第26話 痕跡

「おっと、これは……嘘だろ……」


 歩道沿い等間隔に立てられていた一部の街灯は鉛筆のようにへし折れ、舗装してあった道路の石畳は捲れ、暫くぶりに日を見たはずの地面が割れている。広場を囲むように建つ複数の建物の壁は何ヵ所かへこみ崩れていて、夥しい程の血飛沫がまるで装飾のようにあちこちに飛び散っていた。


 この辺りの景観が昨日以前までの自分の知るそれと違い過ぎて、カーラントは思わずそう口にだした。


 しかしよく見ると不思議なことにそれは広範囲に及んではおらず、何故かコンパクトに纏まっていた。あの魔獣の死骸があったと思われる大きな血溜まりを中心にして、三、四メートル四方。


「おはようございます、副隊長。今いいですか」


 昨夜から来ていた隊士がカーラントに駆け寄って報告した。


「ここをご覧になって既にご想像がつかれることと思うのですが、昨夜のうちに目撃者たちに魔獣討伐時について聞きこんだところ、魔獣はあちこちに移動せず賞金稼ぎバウンティハンターの女と狭いこの場で対峙したそうで……皆一様に同じことを証言しましたので疑うところはないかと、思うのですが」


 言いながらもちらちらと辺りを見、その隊士も何とも言えない顔をしている。


 魔獣がこの狭い範囲の中で戦った?


「あー、んー、ううん?」


 いやいやそんな馬鹿な。魔獣だぞ? 

 しかもあの魔獣は犬か狐の型だった。あの手の輩は大体跳ぶし走るし……そうだ、裏門を突破したときは人々の頭上を飛び越えていったと報告が上がっていたはず。


 だったら何故ここでその跳躍を発揮しなかった? 

 あんなに大きな魔獣と戦うのには、お互いどうしたってもう少し場所が必要じゃないのか。そうだろ。この広場から見える範囲のすべてが瓦礫の山になっていたとして、何も驚くことはないというのに。


 カーラントは呻き声だけで暫く部下と会話した。


「信じられない……」


 言葉を思い出したのかひと言そう呟き、もう一度目視でざっと広場を見回す。残された跡でその時の闘いを想像する。この血痕の飛び散り具合は魔獣が傷を受け、流血しながらも何度もその場で上下に飛んだり跳ねたりしたことを示している。だとすると獲物(この場合は賞金稼ぎバウンティハンターの女)が繰り返し同じ動作をして、魔獣はそれを追った? いや違うな、というのが正しい……のか? 


 カーラントは片手で口元を覆いながら、考えを巡らす。


 ならばその賞金稼ぎは二頭立て馬車より大きい魔獣を相手に、自分の望むように動かし最小の範囲で斃したということになる……。


「……誇大ではなく、本当に一撃で仕留められたということか?」


 賞金稼ぎの女は『』と言っていたそうだ。この惨状で自身に返り血を浴びることなく綺麗な姿で。


「おいおい……その女、一体どんな化け物なんだ」


 背中を冷や汗が流れる。カーラントはごくりと喉を鳴らした。


「なんでも凄い美人だそうだぞ、その賞金稼ぎは」


 呆然と立ち尽くすカーラントの後ろから、先に来ていた分隊長のシラー=アンティアが声をかけた。早朝からの勤務にも関わらず、相変わらずきっちりと隙のない格好のシラーがそこに立っていた。


「この現場を見てその賞金稼ぎを化け物と思うのには私も同意するが」

「なんだ、お前も見ていないのか」


 振り返らずとも声の主が分かったカーラントが、視線もそのままそう言った。緊急事態案件につき、今日は月初めに掲示される勤務予定表通りではなく、ほぼ全ての隊士が早朝から駆り出されていたが、昨夜の襲撃時、受け持ちはどうなっていたか。


「あぁ、私も昨日の持ち場は遠かったんだ。因みにザイストも見ていないそうだぞ」


 とうことは、今のところ賞金稼ぎに遭遇したのは団長と、本部にいて団長と共に出動した奴らだけということか。


「おう! カーラント!」


 二人の声が聞こえたのか、規制線から少し離れた隊士達の中、手を上げるザイスト=ウィンター分隊長の姿が見えた。トレードマークの屈託のない満面の笑顔で、とはいかないようだが、それでもにやりと口角を上げて目を細め大股でこちらに近づいてくる。いつものように隊服の一番上のボタンを外して。


「ザイスト、だからお前ボタンくらいちゃんとしろって言っただろう」


 はぁ、と溜息を吐きつつ既に今日初めてではない台詞セリフをシラーがザイストに向けた。


「あ~、だからオレはこの詰まった感じがだなー……ったくお前はオレの母親かって」


 いつものような展開にカーラントは少し気持ちが和んだ。いつもの見知った景観ではない場所に立ってはいたが、やり取りには覚えがあり過ぎて。


「どうだ、何かあったか」

「いや~、見ての通りだ。あるのは瓦礫と瓦礫と瓦礫」

「なんだそれは。いくら何でも大雑把すぎだ」


 ザイストの報告にもなっていない答えに、シラーが冷ややかな目を向ける。


「それは見て分かる。なら他には特にないってことか」

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