贖罪の日々・1



ククラはこの町の一番高い所から町を眺めていた。

その突塔の避雷針の先に立ったククラは溜め息を吐いた。


随分、時間がたっている。


此処に来た時には自分はもっと幼かっただろう。

この一年の間に自分が変わった自覚はあった。

混ざった記憶の中には、幾つもの見たくもないような映像がある。

自分がたくさんの罪を犯した事を知った。


僕は善悪をしっかりと見極めなければならない。

それでもまだまだ自分は過ちを犯すだろう。

それをなるべく未然に防ぐにはどうしたらいいのか。


ククラは強い風に吹かれながら考える。

少なくともどこかに定住をして、様々な事を体験していかなくてはならない。

そうでなければ人は物事を覚えないだろうから。

特に自分はそうかもしれないな。

ククラは自嘲気味に笑う。



遥かな下で人が何かを言っている。

見下ろすと上を向いて手を振っている。

どうやらククラを呼んでいるようだ。


避雷針の先から重力に任せて飛び降りる。

地面に着く寸前に足元に風を起こす。

ふわりと音もなく降り立ったククラの前には、黒髪の男が立っていた。


「…何の用?」

ククラの言葉にキダチェクが溜め息を吐く。

「…お前は。今日は家に来る予定じゃなかったか?」

少し怒ったような声でキダチェクが言うと、ククラは斜め上を見ながら思い出そうとしている。

そのククラの首根っこを掴んでキダチェクが歩き出した。


「…え?まだ思い出してないし!?」

「俺が覚えているのだからいいんだ。大人しく来い!」

ククラの抗議を受け付けずに、キダチェクは歩いていく。

途中で手を離して貰ってククラは自分で歩きだした。

横をキダチェクが歩いている。


ククラは罪に問われたが、族長たちの話し合いの結果、国に奉仕をするという条件で罪人扱いにはしない事になった。こんなに強い魔導士を罪人にして後の報復が怖いというのが本音だろう。反対意見は少数だった。

