オンウル 篇
オンウルの魔物・1
「うわああああ!?」
行先を確認せず転移したククラは、只今絶賛落下中。
転移先が何処に開くかは分からないとはアッシュは教えなかった。
今回は空に開いた。
「ちゃんと教えろよ!」
物凄いスピードで地面が近づいて来る。
ククラは覚えた魔導で使えそうなものを必死に頭の中で探す。
これか!?
「コール!フェアリーダンス!」
ふわりと体が浮く感覚で落下が止まった。
下になっていた頭と地面の間は僅かに30センチぐらいだった。
その状態でククラは地面を凝視している。集中が切れる。
ボトリと落ちた。
「く」
顔を撫でながら立ち上がる。
丁度下には草が生えていて、落ちても痛くはなかった。
「…何処だよ、此処」
あたりを見まわしても草だらけで、家の一件も見えない。
地平線まで草の海だった。
「…ええ…」
これは困ったな。
何処を見ても人が居ない。
はるか向こうに何かの生物らしき影が動いているが、ククラには遠すぎてよく分からない。
…多分、馬だな。だって白黒の模様がないし。
決めつけてからぼんやりと周りを見まわす。
これはどうしようかな。
何処に行けばいいのか分からないままククラはそこに立っている。
いい天気なのでそこに座り込んだ。
何をどうすればいいのかククラには分からない。
この間までは決めてくれる相手がいたのだが。
ククラはそっと右目に手をやる。
そこに居るはずの相手は無言で何も答えない。
ククラは静かに息を吐いた。
風の音が上空を駆けていく。
膝を抱えて座っていたククラは何時の間にか眠っていた。
自分の震える体に気が付いてククラは目を覚ました。
ずっと眠っていたようで、辺りは何も見えない位真っ暗だ。
ぶるりと震えた身体を自分の両手で触る。
かなり冷えていた。
何処を見ても真っ暗で、近くの草と遠くの星しか見えない。
足元にはすぐ傍に暗闇があった。
「…どうするかな」
今更の発言だが、ククラ的にはそれが本音だった。
不意に暖かい風が吹く。
どこからか低いうなり声が聞こえてくる。
ククラが息をひそめると、風上から生臭い臭いがしてきた。
…これは血の臭いだ。
見えない風上を見ようと、じっと目を凝らす。
風に乗って微かな声が聞こえた。
ククラはそっちへ向かって走り出す。
駆けつけた時には人が倒れていた。
辺りにはまだ暗い闇の気配。
近づくと人は呻き声を上げる。
「…生きてますか?」
ククラが屈んで声を掛けると、その人物はうっすらと目を開けた。
うん。まだ生きている。
けれどここで魔導を使う訳にはいかなかった。
まだ気配がしているのだ。
ククラは倒れている人を肩に担ぐ。
重いが何とか歩くことが出来た。
よろよろとしながら、人を運ぶ。
背後からこっちを窺う気配がしているが、急に現れたククラを警戒してか襲ってはこない。
それなら今のうちとククラは怪我人に聞いたテントまでその体を運んだ。
話はもう出来ないのか、声を上げる事すらない。
テントの中には他の人が居た。
「…この人が怪我をして」
ククラは次の言葉を言えなかった。
「うわっ!?」
目の前を鋭い光が通り過ぎていく。
中にいた男が剣を構えていた。
ククラを狙ってまた剣を振り下ろす。
相当な勘違いだったが、ククラに言い訳をしている暇はない。
襲い来るその刃を裂けるのが精いっぱいだった。
「…やめろ、ハル…」
その時、運んできた怪我人が口を開いた。
「若様!?」
ハルと呼ばれた男は怪我人の方を向く。その隙にククラが剣を蹴り上げる。
剣は男の手を離れ、入り口近くの地面に刺さった。
「…その子は、助けてくれたのだ…」
まだ口を利くのもつらそうに、怪我人が喋る。
ハルと呼ばれた男はじっとククラを見た。
なぜそんなに警戒されているのかが分からないが、ククラは怪我人に近寄る。
怪我人は少し顔を上げてククラを見た。
