一般女性のファムファタル

雅ルミ

一般女性のファムファタル

 僕にとってのファムファタルは、15の春に現れた。


 ファムファタルの彼女を、仮にMと呼称する。


 如何にMが魔性性を持っているかはきっと、この世界で僕にしか分からない、分かってほしくもない。


 いやむしろ、Mが魔性の女たるのは僕の内の問題であり、Mに魔性性など無く、ただの少女であり、そしてただの一般女性になったのかもしれない。


 とにかく、15の春とはつまり高校生になったばかりの頃である。


 僕とMは同じ文化部に入部し、そこで出会った。


 当時のMは、自分こそが世界で一番可愛いと思っていたか、あるいは一番可愛く在ろうとしていた。


 そして当時の僕は、自分こそが世界で一番クリエイティビティに富み、少なくとも同年代の人間には芸術性とエンターテインメント性、そのどちらにおいても勝っているという確信を持っていた。


 Mは色恋に関心のある、普通の女子高生だった。


 ある日、Mが同学年の男子に告白されたことを知った。


 そこで僕は何故だろう、Mに好意を伝え、「自分を選んでくれ」と告げた。


 今にして思えば、そこに真にMへの好意があったのかどうか、分からない。


 覚えていない、とも言えよう。


 結局のところ、Mは僕を選んだ。


 それが高校1年目の6月9日の事である。


 以降2年ほど、特段と語る話は無い。


 互いに初めての性行為を行ったのは、現代の高校生カップルならば特筆するべき出来事でも無いだろう。


 都度喧嘩のようなじゃれ合いもあったが、2人の関係を揺るがすほどの大事には至らなかった。


 変化が起きたのは、僕とMが高校3年に進級し、もうすぐ秋を迎える頃合いだった。


 その年に入学、入部してきた新入生にひとり、どうも僕に懐いた少女が居た。


 それがどうしても僕の異性のタイプにほど近く、ハッキリ言ってしまえばMよりも好みの少女像であった。


 なにぶん当時の僕は自分という存在こそ何よりも魅力的であると信じて疑わなかったから、僕の方からMを振り、後輩の少女に交際を申し込んだ。


 前後関係を強調しておくが、Mを振ったのが先、後輩の少女に交際を申し込んだのが後だ。


 僕にも色恋に関する倫理観があったからこそ、その出来事の前後をひっくり返すような汚いマネはしなかった。


 2年間寄り添ったMを、自ら手放す。


 まるで色男かのような自分の行動に、僕は明確に酔いしれていたと断言しておこう。


 それからの半年間、後輩の少女と交際をしていた期間は、少なくとも悪い彼氏の姿ではなかったと思っている。


 無論、当時の少女にしかその評価は下せないのだが、ここはひとつ、僕の記憶を信じていただきたい。


 それでいて、僕はMのことが頭から離れる夜は無かった。


 丁度その頃から、僕はあまり学校に通わなくなった。


 学校に向かうふりをして近隣にあった県立図書館で読書に励む日々だった。


 3年生の後半ともなれば皆受験勉強に勤しむ頃で、部活動に顔を出す必要も無くなっており、最早卒業するために必要な授業だけをピンポイントに受講しに行く、そんな学徒になっていた。


