第62話 隻腕の訪問者(2)

 相変わらず秀逸な入れ替わりぶりに自画自賛をしようとして、思い出した。 

 こんなに素晴らしい渡りを、見ただけで見破った変な女のことを。


 もっと力のある者に渡ったら、あの女を捕らえよう。

 捕らえて訊きだすのだ。なぜ、どこがと。


「くよくよしていても仕方ない」


 そう、今重要なのはあの女じゃない。

 より強くなるために必要なものは色々あるが、すべての魔物が欲するアレが手に入りそうじゃないか。


 俺は、ツイている。


「はぁぁ、これだこれだ」


 渡ったばかりで前の体の口調が抜けないが、あちこち引っ掻き回し目当ての物を探し当て、彼女は気分よさげにそれを掴みだした。


 大きめのバッグの底から引き出された、それは花柄のハンカチ。そして、血痕があちこちに点在したもの。


 自分の顔にべっとりと付いたグラインの血糊ちのりを拭くわけではなく、大事そうに口元に持っていくと、すーっと吸い込んだ。なんとも形容し難い甘い香りが鼻をくすぐる。


「やっぱりいたんだ……」


 陶酔するかのように微睡まどろむような瞳で、嬉しさを隠せない。

 

 マニーの診療所は強盗でも入られたように乱されていた。床には診療用の器具や薬、本や書類などの紙類も散乱している。一見して物盗りか、小さな竜巻にでも遭遇したようだ。


「ああ、ちょっと邪魔だ」


 よたよたと歩く彼女は、足に引っかかっては困ると、床に転がる塊りを先にその足で蹴とばした。


「ぐ」


 短い呻き声がしたが、そんなもの気にすることでもなかった。診察室を出て、がちゃりと暫く前に入った玄関を再び開ける。夕日が診療所の待合室の中に少しだけその光を滑り込ませ、消えた。


 程なくして再び、がちゃりとノブを回す音が診療所で聞こえた。するすると夕日が滑り込んでくる。


「先生」

「先生、まだいますか」 


 かける声に応えがないようで、尋ねてきた二人は仲をそっと覗いた。


「……もしかしてここにも青狼ブルーウルフが?」


 およそ診療所とは思えない物の散乱ぶりに、思わずカーラントとリュシェルはお互いを見合った。だが、窓も出入り口も壊された跡がない。青狼がノブを回して入る特技でもない限りは、これをやつらのせいにするには無理があった。


 ことん、とかすかに音がした。音は奥の診療室からのようだった。


「先生?」


 声をかけるカーラント。散乱する物を避けながら、二人は奥へ向かう。先に立ったカーラントが無言で自分が先に入るとジェスチャーで伝えた。


 頷き、リュシェルは診療室のドアの横にそっと立つと、腰に下げた、本来は店の壁飾りだったきらびやかな剣の柄を握りしめた。


「こちらですか」


 リュシェルがドアの横に立つのを確認したカーラントは自分も剣を抜き、ゆっくりと半開きのドアを押した。


 ぐぐぐっと、何かが引っかかっているのか、やけに重たいドアだった。床には待合室と同じで色んな物が散乱して邪魔でもしているのだろうか。


 隙間から覗くが、誰もいないようだ……。

 

 抵抗があるが、構わずそのまま押し開く。人が通れるほど開いたところで、カーラントは何かを見つけ、だっと駆け寄った。


「先生!」


 無造作に巻き散らかされた診療道具などと共に、床に転がっていたのはこの診療所の医師、マニーだった。


「先生、大丈夫ですか、先生!」

「動かすんじゃないよ!」


 カーラントがマニーの傍らに膝をつき、横たわる体を抱え上げようとしてリュシェルに止められた。


「先に確認してからだよ」


 はっとした顔のカーラントを横目に、さっとマニーの状態を確かめていく。マニーは鋭利なもので胸のあたりをひと突きされていた。滲む赤い液体がそれを如実に表している。


 リュシェルがマニーの傍で散乱する物たちの中へ両手を伸ばすと、がちゃがちゃと音をさせて何かを探し始めた。


「これだ」


 暫くして取り出したのは、血糊ちのりのついたままの手術用のナイフだった。細い柄のそれは刃も短い。


「よし、止血するよ。副隊長」


 ナイフを確認し、血の量にしては傷の深さはさほどないとみたリュシェルは、止血に必要な物を集めるのにカーラントにも指示をだそうとした。その時、微かに自分の服が何かに引っかかった気がして、視線を落とした。


「……」


 潤んだ目でマニーがリュシェルを見ていた。何か話したげに唇が動いている。


「先生、大丈夫。すぐ止血するから」


 服を握るマニーの手をぎゅっと握り返して、リュシェルは言った。


「……ジ、」


 震える声が何かを紡ごうとする。


「リュシェルさん!」


 カーラントがもうひとり倒れていたのに気づいた。


「!」


 今は血みどろだがリュシェルには見慣れた背中。肘から先のない綺麗な切り口の左腕。ありえない方向に曲がっている体のあちこち。


「……グライン」


 二人の声が重なる。


 彼は顔を床に、引き裂かれた背中を天井に向け、いっぱいの血溜まりの中にいた。ドアの障害になっていたのはグラインだった。


「……副隊長、先に先生だ」


 リュシェルの声は押し殺したように小さく、普段とは違うものだった。カーラントは黙って頷き、止血に必要だと思われるものを散らかった中から探し始めた。


「ジミ……ル」


 息も絶え絶えなマニーが、それでも必死に訴える。リュシェルは耳を寄せた。細く細く消えそうな声がリュシェルの耳に流れ込む。


「ジ、ミールに……なった」


 聞き取れた時、リュシェルは新たな仇の名を知った。

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