何か出来ること
起きてからはとにかく大変だった。
母さんとリリスに腕を引っ張られるだけでなく、母さんに抱き寄せられたかと思えば、リリスに奪われて抱かれと……あくまでも俺のスケベ心が抱いた感想は――代わる代わるに包み込まれる胸の感触たるや、感動という言葉では言い表せないほどの天国だった。
「……この歳だと完全にマセガキじゃん」
いや、基本的に男子ってのは小さい頃からエロガキだから問題ない。
自分にそう言い聞かせ、俺は編み物をしている母さんへと視線を移す。
「どうした?」
「ううん……ただ見てるだけ」
「ふふっ、そうか」
リリスの家から帰ってきてから俺たちはずっとのんびりしている。
いつもなら朝から剣術や魔法の練習としゃれ込むところなのだが、流石に今日はリリスや夢のことでそれどころではなかった……母さんも普段と違う俺を見ても何も言ってこないからな。
(本当に色んなことがあったな……)
俺に課せられている制約や、リリスの身に起きていること。
夢の中の俺が言うにはリリスだけでなくセレンにも奇跡の力が働いているみたいだし、俺がこうして生まれ変わったのも奇跡によるものだ。
「……………」
「さっきから随分と……いや、リリスの家で目を覚ましてからずっとそうだな。何か気に病んでいることでもあるのか?」
「それは……」
いっそのこと、全てを話せてしまえればどれだけ楽なんだろうか。
だがリリスだけでなく、以前に母さんに全てを話そうとして感じた胸騒ぎはおそらく、母さんさえも打ち明けてしまったら消えてしまう……今はもうそれがハッキリと分かる。
何も言えない俺は、特に答えることなく母さんの隣に座った。
「甘えたい年頃だもんな。まあでも、こうして甘えられることは私にとっても心から嬉しいことだ♪」
編み物をしていた手を止め、母さんは俺の肩に手を置いて抱き寄せた。
(俺……二度目の転生だってのに、こうして甘えさせてもらえることが嬉しくてついこうなっちまう……前の時は親の温もりなんて全くもらってなかったけど)
両手で母さんに抱き着けば、よしよしと母さんは頭を撫でてくれる。
今の母さんと以前の母さんを比べるのは本当に失礼なレベルだし、今でもあの家の親は最低だと思っている……でも一応は育ててもらった縁もあることだし、他所では悪口なんて口にはしなかった……でもこうして考えるくらいは悪くないだろう。
「リリスとの話は、まだ幼いトワでも色々と考えてしまうものだったか」
「……うん」
「それは分からないでもない。何だかんだ、私もこうして奴を呼び捨てにするくらいには話をしたからな」
これは少し驚いたことだが、昨晩の出会いから一転して母さんはリリスとかなり仲良くなった。話題は基本的に俺の事ばかりというのが恥ずかしかったが、同じ魔族同士で気が合う部分があったんだと思われる。
「リリスがどうしてあんなことになったのか、明確には分からないが一つだけこれじゃないかという理由はある気がする」
「え?」
「ブライトオブエンゲージという現象だ」
「っ!!」
ブライトオブエンゲージ、それは夢で聞いた言葉だ。
実はそれっぽい話を酒場でセレンがボソッと喋っていたような記憶も微かにあったのだが、結局思い出せなかった。
こうして母さんが話してくれるというのなら是非もない。
「ブライトオブエンゲージは、そう幾つも報告されるものじゃない。基本的に発生することなく一生を終える者が大半だろう」
「そうなんだ……?」
「私のようなヴァンパイアやリリスのようなサキュバス、後はエルフもだったか? その三種族に発生する現象で、相手の運命と自分の運命を結び付けてしまうものだ。一度発動してしまえばその相手のことが愛おしくてたまらなくなる……その人しか見えなくなるんだ」
「なんか……一目惚れの最上級みたいな感じだね?」
「そんなものか? だが、発動した側からすればそんな簡単な感情じゃないんだよ。そこまで相手のことを愛してしまうのだとすれば、その相手を失った時の心の喪失は計り知れない――噂によれば、相手を失った発動者側の心は壊れるとも聞くからな」
最初は、なんてロマンチックというか……運命の人を見つけた感覚なんだろうと思った。
でも聞けば聞くほど、決して良いことばかりじゃないと理解した。
だが同時に、この話の流れで気付けたこともある……その答えも、母さんが口にした。
「リリスは、奇跡のトワを相手にブライトオブエンゲージが発動していたんだよ。お前は寝ていたが、その間の話で彼女もそれを認めていた」
「……………」
「彼女がああやってあたかも傍に奇跡のトワが居ると思っているのは、心が壊れた影響か……或いは心を壊さないための自衛なのか……はたまた、何かしらの力が働いて本当に見えているかだな」
母さんの言葉は、全てを繋げるものだった。
リリスには本当にかつての俺の姿が見えているが、それは奇跡が成し得た願いでもあり、ある意味でリリスの心がボロボロになった証明だ。
「彼女は、心から奇跡のトワを愛しているんだろう。子供のお前には聞かせられないくらいに赤裸々な内容を語っていたが、そのどれもが愛に溢れていた言葉だった。とてもサキュバスとは思えないほどに一途で、純粋で真っ直ぐな愛だった」
「……………」
俺は、全く気付いていなかった。
いくら奇跡の力があるとはいえ、命を懸けた旅だったのは言うまでもなかったから。
「そして……ふふっ」
「なに?」
「いや、こんな偶然もあるものだと思ってな。そもそもどうしてお前をリリスは連れて行ったのかだが、パッと見たお前が奇跡のトワと重なったらしい」
「っ!?」
「それで誘拐騒ぎを起こすのも迷惑な話だが、奇跡のトワとお前が重なって見えたことで何かしらの綻びが生まれたんだろう。朝に起きてからはトワも気付いていただろう? リリスは私たちに見えない何者かに声を掛けることはなく、どこまでも普通の様子だった」
「……そういえば」
リリスが俺を連れて行った理由にまずドキッとしたが、リリスの朝の様子を思い出して確かにと頷く。
「それでもふと、辛そうに涙を堪える姿も見たからな……もうずっとリリスの心は不安定なんだろうなと私は考えたわけだ」
「……………」
何となく、歪な状態なんだろうなとは俺も思ったんだ。
いくら奇跡の力が俺の幻影を見せているとはいえ、結局はそれが真実ではないからこそ周りとの相違もあってズレは生じてくる。
「生きている以上は、辛いことから目を背けて甘い夢に浸りたくなる気持ちも分かる。だがそれでは前に進むことは出来ず、ずっと囚われたままそこに立ち止まることになる……難しい所だな」
俺には、頷くことしか出来ない。
いや……それで良いのかと俺はふと思った――リリスが俺に抱いてくれていた感情が嬉しいのはもちろんだけど、ずっとこのままだったらリリスはずっと心が不安定なまま生きていくことになる。
今のリリスにとって幻影の俺を見続けることが幸せだとしても、いつか完全に壊れてしまうことも想像出来てしまったのだ。
「俺は……」
俺に何かが出来るのか、そう考えるのは傲慢かもしれない。
それでもここまでの話を聞いた時に、かつての仲間であるリリスを放っておくというのも我慢出来なかった。
「……ふふっ、やはりトワは優しい子だな」
「え?」
「リリスに何かしてあげたいと、そう考えているんだろう?」
「……うん」
「なら自信を持ってそう言えば良い。親は子がしようとすることを応援するものだし、背中を押す役目もある。まあ……なんだ、いくら仲良くなったリリスとはいえ嫉妬するがな? 嫉妬しまくりだがな!?」
グッと顔を近付けてきた母さん。
唾も掛かる勢いに思わず仰け反ったが、離れようとした俺を支えているのが母さんのため逃げられるわけもない。
「トワが傍に居て落ち着くというのであれば、少しの間でも傍で話をしてあげるだけで何かが変わるかもしれん」
「なるほど……」
「……こうして道を示すのもまた、妻としての役目だし悪くない気分だ」
「母さん?」
「何でもない」
母さんが何かをボソッと呟いたのはともかく、やりたいことの方針は決まった。
まず、今度は俺からリリスに会いに行ってみよう。
かつてリリスは俺をずっと支えてくれたから……だから俺は、その返せなかったお返しを少しでもしたいんだ。
▼▽
アリアス魔法学院での授業が終わり、生徒たちが学び舎を出て行く。
その中に一際目立つ生徒たちも多いが、その目立つ存在の中に専属魔術師として働くリリスの姿も含まれている。
「やはり美しいな……」
「あの方を妻に迎えれば……」
「本当に綺麗だよね……」
「あたしの婚約者……あいつに夢中なんだけど?」
羨望に欲望、嫉妬の視線がいくつもリリスに注がれる。
だがリリスはそのどれもを気にした様子もなく、いつになくボーッとした様子で歩いていた。
(帰って早くトワさんに……あれ? でもトワさんは……あれ?)
リリスにとって、それはおかしな感覚だった。
ずっと夢の中に居るようなフワフワとした感覚のせいで、教員としての役目をしっかり果たしはしたものの内容は全く覚えていない。
「リリス様!」
「……………」
「リリス様!!」
「は、はい!?」
だからこそ、近付いてきた貴族男子に気付かなかった。
「これから我が家にどうでしょうか? 両親も是非、リリス様とまたお話をしたいと申しておりまして」
ようやく覚醒したリリスは、すぐさまその提案にため息を吐く。
魔族でありながらも勇者パーティとして活躍し、王や女王の信頼も厚いリリスを取り込もうとする動きは過熱を続けている。
もちろんリリス自身を欲しがる男も多いのだが、今回はそれに加えて貴族男子の家事情も絡んでいそうだ。
「申し訳ありません、遠慮させていただきます」
普通であれば、誘いを断ることなどできはしない。
だがリリスほどの存在だからこそそれが出来る……断られた男子は、僅かに顔を赤くして握り拳を作り、悔しさを露にしていた。
「失礼します」
そしてまた、一人の貴族男子がフラれて終わりだといつもならこれで終わっていたはずだった。
「あら……?」
しかし、そんなリリスの視線の先に一人の少年が現れた。
その子は上質な服を着ており、貴族出身だと言われても疑われないほどだろう。
周りに何人も居る学院の生徒たちがあの子は誰だと視線を向ける中、リリスはゆっくりと近付いていく。
「トワ……君? どうしたんですか?」
「ど、どうもです……リリスさん」
こうして会えたことで、朝に抱いていた高揚がリリスの胸に宿る。
それだけでなく脳に掛かっていた靄が僅かに晴れていく感覚にも陥り、とにかくリリスはこうして朝に引き続きトワに会えたことが嬉しかったのである。
「あ、あの!!」
「は、はい!!」
大きな声を出したトワに、リリスもまた驚いたように声を上げた。
そして、トワは一度背後を見た後……リリスにこんな提案をしてきたのだった。
「これから……デートとかどうですかリリスさん!!」
「っ!?!?!?!?」
リリスだけでなく、周りに居た全ての者が衝撃を受けた。
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