第61話 隻腕の訪問者

 剣を振るいながら遠巻きで見た姿に、ザイストが気付いた。

 

 美しい黒髪、光る細めの銀の剣。舞うような剣捌けんさばきは圧倒で、斬り伏せられる狼どもの体が四散していくのを見ても、それは美しさを際立たせる一つの余興のようだった。


 あっという間に青狼ブルーウルフどもが地面に倒れていく────。


「キュアアアア!」


 耳をつんざく声か音が、鼓膜を攻撃したのは突然だった。

 

 美しい剣士の剣技に、ザイストは決して見惚れていたわけではない。だが、発見が遅れたのは確かだった。その細く空気を震わせる鳴き声は、空高く、地に深く、生きものの耳に届いた。


────


 アルメール地区は守護隊本部からそう遠く離れてはいない。それもあって、そこにあるマニーの診療所は、救護隊と連携して隊士検診などの協力をしていた。


 今日実施するはずだった検診は魔獣襲撃というショッキングな出来事で延期になったが、怪我をした隊士があまりに多く、この診療所の二人も診療を手伝うために必要な物資を取りに戻ってきていた。


「貼り紙にはゲートにて診療中って書けばいい?」


 どこのゲートに行くんだっけと助手のジミールが言いながら、大きめの紙にさらさらと文字を書いていく。ここの医者であるマニーはアシュリーの手当てをしてくれた彼女だ。


「向かうのは一番近い北ゲートよ」


 とにかくありったけの医薬品と器具を往診用のバッグに詰め込んでいく。守護隊本部の中で守られている間に、検診をするはずだった隊士達が魔物討伐で数多く負傷していたと知った。


「早く行かないと」


 今夜は夜通しになるかもしれないわね、と二人は言いながら手早く準備を進めていた。


「……すみ、ませ……」


 閉めていたはずの玄関先で、男の声がした。少しかすれて疲れたような声だ。助手兼受付のジミールがはいはいと腰をあげた。


「どうかしました?」


 鍵を開けて扉を開けると、ぼろぼろで妙に体がふらついている男が結構な猫背で立っていた。ジミールがこの騒動で被害にった人かと考えるのに、それは条件として合致していた。傷だらけの男を、とりあえず急いで中へ招き入れる。


「マニー! ちょっと来て」


「なぁに、なんだったの。もう出ないと……まあ!」


 扉の前に立ち尽くす男の姿を見て、マニーは絶句した。


 その男は、服は破れ、体中をあざが覆い、あまつさえ左腕が無かった。生まれついたものでも、数年の時間がっているものでもなく、この流血したあとを見れば医者のマニーでなくとも一目瞭然いちもくりょうぜん


「大変! 止血しなきゃ!」


 抱きかかえるように袖でくるんだ腕からは、今もじわりと血が滲んでいる。二人ともに処置のための準備を急いだ。


「先生……今日は他にも、誰かの手当て……したんですか」


 くんくんと犬のように鼻をひくつかせる男の姿は、忙しくする二人には見えない。


「え?」


 患部に貼り付いているシャツを取り除くためハサミを手に、切るわよ、とひと言告げて切りだしたマニーは、男の問いには上の空だった。


「今日誰かの血……いや、手当てしたんですか」

「ああ、そうね。さっきちょっと」


 男の問いがおかしなものだと気付かないくらいには、その傷をるのに一生懸命なマニー。


「……誰だったんです?」

「ええっと?」


 かちゃん、とハサミを銀色のトレイに載せ、切ったシャツの袖をジミールに渡すと、代わりに消毒液を含んだガーゼを挟んだピンセットを受け取る。


「ここは診療所だよ。誰かの手当なんて毎日してるよ」


 まったくおかしなことを聞いてくる。

 ジミールがそう言わんばかりに、ぶっきらぼうに答えた。


「まあ、そうだけど。なあに? 何か気になるの」


 マニーが取り持つように言葉を繋いだ。

 カチャカチャと器具の音が響く。男の失われた腕の切り口をまじまじと見て、マニーは違和感を覚えた。


(この傷、獣に襲われたものじゃない)


 ふと、傷口から視線を外すと、にやりとする男の顔が目に映った。


「マニー!」


 いつの間にか男の手に握られていた、細長く鋭利な刃物が、診療室を照らす灯りを自身で反射しながら、マニーへと吸い込まれていった。


「きゃああ!」


 どさり、とマニーの体が床に崩れ落ちる。


「ああああ、なんて果報者だ!」


 訳の分からぬ物言いで、恍惚こうこつの表情を浮かべ、男がもつ最後の手は呆然と立ち尽くすジミールの首へ、がっと伸びた。


「ひぃ」


 正気じゃない。


 この男は、正気じゃない。

 

 ジミールに浮かぶ、それだけが目の前の男を表する言葉だった。



「げ、げっ、げえっか、げえええっかて」


 ごほん、げほんと喉をさする。彼女の記憶を垣間見て、まだ慣れていない為に沼近くでよく啼いている両生生物のような声を言葉にしてみていた。いつも通り、人間の発声はそれぞれ少しずつ癖がある。


 所謂いわゆる、個体差とでも言うんだろう、と体の持ち主だった女と同じトーンで話せるように練習を繰り返す。暫くして見違えるように上達した。


「まあ、こんなものよね」

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