第20話 ジェイン(2)

 ジェインは唸った。

 ジェインが大人バージョンでいると、なにかとトラブルが発生してしまう。美しすぎるものはただ生きているだけで大変なのだといえば想像がつくだろうか。アシュリーのおじさんとやらが、昨日の酒場の奴らとは違うと言い切れるのか。


「あの娘の身内なら挨拶を交わすくらいどうともならなさそうだが。この姿になったのは明け方だったっけね……なら大丈夫か」


 言いながら自らの隣に横たえた、大振りの剣に視線をやる。


「カティア」


『ダメよ。ダメ。許可しない』


 すぐさま返ってきた返事。まるで考えが分かるかのような拒否の仕方。ジェインの頭の中に響く女の声が、鋭く言い放つ。


「そんなの! あたしだって分かってるよ」


 昨日の駄犬をやるのに使った力はごく僅か。あんなもんじゃ到底溜まった力を発散したとは言えなかった。


「一匹であの金額は、めちゃくちゃ美味しいけど」


 大まかに提示された報酬の予想金額の高さに息を呑んだが、この国では久方ぶりの魔獣襲撃だったそうだから、それも加味されているのかもしれない。


『あんなのじゃ、』


「そうだよ、なんの足しにもならなかった! 勿論分かってるけど、しょうがないでしょーが。この姿であの子のおじさんとやらに会うわけにいかないんだから」


 カティアと呼んだ女の声にジェインは被せるように言葉を吐き出した。頭の中の声は、美しいが故の弊害とは別の、もうひとつの理由で反対している。


『なら今のうちにそこの窓からでも逃げれば?』


 言われた窓に顔を向け、ジェインは長めに溜息を吐いてから言った。


「ここ三階」


『だからなんなのよ。その姿でだって怪我するわけじゃなし、別にどうってことないでしょ。言い訳にもならないことを……ははーん。ここまで食らいつくってことはあれね、あれでしょ、ここのご飯が美味しかったから未練があるんでしょ?』


 ジェインはうっと喉に何かが詰まってしまった。さすが長いこと相棒として嫌々でもつるんできたやつだ。お互い心の声は聞こえないはずなのに、こんな時はいい感じに悟られてしまうという、有難いような迷惑なような。でも、なら尚更ではないか。


 ジェインは喉に詰まった何かを追い出すために軽く咳払いをした。


「ごほん! あー、分かってるんならさっさとやって。もう交渉はナシだよ」


 下からの気配を感じて、ジェインは声のトーンを落とした。頭の中の声はもう聞こえない。


────

 

 ばたばたとおよそ年頃の娘が立てて降りるものではないはずの大きな音が、月花亭アシュリオの三階から二階へと駆け下りていく。音の大きさに比例して階段も揺れる。宿泊客の殆どが既に朝食をり終え、出立しているとはいえ、あまり感心できない行動だ。普段のアシュリーならやらないことであったが、今は緊急事態。行儀作法は地の果てへ飛ばしておく。


 タン!と軽快な音を鳴らし一階の床に靴底を当てた。止まらずにゴーシュのいる調理場へと突進する。


「おじさん!」


 ゴールを切るように倒れこむ格好で両扉を内側へ押し込む。調理場にはゴーシュと数人の店員がお昼時にかかり始めた忙しさを体現していた。


「おじさん! 大変なの。ちょっと来て」


 普段扉が荒々しく開いても、誰が体当たりして扉を開けてきたのかなど顔をあげて確認すらしない忙しい調理場の店員が、驚いて作業を中断するくらいにアシュリーは慌てて飛び込んだ。


 時が止まったように作業を停止した彼らの中から、目当ての恰幅の良い男の姿を見つけて、急いで駆け寄る。


「なんだ、どうした」


 あまり見ることのないアシュリーの様子にゴーシュもわたわたと慌てた。扉が開いてすぐに手にしていた包丁をまな板の上に置いておいて正解だった。アシュリーがゴーシュの服をつまんで、ちょっとちょっとと、とにかくどこかへ連れて行こうとしたのだ。


「アシュリー、落ち着け。どうした」


「あのね、おね、あ、昨日」


 よっぽど急いでいるらしい。アシュリーは言葉を紡ぐよりも行動が先になっていた。ゴーシュの裾をつまんで引っ張りながら、もう片方の手でしきりに指を指す。


「こんなに慌てて、どうしたんだ?」


 ゴーシュはがしっと前を行くアシュリーの肩を掴んだ。とにかく引き留めてこっちを向かせる。アシュリーは走った後のようにはぁはぁと息切れをさせていた。高揚した顔、きらきらした瞳に今は眉がちょっと下がり気味。


「なんだ、迷惑客か? なにか困ってるのか」


 おじさんの問いにアシュリーは、す~は~と深呼吸して息を整えた。行動ではなく言葉で伝えることにしたようだ。ふうぅっと息を吐いて、きらきらな瞳でゴーシュを見る。


「あのね、おじさん! 昨日助けてくれた、今、恩人が、今ね、私の命の恩人が、いらしてるんです!」


 興奮して言葉の選択がおかしいものの、おじであるゴーシュは瞬時に理解した。


「なんだと!!」


 そう大きな声を残すと、ゴーシュはゴォッと風をなびかせ調理場をあとにした。アシュリーを置いて。調理の続きを全員が再開できず、ぱちくりと瞬きを数回した時、バンっと壊れそうなほどの音をだして再び調理場の扉が開いた。


「アシュリー、それでその方は、どこにいるんだ!?」

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