リリスの追憶
私にとって、トワさんとの邂逅は運命を感じずに居られませんでした。
【精気を吸わなくてもある程度は生きていける】
【男だけでなく、女さえも惹きつけてしまう】
【あまりにも異端すぎるサキュバス】
私は、物心付く頃から他のサキュバスとは違っていた。
サキュバスが精気を吸い取ることで生き永らえる種族であることは本能に刻まれていたものの、私にはサキュバスに来るはずの精に対する渇望が訪れなかったのです。
『リリスって不思議よねぇ』
『アンタって本当にサキュバスなの?』
『人間の女もそうだし、あたしたちまで魅了されてんだけど』
『もうサキュバス以外のなんかでしょアンタ』
別に、サキュバスの中で嫌われたりしていたわけではありません。
それでも自分が普通と違うことに僅かな疎外感を感じ、同族であっても魅了してしまいおかしな空気になることが耐えられなくて、私は吸精しなくても大丈夫な体を良いことに旅を始めました。
『あぁ……良い女だぁ……』
『金ならいくらでも払うから抱かせてくれよ』
『うちの店で働かないか?』
自分の意思で始めた旅でしたが、行く先々で声を掛けられました。
フードを被って顔を隠しても、分厚いローブで体を隠しても私の放つ魅了は男性を惹き付け、もちろん女性も惹き付け……とにかく、大変だった記憶しかありません。
『疲れましたね……』
私は、大よそ他人と普通の接し方をしたことがない。
普通に喋ったとしても相手は軽く発情し、私に対して欲望の混ざった視線を向けてきましたから。
『魔王が人間界に侵攻したことで、中立の魔族に対する目も厳しい……しばらくはジッとしているのが良いでしょうか』
故郷に戻り、家に引きこもろうかと思っていた時でした。
『うおおおおおおおおおっ!?』
あなたと……トワさんと出会ったのは。
どうやら罠を起動させてしまったらしく、三つ首の番犬ケルベロスを呼び出してしまい、必死に逃げているトワさんと私は出会いました。
『人……じゃなくてサキュバス!?』
人間にとって、当時は魔族と出会うだけでも緊張感があったでしょう。
しかしトワさんは私を見つけた瞬間、くるっと体を回転させてケルベロスに向き直ったのである。
『必死こいて逃げてたけど、誰かが居るってんなら話は別だ。奇跡を起こせる力ってんなら、ケルベロスを葬れるくらいの力を見せてみやがれ!』
奇跡の力とはなんでしょうか?
そう思っていた私の目の前で、トワさんは不思議な力を解放しあのケルベロスを倒したのです。
パッと見てもトワさんのレベルでは、ケルベロスを対処するなど絶対に無理だったはず……それでも討伐を可能にしたのは、トワさんに宿っていた奇跡を起こす力だった。
『ふぅ……その様子を見るに大丈夫だったかな。取り敢えず何もなくて良かった』
ニコッと、笑ったトワさんに私はドキッとしました。
今まで私を一目見た瞬間に、男性はすぐに発情し目の色を変えて体を触ろうとしてきましたけど、トワさんはそうではなかった。
もちろんファーストコンタクトで何を言っているんだと思われるかもしれませんが、私は相手の目を見れば分かるんです。
『あなたは、平気なんですか?』
『平気って何が?』
『私の傍に居て、変な気分になりませんか?』
『あぁ……それってサキュバスだからってこと?』
『えっと……』
そこで私は、自分のことを簡単に説明した。
するとトワさんはあぁっと手を叩いた後、自身が持つ奇跡の力が魅了を相殺しているんじゃないかと教えてくれたのです。
『そういえば、勇者パーティに奇跡の力を持つ男性が居ると聞いたことがありました。なるほど、あなたがそうだったのですね』
『奇跡の力とは言うけど、俺自身は特に制御も出来ないからな。文字通りに奇跡を信じるしかねえんだよ』
クスッと、微笑むトワさんにまたドキッとした。
