始まりの赤い悪魔・3


二人が町に着いたのは夜が明けてからだった。

既に寝ている子供を抱えたまま、アッシュは宿を取る。

この中規模の町に泊まるようだ。


ベッドに子供を寝かす。

それからそっと屈み込んだ。

ククラの首を狙ってその口を開く。長い犬歯が生えていた。


「…アッシュ」

動きが途中でとまる。

はからずもかなりの至近距離だ。

「何だ、ククラ」

取り繕うようにククラの両脇に手を着いて身体を少し離す。

まだ半分寝ているククラは、その焦りが見えない。

「…運んでくれて、ありがとう」

そう言うとまた目を閉じて眠りに着いた。小さな寝息がする。


アッシュは困ったように笑うと、体を起こしてベッドを離れた。


翌朝ククラがベッドで起きると、アッシュが枕元で座って見ていた。


「…おはよう?」

「何故、疑問形なのだ」

「だってアッシュは寝てないだろ?」


アッシュが頷くのを、ククラは不思議そうに見ている。

目を擦りながらベッドを降りようとするククラをアッシュが止めた。


「そのまま、下りない方が良い」

「うん?なんで?」

アッシュがベッドに上がり、半身起していたククラの身体を倒し、肩を押さえた。

急な体勢に、ククラは少し嫌そうにする。


「なに?」

「昨日聞いたが、お前は14歳だそうだな?」

「…心はね」

ククラのその返事をアッシュは頷いて聞く。

それがなんだと抗議の声が上がる前に、アッシュは言葉を継いだ。

「ならば、年相応の身体にしてやろう」

「…は?何を言って」


続きの言葉は言えなかった。赤い波動がアッシュの両腕からククラの身体に流れ込んだ。

視界が赤い光に満たされ、ククラの身体に痛みが走る。

それは頭の先から足の先まで激しく駆け抜けた。


身体が急激に成長していく。

気を失うほどの痛みにも、声を上げない少年にアッシュは感嘆の声を洩らした。

「ほう、根性があるな」

赤い光が収まった時には確かに年相応の体格になっていたが。息を切らしたククラは起き上がりアッシュを睨みつける。

睨まれてアッシュは少したじろいだ。

冷汗だろうが、その顔も濡れていて余計に。

年相応になった少年は、少年には見えなかった。


「い、つ…てめえ」

口は悪いが。

「…いや、こうなるとは思わなかったな」

「はあ!?何言ってやがるんだ、このやろう!」

ククラが起き上がりざまアッシュのお腹に拳を叩き込む。


「ぐ」

座っていた椅子から転げ落ちる。

ククラがタオルを持って風呂場に行ったあとで、ゆっくりと起き上がった。

腹を擦りながら、ぼそりと呟く。

「…なかなか凶暴な使い手だな…」


ククラは鏡に映る自分の顔を見て、嫌そうな顔をする。

またこんな事か。

灰色の柔らかそうな髪に、紫色の大きな眼、子供のような顔立ち。

自分でも余り男には見えないな。

「…ちっ」

鏡の中のククラも一緒に舌打ちをした。


そして風呂を出て来てからククラが気付く。

「なあ、アッシュ」

「何だ」

もう普通の顔をしてソファに座っていたアッシュに問いかける。

「…僕の服はどうするつもり?」

ああ、と言う顔をしたアッシュに溜め息を吐く。

無計画が過ぎる。

「忘れていた。これでどうだ?」

アッシュがぱちりと指を鳴らし、瞬時に服を纏うククラだったが、見降ろして眉を顰める。

「これさあ」

「子供の服など、そんなものだろう?」

貴族の子供ならな?絹とか市民が着る訳ないだろう。

やれやれと肩を竦められた。

これは自分の我が儘か?ククラは無言でベッドに座る。


アッシュはその余りの変わりように、しみじみとククラを見ている。

それが余計気に入らない。

「何を見てるんだよ」

腹を立てて言ってみるが、相手は笑うばかりだ。


…やめようか。この容姿は別にこいつのせいじゃない。

ククラは溜め息を吐いて、立ち上がる。


「何処へ行くんだ?」

「…腹が減ったから、飯食いに行こうかって」