 それでも少女は僕をダメと言わず、またMは友人として接してくれた。


 おそらく、その時に後輩の少女が僕との交際を拒絶していれば。


 おそらく、Mが友人として生易しい態度で接してくれていなければ。


 現在の僕がこうもMに対し狂気的と呼ぶにはまだ甘く、本能的と呼ぶにはあまりにも人間らしい感情を抱き続けるには至らなかったのではないだろうか。


 高校卒業、僕は後輩の少女と別れた。


 僕は高校卒業後は進学をせず、夢を追い上京したからだ。


 またMも同じく、東京の専門学校へ進学するために上京した。


 僕もMも決まった相手の居ない、若き独り身の頃である。


 上京してから、Mとは度々会う機会を設けた。


 それは基本的に僕から誘い、Mがその誘いを受け入れてくれるかたちである。


 如何な過去があったとて、慣れない都会での一人暮らし、やはり見知った相手と顔を合わせるのは安心感がある。


 それは僕だけでなく、Mも同じように感じていたはずだ。


 ときに、夜を共にする機会もあった。


 が、互いに言う。


 僕は、私は、あなたと別れて正解だった。


 学生時代のふたりはあまりに青々としており、ただ口がそう動きたいからと将来を約束し合う愚か者同士。


 一度現実に立ち戻り振り返ると、学生時代の自分はガキだった。


 東京で暮らすうち、僕には何度か恋人が出来た。


 それは女のこともあったし、男のこともあった。


 その毎度、僕は決して不幸ではなかったように思う。


 相手から告げられる好意は素直に嬉しかったし、自分から告げる好意が受け入れられるのは心が満たされた。


 交際をするだけでなく、僕の片想いで終わった恋もあった。


 そんな情熱も、まあ1年もあれば鎮火するものだ。


 僕がそんな若さにかまけて追う夢を見失っている頃、Mは学業に励み、着々と目指す進路に近付きつつあった。


 Mは学生時代の少女らしい浮かれ具合を卒業し、とっくに社会に馴染む一般女性へと羽化しきっていた。


 僕はまだ、繭の中で遊び暮らしていたばかりであった。


 僕の人生の転機のひとつが、とある男性との同棲生活にあった。


 その人は僕よりも25も歳が上で、互いにジェネレーションギャップに悩まされる交際だった。


 相手はいち職業人として、プロフェッショナルとして地位と名誉を持っており、僕はというと何も為さず持たずのんべんだらりと働き生きていた。


 そこには1匹の犬が共に暮らしていた。


 無目標に生きる僕を、唯一言葉なく受け入れてくれる最愛の家族だった。


 その男性とは破局の危機を何度か乗り越えたが、それはきっと犬のおかげだ。


 そしてやはりと言うべきか、犬が死ぬと、互いに納得の上で交際を取りやめた。


 これまでの僕が経験してきた別れの中では、最も互いに寄り添い合い前向きな別れであった。


 そして僕は、本当に何もできなくなった。


 男性と別れたからではなく、最愛の犬を喪ったからだ。


 そんな時でも、Mは変わらず僕の友人のひとりであった。


 Mは気付けば定職に就いており、現実的な将来を見据える女性になっていた。


 僕にまた、彼女が出来た。


 男性と交際していた時から何度か会っていた、端的に言えばセックスフレンドである。


 僕がその女性に向ける好意のほとんどは性欲によって構成されていた。


 それでも、わざわざ交際に踏み切ったのは意味があった。


 最愛の犬を喪い、大きく空いた心の穴を埋めたかったからだ。


 愛情を注いでも良いという権利を、その対象を問わず取り戻したかったのだ。


 人に施すための愛は、一見素晴らしいもののように思えたが、その実はただのエゴでしかなかった。


 一方的に施す愛が、決して相手が求めるものだとは限らない。


 当たり前だ、相手は犬でなく、ひとりの人間なのだから。


 そして簡単に、具体的に言えば10日ほどでその女性とは別れた。


 結局僕は、何も持っていない。何も為していない。


 Mはその間にもインターネットを通じて遠距離恋愛をスタートしていた。


 僕は何も、始まる気配もなく。


 それでもやはり、Mは僕に優しかった。


 僕の不幸を笑い飛ばしてくれたし、悩める夜の話し相手にもなってくれた。


 僕は弱い人間だ。


 そして思う。