奇跡の力を持つトワさんに私の魅了は効かないので、どこまでも普通に会話が出来ただけでなく、当時は喋るだけでも疲れるカイシンさんや、同性として色々と相談に乗ってくれたリリーナさん、私の魅了を逆に研究対象だと言ったセレンさんも、トワさんの影響によって普通に会話が出来たのです。
『私も、パーティに入れさせてもらえないでしょうか?』
『良いぜ! 勇者たる俺のためにしっかりと奉仕しな!』
『アンタは黙りなさいってのこの馬鹿!』
『いてええええええっ!?!?』
勇気を出した言葉が、私の運命を変えた。
そこからの日々は魅了に囚われない瞬間の連続で、トワさんが傍に居るという制限はありましたが、私は初めて普通に他人と接するという機会を得ることが出来たのです。
『あの……トワさん。迷惑ではないでしょうか』
『何度聞いても答えは同じだよ。つうか、美人の散歩に付き合えるだけでも儲けものだぜ?』
『美人……ですか』
『あ~……似合わなかったか? やっぱそうは思っていても、何でもかんでも言葉にするべきじゃないな……うん』
トワさんからもらう言葉は、何度も言われていた言葉でした。
しかし他の誰かから言われた言葉であっても、相手がトワさんだと思えば私にとって特別になりました。
『魅了は効かないけど、リリスのことは良い女だと思うしくっそエロいとは思うよ? でも魅了無しにそう思うってことは、それだけリリスが魅力的な女性だって事の証拠なんじゃないかな』
『女たらしめ』
『いやいや! 俺はあくまで正直な気持ちでだなぁ!!』
本当に、どんな言葉も私は嬉しかったのです。
戦いにおいても私はトワさんの存在に助けられていました。私の方がレベルは高いものの、トワさんは私やセレンさんよりも前に立っていて、後ろから見る彼の背中はとても大きく、凄く頼りになったのですから。
『背中を守ってくれるリリスたちのおかげで頑張れるんだよ。でもまさか俺がこうして戦えるなんてなぁ……人生分かんないもんだわ』
時折、トワさんは遠い目をすることがありました。
そのことが気になりつつも、私はただトワさんが傍に居ればそれだけで構わなかった……このまま魔王を倒して旅が終わっても、トワさんが居てくれれば私にはそれだけで良かったんです。
それだけで……良かったんです。
『リリスが勇者パーティとして戦っているおかげで、君のことを人々は心から受け入れている――その上で、君の魔法に対する知識をこれからの若者に与えてくれないか?』
『トワとのやり取りを見ていて思ったけれど、リリスは他人に教えるのが凄く上手だわ。もしもあなたの気が向けば、魔法学院の専属魔術師として働かない?』
今となっては笑ってしまいますけれど、旅の中で改心したカイシンさんにまず誘われ、リリーナさんにも専属魔術師としてどうかと誘われましたが、既にサキュバスの里に戻るつもりもなかったのでその提案は受け入れるつもりだったのです。
『良いじゃないか。俺もたぶん家のゴタゴタとか諸々片付けたら王都のどっかに家を買うだろうし、リリスも王都に住んだらいつだって会える。こうしてせっかく親しくなったんだし、いつでも会えるのは俺も凄く嬉しいからな』
『やります! やらせてください!!』
トワさんにそう言われたら即決ですよもちろん。
『ならあたしも王都に住もうかしら……そうすればトワといつだって会えるし、アンタらにも会ってやれるし?』
私と同じく、エルフの国に戻るつもりがないセレンさんも王都に住むことには乗り気でした。
これから賑やかになると、そんな期待に胸が躍った夜でした。
トワさんと一緒に空を見上げていた時、彼がこう言ったんです。
『リリスは俺の事を強いって言ってくれるけど、結局は奇跡の力のおかげなだけ……でも最近はそうじゃないんだなって思えるようになったよ――こんな俺でも、背中を守ってくれるリリスたちを守りたいんだ。そう思えば、俺はどこまでも強くなれる……ははっ、かっこいい人間になりたいんだよ俺は』
『……トワさんはかっこいいです』
『そうか? いやいや~、調子に乗っちゃうからその辺にしてくれ~?』
