オンウルの魔物・3
その日は実に気持ちのいい快晴だった。
ククラは美しい絹のカーテンを開けて、部屋の持ち主に声を掛ける。
「起きて下さい、サモール様。…今日は午前に会議があるでしょう?」
大きな天蓋のついたベッドでは声を掛けられた男が、嫌そうに寝返りを打った。
「…あと、5ミムト…」
ククラが近寄って上掛けを剥ぐ。
「何を言っているんですか。ほら起きて下さい!」
無情なククラの仕業に、サモールは仕方なく身を起こす。
あくびをした後で、じっとククラを見た。
少し怒っていたククラがサモールの視線に気づく。
「…何ですか?」
返事をするとサモールが、くすっと笑った。
「何でもないよ。私のククラ」
変な事を言うものだと、ククラは肩を竦めた。
いまさら何を言い出すやら。
僕があなたのモノなのは当たり前なのに。
着替えを手伝って、のんびりとしているサモールを急かす。
それでもククラは、紅茶を淹れ忘れたりはしない。
「…熱いですよ」
サモールにそう言うが少し遅かったのか、しかめ面のサモールを見る羽目になった。
…湯気で気づけよ。
ククラのついた溜め息を、サモールは無視して紅茶を飲み干すと外に出た。
先を歩くサモールの、すぐ後ろをククラはついて行く。
「今日の予定は?」
振り返らずにサモールが聞いてくる。
「会議の後は、セレスンヴァお嬢様とお食事です」
「…ああ。そうだったっけ」
心底嫌そうな主人の声をククラはいつも通り無視した。
会議には各族長がそろっていた。
サモールが中央の席に座ると、隣の議長がサモールの後ろに立っているククラを不審そうに見る。
その視線に気づいてサモールが笑った。
議長は特に問いただしはせずに会議を始める。
いつものように議論は割れた。
「そのようにこの国を思うのは間違っている」
立ち上がり民族衣装を着た族長が言った。
「この国はもっと発展するべきです」
サモールが言うと何人かの族長は頷き、また別の一人が立ち上がる。
「貴様のやろうとしている事は、この国の侵略だ。我々は認められん!」
さっきとは違う部族の年老いた族長だった。
小さな一族で放牧を主としている。古い家系を大切にしている部族だった。
そのため非常に保守的でサモールとは常に対立をしていた。
「…あなたには最早何を言っても無駄なようだ」
サモールがそう言うと男は怒って顔を真っ赤にした。
「貴様の自由にはさせん!此方にも考えがある!」
そう言うと腰の刀を抜きはらった。
周りの族長たちが一斉に口を開いた。
色々な声が飛び交って話にならない。
「…この国は発展をするべきなのです」
サモールが低く響く声で言った。
皆が黙るのを待って、サモールはもう一度同じ言葉を発した。
「…この国は発展をするべきなのです。愚かな民族の言葉を聞く余地はない」
刀を構えた族長がその刀を構えなおす。
テーブルに両肘をついてその上に顔を乗せているサモール目掛けて走り寄り、剣を振り下ろす。
サモールに届く寸前にその刀は別の剣に弾かれた。
ククラの剣がその刃を防いでいた。
サモールは微動だにせず、にこやかに笑っている。
「貴様の考えはこの国を亡ぼすものだ!」
老いた族長のその言葉にサモールは溜め息を吐く
そして一言、呟いた。
「…ククラ」
肯き、ククラが構えていた剣を下げる。
そして剣を持っていない手を腰のあたりまで上げた。
指先をくいっと動かす。
族長が持っていた刃を床に落とす。
カランと金属の乾いた音がした。
「ぐがははは!?」
族長は奇妙な声を上げて喉を押さえる。
周りの者たちが何事かと彼を見た。
皆の視線の中、老いた族長は血を吹きあげた。
その体が、ばたりと大きな音を立てて倒れる。
会議の部屋に静寂が訪れた。
皆が恐ろしいものを見るようにサモールを見た。
サモールの横でククラが剣を手元から消失させる。
魔導の光が散った。
そしてサモールはにっこりと笑った。
「さあ、会議を続けましょうか」
「そ、その少年はなんだね?」
恐る恐る一人の族長が聞いてくる。
ククラは不思議そうな顔をするがサモールは気にせずに答えた。
「…私の魔導士ですよ。…おそらくはこの国でもとても強い部類のね」
族長たちがククラを見る。
ククラは釈然としないまま頭を下げた。
…僕は前から居たけどな?