呼吸が随分と荒くなっている。
ククラは覚えた魔導の中から、効果の強いと思われるものを選んだ。
まだ詠唱破棄ではこの魔導は使えない。
光の上級魔導。
「癒したる金の天使よ、ここに降り立ちその力を我に授けたまえ」
一旦、息を吐く。
「ミカエルの息吹」
ククラがかざした手から、光がテントの中にあふれる。
二人の男は目をつぶった。
ククラは効果を確かめるために薄く目を開けている。
魔導の光が、怪我をした男を包み込み柔らかく光る。
全ての光がなくなった時には、男の怪我はきれいに無くなっていた。
「…君は、魔導士だったのか」
怪我人だった男が起き上がってククラに言った。
「…良くなったようで、良かったよ」
ククラの台詞に男が微笑んだ。
「有難う。…何かお礼をしなければならないな」
「へ?いいよ。ただの通りすがりだし」
ククラがそう言うと、男は不思議そうにククラを見た。
「…じゃ、僕はこれで」
入り口を開けてテントから出て行こうとするククラを、ハルと言う男が止めた。
「いや、それでは若様の気が済まないだろう。待ちなさい」
強く手を握られる。
ククラは少し嫌そうにその掴んでいる手を見た。
「…いいよ、お礼なんか」
さっきと同じ内容をククラが言う。
若様と呼ばれた男は首を横に振った。
「…本当に感謝している。…せめて今夜は泊まっていってほしい」
ククラは思案顔で二人を見た。
二人はククラの答えを待っている。
その時、足元を生暖かい風が吹き抜けた。
「ちっ!」
ククラがテントの布をばっと開けて外に走っていく。
闇が迫っていた。
頭の中で素早く使えそうな魔導を選ぶ。
使えるものは限られていたが、ククラは必至で覚えている魔導を探す。
目の前に黒い塊が見えた。
何か気配が違う。
魔獣ではない。かと言って魔物と呼ぶには気配が純粋だった。
しかし敵意は変わらない。
「コール!ホワイトスペクトラム!」
光が集まりククラの前方に打ち出される。
その光が闇の塊を破る。
勿論たった一回の魔導で倒せるなんてククラも思ってはいなかった。
手傷を負ったそれはククラ目掛けて牙をむいた。
黒い霧のようなものが視界を遮る。
ククラの身体をその霧が切り刻んでいった。
只でさえ夜で見えにくい視界がなくなって、ククラは反撃が出来ない。
「くそっ!」
これは何の魔導だろう。
頭の中で開いたことのある魔導書を紐解く。
正解は読みかけだった本の中にあった。
破るのに有効なのは、やはり光。
思い出すのは、柔らかい教え手の声。
「惑うなかれ春の光よ。つむぐはその調べ、歌うは華の歌」
ククラが走りながら、その闇に向かって叫ぶ。
「綾なす旋風の舞!」
疾風と光が巻き起こる。
闇を巻き込んで光るそれは、夜の空に映されて空の雲を照らす。
「…は、やったか?…」
身体からは血を流し、魔導力もかなり使ったククラが呟く。
しかし目の前には再び闇が集結しつつあった。
根っこを討てなきゃ駄目か。
何回でも再生をしそうな気配にククラは閉口する。
これを討つのは僕には不可能だろうか。
少し気弱になる自分にククラは首を振って気合いを入れる。
…教えて貰ったのは諦めるためじゃない。
前へ進むためだ。
右眼に手をやる。
思い出せ。たくさんの知識の中から選び取るんだ。
集まる闇は再び人型になっていく。
ククラは最善と思う魔導を、それに向けて放った。
「昔語りの良き人々なる、その言葉を伝えんあまた今人に!」
限界まで集中する。
「伝承の試算!!」
それは空間の魔導。
目の前の闇は光り輝くガラスの箱に姿を変える。
小さなそれはもう闇を纏わず、灯火のような光を放った。
ククラは乱れた息を吐きながらそれを手に取った。
それは滲むようなほのかな光を放っている。
「…は…こんな使い方もあるのか…」
本に載っていた使い方の例にはなかった。
自分で必死になって考えて返還をした。
