第23話 悪態か忠告か

「だめだ」


 一気にざわついた調理場で、誰かが何かを言ってきたわけではないのに、ゴーシュは先んじて思い切り簡潔に却下した。


 途端、ざわつきがぴたりと止まり、次いで「えぇぇぇ」と残念がる声が調理場から溢れてきたことで、店内の数人の客は首を傾げることになった。


 あんな美しい方を見れば老若男女誰もが目を奪われちまう。しかし室内でフードを被っていたことといい、アシュリーの誉め言葉にしかめた顔をしていたことといい、容姿を褒められたりするのはあまりお好きではないのだろう。うちのアシュリーを助けてくれた御仁に居心地の悪さを提供するわけには絶対にいかないのだ。


 ゴーシュは普段宿泊客にもしていないことを、ジェインの為にやろうと決めた。特別に毎食部屋に届けるのだ。そうすればゆっくり食事を楽しんでもらえるだろう。


「さあ、今から忙しい時間だ。仕事するぞ」


 普段なら元気よく返事する彼らが、今日は気落ちした声だったことにゴーシュは一人苦笑いした。


────


『あ~あ。カッコつけちゃって。バカな娘ね』


 頭に振る若い女の声にジェインはイラついていた。

 被ったフードを取ると、荒々しくマントを脱いだ。腰に差していた細身の剣は先に下ろしてあった。暫くこの部屋にいるのだからと旅仕様を解いていく。


 まあ、ほとんど荷物という荷物もないので、腰の剣を置き、マントを脱いでシャツの襟元の紐を緩めるだけなのだが。


 先ほどからの声をジェインは無視し続けていた。


『お金がなくてここまで悲惨だったこと、もう忘れた? お礼なんだから有難く受けておけばいいのに』


 疲れた。

 言い返さない。

 今は少し寝るんだ。


 頭をこの言葉だけにしようと黙り込んで部屋を見回す。この部屋はここで一番いい部屋のようだ。座っていたソファと同じようなものが向かい側にもあり、挟まれる形で置いてあるのは丁寧な飾り彫りがぐるりと縁に施してあるテーブルだ。座り心地のよさそうな椅子が窓際にもう一脚置いてある。ふた部屋続きで奥を覗くと、大きめのベッドが一台置かれていた。


 まったく豪勢な部屋だ。最近碌なところで休んでこなかったので視界にかなりのギャップがあるが、実はとても有難かった。おかげで自分が人だったと思い出せる暮らしが数日はできそうだ。


「しかしここは……一泊幾らだ?」


 きっとあの二人は正規の料金を取ろうとはしないだろうが。好意に甘えるには高そうな内装の部屋だった。


『ほらね。見栄を張るから。折角の報奨金が宿代に消えちゃったりしたら笑っちゃう』


 部屋をぐるりと見回して、思わず出た言葉にまたもやカチンとする声が頭の中で響く。黙ったままジェインはソファへ近づき、置いていた剣を取り上げ両手でがちゃがちゃと揺さぶった。


「いい加減黙りなよ!」


 剣を顔のあたりまで上げて放った言葉は、イラついた声色で部屋に響いた。ギロリと睨みつけても、全く何の意味もないことは重々承知している。


『なぁに? 振ったって私はどうにもならないわよ』


 厭味ったらしく返ってくる声に、更にイラつく。


「本当にあんたを捨てられたらどんなに清々するか」


 はぁ~っと大きな溜息と共に絞り出される声。ぎゅっとつぶった目、寄せた眉。怒りのあまりか、両手を固く握りしめすぎてか、かたかたと剣もジェインも小刻みに震えていた。


『あはは! それは何度もやったじゃないの。まだ理解できてなかった? どんなに嫌でも、あんたは私から離れられない』


 がしゃん、と音をたてジェインの手から剣が落ちた。


『……何をやってもどうにもならない』


 分かってるさ。何をどうしても、結局はどうにもならないことくらい。長い長い時間で、分かってる。腐れ縁すぎて吐きそうだよ、相棒。


「お姉さま。入ってもいいですか」


 がちゃがちゃとガラスのぶつかる音がして、扉の外からアシュリーの声が聞こえた。


「お飲み物を持ってきました」


「……ああ、構わないよ。入っておいで」


 足元の剣を拾うとソファにポンと放りながら返事を返す。ここは飲み物まで持ってきてくれるのかと妙に感心した。


「すみません、急いでて籠を使うのを忘れてしまって……お許しください」


 返事の後、ゆっくりと扉が押し開かれ、アシュリーが横向きに入ってきた。手にはよく持ってきたなというほどの瓶を抱えて。そうして恥ずかしそうにはにかみながら、お好きなものをお訊ねしていなかったのでと、テーブルに持ってきた瓶を並べていく。


 色とりどりの瓶。水や果実酒、ジュースなどさまざまな種類の飲み物だった。


「実はこのお部屋、お客様をお迎えする準備が途中で……お好みのがあればいいんですが。それではどうぞごゆっくり。また後で夕飯の頃伺いますね」


 並べきったアシュリーがにっこりと笑顔でお辞儀をした。ジェインが頷くと、アシュリーは今度は丁寧に礼儀正しく出て行った。一人になったところでテーブルに置かれた飲み物を一本手にした。


 ラベルを見ながらチラッと他のにも目をやる。酒とジュースがあるのは大人の時と子供の時を考えてだろうか。


「……まったくよく気が付く娘だね」


 煌めく緑玉の瞳が少しだけ翳ったように見えた。

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