結果的にククラは無罪放免となった。

ククラ本人はあまり納得のいく結果では無いのだが。

罪人自ら償いたいと言ったところで、どの族長も怯えて話にならなかった。子供が大人に操られていた。それが自分たちの代表だったと考えたくなかったのかも知れない。


その無罪を祝うとアガタが言いだしたのだ。

キダチェクは反対をした。

今更だがククラが自分の友人と思われるのは嫌だった。

しかし、ククラに会わせなければ離婚をすると妻が言いだしては、それ以上反対をすることが出来なかった。

もう少しで初めての子供も生まれると言うのに。


「…お前を家に呼ぶのは嫌だったが仕方がない」

キダチェクの言葉にククラが笑う。

「はは。奥さんには弱いんだね」

じろりとキダチェクに睨まれても、ククラは平気な顔をしている。


本来のこの子だったらまた結果は違っていたのだろう。

キダチェクは隣を歩くククラを見ながらそう思った。

だがもう過ぎた事だ。時間は戻らない。

そして、これからこの国は発展をしていくだろう。

近代化と伝統をどうやって両立をしていくか。

それが我々の最大の課題になるだろう。



キダチェクは自分の家の前に妻が出て待っている事に気付く。

アガタは二人に走り寄ろうとしてその足を止める。


「…あなた、ククラ、よね?」

ククラが苦笑を浮かべたのをアガタは不思議そうに見る。

「…いろいろあって雰囲気が変わったと思いますけど、僕はちゃんと全部を覚えていますから、アガタさんの事も分かっています」

そう言ってまだ苦笑を浮かべているククラの頭を、アガタはそっと撫でた。

「…随分さっぱりとした顔になったわね」

アガタがそう微笑むと、ククラは一緒に微笑んだ。

その顔を見てアガタはククラの手を握って中に入る。


ククラにはこの女性が、この国で唯一の味方だと分かっていた。

この女性がいなければあるいは、自分はこうして居なかったかもしれない。

もっと早くに自滅していたかもしれないのだ。


たくさんのお返しもするけれど、ククラはずっとこの人の幸せを祈っていこうと決めていた。きっと折に触れて思い出す人になるだろう。

アガタはそんなククラを満面の笑みで見ている。


ククラが家に入ると、それはそれはたくさんのごちそうが待っていた。

朝早く起きて作ってくれただろう事はすぐに分かった。

ククラはアガタの両手を強く握る。

それだけで感謝は伝わるだろうか。


「ふふ。喜んでもらえて嬉しいわ。…食べてからも喜んでよ?」

しっかりと伝わっているアガタから、そんな台詞が来た。

ククラはすぐに頷く。

二人してニコニコと笑っているのを、キダチェクは少し複雑な思いで見ていた。


仮にも男だし。

ましてや相手は、この間まで人の命を絶つことを何とも思っていなかった相手なのだし。

そこまで考えてキダチェクは自分の考えの過ちに気付く。

そうしているククラの本音を聞いたことはない。

あの時期、自分はククラがずっと泣いていると思っていた。

…それが真実かもしれないな。

笑っている二人にはとてもできない質問を、キダチェクは自分の中で解決する事にした。


たくさんのご馳走はとても3人で食べられるものでは無くて。

アガタは余った料理を沢山の手土産にして箱に詰めていく。

それを男二人は何だか微妙な笑みを浮かべて見ていた。

「まだデザートもあるのよ?」

「…はい。いただきます」

少し覚悟を決めてからククラが答える。


アガタが台所に行くと、キダチェクがちらりとククラを見た。

ククラが気付いてキダチェクを見る。

「…なに?」

「いや。…お前の待遇も決まった事だし、明日からでも出かけて貰う事になるが」


ククラは出て来たデザートを、少し目を細めて見てからスプーンを刺した。

どう見ても巨大なプティングは一人分ではない。

しかしそれが3個出て来たのだから、これはきっと一人分だ。

美味しい。そう美味しいのだが。


「…行先は、毎回あなたに聞けばいいの?」

ククラの質問に、キダチェクが首を横に振る。


「いや、俺はこれから政治の話で忙しくなるから、お前は役所にいって行先を聞いてくれ」

「…ふうん。…僕の担当の人とかって居る?」

それは聞かされていたような気がしたキダチェクは、自分の小さなノートを開く。メモが書いてあった。


「ああ。魔法使いのトラスだ。…多分、組むことになるから頼むぞ?」

「…僕と組むの嫌がらなかった?」

率直なククラの言葉にキダチェクは苦笑する。

「さあな。それは本人に聞いてくれ」

「…分かった」

ククラはスプーンをくわえる。

これを制覇できるのはどんなアルピニストだろうか。

まだプティングは、半分以上残っていた。



翌朝、ククラは簡素なベッドで目を覚ました。


この2週間の間に、ククラは町はずれの小さな家を借りていた。

何でも夜逃げをした人の家で、家具も全部おいてあり食器や何もかもがあったので、ここでいいかなと身を落ち着けたのだが。


もしもこの家の人が帰ってきたら、そこは渡すつもりだった。

ククラは間借りだと思っている。

多分、自分のせいで出て行ったのだろうし。


起き上がり、顔を洗って自分を鏡に映す。

「…おはよう…」

右目が赤くなっている事は記憶が戻ってから知った。

そこにアッシュの魔導陣がある事も知らなかった。


あの後にしみじみと自分の顔を見ることが無かったからだ。

これが自分なんだ。

この姿で僕は生きていく。


ギュッと目をつぶってからまた目を開く。


ククラは台所に向かう。

昨日貰ったご飯が、まだたくさんあった。

それを見てちょっと苦笑いを浮かべる。

…これを食べ終わるのはいつになるのだろうか。

嬉しい溜め息の後に食事を始めた。



役所は町の中心から少し外れたところに在った。

他に比べると小さな建物だ。

ククラは中に入り、役所の受付に尋ねる。


「あの、トラスさんていますか?」

「あ。は、はい。少々お待ちくださいませ」

少し怯えながら受付のお姉さんがどこかへ小走りに向かった。

ククラはカウンターに寄りかかりながらお姉さんを待つ。