ククラの考えをおそらくはサモールは理解をしていたが、特に説明はせずに会議を進める。
サモールの話に反対する族長はもういなかった。
「…僕ってそんなに印象が無かったですか?」
会議が終わって帰る途中でククラがサモールに聞いた。
サモールは笑って答える。
「今まであんな事はしなかったからな」
「…そうですけど…」
まだ何だか不満そうなククラの頭をサモールが撫でる。
「…今日からは皆がお前を覚えるさ」
ククラはその意味を理解し頷いた。
今日、サモールはこの国に宣戦布告をしたのだ。
味方も増えるが敵も増えるだろう。
その敵は全て自分が屠らなければならない。
「…はい」
ククラの覚悟を決めた返事に、満足そうにサモールが頷いた。
その日の夜、ククラはサモールの部屋の自分の椅子に座って魔導書を読んでいた。常に傍に居るために、ククラはベッドでは寝ない。
大概はそこで寝起きをしている。
主人の寝息が聞こえる中、小さくした明りで新しい魔導を覚えていた。
これからは闇魔導を多く使う事になるだろう。
そのための習得時間があまりにも少なかった。
こうやって睡眠時間を割いて覚える以外に、余っている時間はなかった。
ククラは閉じそうな目を擦りながら魔導書を捲っていく。
その音は明け方まで続いた。
次の日の朝、ククラがサモールを起こす。
「おはようございます。起きて下さい」
眠たそうな声のククラに、すまなそうな顔をしてサモールが起き上がる。
ククラにはその理由は分からなかったが、サモールが駄々をこねないで起きた事に感心をした。
「…やれば出来るじゃないですか」
「…それは酷いな、ククラ」
そう言って笑うサモールにククラは笑い返しながら、紅茶の用意をした。
嫌そうな顔をしながら、可愛らしいお嬢様のエスコートをしている自分の主人を眺めながら、ククラは溜め息を吐いた。
…もっとまともな顔しろよ。
ククラが呆れるくらいサモールは嫌そうな顔をしている。
しかしお嬢様にはあまり関係が無さそうだ。
…いつもあんな顔をしているから、もうあんな顔だと思われているんだろうか。
それはそれで何だかお嬢様に悪い気がする。
たらしと呼ばれるのならもっと微笑んでほしい。
前を歩く二人を見ながら、ククラはそんな事を思っている。
常につかず離れずのククラを、お嬢様方はあまり快く思っていない。
邪魔だと言ってくる人もいれば、こっそりと使用人が告げに来る人もいる。
分からないでもないが仕方が無い。
主人の命を守るためには常に視界に入れておきたかった。サモール自身からもそう言われている。
ククラは常に自分の傍に居る事。それは最初に言われた厳命だ。
…いつ、言われたんだっけ?
ククラは自分の記憶を探る。
…ああ。そうだ。
出逢って最初にサモール様に助けられた時に、そう言われたんだっけ。
僕が魔獣に襲われていた時に、あの人は自分の事を顧みずに助けてくれた。
自分が血まみれになっているのに僕の心配をしたんだ。
僕が無事だと分かってほっとしていたっけ。
その時に言われたんだ。
「お前はこれから先ずっと私の傍に居なさい」
泣いている僕を抱きしめて、優しい声で、そう言ったんだ。
ククラは随分昔の事を思い出して困った顔になる。
その約束を頑固に守っている自分が、少し恥ずかしかった。
そして眼前の茶番が出来ない主人に、溜め息を吐いた。
「…もう嫌だ」
小さな声で令嬢が離れた隙に、そんな言葉を言うサモールにククラは眉を顰める。
「この間の約束を破るからこうなっているんです」
冷たく言うククラを恨めしそうにサモールが見る。
そんな視線には慣れているククラは主人の目線を完全に無視した。
お嬢様が席をはずした途端に自分の傍に来たサモールを、ククラは呆れたように見ている。
「…せめてあの子がもう少し、美」
それ以上言わせまいと、ククラが手で主人の口を閉じる。
そんなククラを見下ろして嬉しそうにサモールは微笑む。
…どれだけ構われたいんだよ。
自分の主人を見ながら、ククラは何回目かの溜め息を吐いた。
その後、相当我慢をして付き合ったのか、お嬢様を送り届けた後にククラを急にサモールが抱きしめる。
ククラは何時もの事かとじっとしていた。
この人は時々変な事をする。
「お前ぐらい綺麗だったら…」
だからそれは彼女に失礼だろ。
自分の主人が自分びいきなのをククラは重々承知していた。
…1回眼鏡をかけてみると良いんだよ。
ククラが何を思ったか気付いたように、サモールが顔を上げる。
そして自分の腕の中のククラを見てにっこりと笑う。
「…頼みたい事があるんだ、ククラ」
断れない事は知っているが、この笑い顔の時のお願い事は出来れば断りたいとククラは思った。どうせろくでもないに決まっている。
そしてその予感は大概外れたことはなかった。
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