贖罪の日々・2
「近い農場ってどれくらいの距離?」
「馬車で行く」
トラスの歩く速度に追いつこうとククラが早足になる。
それに気付いたトラスが速度を落としてククラの横に並んだ。
「あ。…へへ、ありがとう」
少し恥ずかしそうに照れた笑いをするククラを、トラスは複雑な気持ちで見ている。
噂と一致しないのはもちろんだが、魔導を使うところを見た今でもとても強い魔導士には見えない。
この少年はいったい何なのだろうか。
自分が見ているのに気が付くと、不思議そうに笑い返してくるこの少年は。
乗合の馬車かと思いきや、トラスは小さな馬車を一台借りた。
自分が御者の方に乗る。
「お前は中に入れ」
「…やっぱ、まだまずい?」
ククラがそう聞くとトラスは頷いて見せた。
納得をしてククラは中に入る。
町中を駆けていく振動がする。
ガタガタと揺れる馬車の中で、ククラはこの先の事を考えていた。
ずっとオンウルにいる気はしなかった。
ワーズルーンは案外、面倒臭そうだと思っている。
魔導が使えると分かって何がしかのアクションを起こされるのは嫌だった。
かと言って、ミン・マク・リョクも嫌だった。
悪い事ばかりをしたい訳でもない。
エレスタスは除外して。
…ゲレルゲラルかなあ。
あの国なら考えられる範囲内のような気がする。
どっちにしろ、ある程度は此処できちんとしないとなあ。
そう思う自分にククラは不快になる。
夢うつつで行なったといえども自分は犯罪者なのだ。
償えと言われたらここに居続けることを考えるべきではないか。
この国で過ごすべきのか。
ぼんやりと考える未来は、余り明白な形が出て来ない。
…やっぱり嫌だったんだろうな僕は。
何度も繰り返された暴力の事は考えない様にしている。
それでもそれ以前の記憶も相まって嫌な気持ちにしかならない。
その人物が眠る国に、長居をしたくないと言うのが本音だ。
でもなあ。
無責任と言われれば、それまでなんだよなあ。
大きな溜め息を吐いたククラを、前で座っているトラスがちらりと見た。
農道に出たのか揺れが激しくなった。
これに長く乗ったら船酔いみたいになるな。
ククラが変な確信を持ったころに、馬車が止まった。
「降りてくれ」
「…うわ。まだ揺れてる」
馬車を降りたククラがそんな事を言うのをトラスは苦笑を浮かべて見ている。
自分の頭をぶるぶる振ると、ククラはあたりを見まわす。
木々がたくさん生えた森の中だった。
「…農地にすればいいんだっけ?」
「…どうやるかは勝手だ。言われているのは緑地の開発だ」
ククラが首を傾げる。
「…あいまいだな。緑地ってこの状態でも緑地だろう?」
ククラが森を指さす。
トラスが指差されたのを見てから軽く頷く。
「そうだな。そうとも言えるだろう」
「…草原にすればいいとか、指定はないの?」
トラスがククラを見る。
その眼は少し暗い色をしていた。
「…お前がどんな答えを出すかも、含まれている」
ククラがびっくりしてトラスを見た。
「…えと。…じゃあ、毎回、試験みたいなものなのか?」
「多分。暫くはそうじゃないか。…お前の信用がないから仕方ないだろう。農場の持ち主には会えない。お前に殺されるのが嫌だからな」
はっきりそう言われてククラは呆然とした。
自分が随分甘く考えていたことを思い知らされる。
別に誰に信用をされたいとは思わないが、この状況は困った。
確かに、これは刑罰の代わりだな。
ククラは下を向いて大きく息を吐いた。
まずは考える事からしようか。
「…トラスに話を聞くのはいいのか?」
顔を上げたククラがそう聞いてくる。聞かれたトラスは頷いた。
「それは制限をされていない」
「…そっか」
まだ何か制約が色々有りそうだとククラは気付く。
しかし、一つずつやるしかないだろう。
「農場の人に頼まれたんだよな」
「そうだ」
トラスが肯く。
「その人は何を育てている?」
「…放牧をしている。羊と牛を飼っているそうだ」
普通の農家か。
「…遊牧はしていないんだな?」
「ああ。農地で放しているだけだそうだ」
ならばやっぱり草原かな。
「その人と他の人との土地の境は何処?」
ククラの質問にトラスが少し目を開いてから、すぐ先を指さした。
木に赤い紐が結んである。
何だかひっかけ問題じゃないですか、それは。
これは魔導をかけるのは完全に考え切ってからの方が良いな。
…僕は探偵じゃないんですけど。
向こうの世界の色々なキャラを思い出しながら、ククラは話を続ける。
「…隣の人は何をしている人?」
「農家だ」
「何を育てている?」
「…狩猟用の動物だ」
手元のメモを見ながらトラスが答えた。
…ええと。
それはこの森がないと駄目だよなあ?