そこまで言ってククラは気付く。

自分がお金を持っていない事に。

立ったまま考え込んだククラにアッシュは怪訝そうな顔をする。


「…何か考えているか?」

ククラは変な質問だなと思った。

なにを、と、なにか、は違うだろうと。


「…考えてるけど?」

「そうか?いやおかしいな」

「…なにが?」

アッシュが首をひねっているのが何となく気に入らない。

「いや、分からないから…」

素早く口を閉じたアッシュの、その台詞をククラは考えた。

そして一つの結論にたどり着く。


「…アッシュ、お前、僕の考えが読めていたんだ?」

「…いいや。そんなことはないさ。食事に行くのなら私も一緒に行こう」

立ち上がったアッシュを非常に疑わしそうな目でククラが見ている。

その背中を押しながら、アッシュは外に出た。


外の店で食事をしながらアッシュは不機嫌そうなククラをしみじみ眺めた。

この容姿は、あまり良い事ではないな。

多分ククラにとっては嫌な事項が出て来るかも知れない。

男なら大概は嫌な事項だろうが。


急激に大きくなったために、知識も何もない状態だ。

…早まったかな。食すなら量が多い方が良いと思っただけだったのだが。


「ん?」

見られている事に気付いたククラがアッシュを見る。

いや、まずいな。

その目線を受けてアッシュは眉を顰めたまま、どうすればいいか考えている。


フォークをくわえたまま、ククラも眉をひそめる。

相手が何を考えているかは分からないが。

どうせろくな事じゃないだろ。


自分の容姿を思い出してククラは溜め息を吐く。

そして自分の手を見る。

子供の手よりは大きいけれど、とても年相応の手には見えない。

何処に行っても舐められる気がする。

もう一つ溜め息を吐いた後、大きな口で肉にかぶりついた。



食事の帰りがけにアッシュがククラに、寄りたい所があると言いだした。

別に目的もないククラは頷いてアッシュに付き合う。


アッシュは本屋に入った。

ククラは後ろで周りを観察しながらついて来る。

興味があるようで良かったと思いながら、アッシュが選んではククラの手に本を積んでいく。


「…どれぐらい持てばいいんだ?」

7冊目が積まれたときにククラが質問した。

アッシュはもう一冊持っていたが、それは自分で持ってカウンターに行って会計をした。

その後ろではククラが痺れた両手を振りながら立っている。


「…本が好きなのか?」

持たされたことには余り文句は言わず、ククラがアッシュに聞いてくる。

帰り道の今も半分は持っている。

「ククラの本だよ」

「…へ?」

驚く顔を見てアッシュはにっこりと笑った。


宿に着いてからククラは手渡された本を見る。

パラパラとめくっていたが、突如本を勢いよくパタンと閉じた。


「…非常に残念なお知らせがある」

急に言い出したククラを、アッシュが見ると。

ククラは本を片手で、プランとぶら下げた。

「…文字が分からない」

「……は?」


「そ、それは、盲点だったな…」

「…早く言えよ、そういう事はさ。僕だって止めるぐらいは出来るんだから」

ククラがそう言って眉をひそめた。

アッシュは真剣そうなその顔に少し驚く。

「止める?」

「…お前を止めるんだよ。…何でも決めつけやがって」

ククラの言葉にアッシュの動きが止まった。


「…ククラ?」

「ん?何だ?」

「…私は何故使い主であるお前に、自分の意見を行使できているのだ?」

アッシュの問いかけにククラが疑問をはさむ。

「それはどういう意味だ?」

「…本来なら私はお前のものだから、お前が嫌がることは出来ないはずなのだが、気が付けばお前が嫌がっている事をしているな…」


呆然としているアッシュの前で、ククラが居心地悪そうに下を向いた。


「…ごめん、アッシュ」

「何故謝っている?ククラ?」


突然の謝りの言葉にアッシュが驚いた顔でククラを見た。


「…昨日抱えて貰っている時に、もう解除してあるんだ。…その契約ってやつ」

「え?いや、しかし…」

「腕に居るのはそのままで良いかもなって、勝手に思っているからそうなっているんだと思うけど。…ごめん。言わないで解除して」


ククラは下を向いている。

アッシュは疑問を口にした。


「何故そんなことが出来るのだ?」

「…解除の方?」

小さな声で呟くククラにアッシュは頷いて見せる。


「…前の記憶があるからだけど…」

「前の記憶?」

少し口を動かして、言うか言わないかを悩んでいるように見えたククラは、ギュッと口を結んでからアッシュを見た。

その真剣なまなざしにアッシュは少し怯む。


「僕は転生をしている。…前世の記憶があるんだ」

アッシュは逆に合点が言った。

それでこの子供はこんなにちぐはぐなのかと。


「…そうか。それで私の許可なく契約を破棄したのは何故だ?」

「僕が自分の命惜しさにした事だ。…お前が納得した訳じゃなかっただろう?」

まったく、この子供は。

アッシュがククラに手を伸ばす。

ククラはびくっとなったが大人しく頭を撫でさせた。


身を竦めて撫でられている姿に疑問を持つ。

「…ククラ、お前は何でそんなに触られるのが嫌なんだ?」

「……すげえ嫌って訳じゃないけど」

少し顔を俯かせてククラが答える。

恥ずかしいのとは少し違うようで、アッシュはまさかと思いついた。

しかしそれを口にするのは、少し憚られた。

相手は仮にも男の子だ。


「…それで、居場所があり続けているのは?」

ククラが顔を上げる。

「…正直そっちは分からない。そう思っただけだから」

アッシュが溜め息を吐く。ククラは気まずそうに再び俯いた。


「お前には魔導の才能があるのだろうな」

「…僕に?…そうかな」


余り嬉しそうではない音律でククラが答える。

アッシュはおや?と言う顔でククラを見た。子供、いや此処の住人なら魔導の才能があると言えば喜ぶだろうに。

しかし目の前の少年は本当に嬉しそうではなかった。


変わった奴だな。

アッシュはそう思った。

そして変わった奴は嫌いではなかった。


「…もう一度私をお前に取り込め」

「え?…なんで?」

「…契約をしよう、ククラ」


それはまるで、安い物語のように。

ククラの手を取り傅いたアッシュを、ククラは困った顔で見返した。





「どうしても読めないと」

「…書いて覚えるから、時間が掛かるって」

アッシュがククラの手元を見た。

紙には確かに沢山の文字が書いてある。

ロウスクールの子供も驚くぐらいの勢いで書いてあった。


「ふう。難しいのはまだか」

「…溜め息を吐くなよ、へこむだろ?」

魔導書を読み解くためには言葉そのものを覚えなければならない。

ククラの識字レベルではまだ、魔導書は難しかった。


教え方が悪い訳でも、呑み込みが悪い訳でもなかった。

単にアッシュの気が短いだけだ。

アッシュはこの3日間賢明に教えている。


人に何か教えたことはなかったので、手順も考えやり方も工夫をしたつもりだ。

だがその努力を懸命にしたために、ククラに無理な見返りを要求している。

つまり自分の努力分は伸びろと。


ククラは教えてくれるアッシュに答えようと懸命に勉強をしていた。

高校受験はしなかったが、それもこんなにはしないだろうと言うぐらいにはやっているのだ。しかし、まだ足りないようだ。


ククラは深い溜め息を吐いた。



何時も通りククラがベッドに入るのを確認してから、アッシュはふらりと街に出た。

どうしても自分が過熱するのを押さえられないのが悔しかった。


なぜこんなに必死なのか自分でも理解が出来ない。

どうしてこんなに急いでいるのか。


誰も歩いていない町で月を見上げる。

大きく明るく光る月の光はアッシュを照らす。

彼は目を細めてその月を見ながら、ほんの少しの違和感を感じた。


それは、この先の時間。


会ったばかりでまだまだこの先何年も続くだろうと思われる時間。