魔導を新しい解釈で使ったとククラは思っていた。
それが新しい魔導になったとは思いもつかない。
教え手がいたら、それをきっと驚きと感嘆の言葉で褒めただろう。
しかし今のククラにはそれを知る術はなかった。
息を整えながらゆっくりと歩いて行く。
少し歩いたところで人の声に気が付いた。
誰かが誰かを探している。
こんな夜中に。誰だろう。
その声はククラを視界に入れると、駆け寄って来た。
「探したぞ!いったいどこへ行ったかと思った」
「え?」
息を切らせた若様が苦笑を浮かべて言った。
「心配したぞ、大丈夫か?」
それは全くの別人だと分かっていた。
だが不意のその言葉はククラの何かを刺激する。
「…こっちに来なさい。お茶でも入れよう」
彼はククラの頭をそっと撫でると、ククラの涙をぬぐった。
ククラは小さく頷いて共に彼のテントに向かった。
二人が中に入った後に、遅れてハルが帰って来た。
別の場所を探していたのだろう。
真っ赤な顔で息を切らせていた。
ククラを見ると大きな安堵の溜め息を吐く。
そんな二人をククラが不思議そうに見ている。
ハルがお湯を沸かすために、部屋の真ん中にあるストーブに火を入れなおす。
暖かい空気が皆を包んだ。
「…美味しい」
ククラが呟くと二人の男はにっこりと笑った。
どうやら自慢のお茶らしい。
傷だらけの自分の身体を治すために魔導力を使い果たしたククラは、そのままそこに一晩泊まる事にした。
何やら二人が帰す気が無さそうだったのもある。
ククラがお茶のお代りを貰ってから、若様が改まってククラを見た。
「…ありがとう。おかげで命拾いをした」
「…大袈裟だよ。…いいよ礼なんて言わなくて。僕だってお世話になってるし」
そう言うと、若様は困ったような顔になる。
「それではこちらの気が済まない。今回は遠出の為に何も持っていないのだ。是非とも家まで来てもらってお礼を受け取って欲しい」
「…ええ…」
それは微妙だとククラは思った。
そんな事を要求するものでもない。ただ魔導を使っただけなのだ。
しかし若様は真剣に見ている。
これは断れないなとククラは心を決める。
「…行くだけならいいよ」
「そうか。有難う…」
そう嬉しそうに返事をしてから、若様が悩むように人差し指を動かした。
「…君の名を教えて欲しい」
ああ。名前を呼びたかったのかとククラは納得をする。
「僕はククラ」
「そうか。私はサモールと言う。…あれはハナだ。よろしくなククラ」
「ん。よろしく」
ククラがそう言うとサモールは微笑んだ。
もう夜も遅かったので、ククラは食事を断って毛布を借りてテントの隅で包まる。
ククラは目を閉じた。
色々な事が瞼の裏に浮かぶ。
それはほとんどが楽しい記憶で。
もう新たには紡がれぬものばかりだった。
まだこうやって思い出しても良いよね?
少しずつ変えていくから。
泣かない様に。
笑える様に。
苦痛を我慢するように、ククラは悲しみも我慢しようと思った。
けれど、心は思い通りにはいかない。
何時しか消えていく記憶を悲しいと思う。
無くなっていく思いを悔しいと思う。
…あなたがいない事を寂しいと思う。
けれどきっと僕はこの先も生きて。
誰かと一緒に笑うんだ。
この世は楽しいと笑うんだ。
そうやって変化するだろう自分を嫌だと思う。
そしてきっとあなたは、そうであれと思うだろう。
それが分かる自分を嫌だと思った。
翌朝は綺麗に晴れていて、雲一つない空が広がっていた。
ククラはその空を見ている。
青い空が日差しを地上に届ける。
そうやって紡がれていく日常。
繰り返し訪れる日々。
それはククラにも変わらずに訪れるだろう。
ククラは青空を見つめている。
空は悲しいほど美しかった。
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