ククラは目の前の森を見つめる。
此処を半分にしても狩猟用の動物にはつらいだろうな。
でも依頼しているのはその人では無い。
「…その二人は喧嘩なんかしていないよな?」
ククラがそう言うと、トラスがニヤリと笑った。
「…している」
「え。…もしや土地の問題で争っていたりする?」
肯かれた。
うわあ。それを僕にどうしろって言うんだ?
「…そうかあ」
ただ緑地にするだけでは争いがひどくなるだろう。
勿論そんな事を頼まれてはいないが、争い事は少しでも解消される方が良いに決まっている。
ククラが考え込んでいるのをトラスはじっと見ている。
この少年にはたくさんの噂話があった。
主に聞いた話では、サモールの寵愛を受けて魔導士に納まった子だという事だった。だから本当は、噂話が先行して魔導の実力は大したことはないのだろうと言われていた。
すごい魔導の話もあれば、厭らしい下賤な話もあった。
それはまるで見て来た様な話まで。
いま見ているこの少年に、噂のような暗さは見えない。
もっとも今日が初日だ。
お互いに緊張もしているだろう。これから先には本性を出すかもしれない。
俺に、この子が?
ククラが不意にトラスを見る。
トラスはぎくりとした気持ちを見せない様に振舞った。
「隣の人は放し飼いをしている?それとも何所かでまとめて飼っている?」
「…まとめているようだ」
ククラが口元に手をやって考える。
「…でもこの森で放すこともあるんだよな?」
「そうだろうな」
それきりククラが黙った。
鳥の囀りが良く聞こえる。
森の中はしんとして何の音も聞こえなかった。
ククラが指先を動かして空間を開く。
中に頭を突っ込んで何かを探している。
半身だけが出ている姿は少し不気味だった。
何かの薄い本を取り出した。髪の毛がくしゃくしゃになっているのは気にしていない。
ククラはそれをぱらぱらとめくった。
「…でも、生態系が変わるか…」
ククラが聞きなれない言葉を言ったのでトラスはククラを見た。
本を見ているククラはトラスの視線に気付かない。
気になったので、近くに行ってククラの見ている本を見る。
ククラは本に影が出来たのでトラスが来たことを知った。
「…ん?」
ククラがそう聞いてくる。
トラスは本を指さした。
「これは何だ?」
「…植物図鑑、かな。…前に古本屋で見つけたんだ」
不思議そうな顔でトラスが見ているのをククラは苦笑して見ている。
多分、殆んど手書きのこれは、誰かが自分で見つけて書いたものだろうとククラは思っている。植物学が好きな人が書いたのだろう。
確か向こうでもそんな人が居たよね。昔の人で。
だから一般的ではない。
こういうものは貴重品だろう。
此処に書かれているものを植えれば、或はお互いの動物は行き来しなくなるかもしれない。
でも、もっと小さい虫や何かの生態系が変わるだろう。
…そこまで考えてたらキリがないけどさ。
魔導士なんてもっとドバーンとかグオーンとかやればいいのかも知れないけどさ。でも思いついちゃった時はそれを考えても良いよな?