ククラと過ごす時間。


それがない気がしている。

時間が足りない気がしている。

寝る間も惜しんで彼といなければならないような焦燥にかられる。


それは単なる妄想なのか思い込みなのか。

しかしアッシュにはそれは確かな警告に思えた。


これが焦っている原因か。

自分の胸の当たりを押さえてアッシュは溜め息を吐いた。


…これはククラには関係ない事だろう。




夜の街をさまよってから宿に帰ると、薄っすらと光が漏れている。

不信に思ってベッドのある部屋を覗くと、ククラが本を読んでいた。

指先で字を辿りながら、少し眉を寄せつつ文字を追っている。


少し目を閉じて溜め息を吐いた。

何か気に入らないのか頭をガシガシと掻く。


それからその自分の手をじっと見つめる。

ククラの泣きそうな顔にアッシュは声も出ない。

何がそんなに悲しいのか。

決して勉強の事ではないだろう。


ククラが立ち上がって部屋に有る鏡の前に立つ。

自分の顔をじっと凝視した。

暫く動かない。


やがて手を振りあげると鏡に拳を叩きつけた。

鏡が割れてククラの手から血が流れる。


「…っくしょ…」


悔しそうな声は部屋に入ろうとしたアッシュの足を留まらせた。


悪魔は大概の事には動じない。

何を手に掛けようが人が泣こうが魔獣が消えようが関係ない。

自分がしたいように生き、振舞えばいいだけだ。


ましてやアッシュは悪魔族の中ではトップに数えられるほどの力の持ち主だ。

今まで召喚はされても願いを一つかなえてやるだけで、それに従う事なんてなかった。

それは不快な事だと思っていた。

実際今でも思うだろう。


こんな風に少年の姿を見るだけで自分の心臓が大きな音を立てるなど考えられない。

だがアッシュはそれを現実に体感していた。

こんなにあせるなんて有り得ない。

それでも耳元でなっているかのように心臓は不定期に音を鳴らす。


「…アッシュ?」

ククラがドアの方を見る。

返事がないからか、近寄りノブを引く。


「…どうしたんだ?」


それはこっちの台詞だとアッシュは思った。


ククラは深い闇を見ているような目でアッシュを見上げていた。

それは今まで一度も見た事がない眼で。


「ククラこそ手を怪我している。…どうしたんだ?」

「ああ、これ?」

自分の手を見るように顔を伏せた。

ククラはそこで息を吐く。


「何か手が滑ってさ。かっこわるいな」


次に顔を上げた時には、アッシュの知っている何時もの生意気な子供だった。

そこに違和感はない。


その違和感の無さにアッシュは困惑した。

アッシュはククラの手を取り怪我を手当てしていた。

悪魔であるアッシュは光魔導が使えない。

そして治療を施す魔導の殆んどが光魔導だった。


丁寧に布を巻きつけるアッシュに大人しく手を預けているククラは、ちらりとアッシュを見る。その視線に気づいてククラを見ると本人は少し俯いていた。


「…あのさ」

ククラが小さな声で呟く。

「なんだ?」

アッシュは布を巻き終わったククラの手を軽く握ったまま返事をする。

その手を見ながらククラは言葉を継いだ。


「…僕、頑張るからさ、よろしく頼むよ…」

「……分かっている。お前に最後まで付き合おう」


アッシュの言葉に不安そうな顔でククラは頷く。

自分自身の言葉に自信のないアッシュも頼りなく肯きを返した。


ククラがベッドに入ってからもアッシュは傍の椅子から立ち上がらなかった。

何度も薄目を開けては確認をする。

そのククラの行動にアッシュは口を出さなかった。


この時間が足りないとは思いたくなかった。


あれはきっと月の光のせいだ。

それが悪戯に気持ちをかき乱したのだ。


アッシュはやっと目を開けなくなったククラを見ながら、そう思う事にした。



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