
「…は…はっ…」
息を吐きながらククラはあたりを見まわす。
魔獣が倒れたのに誰かが出て来る気配はない。
おかしい。こんな事は有り得ない。
これを仕掛けている奴は何が目的なんだ。
ククラは考えながらも自分を治療するために手を腹に当てる。
随分裂けていた。
「コール。エンジェルハート」
傷が治っていく。ククラは少し息を吐いた。
トラスの方は平気だったろうか。
何時も防護の魔法陣だけは掛かっているから、大丈夫だとは思うけど。
ククラはトラスがいるはずの場所へ走って行く。
そこにさっき運んだ人はいた。だがトラスの姿が見えない。
「…どこへ?」
ククラはあたりを見まわすが姿は見えない。
トラスを探すよりも先に、地面に倒れている人を治療する。
光魔導の上級でその人は意識を取り戻した。
「…大丈夫でしたか?」
ボロボロのククラの姿に驚いていたが、こくりと頷いてくれた。
ククラは馬車の中にいるように指示を出す。
その人が中に入ってから、もう一度あたりを見る。
それにしてもトラスが帰ってこない。
魔導で探知をすると、何故か草むらの奥にいて魔獣と対峙をしていた。
「ば!…何をやっているんだ!」
ククラは探知した方向へ走り出した。
トラスが今迄にこんな勝手な行動をとったことはない。
ほんと、今日は変だぞトラス。
そう思いながら、魔導の光を手に溜め込む。
「コール!アイスウオール!」
トラスの居る場所に着きざま魔獣に向けて魔導を放つ。
氷の壁が現れてトラスと魔獣を引き離す。
「何をやっているんだ!」
ククラが怒鳴るとトラスが振り向いた。
トラスの押さえた腹から血が流れていた。
何やってるんだよ。
ククラはこの事態に少し泣きそうになる。
「…すまないククラ。俺が」
「いい。傷を見せろ」
ククラが屈み込んで傷を見る。
トラスの腹は血塗れだったが、そこに傷は無かった。
「…あれ?トラス、怪我はしなかったのか?」
そう言って見上げたククラの眼に、鋼の光が煌めいた。
「人の話は最後まで聞くものだ」
「…え」
そのままその光が突き刺さる。
左目を貫通して長剣が地面に突き刺さった。
ククラは反動で地面に倒れた。
「…今回の事は全て俺がやった事だ」
ククラは驚いた顔でトラスを見ている。
何故トラスに攻撃を受けたのかが分からなかった。
トラスがククラを見てにこりと笑った。
「笑えよ」
そう言った。
ククラの左耳は聞こえない。
右の耳は大きな銅鑼が鳴っているように脈搏が鳴り響いていて、上手く言葉が拾えない。
「…え?」
ククラが聞き返す。
それが気に入らないトラスが、まだ握っている剣をぐるりと回した。
「あ、ぐ」
流石に呻き声が出る。
しかしククラは叫ばない。
「…笑えよ!」
ククラの耳元で大きな声でトラスが言った。
聞こえた。でも意味が分からない。
「何で?そ、んな事を、要求、す、るんだ?」
痛みに耐えながらククラがトラスに質問をする。
トラスは困ったように笑った。
「何でだろうな?でもそう思うんだ。…なあ、笑えよククラ」
ククラは何だか無性におかしくなった。
何でこいつはこんな事を言っているんだ?
笑うなと言ったり、笑えと言ったり。
僕が何かしたか?