ククラは息を吐く。
森を見まわしてから、最善とは最大公約数であり、絶対的なことが出来るものではないとしみじみ思った。
「…ん。やるか」
ククラは本を閉じるとトラスにそう言った。
「どうするんだ」
トラスが聞く。
ククラは笑って答えた。
「まあ。成るようになるさ」
「…はあ!?」
それはあまりにも無責任な発言だったが。
ククラが大きく息を吸いこんだ。
「原初の時より来たりし光纏いし美しき女神よ。その手に宿りし神秘の息吹をわれとわが子孫に与えたまえ!」
ククラがじっと森を見る。
「まゆらう軌跡!」
ずずっと地面が揺れた。
トラスは地震を起こしたのかと思った。
しかし自分の視界がぶれていくにつれて、そうではない事を痛感する。
目の前の森が移動をしている。
少しずつ全てが動いている。
それを発動している魔導の光はまだククラを纏っている。
それなのに。
「来たれよ地の奥底から、我が血しぶきを捧げてその出現を祝おう!」
ククラが自分の手を切る。
「探りし樹海!」
降った手から勢いよく地面に血がとんだ。
その血の下から物凄い勢いで緑色の物が飛び出してくる。
大地を割り多量の植物が地上に出て来た。
それが移動をし続けている森の中へ飛び込んでいく。
二つ目の魔導の光がククラの周りをまわる。
トラスは余りの事に声も出ない。
ククラがまた口を開く。
まさか。
「騒がしき通り過ぎたる者たちよ。その恵みを我らにも!」
ククラが天を仰ぐ。
「被るべき恵み!」
ゆっくりと空に雲がかかっていく。
すぐに雨粒が落ちて来た。
ククラの身体を三つ目の光が照らしていく。
森が移動を終える。
一つ目の光が消える。それと同時に二つ目の光も消えた。
「…は…はっ…」
ククラの息遣いが、雨音の響く中トラスの耳に届いた。
…この子は本物の魔導士だ。
トラスは震えが来る自分の身体を、震えている手で押さえた。
最上級を三重でかけるなんて聞いたことが無い。
目の前で起こった事が奇跡に見えた。
「…は…」
ククラが顔を上げる。
そのまま森が移動したむき出しの土を見た。
「…コール。…エバーグリーン」
そう言って指で地面を差し示す。
綺麗な緑色の光が大地を覆う。
一瞬で消えたそれは、豊かな草原に辺りを変えていた。
ククラが座り込んだ。
トラスが慌てて近寄る。
雨がまだ降る中、ククラはその薄い光を纏って息を荒く付いていた。
顔を俯かせて口は大きく開き、空気をせわしなく吸っている。
「…無茶だ、こんな使い方…」
魔法使いとしての本音が出た。
魔法は自身の魔導力を使わない代わりにコントロールの為に精神力を使う。魔導士よりかは使う回数を増やすことが出来る。
それだってせいぜい連続して使うやり方しかしない。
しかもどうしてもの戦いを挑まれたときに使うぐらいだ。
こんなただの農地を変えてくれなんて話に、最上級をあんなに使う必要があるのか。しかも最後に使った詠唱破棄だって上級じゃなかったか。
「…なるように、なるって、言った、だろ?」
ククラが荒い息のあいだからそう言った。
その身体から魔導の光が消えていく。
それと同時に雨も少しずつ止んで来た。
トラスは一変した風景を見渡す。
こんな事が出来るのか、魔導というものは。
そこにはとてもさっきまで森だったとは思えない美しい草原があった。
雨上がりのその光景は、トラスの眼に神秘的に映った。
「…あとは本人たちに任すよ」
ククラがそう言って立ち上がった。
トラスがじっとククラを見ている。
「何をしたか教えて欲しい」
それは本来の業務もあったが、魔法使いとしての好奇心が詰まった発言だった。
「…え。何か報告の義務とかあんの?」
驚いたククラが聞く。
トラスが頷くと、ククラは軽く息を吐いた。
「…ああ。ええと」
どう言えばいいのか悩みながらククラが話す。
トラスは黙ったままその言葉を待っている。
