オンウルの魔物・6


主人の家に帰ると、何故かサモールの部屋から魔導士が一人出て来た。

こんな遅い時間に、雇った魔導士を部屋に呼ぶことはほとんどない。


何か緊急の事態でも起こったのだろうか。

ククラは横を通り過ぎる魔導士を見る。

魔導士もククラを見ていた。そして通り過ぎざまにニヤリと笑っていった。


ククラはその顔を不思議に思いながらも、風呂に入るために自分の服を取りに部屋に入る。

入った途端に強い視線を受ける。

サモールが微笑みながら自分を見ていた。


「お帰り、ククラ」

「…ただいま帰りました。遅くなりすみません」


ククラの言葉にサモールは微笑みを崩さずに肯いた。その先に続く言葉はない。

どうやら異変は無かったようだ。

ならばあの魔導士は何でこんな時間に居たのだろう。

主人が何も言わない以上は、ククラから話を聞くことは出来ない。


仕方なく、そのまま自分の服を持ってククラは風呂場へ行く。


ククラが部屋から出た途端、サモールの微笑みが消える。

酷く暗い眼で何かを考えている。

何度もククラのソファの上に視線を行き来させながら、サモールは少し危機感を覚えて悩み考え込んだ。


ククラがもしも他の者に心を許したら。自分にどうやって心を繋ぎ止めればいいのか。

何度も考えを巡らせる。

あの人形を自由に操れなければ自分の描く未来は訪れない。


どうやってあれを繋いでおくか。


さっき来た魔導士が、町の噴水の所でククラが男と会っている所を見たと言っていた。その容姿からするにキダチェクだろう。

屈み込んで親しそうに話していたと言っていた。


そんなに近い距離で話す内容はいったいどんな事だったのだろう。

ククラが笑っていたと言った。

自分以外に笑いかけることなどないと思っていたのに。

サモールは奥歯をかみしめて考え込んだ。


湯船に浸かりながらククラは自分の体調を確認していた。

…まだ身体は動く。

けれど自分の身体がだるくなっている事は分かっている。

少し休んだ方が良いのだろうが。


サモールのやろうとしている事は一朝一夕に出来る事ではない。

自分は急ぎ過ぎているのかもしれない。

ぼうっとした頭でククラは考えていた。


…あの人に会った時は頭痛が少し薄らぐ。


ふいにそんな事が気になった。

理由は分からない。けれどこの間からそれは事実として分かっている。

だからと言って彼に頻繁に会うことは出来ない。

大体、自分の体の不調を治すために他人を利用することは出来ない。

そこまではまだ無情にはなれない。


…薬を飲んで早く寝てしまおう。

服を着ながらククラはそう思った。


部屋に戻る前に使用人に薬を貰おうと小さな部屋を覗く。

ハルさんがいたので風邪薬を貰う。随分と久しぶりに会った彼は、前とはまるで違う態度で、腫れ物に触る様にククラを扱った。

ククラは昔を思い返し、寂しそうに微笑んでから礼を言って部屋に戻る。


紅茶用に汲んである水で薬を飲むと、自分の椅子に座った。

膝を抱えて丸くなり眠る体勢になる。


「…ククラ。今日はもう眠るのか?」

ククラの行動を見守っていたサモールが声を掛けて来た。

眼を閉じたククラが目を開けて椅子を降り、サモールの傍に歩いて行く。


「何かご用ですか?」

いま眠ろうとしていたとは思えないほど、はっきりとした声で聞いた。

「…いや、今日は魔導書を開かないから」

その動きに流石に苦笑を浮かべてサモールがククラに答えた。


「今日は少し体調が良くないので、寝ようかと思いまして」

ククラがそう言うと、サモールが微笑んで自分のベッドを指さした。

「…今日は私と眠ると良い」

サモールの言葉にククラは首を横に振る。

その動作にサモールは眉をひそめる。

「風邪かもしれませんから。…うつると困ります」

ククラがそう言っているのに、サモールはククラを抱き上げてベッドに置いてしまう。


「サモール様、僕は」

「…確かに熱があるようだ。明日は休みなさい」

額を触ったサモールがククラの言葉を遮って言った。

困ったように口を閉じてからククラは抗議をするように自分の主人をを見つめる。

その目線を微笑みだけで返すと、サモールはククラの頭を撫でた。


主人の言葉は絶対だ。

ククラは仕方なくベッドに横になって目を閉じた。


赤い顔をして寝息を立てているククラを、サモールがじっと見降ろしている。

ベッドの横に立ったままククラを見下ろしている眼は、少し焦りの色を帯びている。部屋の明かりの下で、その眼はまるで獰猛な魔獣が獲物を前に戸惑っているようだった。




翌朝にククラの熱は随分と高くなっていた。

潤んだ眼でゆるくあたりを見まわす。

出掛ける用意を終えたサモールが心配そうにククラを見ていた。


