流れる涙は本当の証

『お前には何も期待しておらん』

『凡夫のような顔に育ったわね』


 俺にとって、二度目の人生における家族関係は最悪だった。

 貴族の中でも下層に位置する男爵家の三男坊ということで、家族からも周囲からも俺に向けられる期待はゼロだった。

 それでも貴族らしく魔力はあったため、兄二人と同様に学院に通わせてくれたことには素直に感謝はしていた。


『父さん、母さん……学院はとても楽しいよ。ありがとう』

『その程度で礼など要らん。所詮は無能に少し毛が生えた程度だろう』

『あなたが少しでも特別な何かがあれば、家の発展になったというのにそのザマ……本当に使えないわね』


 本当に……本当に散々な言われようだった

 当時は奇跡の力なんて使えなかったし、本当に一般人に毛が生えた程度でしかなく、学院でも当然のように目立つことは無かった。

 普通だったらその年頃の子供なら折れてしまうところだったけど、異世界というものを楽しんでいた俺だからこそ、小説でこういうの読んでたなと軽く考えていたんだ。


『俺たちはこんなもんじゃない……もっと評価されるべきだ!!』

『俺たちは認められるべきだ! こんな……こんなところで燻っているような立場では断じてない!!』


 とまあ、あの両親から生まれた兄二人もこういう奴らだった

 臆病者で努力を何一つしないのに、周りからの変わらない評価と視線に勝手に失望して誰かのせいにする……そんなあまりにも最悪な家庭環境とネガティブな言葉ばかりが飛び交う場所から、俺は逃げ出した。

 まあ“奇跡を起こす力”に関して知らせていれば、待遇の変化はこれでもかとあったろうけど、そもそもあの家族に思う部分はなかったのでずっと知らせなかったわけだが。


「相変わらずお美しい……しばらく目にすることはありませんでしたが、こうして再びあなた様を見れたことは喜ばしいことです」

「そうですか」


 さて、目の前のことに意識を戻そう。

 懐かしい貴族街を歩いていた際、かつての兄……俺がトワ・ヘイボンとして生きていた時の兄と遭遇した。


(歳……取ったなぁ当たり前だけど)


 久しぶりに見た兄……ナニモは老けていた。

 ナニモは長男だったので今だと五十歳は越えているし、そりゃこんな風に老けるのも当然だ。


「リリス様、よろしければこれからお茶でもどうでしょうか?」

「申し訳ありません。既にお茶の時間は済ませておりますので」


 ナニモの言葉に、リリスの返答は冷たい……というか態度そのものが冷めているというか、よくよく見たらナニモと一切目を合わせていない。


「そう言わず……せっかくこうして会え――」


 ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを携え、ゴマをするように手と手を合わせていたナニモは、ふとリリスと手を繋ぐ俺をようやく見た。

 先ほどまでの笑みは一気に消え、どこか気味の悪いモノを見るかのように見つめてくるナニモはこう言った。


「おっと失礼……その子供を見ていると何故か、特別な力を持ちながら我が家に何も齎さなかった穀潰しを思い出しましてね」


 その穀潰しが誰であるか、分からない俺ではなかった。

 風の噂程度では聞いていたけれど、奇跡の力を持って勇者パーティに同行していた俺に対し、実家がどうにかして連絡を取ろうとしていたことは耳に入っていた。


『トワ、あなたには沢山の褒美を与えようと思うの。このパーティが纏まったのは間違いなくあなたが居たからよ……だから必ず、受け取って頂戴よね?』


 そう言ってウインクをしたリリーナにドキッとして、セレンにニヤニヤするなと肩を小突かれ、リリスにも頬を突かれたことも懐かしい。

 そんなこんなで家族のことはみんなに話をしていたし、それもあってみんなから俺の家族に対する印象も最悪だったし、俺に贈られるはずだった褒美が家にということもなさそうだしなぁ……それでナニモはこう言っているんだろうと思うが。


「……………」


 本来であれば、ここで何か言い返すべきなのかもしれない。

 だが今の俺はトワ・ヘイボンではなくトワ・ラインストールだ。それに正体を知られてはならない制約もある……っと、そこで俺は少しばかりいけないことを考えてしまった。


(俺が正体を知らせた場合、相手は消える……ということは、こんな風に俺にとって嫌な相手さえも考え方によっては消せるのか?)


 そんな物騒なことを考えていた俺だが、そこでリリスの鋭くも怒気を滲ませた声が響く。


「私は、やはりあなた方と会話をするのは嫌いなようです。あなたを含めて、ヘイボン家の方々は本当に自分勝手なことしか言わない……それを恥だと思わず、あたかも当然のように口にするその態度の全てが気に入らないんですよ」

「っ……」


 リリスの言葉にナニモは、グッと後退した。

 圧倒的なまでの美を誇るリリスに圧倒される男性という構図は、中々に新鮮というかジッと見てしまう。

 母さんの場合は気に入らない相手が居れば力で捻じ伏せるタイプだが、リリスのように言葉を説き伏せようとする姿もかっこよかった。


(俺は……ナニモに何も……ナニモ……コホン! 何も言わない方がよさそうだ)


 いかんいかん、ちょっとおかしくなりかけたぞ。

 脳内で自分自身に何をやってんだとツッコミを入れつつ、事の成り行きを見守る。


「あれから王国の人々はあなたたちを持て囃したでしょう。英雄の一人を生み出した家だと……ですが、だからと言って私はあなた方が立派な方々とは思いません――トワさんに酷いことを言い続けたあなたたちを、私が好んで接したいと思うわけがないでしょう?」

「……何故……何故リリス様まで、そんなにあの愚弟のことを――」

「黙りなさい」


 その瞬間、俺を避けるようにリリスの体から魔力が放たれた。

 目の前のナニモが魔力の圧に負けて膝を突くほどに、今までに見たことがないくらいにリリスが怒りを露わにしている。


「全ての方に受け入れられない存在が居るように、トワさんが万人に受け入れられる方だと……そう言えないのも確かでしょう。ですがあなた方はトワさんが奇跡の力を持ったことに嫉妬し、その恩恵を家に齎さないことに憎悪し、最終的にあなた方に何も残さずに亡くなったことに勝手に失望して……本当に自分勝手で最低な方々です――ナニモさんもですが、カモガさんもまた同じ……どうか帰って伝えてください。顔を合わせるのはともかく、二度と話しかけてこないでくださいと」


 ナニモは、最後まで言い返せない様子だった。

 それから俺は再びリリスに手を引かれ、貴族街から離れて行く。


「あの……リリスさん」

「……………」

「リリスさん……?」


 立ち止まったリリスは、泣いていた。

 流れる涙を拭うことさえ忘れたかのように、彼女はただただ下を向いて泣き続けている。


(リリスはさっき……俺が亡くなっていると口にした)


 それは、リリスの身に起きたことを考えれば矛盾する言葉だ。

 夢の中で俺が綻びを生むと言ったように、やはり俺が傍に居ることでリリスは正気に戻る……一瞬かもしれないが、戻ることが出来るんだ。


(でも……)


 同時に母さんの言葉が蘇った。

 ブライトオブエンゲージを経験して相手を失った場合、心が壊れてしまうのだと……。


「……俺は」


 この時に、自分に何が出来るのか考えてみた。

 その答えはただ……俺はここに居るんだと、傍にはリリスが寄り掛かれる存在が居るのだと教えてあげること……子供の体だけどな。


「リリスさん」

「……あ」


 リリスの正面に立ち、俺は大きく腕を広げた。

 そんな俺を見たリリスはゆっくりと屈み、そのまま胸元に額を押し当てるようにしてしばらく泣き続けた。


(……?)


 その時、ふと視線の向こう側に薄く人影が見えた。

 そいつは夢の中に出てきた俺……気のせいかどうか分からないが、こちらに鋭い視線を向けていたことだけは確かだ。

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