暫くするとお姉さんと若い青年が歩いてきた。


「…俺がトラスだ」

ククラはその声を聴いてこれは難題かもなと思った。

ひどくぶっきらぼうだった。

嫌われているよな、確実に。

「お前と組むことになった」

トラスはそう言うとククラをじっと見た。

ククラは笑って頷く。

「…うん。よろしくな」

ククラの言葉にトラスも頷いた。


今日の行く先を聞くと近くの農場での緑地の拡大だった。

話を聞かされたククラが少し唸る。

トラスがククラを不審に思って見ると、ククラは右目に手を被せて考えていた。

「…どうした?」

トラスがまだ不審そうに聞いてくる。

「うん。…僕はそういうのはまだ習得をしていないんだよ」

「そういうのとは?」

トラスの問いかけにククラは困った顔で答える。

「…緑の魔導だよね、必要なのは」

トラスが肯くのを見て、ククラは溜め息を吐いた。


ここに来てからも、操られている間の事だが、ククラが学んでいたのは基本の魔導だ。闇魔導しかり、光魔導もそうだ。

緑の魔導は、俗に言われている複合発展魔導になる。

風と土の複合魔導となり、ククラはまだ複合魔導を学んではいなかった。


「…困ったな。…魔導書を持って行くか」

「見るだけで発動が出来るのか?」

ククラの呟きにトラスが驚いて聞く。

「やってみなきゃ分からないけどね」

肩を竦めるククラをトラスはほんの少しだけ羨ましそうに見た。


トラスの肩書は魔法使いだ。

つまり自分では魔導を使えない。他のアイテムや媒体を使って魔法を駆使する。

勿論、名乗るからにはその術にたけている訳だし、弱い魔導士よりはよっぽど自分の方が有用だとは思っている。


しかし、ククラはこの国きってと言われた魔導士だ。

自分が足元にも及ばないだろうとトラスは思っていた。

ククラが本屋によるとトラスも一緒になって入って来た。

どんな魔導書を選ぶのかが気になるらしい。


棚を見ながら、ククラが少し唸った。

魔導書の種類が少なすぎる。此処にある物では間に合わないだろう。

もともとオンウルは魔導の後進国と呼ばれていて、入ってくる書物も時代が遅れている様な物ばっかりだった。

かと言って古いものが揃っている訳でもない。

中央都市のこの本屋は一番本が揃っているはずで、ここになければ多分国内にはそうないだろうと思われた。


「…どうしようかな」

悩んでいるククラの声にトラスが不思議そうに見ている。

無いものは無いではないか。


「…少し時間を貰っても良いかな」

ククラがトラスを少し見上げて言う。

トラスは肯いた後、疑問を投げかけた。

「どうするんだ?」

そのトラスの言葉にククラが肩を竦めながら答えた。

「…取り寄せるんだよ」


今から取り寄せても間に合わないだろうに。

トラスはククラを見ながら考える。

前の伝手でもあって、早急に取り寄せる事でも出来るのだろうか。

ククラの後をトラスも付いて行く。

不意に振り向かれてトラスは足を止める。


「…もしや、ついて来る?」

「お前が何をするかは、見ていなければならない」

トラスが厳しい口調で告げる。

ククラは納得をした。

この人は僕の見張りも兼ねているのか。

それならば拒否は出来ない。

ククラが肯くのをトラスは複雑な気持ちで見ている。

噂とは違うように思える。


呪縛から放たれたという事か。

事情を知らないはずのトラスは、何故か正解の答えを導き出した。

勿論、本当の呪いだったとは知らない事だが。


ククラは近くの空き地に向かう。家と家のあいだにある小さな緑地だ。

そこに立つとあたりをきょろきょろと見まわした。

トラスが不審そうな目で見ている。

他に誰もいない事を確認すると、ククラは右手を伸ばして口を開いた。


「コール。カモンサモンス」

足元に薄青い魔導陣が浮かび上がる。ククラは召喚の魔導陣を描いた。

トラスがそれを、目を細めて眺めている。

その魔導の光は緩く回りながらその姿を保っている。


再びククラが口を開くのを、トラスは驚いて見ている。

魔導の二重掛けは、難しい部類だ。

こんな何の下準備もしないでするものではない。

「彼の地から此の地へ引き寄せたるは知識の泉」

ククラの声が静かに木々に響く。

「召喚。導き渡る詩篇。」

魔導陣の光が強まり、その中側に別の光が溢れる。

中の光は激しく回り、何かを形作る。

不意に全ての光が消え失せる。地面の上には多数の魔導書が現れていた。


それをククラが屈んで手に取る。

トラスはあっけにとられていた。

こんなやり方で魔導書を手に入れるとは思わなかった。

「…ちゃんとお金は置いてあるからね?」

トラスの顔を全く別の意味にとったククラがそんな事を言う。

「は?お金?」

トラスがそう言うとククラが首を傾げた。

「あれ?代金の事を考えたんじゃなかった?」

「…お前は何処から呼び寄せたんだ?」

ククラが悪戯をしたかのように笑う。

「…ワーズルーンのエレンディアの本屋」


それは。

トラスはククラが言う代金の事を当たり前だと思った。

「…そこが一番、魔導書があるっていうから」

そう言いながらククラは魔導書のページを捲る。

まだ足元にはたくさんの本があった。

まさか持って歩く訳でもないだろう。

トラスはその本の山の心配をする。持てと言われれば持ってもやるが、全てを持ち切れるわけでもないだろうに。


そのトラスの目線にククラが気付く。

「…気になるか?」

「ああ」

トラスの返事にククラは笑って指先を動かした。

なにもない空間が開く。筋が出来てパカリと開いた。

そこにポイポイとククラが本を入れ込む。

そのまま指で空間を撫でる。

あとは何もなかったようにククラが本を1冊持っているだけになった。


「…空間か」

「うん。割と便利だよ」

ククラが本に眼を落したまま答える。

相手の苦い顔には気付かなかった。

「待たせてごめん。準備が出来たから行こうか」

本から顔を上げてククラがそう言った。

トラスは黙って頷くと前を歩き出す。




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