心臓がまだ高く鳴っている事には言及したくなかった。
「…森を境界の少し内側まで動かした。で、境界側に羊や牛が嫌がる臭いを出す草を植えた。…あとは移動をした場所に草を生やした。そんなところかな」
ククラが簡単に説明をする。
「…使ったのはどの魔導だ」
「…ええと。緑、緑、水、緑。かな」
指を折りながら数えるようにククラが言う。
確かにその順番だったが、重ねがけはどう報告をすればいいのか。
「…何故重ねがけをしたんだ。順番通りにすれば良かっただけだろう?」
そう聞いてくるトラスにククラが笑いかける。
「…だって植物って早く植え替えた方が良いのだろう?本人たちが苦しいんだろ?ゆっくりやるとさ」
トラスはしばし意味が分からずククラを見ていた。
そしてさっきククラが言った本人たちに任すとは、人間ではなく植物の事だと気が付いた。
「植物の為に重ねがけをやったのか?」
この少年はバカか。
「…そうだよ。他に理由なんてあるの?」
不思議そうにククラが言う。
「植物が苦しいだろうからって、お前が苦しむことはないだろう?」
衝撃を消そうとなるべく冷静な声でトラスが言った。
「…え。だって本来ならもっと時間をかけて、植物が自分たちの速度で移動するように植え替えとかして開墾するんだろう?…それを魔導で一瞬に法則を変えてやるんだから、それぐらい考えるよ」
ククラが困ったように笑って言った。
トラスはそれ以上の言葉が出て来ない。
正論なのはわかっている。だがそれをあんな無茶をしてやる魔導士には会った事がないのだ。話すら聞いたことが無い。
「…そうか。分かった」
「うん」
そう言ってから、ほっとククラが息を吐いた。
自分が変えた場所を見る。少し心配そうな表情だ。
この子が本当に言われているような大罪を犯したのだろうか。
「…帰るのか?」
ククラがトラスを振り返って聞いた。
無言で頷くトラスに、ククラは笑ってみせる。
「笑うな」
自分で出した言葉にトラスは驚いた。
俺は何を言ったのか。
「…あ。…ごめん」
ククラはその笑顔をひっこめた。
そのまま馬車に乗り込む。幌の中は見えない。
トラスは手綱を握って馬車を走らせる。
御者席からは中が見えた。ククラはぼんやりと自分の手を見ている。
何かを考えているのだろう。
少し惑う様にククラの目線が動いている。
馬車が石に乗り上げた。ガタリと揺れる。
慌てて手綱を握りなおす。正面を向いたトラスには後ろのククラがこちらを向いた気配がした。
「…大丈夫だ」
そう告げるトラスに小さな声でククラが言った。
「…うん。ありがとう、それから。…ごめんね」
その謝る声にトラスは答えなかった、
町に着いてから役所に二人で帰る。
ククラには今日の事を書いてある書類にサインを貰わなければならなかった。
少し下を向いてはいるが、ククラはちゃんと歩いてついてきた。
役所でサインを書いて貰ってククラと別れる。
別れ際にトラスが声を掛けた。
「…明後日来い。明日は休むといい」
トラスを見て笑おうとした自分の顔をククラが触って押さえた。
「うん。…じゃあ明後日」
ククラはそう言って役所を出て行った。
カウンターでククラの書いたサインがある書類を手にして、トラスは自分の失言を考えていた。
どうして自分はあんな事を言ったのか。
「…ねえ、トラス。どうだった?あの子」
ククラが帰った後、興味津々の同僚が聞いてくる。
聞いてこない人たちも耳をすましているだろう。
「噂通りの魔導士だったよ」
「ええ!?じゃあ迫られたりしちゃったの!?」
「…いや、それはないが」
そっちのうわさか。
騒いでいる同僚を置いて、トラスは帰宅の支度をする。
自分の言葉があの少年を傷つけただろうかと、それが心配だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます