え?弟が結婚? 【2】

母と私、そして父が一斉に玄関の方向を見る。ただ、リビングから直接玄関は見えない。

「ただいまあ」

健司の声がした。

はっと、母と私は顔を見合わせる。母が軽く顎を引いてから、玄関に向かった。

「おかえりなさい」

玄関から響く母の声が軽く上ずっている気がする。

「ただいま。こちらが河野香里さん」

「こんばんは。初めまして」

明るい声が聞こえてきた。

「いらっしゃい。お待ちしてたのよ」

「さ、入ろう」

「どうぞどうぞ」

「おじゃまします」

三人の声が混ざり合いながら、近づいてくる。

母に続いて、弟が、そして弟の彼女が居間に入ってきた。


「失礼します」

そう言って、リビングに入って来た彼女は、ふわっとした薄ピンク色のワンピースを着ていた。

遠慮がちに視線をめぐらせて、仁王立ちしている私とソファに固まったまま座っている父を確認すると、慌てたように頭を下げる。

「こんばんは。今日はお招きありがとうございます」

「あ、ああ。いらっしゃい」

父がかろうじて応えている。

「河野香里と申します」

顔を上げた彼女が、くりっとした大きな瞳をほんの少し細めて微笑んだ。

うわっ。なに、可愛いじゃないの。

香里さんという小柄な彼女は、りすのような、どこか小動物に似た可愛さがあった。

いや、待て。そんな笑顔にごまかされないからね。

私は軽く自分の頭を振った。


「あ、これ。つまらないものですが」

彼女、香里さんが紙袋から有名な和菓子店の包みを差し出して母に渡している。

「あら、ありがとう。ここのお菓子、美味しいのよね」

その言葉に、香里さんが嬉しそうにニコッと笑った。

母が視線でテーブルの方を指し示す。

「さ、座って座って」


結局、父が誕生日席に座り、母と私が並んで目の前に健司と香里さん。そう、私の正面には香里さんがいた。

まず、一応、健司が香里さんを紹介した。

「ええっと。職場で知り合って、二年前から付き合ってたんだ。歳は同い年」

二年間かあ、そう思って、思わず二人の顔を見てしまった。

「母さん、全然知らなかったわ」

「いや、でも。付き合っていても、いちいち親に報告しないわよ」

拗ねたように言う母に、思わず私がフォローしてしまった。

「まあ、まあ、とりあえず、乾杯しよう」

父がグラスを持ち上げた。


会食は穏やかに、でも少なからず緊張を含んで進んでいった。

香里さんは美味しそうに、見かけによらずたくさん食べた。

ひとくち食べては、おいしい!と感激したように目を見開いている。

「このカプレーゼ、美味しい。絶品ですね。トマトもモッツアレラもすごいフレッシュ」

キラキラした瞳でそんなことを言ってくれる。だから、つい、香里さんの品定めをしているってことを忘れて、私も弾んだ声を出してしまっていた。

「分かる?このトマトもモッツアレラチーズも産地直送なのよ」

「ええっ、どこで売ってるんですか?教えてください」

そんな可愛いこと言ってくれるものだから、つい、私もぺらぺらと喋っちゃって。


「ねえ、香里さん、お料理は?」

ふいに、母の声が割って入ってきた。


「え、あ」

香里さんが驚いたように一瞬固まって、母を見た。

「お料理、けっこうするの?」

「あ、はい」

「得意料理は何かしら?」

母が口角を微妙にあげながらも、決して笑っていない瞳でたずねる。

「ええっと、その。ハンバーグとか……シチューとか」

おおっと、これは。

もしかしたら、料理苦手ですパターン?あまりに定番メニュー、おこちゃま向け料理。

「あら、和食は?洋食が多いの?」

母の鋭い質問が続く。

「あ、ええと。和食ですと、サバの味噌煮や茶碗蒸しとか」

その返答に、母も私も一瞬息が止まった。

え?なに?サバの味噌煮に茶碗蒸し?

「香里は料理が上手いんだよ。俺は、香里のサバ料理だったら、味噌煮より竜田揚げが好きだな」

健司が呑気に口を挟んだ。

私と母は顔を見合わせる。少し唇を噛むようにして、二人で頷き合った。

――次の質問へ行こう。

今度は私が香里さんに向き直る。

「香里さんの趣味って何?」

「趣味は、旅行とか読書とか。ウォーキングも好きです」

「ウォーキング?」

「健司さんと出会ったのも、早朝にウォーキングしている時で。健司さんもいつも同じ時間にウォーキングしていて」

「そうそう、よく会いますねってね。俺が声を掛けたんだよ」

そう言う健司に、香里さんが目線を合わせる。

ピクっと私のこめかみが引きつった。

「話してみたら、同じ会社だったのでびっくりしたんですよ」

「部署が違うと全然接点がなかったりするからな」

健司の勤める会社はまあいわゆる一流企業で、健司は東京第一支店の営業部に所属している。

「香里さんは会社で何の仕事をしているの?」

やはり、質問は母の担当のようだ。

「広報を担当してます。会社の広告をつくったり、宣伝方法を考えたり」

「仕事はずっと続けるの?」

「しばらくは……でも、何かあれば、家庭を優先したいと思います」

「そう、そうね。仕事は他の人に頼めても、家族の変わりはいないからね」

母が釘をさすようにそう言って、香里さんを見つめる。香里さんが神妙な顔で頷いていた。

その後も、色々と探りを入れて、何かボロが出ないかと密かに期待したが――何も出なかった。

なんか、もう、あまり突っ込むところがない。

母も、戦闘準備をしていたけれど、戦いにならず?って感じ。


なんだな。

品定めどころじゃなかったな。

なんか、変に対抗心だか何だか持っていた自分が馬鹿らしいというか、恥ずかしい。


良い子っぽい。これが計算ずくのお芝居でなければ、かなりの良い子。

父親なんかメロメロだわ。


順調に香里さんが家族になじんでいることを感じたんだろう、弟が頃合いを見測るようにして口を開いた。

「でさ、この間も電話で言ったけど、そろそろ、結婚しようかと思ってさ」

香里さんが動きを止めて、ぱちぱちと瞬きをしながら、隣に座る弟を見た。

はたっと気付いたように、神妙な顔つきで、父と母、私に視線を送る。

「どうぞよろしくお願いします」

そう言って、頭を下げた。

「あ、ああ。うん。まあ、二人が決めたことならな」

珍しく、父親が一番に声を出した。

「え、ええ。そうね。うん。まあ」

即答を避けたいような母のちょっと口ごもった声。

でも、もう。成人した二人が決めたこと。反対する理由が今のところ見つからない。

「今度、香里の実家にも挨拶に行くからさ」

「あ、ええ。香里さんのご両親って何をなさっているの?」

母が今更ながら、あら捜しのようなことをしていたが、結局あらは見つからず。


まったく持って円満に、私と母の敗北のような形で、この会食は終わった。


~ to be continued ~

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