オンウルの魔物・2



そこには驚くほど人がいた。

何処の道にも歩く人が絶えない。

落ち着きなく周りを見まわしているククラを、サモールは微笑んで見ている。


サモールに連れられてククラはオンウルの中央都市を訪れていた。

オンウルに王都はなく、この都市が王都の代わりをしている。


王権制度のないこの国では、各族長が集まって話し合いをして物事を決めていた。なるべく平等にと決められたやりかただったが、近年それに反対する民族も出て来ている。


他国の近代化に影響を受けて、自国も近代化させようと動き出した民族だ。

その筆頭が、次世代の総族長であるサモールだった。

魔導と、それを上回る武力をオンウルに取り入れようとしている。




ククラはそんな事は知らずに、初めて見る町に心を奪われていた。


美しい街並みだった。


白い壁にオレンジやスカイブルーの屋根が見える。

窓には花々が飾られ、丸い小窓がモザイクのガラスで葺かれている。

水をたたえた噴水は町のあちこちに置かれ、そこに人々が集い憩っていた。


草原を旅ゆく者やこの国を訪れる者の殆んどが、必ず訪れる町だった。


美しい民族衣装を着た乙女たちが、笑いながら通り過ぎていく。

不思議な帽子をかぶった老人たちは、通りすがりの者にも手を振る。


薄いベールをかぶった女性は、サモールと歩くククラに微笑んだ。


金や栗色の髪。青や緑の眼。

色とりどりの石畳。


華やかなこの町は、まさにオンウルの中央と言うに相応しかった。


ククラにサモールが屋台で売っていた焼き菓子を手渡す。


「え?いいの?」

少し遠慮勝ちのククラにサモールは頷く。

「食べなさい。美味しいから」

そう言われて口に入れる。

「うま」

ククラがサモールに頷いて見せる。

サモールが嬉しそうに笑った。


街並みを歩いて行くと、人々が笑顔でサモールに挨拶をしていく。

この人はいったいどんな人なんだろう。

ククラは今更ながら、相手の素性を知らない事に気付く。


…知らない人について来ちゃったな。

小さい頃、親に言われていた注意を思い出す。

今ではそんな事を言う親などいないのに。

そのククラをサモールは微笑んで見ていた。




暫く歩いてサモールに連れられて着いた家は、どう見ても宮殿だった。


「…え」

ククラが入ろうとするサモールの服の裾を急に掴む。

見下ろすとククラが必死に首を横に振っていた。

「……無理」

「…何がだ?」

良くは分からないが、ククラには無理だった。

とにかく入るのには勇気がいるだろう事は分かった。

しかし今は、その勇気を持ち合わせてはいない。


サモールは大きな門の入り口に立ったまま、ククラを見下ろしている。

何故か半泣きのククラに困った顔をした。


「…王子様だったのか?」

サモールはその質問に首を振る。

ククラは疑わしそうに見て、まだそこを動かない。

仕方なくサモールはいったん門の外に出た。


「…王子ではないよ。…此処に住んでいるだけさ」

「でもここはお城だろ?」

ククラの言葉にサモールは、また首を振った。

「…城ではないし、特別な建物でもない。…ただ昔から立っている伝統的な建造物だよ」

「…それをお城って言うんじゃないのか?」

少し落ち着いたククラが聞く。

サモールは肩を竦める。


「…人が何と呼ぶかは私は知らない。ただ私にとってはただの家で、それ以上でもそれ以下でもない」

少し冷めた声でサモールが言う。

ククラは悩みながらも、言いたい事を言った。

「…僕は此処に泊まらないからな?」

「どうしてだい?今日は泊まってもらおうと思っていたのに」

「…無理だから」

「何が無理なのか知りたいな、ククラ?」


自分でも分からないものを人には教えられない。

ククラが困った顔をすると、サモールは軽く溜め息を吐いた。

「…分かった。その代り私の指定する宿に泊まってくれないか?それ以上は譲歩できない」

