始まりの赤い悪魔・2



取り敢えずは先を目指すべく、森の奥へ歩いて行く。

しかし、自分の覚えている体力とかけ離れたわずかな体力に、ククラは閉口する。

直ぐに息が切れた。

休める場所を探そうと辺りを見回した時に、知っている臭いを嗅いで驚く。


これはさっき嗅いだ臭いだ。

人の血の臭い。


少し先の木の影に、何やら寄りかかっているような人影があった。

大怪我をしているかも知れないと急いで走り寄る。

そこには見た事もない光景が待っていた。




木に寄りかかっていたのは、すでに息絶えた人だったようだ。

その人の切られた首から出ている血が、誰もいないのに勝手に筋を引き、形を作っていき、茶色い土の上にまるく輪を描いていく。


地面に血で何かが描かれている最中だった。


…これは、いったい何だろう?


ククラは恐ろしさと奇妙な感覚に支配されて身動きが取れない。

こんな光景は見た事がなかった。

まるで向こうでのオカルト映画の様だ。


恐ろしい気配が少しづつ辺りに満ちて来ているのに、その場所を離れられない。

足は竦んでいるし、心臓もバクバク音を立てていた。

それなのにククラは目が離せないでいる。


目の前では、輪の中に色々な文字やマークが血で描かれていくというのに。

傷口から跳ねるように飛んできて、空中で弾けると文字になっていく。


それは本物の人の血で描かれているのに。

ククラは気持ちが麻痺をしていて、特撮のCGにしか見えなかった。


自分も巻き込まれるだろう事は頭の隅に浮かんだが。

どうしても逃げる気が起こらない。


ククラの目の前で最後の一滴が跳ねた。

地面の輪が繋がりその形が完成する。


不意に風が吹きあがってくる。

それは、確実にその輪の中央からから吹いて来ていて。

立っていたククラの髪を揺らし始める。


つむじ風のようなそれは、辺りの枯葉を巻き込み輪を中心に回り始める。

輪の中から、何かの唸り声が聞こえて来た。


「…う、あ…」


ここに来て初めてククラは声を出した。

今までは声すら出なかったのだ。


靄が立ち込めて、輪の中をゆっくりと満たしていく。

何かの頭が地面から生えてくる。


それは人の頭のように見えた。ただし大きさが違い過ぎる。

どう見積もっても成人男性の5倍はあった。


「…あ…」


驚きの叫び声も出ない。


さっき、転生したことを分かったばかりなのだ。

未だ心の大半を占めているのは、3歳のククラだ。

恐怖が強すぎて判断が鈍る。


何でそんなに大きいのか。

何で頭には角が生えているのか。


地面から出て来て見えた目が、恐ろしく赤く光っていた。

暗かった辺りは、更にその暗さを増して闇となっていく。


出て来た肩も腕も、とてつもなく大きい。

周りに生えている木々に迫る大きさが現れるだろう。 


ククラの足はまだ動かない。

必死に動けと思っているが、それが体に伝わらない。


それの口が開いた。

口からは呼気が煙のように流れていく。


「…お前は何だ?」


地に響く声で問われる。

しかしククラには答えることが出来ない。


ククラが無言で首を横に振ると、それはニヤリと笑った。

その口は横に裂けていて、ヤギぐらいなら一飲みに出来そうだ。


もうすぐ足先まで出てしまう。

そこから出たら、こんな子供はすぐに食われてしまうだろう。


そいつはもう一度笑った。

身体が全て、地面の上に出きったからだ。

ぐっと手を伸ばしてくる。ククラの身体を握った。


「う、ああ!」


傍まで引っ張られる。

輪の中に自分が入ったら終わりなのは目に見えていた。

食われる!


それは自分の力の圏内に入ったククラの手をぼりりと齧った。


「あああ!!」

痛い痛い痛い!!

僕の手がなくなっていく!!

叫ぶククラの口から、言葉がまろび出た


「…スベカラクスベテヲスベルアマツカミヨ。カノチヨリジンダイニイタルイマカミヨノチカラヲワガチニヤドシタマエ!!」


何処からか魂振りの鈴の音が、しゃりんと聞こえた気がする。


いま言ったのは僕の口だよね?