ククラは少し微笑んでサモールに心配をかけないように努める。

その顔を見て余計に心配されるとは思っていなかった。


「…出来るだけ早く帰ってこよう。…一人で大丈夫か?」

ククラは重い頭で頷く。

世界が少し歪んで見える。自分の主人がどこか遠くの人に思える。

ベッドの上から眺める世界は少しいびつで。

自分の感覚の変化にククラは驚かない。熱のせいだろうと思っていた。


眼を強く閉じる。

此処を分からないなんてどれだけおかしくなっているんだ。

僕は此処で暮らしているんだぞ、もう何年も。


…何年も?

熱のせいでずれている感覚が、それでも中を侵食していく。


此処に来たのは、まだ半年ぐらい前で。

今は初めての冬で。

…違うだろ。どれだけぼけてるんだ。

何度も繰り返した季節を忘れるほど体調が悪いのかよ。


ククラは布団を被る。

その違和感を消し去る様に、眼を閉じて出来た暗闇に手足を放り投げる。

しばらくぶりの手足を投げて寝る感覚はククラを眠りにと誘う。

早く熱が下がればいい。

サモール様の役に立てないなら生きていても仕方が無い。

そう感じて少し落ち着く。


ククラはその安心感で完全に眠りに落ちた。




サモールが帰ってきた時にはククラは静かに寝ていた。

熱は少し下がったのか、顔の赤みが薄くなっていた。


それを見てサモールはホッとする。


そして自分の気持ちに少し驚く。

これはただの手足ではなかったか?

ククラを見下ろす。その寝ている顔がとても可愛いと思う。


己の周りにいる女どもよりも、もっと。

その感情に気付き、苦い思いを抱く。

サモールは顔をしかめたままベッドに腰掛ける。


ベッドは少し沈んだがククラが起きる気配はない。

サモールはククラの上に屈み込む。

その体温を自分の肌で感じ取って、心臓が痛むほど早く脈打った。


ククラの綺麗な色の口をじっと見つめる。

少しだけ開いたそれは何か悩ましく思えて。

サモールは自分の違和感に、蓋をした。




朝の光が射している。


ククラが目を開くともう次の日の朝だった。

自分を抱きしめて主人が寝ている。


だがいつもと違うのはしっかりと抱き締められていて、そのままでは起き上がれない事だった。身じろぎをするか、しないか考える。

起こしてしまうかもしれない。


軽く息を吐くと目の前の眼が開いた。

「…あ。…おはようございます」

ククラがそう言っても、サモールはじっとククラを見たまま返事をしない。

「…あの?サモール様?」

何処か具合が悪いのかと心配してククラが問いかける。


そして起きているククラの首に手を掛けた。

ククラは一瞬、何が起きているのか分からなかった。

サモールが左手でククラの首をぎゅっと絞める


ククラの手が殴ろうと動かない様にぎゅっと握られているのが見えた。

きつく目を閉じて我慢をしている。

その眼尻から涙が零れた。

ゆっくりと絞めている力を緩める。

ククラを見ると、ククラは呆然としながらゆっくりと首を横に振った。

サモールの腕の中から、後ろ向きに後ずさる。


「…おはよう、ククラ」

サモールがそう言ってもククラは返事をしなかった。

そのククラを見てサモールはわざと溜め息を吐いて見せる。


「…お前は私のものだろう?」

サモールの言葉にククラの動きが止まった。

「…僕は…」

ククラが震える声でつぶやく。


眼は見開かれたままサモールを凝視している。

サモールはその瞳の中に、自分の満足そうな顔を見つけて苦笑した。


その笑顔を見てククラはまた首を横に振る。

サモールがククラに触ろうとすると、ククラはベッドの端の壁まで後ずさった。

背中がとん、と壁に当たる。


「…僕はそんなんじゃ…」

声は小さく、何かと葛藤をしながら言っているのが分かった。

サモールは微笑んでククラの傍ににじり寄る。

自分を見上げるククラの顔に恐れを見出してにこりとした。


「…お前は私のものだ。…そうだろう、ククラ?」

ククラは小さく息を飲む。

サモールの問いかけに、はいもいいえも言えないでいる。

「…それは…」

何とか答えようと、ククラが声を出す。

しかしその後に言葉が続けられずにガタガタと身体が震えだした。

その体を抱きしめると喉の奥で小さく悲鳴を上げる。


サモールは自分の熱に浮かされて、そのままククラに手を振りかざす。


「…良い子だ。…じっとしていれば良いから」

囁かれてククラは絶望的な気持ちになる。

せめてもの抵抗にククラはギュッと目を閉じた。


世界は闇に暗転する。

…嘘だ、こんな事は。




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