第21話 対面

 ジェインのいる部屋まで、まるで飛ぶように階段を駆け上がっていくゴーシュ。その背中へ、アシュリーは恩人が街に滞在している間、この宿でおもてなしをして恩返しがしたいと訴えた。

 

 三階までの階段の往復は流石に足にくるらしく、徐々にゴーシュから引き離されていく。答えを訊こうにも、おじの背中は既に見えなくなっていた。


 ジェインの予想通り、アシュリーだけが戻ってくるのではなかった。


 そりゃそうだ。家族の危機を誰かが救ったのなら、余程の家族仲でなければ大体は保護者が礼をする。そんなに人助けをしてきた覚えもないが、それが真っ当な反応だろう。多分。ともあれ大人に戻っていて良かった。


 先ほど大人になった直後に扉が叩かれた。急に慌てた靴音が近づいて間に合うかとはらはらしたものの、扉は勝手には開かず、当たり前だがジェインの返事を待ってくれた。あの靴音なら勢いに任せ、返答など関係なく思い切り開けてくるのではと思ったのでほっとした。礼儀は心得ていたようで何よりだった。


 ジェインは自らの秘密を知る者がここにきて芋づるのように出ず、ほっとしながら身繕いの最後にフードを被り返事をした。


「失礼!!」


 入室の許可をもらったゴーシュの荒々しい声。その勢いでバーンと開けられると思いきや、ここでもそっとノブが回され、扉は静かにゆっくり開いていく。開けられた空間に立つのは、背の高いがっしりした中年の男。短めに整えられた金髪、日に焼けたような肌に白い調理服はアンバランスだった。


 いや、服、ちょっとぱっつんじゃない?


 正直な感想を胸に抱きつつ、ジェインはソファからよっこらせと立ち上がった。


「あ~、どうも」


 次いでこんにちはと言えばいいのか? どうリアクションをとるのが正解なのだろう。


 あまり人と関わらないジェインは一対一のこんな場面が貧乏と空腹の次に苦手だった。


「……?」


 苦手なりにちょっと笑顔を試みてみたものの、目の前に立つアシュリーのおじ(多分)は「失礼!!」と言ったっきりぴくりとも動かない。まさか電池が切れたわけでもないだろうに。


「あの?」


「先に、行かないでよ、おじさんっ」


 ジェインの問いと、はぁはぁと息を切らしながら、漸く追いついたと思われるアシュリーが、扉を開けたまま立ち尽くすおじへ言葉をかけるのが同時だった。ぐいっと腕を引っ張られて、ゴーシュははっと我に返る。


「あ、あぁ、来たか、アシュリー」


「おじさん?」


「えーっと」


 やはりアシュリーのおじで間違いなかったようだ。ないようだが、彼は今、初めてジェインを目にした多くの男どもがとるのと同じリアクションをとっていた。つまり固まっている。気付かないのかアシュリーはおじを見ながら、ジェインに紹介をした。


「ジェインさんお待たせしました。この宿の主人で私のおじです。おじさん、こちらが昨日私を救ってくださった方で」


 す、という最後の一文字はひゅっという音に変わった。恐らく、部屋を出る時のジェインと今のジェインの姿形が違っていたからだと思われる。目をきょろきょろ動かし、ちょっと声がうわずりつつ、おじへ言葉を続けた。


「と、とっても綺麗な方でしょう。本当に綺麗。妖精みたい。この人が命の恩人なんです。とても素晴らしい剣の腕をお持ちだって、おかみさんが話してましたよね。闘ってる姿はまるで舞を舞ってるようだったって」


「そりゃ言い過ぎだ」


 急いできたせいだろうが、頬がピンクに染まったアシュリーにうっとりと見つめられながら紹介される文句が胡散臭すぎで、思わずジェインはうへぇと呟いた。


「いや、そうか、リュシェルさんに聞いてはいたが、なるほどこれほどとは……」


 じっと見つめていたゴーシュの顔がみるみる赤くなる。熟れた林檎と表しても一ミリの嘘もない程度に。しかしハッとして顔を背けた姿が昨晩の飲み屋での奴らと違って、ジェインには好感が持てるものだった。


 ふーん、と思わず唇の端が持ち上がる。


「し、失礼した。この子の命を救っていただいた方に」


 急いで三階まで来たからか、はたまた気まずさ故か、うっすらと滲む汗に横を向いたままぎゅっと目を瞑るゴーシュ。ジェインは自分がにやけるのを隠すように口元に手をやった。


『あらまあ、なにやってんの。まさかあんたを直視できないって? ちょっとやだ、おじさん初心うぶすぎ!』


 ジェインの頭の中では楽しそうな笑みを含んだカティアの声。


「いや、別に。大体初対面はみな、そんな感じだから」


 気にしないでいい、とふっと笑う。その微笑みは女神が舞い降りたかのように神々しく見る者を魅了するものだったが、目を伏せて顔を背けたままのゴーシュは正気を手放さずにすんだ。


「お姉さま……本当に素敵」


 見つめたままだった約一名は放っておく。


「改めてお礼を申し上げたい。この子を助けていただいて本当に有難うございました」


 今度は正面を向き、大きな体を二つ折りにして、ゴーシュは深々と頭を下げた。その隣で、わたわたとアシュリーも頭を下げた。


「あ~、もういいって。さっきもその子から礼は受けたし」


 二人からの感謝の礼に、ジェインは居心地が悪そうにそっぽを向いて手をひらひらとさせながら続けた。


「そんなに感謝してくれてるところ言いにくいんだけど。実はその子を助けようとしたわけじゃなくて」


 うん?と折った腰はそのままで、顔だけをあげるアシュリーとゴーシュ。それをチラッと横目で確認して言った。

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