…まだ、覚えていたのか。


それこそ映画のCGのように、そこにいた者はぐちゃぐちゃに形を変えて、ククラの腕の中へ吸い込まれるように消えていった。



「…はっ…はっ…」


風も靄も収まって、そこには物言わぬ亡骸と魔法の輪の後だけが残っている。


痛みとそれが急速に無くなった衝撃で、ククラは座り込んでいた。

1回はなくなった自分の右手を見る。

齧られたので服の袖はなくなっていて、むき出しの肌が見えている。


…これは何の模様だろう。


ククラの右肘の少し下に、丸い形の刺青のようなものがある。

よく見れば、眼の前の地面に描かれている模様に似ていた。


その模様の下で、もぞりと何かが動く気配がした。


「うっ!?」


ククラは思わず自分の腕をぴんと伸ばして、なるべく身体から離そうとした。


『お前は何者だ?』

「うわ!?誰だよ?」

耳元で急に男の声がした。

ククラは返事をしたものの、辺りには人の気配はない。

もちろん木の下の遺骸が喋った訳ではないだろう。


『…お前の腕の中にいる。さっきの悪魔だ』

「…え、これ?…悪魔だったんだ」


どうりで、怖いわけだ。

ククラは前世からそういった類のものが苦手だった。

気配が濃厚に分かるがゆえに、いっそう避けていた。


「…僕の腕の中にいるって?」

『そうだ』


…大丈夫だろうか、僕は。そんなものを体に入れて。

ククラは自分の顔が青ざめた気がした。


『…何を使ってこんな事が出来るのか知らないが、私はお前の支配下に入った。

つまり使い魔と同じ扱いだ』

「使い魔…って何?」


はああ。

ククラの耳元で深いため息が聞こえた。


…何か変な事を言っただろうか。

ククラは此処では、生まれてから1回も勉強をしたことがない。

住んでいた貧しい村に学校はなく、教えてくれる大人もいなかった。

この世界の事もほとんど知らない。


『…何を知らないんだ』

「…殆んど全部かな」

『お前は今まで何をやっていたんだ?』

「…普通の子供」


悪魔が口を噤んだ。

…何で悪魔に沈黙されなきゃならないんだろうか。

20秒ほど黙っていたが、気を取り直したのか悪魔がまた口を開いた。


『この状態でお前に説明をするのが面倒くさい。外に呼び出してくれないか?』

「…どうすればいいんだ?」


『私の名を呼べばいいだろう?』

「…知らない」


…また黙ったよ。

今度は悪魔が復帰するまでに1分は掛かった。



『私の名を知らないのに、支配下に置いたのか?』

ククラが頷きながら答える。

「…知らないよ。…呼ぶから名前を教えてよ」

『く。………アスモデウスだ』

余程の屈辱なのか、伝えるまで間が空いた。

ククラは知っているやり方で、呼び出してみる事にした。


「イデマセ、アスモデウス」

両手を合わせて、柏手を一度うつ。

名前を呼ぶと、腕の刺青から何やら煙が出て来て、隣に人がいた。

真っ赤な髪と真っ赤な眼を持つ長身の男の人が立っている。


「…あれ、人だったの?」

「…お前が怖がらぬように気を使って出てみれば」

はああ。

悪魔がまた、溜め息を吐いた。


「…それはお心遣い有難うございます」

そう言ってククラが頭を下げると嫌な顔をした。

分かってくれて良かったよ。


「お前は、案外掴みどころがないな。」

…それは褒められているんじゃないよな?

ククラは心で呟くが悪魔は身体の中と繋がっているので聞こえているようだ。

悪魔がなんだか渋い顔をする。


「…で、何を教えてくれるの?僕は本当に何も知らないんだよ?」

「威張れることか?」

ククラの問いに悪魔が答える。

威張ってはいないけど。

本当に知らないやつに教える程、面倒くさい事も無いだろうと思ってさ?

その呟きも聞こえている事をククラは知らない。 


悪魔が何故か咳ばらいをした。

ククラにはそれでは伝わらない。


「…とにかく使い魔とは、自分が召喚をして相手と契約を交わして、自分の物になってもらったものだ」

「召喚、契約。…なるほど、分かった」

やけに呑み込みの早いククラに、悪魔が疑いをかける。

覚えたかまでは分からないようだ。


「…本当か?」

「うん。多分」

ククラが頷く。

昔の記憶を引っ張り出して、似たようなものを見つけたのだ。

式神の変形と思えばいいのか。


「…ところで、お前の名前は何というのだ」

「…ククラ」

「そうか。ククラか」

悪魔が頷くのを見て、ククラはニヤリと笑いながら言った。


「…あなたはアーデでいい?」

「是非、やめてもらいたい」

「え?何で?」

ククラのにやにやに気づいて悪魔が顔をしかめる。


「…女性呼びだと知っているのか?」

「うん。知ってる」

「…食えぬな」


食われました。さっき。


ククラがなにか考えている風なのを、悪魔は不安そうに見ている。

はたから見たら、普通のお兄さんと子供に見えるだろう。


「…じゃあ、アッシュ」

「すでに、新たな名前ではないか?」

自分にはそんなセンスはないのだと言わんばかりに、ククラが肩を竦めた。

悪魔は仕方なくその名前を了承する。


話がひと段落ついたと思ったのか。

ククラは木に寄りかかった遺骸を見つめる。

何処の誰かも分からない人を連れてはいけない。


何の道具も持っていない自分では、埋葬する事も出来ない。ククラはじっとアッシュを見る。

アッシュは仕方ないだろうと肩を竦めて見せた。


「…あなたがやったんだろう?」

「私は呼び出されただけだ。…この供物の事までは知らない」


ククラは眉を寄せる。


「…僕が来た時には誰もいなかったけど?」

「仕掛けだけをして、立ち会わなかったのだろう?」


やっぱり仕組みが分からないと、理解がしづらいな。

ククラのついた溜め息を、アッシュは聞き流した。


「…しばらくはお前に付いて行こう」

「なんで?こんな子供に、何か価値があるとは思えないけど」

素早く答えられて、アッシュは少し閉口する。

「お前は良く口の回る子供だな。」

「え?僕、本当は14歳だし」


言われたアッシュがじっとククラを見た。

言ったククラもアッシュを見返す。


「いやいや」

「は?信じろよ?」

アッシュは首を横に振っている。

怒ったようにククラが歩き出した。

アッシュが後ろからククラを抱き上げる。


「うわ!?」

驚きの声をあげたククラにアッシュが笑いかけた。

「この方が早い」

「…今に見ていろよ」

ふふ、とアッシュが笑う。

抱えられた子供はそれを見てから、照れた顔を隠すように暗い夜道に目を向けた。




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