伝えたい言葉

 結局、あれからリリスはしばらく泣き続けた。

 時間にしてどれくらいだったか、そんなことを考える暇も俺にはなかった……俺はただ、リリスを小さな体で受け止め、彼女を小さな腕で抱きしめるしかなかったから。


(あいつは……居ないか。いや、そもそも何だったんだ?)


 リリスを抱き留めた瞬間に見えた俺自身……かつての姿をした俺という名の奇跡の姿は、既に跡形もなく消え去っている。

 そもそも最初から居なかっただけで、俺がそう見えただけの勘違いの可能性もある。今は考えるだけ無駄だろうと思い、変わらずリリスのことを慰め続けた。


「トワ君」

「はい」

「少しだけ……少しだけ、一人で喋らせてください」

「どうぞ」


 リリスはそう言って言葉を続けた。

 必死に感情をコントロールしようとする様子が伝わってくるほど、こちらの心までも掻き乱されるようなリリスの悲しみが吐露されていく。


「どうして……どうして死んじゃったんですか……っ! これから先、ずっとあなたと一緒に居られると思ったのに……っ! ずっとずっと、私の世界に色を添えてくれた……幸せという感情を抱かせてくれたあなたの傍に、私はただ居たかっただけなのに……っ!!」


 それは、ここに居ない誰かへの慟哭だった。

 そしてそれが誰に向けられたものであるのかも、そこに込められた想いがどれだけ強いのかも俺には分かる。


(……儘ならないな、本当に)


 けど、ある意味で故人に対するこの悲しむ姿は健全なのかもしれない。

 その相手が俺であることと、ここまでリリスを苦しめていることに辛い部分はあるが……だからこそ、今の俺がリリスに出来ることは少しでもその悲しみを軽減してあげることだけだ。


「トワ君……ごめんなさい本当に……でも止まらなくて」

「良いんですよ。俺が居ることで少しでも落ち着くんだったら、好きなだけこうしますから」

「ありがとう……ございます……」


 その後、リリスは程なくして泣き止んだ。

 目は真っ赤だし涙が流れた痕が残るものの、それでも顔を上げたリリスは落ち着いた様子で笑みを浮かべた。


「やっぱり、笑った方が良いですよリリスさんは」

「ふふっ……トワ君のような小さな子供に慰められたのは、大人としてどうかなと思いますけど」

「子供も大人も、悲しい時は関係ないですよ」

「……本当にトワ君は優しいんですから」

「優しいって言われるのは嬉しいですけど、この場合は違うかもですね」

「え?」


 そろそろ帰ろうかと、手を繋いで歩き出した時だ。

 見下ろしてくるリリスに、俺はこう伝えた。


「俺はただ、リリスさんの笑顔が見たかっただけです――俺はただ、あなたに笑ってほしかったんだ」


 この時だけは、昔の自分になったかのような感覚だった。


「あ……」


 リリスが、呆気に取られたように口を大きく開けて見つめてくる。

 その様子に面白いなと思いながらも、ジッと見つめられることには少々心がざわつく……要するに恥ずかしくなる。


「その……ちょっと背伸びしすぎた言葉だったかもしれないですけど、そう思ってるのは本当です」

「……トワ君」

「リリスさん、ちょっとやりたいことがあるんですけど」

「え?」


 ニヤリと笑い、俺はこう言った。


「俺と一緒に、前に向かってジャンプしてくれませんか?」

「ジャンプ……ですか?」

「はい」


 リリスは戸惑いながらも、俺と一緒に前に向かってジャンプをした。

 魔力に頼るわけでもなく、身体能力に頼るわけでもないただのジャンプである。


「こうやって一つずつ、乗り越えていきませんか? 手を引いてほしかったら俺も居るし、母さんだって居る……もちろんリリスさんにも頼れる仲間が居るとは思いますけどね」


 そうしてまた、リリスはポカンとした。

 さっきからずっと似たような顔になるリリスは、少しこちらが不安になるくらいにはボーッとした様子が続く。

 だがそれもすぐ元の綺麗な微笑みを取り戻した。


「乗り越えていく……ですか。そうですね……それが生きるということですから……」

「そうですよ、生きるって大変ですけど……きっとその先には幸せで楽しい時間はあるはずです。実の両親に捨てられ、母さんに出会えて幸せになった俺のように」

「……その両親、殺して良いですか?」

「リリスさん??」

「コホン、何でもないです」


 何やら物騒な言葉が聞こえたけど、気にしない方が良さそうだ。

 足を止めたリリスは、ジッと空を見上げた。何かに想いを馳せた後、彼女はこんなことを口にした。


「自分の目で見る景色は……灰色ではなかったんですね」

「灰色……ですか?」

「世界はこんなにも美しいものだったんですね……どうして私は忘れていたのでしょうか」


 最後にまた、リリスは涙を流した。

 しかしその涙は決して心配だと思わせるものではなく、むしろ彼女がスッキリするために必要なこの場における最後の涙だと俺は思ったんだ。


「良い顔をするようになったじゃないか、リリス」

「母さん!?」

「フィアさん?」


 見計らったように、母さんが現れた。

 いきなり背後に立った母さんは、俺の頭を撫でながら口を開く。


「見ている私が嫉妬するくらいだったな。しかしトワ、お前が言っていた言葉はある意味で女泣かせだったぞ?」

「えっと……そんなつもりはなかったんだけど」

「分かっている。どこまでも相手に寄り添い、心配する尊い気持ちに溢れた言葉だった。まるでトワという人間の全てが現れたような、そんな姿を私は見たよ」

「……………」


 ニコッと微笑みながら母さんはそう言い、俺は急激に恥ずかしくなって顔を伏せた。


「恥ずかしい顔を見られたくなかったら私の胸に顔を埋めろ」


 母さんは自身の豊満な胸元に俺の頭を抱いた。

 あまりにも男らしい母さんの言動だけど、こうすることによってもっと恥ずかしくなるんだけど!?


「フィアさん……私は――」

「良い顔をするようになったと、私は言ったな? 今はそれだけで十分だと思うが?」

「……ふふっ、そうですね」

「あぁ――さて、私も話したいことがある。トワ、今日はこちらの家にリリスを泊めようと思うがどうだ?」

「俺は全然良いよ!」


 そんなの、断る理由はない。

 というかちょっと不安だったのもあるしな……俺が離れた時、リリスがまた変化が起きるのも嫌だし……それなら見守りたい気持ちもあるから。


「い、良いんですか!?」

「あ、あぁ……お前が良ければ――」

「是非お邪魔します! もう少しトワ君と一緒に……一緒にぃ」

「おい、私の息子を舐め回すように見るな」


 それから家に戻る道中はあまりにも騒がしかった。

 でも……決して悪くはなく、俺もリリスも……そして母さんもずっと笑顔だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る