 Mが僕との別れを良い出来事だったと認識し、僕はそれに同意していた。


 が、その問いに僕なりの答えを出しきれていない。


 学生当時、Mと交際していたあの2年半を、僕は間違いなく幸福な記憶として今も大事に抱えている。


 現在の僕の、25年間の人生の中で、最も幸福だった時間はその2年半だったと確信をもって言える。


 そもそもだ、僕がひっきりなしに恋人を求めていたのだって、その2年半に起因しているのだ。


 僕の心に空いた穴は、最愛の犬があった場所ではなくて、Mが好意的に捉えているふたりの別れがあった場所なのだ。


 僕とMは別れて正解だった。


 それが正しいのだと納得するために、僕は新しい出会いを求めていた。


 Mと別れたからこの出会いに辿り着けた、そう思う為に。


 いつから僕は自分の本心が見えなくなっていたのだろうか。


 何度も何度も出会いを求め、Mと別れて正解だったと納得すべく自己と対話してきた。


 その行動こそがまさしく、Mと別れたのは間違いだったという反論の補強になっていたではないか。


 Mはもう、僕を恋愛の対象にも将来を共にする伴侶の候補とも見てはいないだろう。


 それでも僕は、Mとの過去の交際が輝かしいものに思え、もう一度それを取り戻せるような気がしてならない。


 これは僕の傲慢さが生んだ幻であろう。


 それがなんだ。


 僕はMを愛しているのだ。


 甘酸っぱい恋愛感情だけでなく、湿気た性欲だけでもなく、家族を想う無償の愛すらも飛び越えて。


 僕はMというひとりの女を、自分の命よりも心よりも魂よりも、大切に思っているのだ。


 だから、Mが幸せになれるのなら……。


 そう達観できたらどれだけ楽になれるだろうか。


 今の僕はそうではない。


 Mを心から魂から愛しながら、Mが僕以外の存在によって幸せになることが許せない。


 Mが見知らぬ誰かと幸せになるくらいなら、Mは僕と共に不幸に堕ちてほしい。


 それでもMは僕に笑ってくれるのなら、この人生向こう60年に一瞬の快楽すらも不要だ。


 僕はMを愛している。


 Mを笑わせられるのは、僕なのだ。


 Mの為なら何だってするだろう。


 煙草も止める、生活習慣も整える、Mが朝早く起きるならば朝日を克服するし、夜早く眠りに就くならば深夜の娯楽をすべて捨てる。


 Mと僕の間に子が出来たなら、僕は夢すら捨てて家族の為に人生を捧げよう。


 Mを脅かす危機があるなら僕が殺そう。


 僕が世界中の敵になってしまったとしても、Mが帰りを待つならば喜んで巨悪として討たれよう。


 ああ、Mよ、何ゆえ僕との別れを受け入れてしまったのだ。


 あの日、君と別れると言った僕の胸を鋭い刃物で一突きしてくれていたならば、どれだけ幸せな人生であっただろうか。


 ああ、Mよ、何ゆえ僕ではない誰かとの将来を想像するのだ。


 その将来を現実とするならばその前に、どうか僕をこの世界から追放してくれないか。


 Mは、何者でもない。


 普遍的な少女であって、普遍的な社会人女性である。


 Mは多くを望まない。


 ただこの社会で、不自由なく普遍的な生活を望んでいる。


 なあMよ、僕こそが誰よりも君を幸せにしたいと思っている、それが分かるだろう。


 僕こそが誰よりも君を幸せにできる、とは言えない。


 それが僕の弱さだ。


 だけどM、ああM、どうか頼むから。


 定まろうとしている誰かとの将来も、この先出会うかもしれない運命も、すべて捨てて諦めて、この僕を選んではくれないか。


 Mを幸せにできるのは誰なのかは分からない。


 それでも、Mを幸せにしたいという意志があるのはきっと、僕なのだ。


 僕こそが世界で一番、Mを幸せにしたいと願う男なのだ。


 それでも、それでも君が僕ではない誰かを選ぶというのなら。


 そうだな。


 僕はきっと、





















































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一般女性のファムファタル 雅ルミ @miyabeee-rumi

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