歪な奇跡の果て
「おやすみ中に失礼しますね、ボク」
「……………」
「よっこいしょっと」
突然に、窓からリリスが現れた。
彼女は可愛らしい声と共に降り立ち、ベッドの上で唖然とする俺を見下ろした。
(なんで……?)
なんで彼女がここに……?
「……ボク?」
「っ……」
スッと近付いてきた彼女から視線を逸らす。
俺からすればかつての仲間と二度目の再会でもあるので、胸に込み上げる物があるのも確かなのだが、その感動を塗り替えるほどに昔の色気を全身から放つせいだ。
「……あぁ、そうですね。確かにいきなりこうしてやってきては、あなたを怖がらせてしまいますね」
「いや……普通にいけないことじゃ?」
「それについては申し訳ないと思っています……ただ、どうしても確認したいことがあったので」
リリスは、頭を下げて謝罪した。
これが非常識な行動であると分かっているようで、素直に謝る辺りちゃんとしているようだ……してるのか?
デカい乳をたゆんたゆんと揺らしながら、リリスは前に立った。
「……………」
「あの……?」
ジッと見下ろしてくる彼女は何も言葉を発さず、ただただ俺の顔を見つめてくるだけだ。
「あ……」
だがその時、俺はリリスの瞳から零れ出る涙を見た。
リリスはサキュバスでありながら、必要以上に男を吸い寄せてしまう自身の体質に悩み、俺やリリーナに話をする時にも辛そうにしていたが、それでも彼女は泣くことはなかった。
そんな彼女が泣いたのを見たのは、俺が死ぬ間際のあの時だ。
「あぁ……ボク……っ!」
リリスは、涙を拭くこともせずに腕を伸ばして俺を抱きしめた。
その大きすぎる胸元に抱き寄せられ、突然のことだというのに一切の声を上げることが出来なかった。
『私には経験がないのですけど、サキュバスには男性を強く落ち着かせる力もあるのですよ。世間では無理やりに襲い精気を吸い上げるという言葉がありますが、私たちは精気を吸わせていただく立場です。一部の暴力的なサキュバスを除き、ほとんどのサキュバスは男性を尊重し、穏やかな気持ちの中で吸精をさせていただくのです。何度も言っていますが、私は特別な体質故にまだまだ経験はないのですけどね……ないんですからね!』
なんてことを教えてくれたこともあった。
リリスからそういう話を聞くたびに俺とリリーナは驚いてたし、魔法開発が趣味のセレンは、産まれてから一度も吸精せずに並みのサキュバスよりも優れているリリスの体を、是非とも研究してみたいとか言ってたくらいだしな。
(そうか……今の俺は子供の体だけど、こうして落ち着くのはリリスたちサキュバスの特性だっけ?)
思えば旅の途中に何度か……それこそ魔王城に乗り込む前日にリリスが落ち着くからって抱きしめてくれたことも覚えている。
「ボク、落ち着きましたか?」
「……うん」
「それは良かったです♪」
相変わらずその柔らかな胸をクッションにさせるかのように、抱きしめたまま優しく頭を撫でてくるリリス。
そしてそのまま、リリスは俺を抱きかかえたまま翼を広げた。
「……え?」
「よっこいしょっと」
彼女は降り立った時と同じ掛け声と共に飛び立ち、外に出るとご丁寧に魔法で扉を閉めた。
「な、何を……?」
「何を? 私たちの家に帰るんですよ? 全くもう、こんな夜中遅くまで他所様にお邪魔するのはダメですよ? ママもそうですし、パパも凄く心配していますからね?」
一体、リリスは何を言ってる?
リリスがあまりにも頓珍漢なことを言うので、逆に落ち着いて冷静になった俺は素直にこう言った。
「その……俺の母さんはあなたではないんですが――」
「あら、寝ぼけてるんですね? 確かに夜も遅いですし仕方ありませんけれど……でもボク? ママに対してそんな言い方はめっですよ?」
「……………」
あ~、これ何を言ってもダメなパターンの奴だ。
以前の俺に比べて剣と魔法の才能があるとはいえ、流石にリリス相手に暴れたところでどうしようもないことなど分かり切っている。
(かつての仲間が……いきなり俺を子供だと思い込んで誘拐とか、何の冗談だって言いたくなるくらいだぞ?)
本当ならかつての仲間として話をしたい。
だがこうして俺が知らない間に家から離れていることを、母さんが知ったらすぐにでも家を飛び出して探してくれるだろう。
今の俺は、フィアママが俺の母さんなんだ。
それならば、たとえこんな意味の分からない状況に陥ったとしても俺がしっかりしなくてどうすんだって話だ。
「あなたは、リリス様ですよね?」
「ママですよ~?」
名前を呼べば、ニコッと彼女は微笑む。
もしもリリスが積極的に精気を吸うサキュバスだとしたら、一体どれだけの男を虜にしていくのだろうかと、そう思わずには居られないほどの綺麗な微笑みだが、俺は毅然とした態度を崩さない。
「俺は、あなたの子供じゃないんです。フィアママっていう、捨てられた俺をずっと育ててくれた母さんが居るんです」
「う~ん? 一体ボクは何を言ってるんですか?」
「俺の名前、言えますか?」
「……………」
そこでようやく、リリスは動きを止めた。
真ん丸なお月様を背後にするように、翼をゆっくりとはためかせて飛んでいるリリスの姿はあまりにも幻想的だ。
この角度からだと顔しか主に見えはしないのだが、本当に綺麗だと言わざるを得ない。
「っ……私は――」
動きを止めたリリスは、また涙を流す。
胸に抱える何かを堪えきれない彼女の姿に、信じてもらえるかどうかはともかく自分のことを伝えてでも安心してほしかった。
「俺は――」
その瞬間、母さんに話そうとした時の嫌な感覚が胸に渦巻いたが、かつての仲間が泣いているのに言葉を止めるわけには行かない。
「リリス、俺は――」
俺は君と一緒に旅をしたトワだ、生まれ変わったんだ!
そう続けて口にしようとした時、リリスに変化があった――流れていた涙に赤が混ざり、まるで血の涙を流すかのように変わった。
「……何ですか、これ」
止めどなく流れる血の涙に、リリスも流石に気付いた。
俺はそれを見た時、続けようとした言葉を反射的に呑み込み、そして瞬時に理解したのだ――俺が転生したという事実を伝えようとした場合、確実に良くないことを起こるということを。
「今……私を呼び捨てにしましたか? あなたは……痛っ!?」
痛いと、そう言ってリリスは頭を抑えた。
辛そうに呻き声を上げるリリスの顔は酷いことになっており、目からは相変わらず血の涙が流れ、鼻血に軽く吐血までしている。
『その現象は、君が自ら正体を明かそうとした場合にのみ発生する。事態を収拾したければ、彼女の気を逸らすと良い』
ふと頭に響いた声に従うように、俺はこの場において最高にリリスの気を逸らせる一言を口にした。
「リリスママ! 大丈夫!?」
……俺、血迷ったかもしれない。
でも仕方ないじゃないか、リリスの様子が明らかにおかしいしこのままだと絶対にマズイことになると思ったから。
リリスママと、そう呼んだ瞬間――苦しそうだったリリスの表情は一気に明るいモノへと変わり、瞳にハートマークが浮かんだ気がした。
「大丈夫ですよ、ボク♪」
「……………」
先ほどの様子から一転した姿に、俺は脱力するようにため息を吐く。
(母さんは……起きてこないか)
チラッと家の場所を見た時、僅かな魔力の揺らぎが見えた。
流石の母さんもレベルの近いリリスであることと、夜を支配するサキュバスの魔法がこれでもかと効いているらしい。
「では、帰りますよ」
「だから……あぁもう!!」
ごめん母さん。ガキの俺の力じゃリリスから離れることは出来ない。
結局、さっきのリリスの身に起きたことなんかに関して疑問と不安は残るが、それをゆっくり考える暇もなく俺はリリスに連れ去られた。
だが、この出来事が俺に教えてくれた――リリスの身に、明らかに何かが起きていたことを。
「リリス……様?」
「ママでしょ? 全くもう」
目の前に立つリリスは、あたかも隣に誰かが居るような様子で言葉を続けたのだ。
「パパも心配していたんですよ。ね? パパ? あ、パパではなくトワさんの方が嬉しいんですかぁ?♪」
彼女の隣には……いや、この場には俺とリリスしか居ない。
それなのにリリスはずっと、透明人間でもそこに居るかのように誰かへと語りかけている。
というか語り掛けている相手の名前はトワ……俺?
「今日は久しぶりに三人で寝ましょうか。さあボク、ベッドにいきましょうね?」
「……………」
リリス……一体君に、何があったんだ?
▼▽
「……全く、人の息子を攫うとはなぁ」
トワが居なくなって少しした後、アストレフィアは目を覚ました。
彼女は目を開けた瞬間に何があったかを明確に理解した――愛するトワの存在が近くに確認出来なかったからだ。
「私にはトワの居る場所が分かる――やはりあのサキュバスか」
アストレフィアは無表情に空を見上げ、そして翼を広げて飛び立つ。
真っ直ぐに向かう先はトワの居場所――彼女の瞳は、今までにないほどに赤く輝いていた。
正しく、敵対する存在を仕留めようとする殺意に満ちて。
「とはいえ、かのサキュバス様が人攫いなど考えられん……何か理由があると考えるのが普通か? たが一つ分かったことがあるとすれば、やはり幾つになっても子は親と寝るべきなんだ」
怒りの中でアストレフィアは、真理に到達した。
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