何だか少し脅された気がしてククラはサモールを見る。

その瞳に他意はないような気がして、しぶしぶとククラは頷いた。

「…分かった。そこに泊まる」


やっと同意をしたククラに、サモールは微笑んだ。

町に引き換えし、大きな宿で宿泊の手続きをされる。

…もう、いいや。

これ以上の反論は何だか子供のダダのように思えて来て、ククラはサモールに言われた通りそこに泊まる事にした。


食事は一緒に食べに行こうと言われククラは頷く。


この町に来てから少し気分がちぐはぐな事に、ククラはまだ気づかずにいた。

お風呂に入ってククラが部屋でくつろいでいるとサモールが夕食を誘いに来た。

どんなところに連れて行かれるのかと、ひやひやしながら付いて行くと意外にもそこはごく普通の大衆食堂だった。


「…気を使ったか?」

ククラが心配そうに言うとサモールは苦笑をしながら答えた。

「君が色々と考えることはないんだ。…私が来たい所に来ているだけなのだから」

「…それならいいんだけど」


ククラの台詞に頷いてからサモールは酒を注文した。

もちろんククラの前にも出て来る。

乾杯でグラスを鳴らした後、料理を食べながら結構な量の酒を飲んだ。

フラフラしているククラをサモールが支えて帰っていく。

泊まっている宿に着いた時には、ククラの意識は半分以上眠りの森に入り込んでいた。


「…ここで寝るのか?」

「…ん…もういいよ、だいじょぶ…」


ククラは答えながら眠い目でサモールを見る。

サモールが眉をひそめたのにククラが気付いた。

「…ごめ、僕、余り、酒が強く、なくて…」

ベッドに横たえられたククラが、足元に座っているサモールにそう言った。

酔った頭で、少しだけ疑問に思う。

何故、彼がベッドに座っているのか。


見た事のない冷たい眼で、自分を見ているのか。


「…良いんだ、ククラ。その方が良い」

「…なんで?」

ククラの疑問の声に、サモールが笑って答える。

「…その方が都合がいいからさ」

「…え?」


自分の喉に手が伸びてくるのを、ククラはぼんやりと見ていた。

…あれ、おかしいな。何で僕はじっとしているんだろう?


もっと早く気付くべきだったのだ。

これが仕掛けられたことだという事に。

あんな夜に人が出歩いている訳がないという事に。

この国の人間なら夜は魔神が出て危険だと知っているはずなのだ。


国に入ってからも皆が笑っているだけなことに疑問を持つべきだった。

無関心な人が一人もいないという事に不信感を持つべきだったのだ。

たかが若い少年に、そこまで恩を返そうという大人はいないと気付くべきだったのだ。


世界には善人だけが住んでいる訳じゃないと、ククラはもっと早く覚えるべきだった。



サモールがニヤリと笑う。

その笑みは闇よりも暗い。

「…待っていたよ。私の魔導士」

「…え、何を…」

その手がククラの喉に触れる。

焼けるような熱さがサモールの手の平から、ククラの体の中に流れ込んだ。

「生憎と私の使える魔導は弱くてね」

自嘲気味にサモールが呟く。

ククラはベッドの上で身もだえしながら耳でその言葉を聞いた。


「…だからこれは魔法さ。…魔導士に貰った私のただ一つのね」

まほう?

こんな強い魔法があるのか?

「…いや、これは呪いだろうな。この一回限りの」

何を言っているんだ。


楽しそうに自分を眺めているサモールを、からだ中を駆け巡る不快な感覚と戦いながらククラは見ている。

自分の意識がバラバラに崩されて再構築されていく。


「…あ…ああ…」

ククラの苦悶の声を甘美な歌声の様に、目を細めてサモールが聞き入っている。

「…これは私に従属する魔法だ。君の全てを刈り取ってね」


それはククラの耳に届いたのかどうか。





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