第19話 ジェイン

  言い終わるとにやりと笑った。アシュリーの顔がぱあっと明るく輝く。


「有難うございます!! 信じてもらえてよか、あ、私、アシュリーです」


 もう一度腰が折れそうなほど深くお辞儀をすると、すぐに弾かれたように顔を上げ、自己紹介をした。今は少女の賞金稼ぎはアシュリーの名前を反芻する。


「あぁそう、名前ね、アシュリー、アシュリーっと」


 ふーんと呟く。少しだけ沈黙が流れた。


「……あの、」


 おずおずとアシュリーが口を開いた。


「お姉さまのお名前は……」


 賞金稼ぎはこの街に長居するつもりはなかった。数日後に届く褒賞金を受け取れば、街を出る。その間にいつも通り捜しものもするが、この程度の規模の街ならそう時間はかからないだろう。だから、誰かに自分を教えるつもりはなかった。……なかったが。


「命の恩人のお名前くらい知っておきたいんです。だめ、ですか」


 もっともらしいことを言い、もじもじ、もじもじと手まぜをするアシュリー。じっと見つめながらふと、ここのご飯は美味しかったな、と先ほどの食事を思い出した。


 あぁそうだ、ここにいる間にもう一、二回、いや三回、食べたいな。……美味しい店の馴染みを作っておくのもいい気がしてきた。


「……そんなことはない」


 アシュリーの顔がぱっと明るくなった。一人掛けのソファにこじんまりと座る命の恩人の唇が動く。


「……ジェイン」


 呟くように答えながら、一瞬悲しげに微笑んだように見えた。気付かなかったアシュリーは、自分の両手をまるで祈るかのように握りしめ、満面の笑みで言った。


「ジェイン! 綺麗なお名前ですね。お姉さまにぴったりです。教えてくださってありがとうございます」


 そんなに笑顔で名前を呼ばれたのは何年振りだろうか。久しぶり過ぎて覚えてもいない。名前ひとつで嬉しそうに笑う娘をじっと見る。


「……さてと。心のこもったお礼の言葉も貰ったし、美味しいご飯も食べたし、私の秘密も秘密のままということで、話は終わりでいいね。今日はまだ忙しいんだ。そろそろおいとまするよ」


 一階で座った時と同じく、ひょいとソファから飛び降りて、ジェインは言った。慌ててアシュリーが引き留める。


「ちょ、ちょっと待って!」


「おおう、どうしたびっくりする」


 その慌てぶり、勢いよく服をしっかと握りしめられて、歩こうとしたジェインが思わず前につんのめる。


 もう理由もないだろうに、何故引き留める?


「待って、行かないで、あの、そう! さっき他のお客様から聞きました。あの魔獣の報奨金ってまだ受け取られていないのは本当ですか」


 振り返ればマントのほぼ全てをアシュリーは抱きしめていて、眼差しは真剣だった。


「うん? そうだな」


「じゃあ、まだこの街に滞在されるんですよね」


 何を真剣に聞いてくるかと思えば、そんなことか。


「そうなるね。働いた金は貰わないと」


「じゃあ、この街にいる間はここに泊まってください!!」


 そうだ。確かここも宿だったな。


 ジェインははたと気付いた。


「お願いです、ここにいてください。ここは私のおじさんのお店なんです。だから。お願い、私を不義理な娘にしないで」


 しがみついたアシュリーが握ったマントを揺さぶる。ジェインはがくんがくんと揺らされながら声を出した。


「ここは、あんたの、おじさん、の店か? そうはいっても、宿代が、幾らかに、よるっ」


「お礼って言いました。宿代なんか要りませんっ。うちの食事はどうでしたか、毎食食べ放題にしますからぁ」


 そんなことを言ってしまっていいのだろうか。タダ飯、タダ宿。数日とはいえ、生業なりわいとしているものを無償タダでなんて。


 揺れながらそう伝えると、アシュリーはぱっと手を放し、私の一存が気になるのなら店主であるおじさんに話を通してくると風のように走り去った。


「おじさんも二つ返事だと思いますけどねっ」


 そう告げながら。

 残されたジェインはソファにまたも倒れこんだ。若い。若いってこんなにバイタリティ溢れるってことだったけなと、妙に感心する。思えばあんな小娘に押し切られるなどあってはならないのに、どうしてハッキリ断れないのだろうか。不思議な娘だ。


 ぽすんとソファに体を預ける。


 はぁっと長い息を吐き、体を少しずらしてぼうっと天井を見た。白い壁紙が目に映る。ソファがいい感じの固さだった。ここは三階。アシュリーは着いたのだろうか。碌に眠っていなかったジェインはそのままゆっくりと目を閉じた。


「……いやいやいや」


 待て待て待て。何をやっているんだ。


 うっかり寝そうになったが、アシュリーが何をしに行ったのか考えて、がばりと起き上がった。何がゆっくりと目を閉じた、だ。即座に判断しなければならないことがあるじゃないか。


「まさかそのおじさんってのも、来るか……?」


 普通に考えたらそのおじさん、部屋ここまで来るのではなかろうか。

 そして自分は今、愛らしい子供の姿である。なんなら力を吸われ過ぎて、いつもより幼いときている(あいつは後で締める)。


 目的ではなかったが、結果的にアシュリーを助けたということの礼なら、受けるのは皆の前で晒した大人バージョンが正しいだろう。


 ならこのまま、この姿でいることは……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る