おどけるトワさん……あなたの浮かべる笑顔はいつだって私を幸せな気持ちにしてくれたのです。
そしてその時、一際強い心臓の高鳴りが教えてくれました――数百年に数回の発生しか訪れない“ブライトオブエンゲージ”が発動したのだと。
『トワさん……私、もうあなたしか見えません』
もう私は、この人しか愛せないのだと理解しました。
もう私は、この人を失ったら生きていけないのだと理解しました。
もう私は、この人を何があっても忘れないと決意しました。
『トワさん……トワさんっ!?!?』
しかし、トワさんは魔王との戦いで重傷を負いました。
周りのみんなが諦める中、私は最後まで諦めなかった……ですが、心の中で思っていたことがあります――もしもトワさんが死んだら、私も後を追うのだと。
『みんな……俺は……本当に幸せだった。みんなの様子を見れば、俺が死ぬことを凄く悲しんでくれているのが分かる……けど、敢えて俺はこう言わせてもらうよ――俺はみんなを守れて良かったって』
トワさんは、そんな言葉を残して目を閉じた。
その瞬間に私の世界から色は消え失せ、今すぐにでも彼の後を追わなければならないと思いました。
ですが、当然のように私は願ったのです。
『お願いです……お願いですからトワさん……また、私の傍で笑ってくださいよ……帰ってきてくださいよ……トワさん……っ!』
それは、私の純粋な願い……奇跡を願ったのです。
『リリス、ただいま』
『あ……あぁ……っ!』
そして、トワさんは戻ってきました。
リリーナさんが用意してくれた部屋でボーッと過ごしていたその時、ふらっと笑顔のトワさんが戻ってきてくれたんです。
『ど、どうして……?』
『いやぁ、リリスに会いたくなったというか……君がそんな風に泣いててジッとしてられないでしょ』
そう言ったトワさんは、紛れもないトワさんだった。
そうです――トワさんが帰ってくるという奇跡が起こり、この平和になった世界で私は変わらず彼と過ごしています。
その幸せは言葉に纏められるものではない……ですが、不思議なこともあるのです。
『リリス……何を言ってるの?』
『……リリス、君は――』
私には分かりませんでした。
何故、リリーナさんとカイシンさんは私の言っている言葉が分からないのかと。
『きっとお二人とも、トワさんが戻ってきて嬉しさのあまり混乱してるんですね♪』
『二人とも変わらないなぁ、あの頃のまんまだ』
こうして傍で笑っているトワさんの存在が何よりの証拠なのに、二人とも私のことを哀れむような目で見てきて……全くもう! もう塞ぎ込んでいた私ではないんですよ?
『トワさんは、私の傍に居ますよね?』
『ずっと居るよ。君が願ったから――“何でも良いからただ傍に居てほしい”ってその願いに、俺の奇跡の力が応えてくれたんだ』
トワさんの持つ奇跡の力は、私に幸せを運んでくれた。
私の傍にはトワさんが居る――だからもう、私は不幸ではないんです。
……でも、ふと思うことがありました。
どうして時折鏡に映る私は、こんなにも幸せなのに涙を流しているんだろうと、ずっと……ずっと気になっています。
『ボク……』
そして何より、あの子を見ると私は……いつまで立ち止まっているのだと、そう言われているようで仕方なくなるのです。
自分が分からなくなってしまうような……けれど、手放したくないこの夢に縋りたくて。
私はどこに向かって……何をしたいのでしょうか。
『奇跡って聞こえは良いけど、なんでも奇跡を起こすって解釈なら怖いなぁって思うけどね』
『そうなんですか?』
『なんつうか……余計なことまでしちゃいそうだなって』
『起こる奇跡にも、良い悪いがあるってことなのでしょうか』
トワさんと、そんな風に会話をしたことがあまりにも懐かしくて、でも逆にそれは過去に囚われている証拠なのかもしれませんね。
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