「ふ」
ククラが笑う。
トラスはその顔を見ている。
「ふふ」
地面に刺し繋がれたまま、ククラが少しずつ笑い始めた。
それをトラスがじっと見つめている。
魔獣の遺骸が数多く転がる草原で、血濡れた男が剣で眼を貫かれた少年を、恍惚とした表情で見下ろしている。
その少年は気がふれたようにくすくすと笑っていた。
笑っているククラをしばらくトラスは眺めていたが、やがて気が済んだのか剣を引き抜いた。
ククラは激痛で地面を引っ掻くがまだ笑っている。
「…そろそろ帰ろうか、ククラ」
何時もの普通の声でトラスが言った。
その声にやっと笑うのをやめたククラが、ゆっくりとトラスを見上げる。
幾筋もの体液が目と後頭部から流れている。
それを眉をひそめてトラスが見下ろした。
まるで何か汚いものでも見るような目線で。
「…早く治せよ。帰れないだろう?」
トラスが言うのをククラはぼんやりと聞いていた。
さっきまでの気持ちが残っていて判断が鈍い。
「……そうだな」
ククラは正気に戻り切れないまま、肯いて自分に魔導を掛ける。
「…コール。リバースデュエル」
綺麗な光が自分を包んでいるのに違和感があった。
ククラはふらふらと立ち上がり、先に歩いて行くトラスに声を掛ける。
「なあ」
声が聞こえないのかそれとも無視をしているのか。
トラスは立ち止まらずに歩いて行く。
「なあ!!」
ククラが叫ぶとやっとトラスが振り向いた。
「…何だ、どうしたククラ」
余りにも何時も通りの態度にククラが言葉に詰まる。
しかし聞かなければ。
多分、言われる言葉は予想できた。それでも聞かなければ。
ククラは苦しそうに言葉を投げかける。
「何でこんな事をしたんだ!?」
叫ぶククラに、トラスは少し笑ってこう言った。
「…何でお前が何かされたような事を言っているんだ?お前はもっと酷い事をしただろう?……犯罪者なら甘んじて受けろよ」
それは予想通りの言葉だった。
それでもククラは心臓が破裂するぐらい苦しかった。
胸の辺りをギュッと押さえて、震える足で立っている。
そんなククラをトラスはじっと見ている。
まるで、ククラが考えているのを待っている何時もの様に。
ククラの頭の中には色々な言葉が渦巻いていた。
怒鳴りたかったし、泣き叫びもしたかった。
けれど、予想が出来た言葉を相手が言った時に、その全ては消え失せてしまった。
ククラにはあまり自覚がなかったが、心は相当に疲弊をしていた。
たくさんの人を、無自覚なのに自分が納得して手に掛けていたことを、ククラは酷く後悔をしていた。
それを意識や記憶が戻った状態で、数えきれないほど夢で見ている。
まるでまだ自分がそれを続けているかのような感覚に悩まされていた。
しかしそれを言う相手はいない。
共有も懺悔もククラには許されていなかった。
ただ悩み、ただもがき、悪戯に時間だけが過ぎていく。
そんな日々を繰り返していた時の今日だった。
ククラは理不尽だと思っているが、どこかで納得をしてしまう自分もいる事を分かっている。
この相手にどう対峙していいかが分からなかった。
だからそのまま馬車に乗り、そのまま役所に行きサインをしてトラスや皆に挨拶をして帰って来た。
家に帰って風呂に入りベッドに潜る。眼を閉じると疲れているからすぐに体が眠ってしまう。
ククラの事実と夢が混濁し始めていた。
幻のように見え続ける光景が今夜も続いて行く。
今迄は起きていればそれからなんとか逃れていたのに、今日は起きていても責められることを自覚した。
ククラの身体は眠りながら震えている。
夢でも現実でもククラに逃げ場はなかった。
トラスは家に帰った後、自分の身体をソファに投げ出した。
自分の手に落ちて笑っていたククラはなんて可愛かったんだろう。
あれに以前の為政者が夢中になるのが分かる。
トラスは目を細めて舌なめずりをする。
あれをぐちゃぐちゃに壊したい。
その中で泣きながら笑っていたら、それはとてつもなく。
自分の感情の中にこんな色が隠れていたことに、トラスは驚きこそしたが不快感は無かった。全てはそう思わせるククラが悪いんだろう?
今夜ククラはどんな顔をして寝るんだろう。
それが恐怖に彩られているなら、どんなに素敵な事か。
トラスは満面の笑みで風呂に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます