01-06話 お頭、習い事を始める
信秀様が一歳になり王家のしきたりで卒乳への移行期間になった。
以前の王家は親子が別々に暮らしていたので、実の両親より乳母に懐いてしまう王子や王女も多かったそうだ。
そして乳母の一族が専横な振舞いをし、国政が混乱した前例があったので、乳母は一歳半までという決まりができたそうだ。
前世でも家光公の乳母だった
父母の覚えが悪かった家光公のため家康公に直談判して将軍家を継がせ、女嫌いの家光公に世継ぎを作らせるのに成功している。
こんな乳母だったら良いのだが、淀君の乳母だった大蔵卿局は実の子供と一緒に権勢を振るい、
そんな前例を見るに一歳半で乳母をお役御免にするのは理にかなっていると思う。
徳川家も春日局が大きな影響力を持ち、政事にも影響があったため、以後は世子が生母よりも乳母に懐かないよう、抱かせるのを禁止したり卒乳と同時にお役御免としていたはずだ。
ただ、この世では
俺も信秀様のお相手も終わりだと思っていたが、千代母さんが乳母を辞めても、静香様にお稽古事を教えるときは、俺も一緒に王宮に行き信秀様の相手をしている。
二人の乳母と俺が一度にいなくなると、信秀様が不憫だという静香様の意向のためだ。
静香様は幼少の頃から利発すぎ、同じ年頃の子供では相手にならなくて寂しかったため、信秀様にはそんな思いをさせたくないそうだ。
それを聞くと前世の将軍家とはだいぶ違うと思ってしまう。俺は家督を継ぎ三十一歳で西の丸御書院番士を任じられ、将軍家世子の警護をしていた。
将軍家の嫡男だと生まれた時から守役の他に年長で数名の小姓が任命され、後に側近となり成長にともない小姓も増えていった。
それと比べると信秀様付なのが侍女と俺だけというのは手薄すぎる気がする。
千代母さんによると王太子様と静香様の意向で、王族教育が始まる六歳にまでは王族に相応しい躾は行うが、大らかに育って欲しいのでそれ以外に特別な事はしないそうだ。
静香様は今までの王家のしきたりよりも信秀様自身の事を考えているようで、陛下と王妃様に王太子様もその考えを支持しているとの事だ。
ただ乳母の影響を排する仕来りなのに、乳母の息子がいるのは問題だ。そこで俺は側近や話相手ではなく侍女のような使用人になった。文句がでたら王宮の使用人だと言いわけするようだ。
これには王宮の人達も驚き「一歳から働くなんて…」と顔見知りの侍女達に同情されてしまった。
そして俺達が仕えている信秀様だが、どんな事も砂地に水が沁みこむように覚えていく。読んでいる本も絵本はとっくに卒業し、子供用の本を読んでいたが最近は辞書を引きながら大人の本も読むようになった。
お顔もご両親に似て可愛くも整ったお顔だし、温和な性格で侍女達や使用人にも我儘をいったりしないので、こんな王太孫殿下なら王国の将来も明るいと周りの人はいっている。
しかし子供の頃の評判はあてにならない。三代将軍家光公も子供の頃は病弱で吃音があり、容貌も優れているとはいえなかった。
それに比べ弟の忠長公は容姿に優れ才気煥発で父母の寵愛を受けたため、将軍家を継ぐのは次男だと噂されていた。
結局は長子の家光公が三代将軍となり、忠長公は駿河で五十五万石の大名となった。
将軍ではなくとも十分すぎる扱いなのだが、父親の秀忠公に百万石か大阪城の城主を要求したそうで不興をかってしまう。しかし、そんな忠長公を持て囃す諸侯も多く将軍が二人いるようだと噂され、さらに警戒されるようになった。
そして最大の後ろ盾だった生母のおごう様が亡くなると酒に溺れ、数々の乱行を起こすようになる。
酒に酔って家臣の子や坊主を殺害。腰元にも無理やり酒を飲ませて責め殺し、
結局勘当のうえ蟄居になり、父親の秀忠公が危篤になっても江戸入りを許されず二十八歳で自刃している。
そうかと思うと二代秀忠公が奥女中に産ませた保科正之公は、とても優秀なうえ勤勉で家光公も腹違いの弟を頼りにしたため、会津藩の初代藩主となり江戸初期の三名君と呼ばれている。
最高の環境で親の愛情もありながら乱行のあげく自刃する子もいれば、秀忠公の御台所、お江様の勘気を恐れ、隠れるように育てられた子が名君といわれるようになる。本当に子供の育ち方はわからない。
ともかく信秀様の世話係になったが、実際にお世話をしているのは侍女達で、俺がやっているのは遊んだり一緒に本を読んだりする日々だ。
中身は五十過ぎの俺に、幼児の相手は辛いので将棋を教えることにした。
幸い信秀様は駒の動きをすぐに覚えたので対局する。最初は手もなく負けるので悔しがっていたが、絵本そっちのけで将棋に取り組んだと思うと、すぐに上達しすこしは食い下がるようになった。
俺も大人げないとは思いながら、振り飛車や穴熊戦法を使うと、信秀様も俺の戦法を真似るだけでなく、詰め将棋や戦法も勉強するようになった。
一歳児がこんな事ができるなんて本当に天才だ!と思いながら、お相手を務める日々を続けていた。
そして俺は二歳になった。これぐらいの幼児だと話方もたどたどしいし分別もついていないが、前世の経験があるし読書のせいで語彙も豊富だ。口跡もはっきりしているので、初めて会う人は本当に子供なのかと驚かれる。
嶋家でも弁慶父さんや眞莉はこんなに賢い子がいるのかと呆れているが、平八郎お爺さんや長く勤めている使用人は千代様のお子ですからと驚きもしない。
信秀様も転生者の血が濃いため俺と同じような感じで成長しているが、王家ではこれが当たり前のようで、陛下や王太子殿下も驚いた様子はない。
そんな日々を過ごしていたが嶋家にも変化があった。千代母さんが女の双子を出産したのだ。嶋家は家族や使用人も大喜びだが、俺は双子と聞いて畜生腹だと青くなった。
前世で双子を産むのは動物と一緒だと忌み嫌われ、その場で産婆に間引きされたり寺に出されていたのだ。しかし、この世では双子を忌み嫌う風習はないようで皆も娘が二人もできたと喜んでいる。
産まれた赤子も千代母さん似でとても可愛い、俺も天使のような妹を可愛がらずにいられないので前世の風習は忘れる事にした。
生まれた二人だが長女は弁慶父さんが
千代母さんも俺の次は女の子が欲しかったようで、念願がかなったと喜んでいる。俺は念のため、生まれた双子に色々と話しかけてみるが、前世の記憶は無いようで転生者ではないようだ。
ただ、この二人は千代母さんの才能も受け継いでいるようで、言葉はすでわかっているようだし、絵本を読み聞かせるだけで言葉を覚えてしまう。前世では倅や娘がいたがその違いに驚いてしまう。
そして王太子家も静香様が女の子を出産した。こちらも静香様似の黒目黒髪でくりくりとしたお目目が可愛い赤ちゃんで絵莉佳と命名された。
王太子様と静香様も娘の誕生を喜んでいるが、小夜と如月が学院で同級生になるので「左近のようにお世話係になってもらおうかしら」と千代母さんと相談している。
そんな事が続いていたが千代母さんは俺に楽器の稽古を誘うようになった。
「左近も楽器ができると楽しいわよ、私が教えてあげるわ」
目を輝かせながらそんな事をいってくるのだ。千代母さんは才女といわれるだけあってクラヴィーア(ピアノ)、ギターラ(ギター)、フレーテ(フルート)、ヴィオリーノ(バイオリン)それに弾き語りで歌唱もできる。
演奏も美しく巧みでリサイタルも開いているし、貴族のサロンでもよく演奏している。
そんな千代母さんは一人っ子だったため、家族で演奏することが夢なのだそうだ。
ただ、普通の二歳児では体が小さすぎて楽器を演奏するのは難しい。しかし俺は弁慶父さん似で体格が良く四~五歳児に見えるので、もう練習できると目をつけられたのだ。
楽器と聞いて俺は前世の事を思い出す。
俺は、京都西町奉行をしていた父と一緒に京都に赴いていたが、父が京都で亡くなり家督を継いだ。父の部下達には「まあ皆さんがんばってください。私は江戸で英傑といわれるようになってみせる」と言い残して江戸に帰ったのだ。
今にして思えば俺も恥ずかしい事をいっているが、父がいなくなり気が大きくなった俺は、遊郭や料亭で遊び
馴染みの芸者に「長谷川様のお座敷は華があります。もっと男を磨き上げてください」といわれ、いい気になった俺は座が盛り上がるよう三味線を教えてもらった。
覚えた三味線のおかげで座敷では楽しい思いをしたが、芸者につぎこんだ花代は高くつき、長谷川家が傾きかけた。
タダより高い物は無いという教訓を得たが三味線は楽しかった。ならば三味線に似ているギターラでも練習するか。
そんな事を思い出し遠い目になった俺は、千代母さんに「ギターラを覚えます」とお願いする。
喜んだ千代母さんは最初に譜面の読み方を教えた後、練習のための練習をしない事と、自分が目指す人や演奏を目標にするようにと千代母さんにいわれる。
それを聞き宴会を盛り上げ芸者にもモテたいという不純な動機で始めたが、俺には目標があったなと合点する。
千代母さんが使っていた特注の幼児用ギターラで練習を始めるが、撥ではなく指でつま弾く事や、糸の押さえ方も爪ではなく指の肉で押すなど違う部分に戸惑ったが、前世の経験だけでなく千代母さんの才能も受け継いでいるためか、一週間で練習曲が弾けるようになった。
千代母さんは褒めて伸ばす教え方なので「さすがは左近、楽聖の生まれ変わりだわ!」だとか「やはり、私の息子ね!」と、自分の事もさりげなく褒めながら俺を練習させ、自分が弾くクラヴィーアと合奏する事も多くなった。
◇
そんな俺を見て平八郎お爺さんと弁慶父さんはうずうずしている。俺に武芸を仕込みたいのだ。
千代母さんの様に「「やはり、私の息子(孫)だ!」」という
嶋家は女系で祖父、父と二代続けて婿養子を取っており、俺は三代ぶりに生まれた嫡男なので二人とも期待しているのだ。
しかし、普通の二歳児は自分で歩けるが、走る場合も
でも、俺は普通の赤ちゃんが這い這いをしているときに歩いていたし、発育が良いので稽古できると思うが、千代母さんが「稽古は体が成長してから」というので我慢しているのだ。
実は千代母さんも、嶋家の人間なので剣術を稽古したらしい。
しかし、多芸多才な千代母さんも武芸の才は無かったようで、稽古が苦痛でたまらないのに、平八郎お爺さんが稽古を強要したので武芸が大嫌いなのだ。
そのあたりの事情は周りから聞いていたのだが、俺は嫡男なので貴族の義務を果たすため騎士団に入団するのは決まりだ。それに前世でも武芸はかなり鍛えていたので、少し肩慣らしをする。
庭に落ちていた木の枝を拾い、本気で素振りをしてみるが、生まれ落ちてから鍛錬などしていないので、数回でふらふらになる。
いささか凹んだが休んだ後、形稽古をおこなう。
すり足や間合い・打突・残心の構えなどを練習するが、幼児の体は思うように動いてくれない。
しかし、繰り返し稽古をしていると「お見事です。左近様」と声をかけられた。
声を掛けてきたのは千代母さんの護衛兼侍女の
「後ろから見ていましたが、足運びや残心の構えなど初心者とは思えません。どこで覚えたのですか」
眞莉の実家は騎士爵家で、この世に新陰流を伝えた転生者、
「お爺様と父上の稽古を真似しただけです」と誤魔化したが、眞莉が父と祖父に「左近様は天賦の才があります」といったので面倒な事になった。
「見せてみろ」ということになり、形を見せると「体が出来ていないが、足さばきと
このままでは爺馬鹿と親馬鹿二人がかりの修行が始まってしまいそうだ。その後、家族で話し合い千代母さんが渋々ながら、稽古は剣術だけで当面は眞莉が指導することになった。
■弁慶視点
私は弁慶、嶋男爵家の当主だ。岳父はいまだ壮健だが、王都騎士団の指揮と育成に専念するため私が家督を継いでいる。
周りからは婿養子なので窮屈なのかと聞かれる事もあるが、家付きの娘である千代は美しく優しいだけでなく聡明で、平民出の私を立ててくれる。
それに子供達も千代の血を継いでいるためか驚くほど出来がよい。長男の左近は産まれるとすぐに話せるようになり、オムツもあっという間に卒業した。首もすぐに座ったかと思うとハイハイできるようになり、気が付いたら立ち歩きをしていた。
夜泣きもしないし聞き分けも良いので、千代と眞莉も叱った事がないそうだ。
それに絵本を読み聞かせていたら、平仮名や片仮名だけでなく真名の読み書きもできるようなり、今は図書館から本を借りて読んでいる。
兄の子など二歳までオムツをしていたし、癇の強い子だったので泣いたり暴れたりで兄嫁は動物と同じだといっていたが、それが普通だと思う。
そんな左近に眞莉が稽古をつけているので、どれくらい進んだのかを尋ねる。聞かなくても自分で見ればいいのだが「見たら口出ししたくなるでしょう、だからお爺様とあなたは近寄らないでください」と千代に釘を刺されてるのだ。
「左近の稽古は順調か」
「気味が悪いくらいです」
「気味が悪い?」
「武芸に始まった事ではないのですが、教えていない事ができたり、教えてもすでに知っているように感じる事があります」
「千代はこの事を知っているのか」
「左近様だったらそんな事も出来るかも、と仰っています」
「千代も教えていない事や、経験の無いことが出来たようだな」
「大旦那様はそのように仰っていますね。私も千代様に最初に会った時に大人よりも教養があるので同じ歳なのかと驚きましたが、左近様も本当に二歳児かと思ってしまいます。
それに集中しているときは仕草や雰囲気が旦那様に似ています。ご両親の良いところをそのまま引き継いでいるようです」
それを聞いた私は悪い気はしない。見た目も頭の良さも千代譲りなので、私には似ていないと思っていたからだ。
「直接確かめたいが、試合稽古はどうなのだ」
「体が出来るまで千代様に止められています」
「そうだったな。それでどのくらいかかると思う」
「五歳といいたいのですが、三歳位にはなんとかなるかもしれません」
「…そうか」
やはり左近は特別な才があるようだ。しかし千代から手を出すのは禁止だといわれている。
千代はとても優しいが、気持ちを裏切るような事をすると、悲しそうな顔をする。これが怒られたり小言をいわれるよりも辛いので、こっそり稽古を覗いて見る。
素振りは、前見たときよりも振りが早く鋭くなっているし、足さばきもスムーズで無心に振っているのがわかる。
形稽古も一本打ちの技から、連続技、払技、引技と続けているが、流れるような動作だ。
私が剣術を始めたのは六歳だったが左近のように稽古できるようになったのはいつだろう、いや見習騎士でも、あれほどキレイに形稽古できない者も多い。それに退屈で辛い素振りや形稽古に幼児が集中できる方がおかしい。眞莉が気味が悪いというわけだ。
千代は武芸の才はないので、私や岳父(嫁の父親)の才能を受継いでいるのは間違いないようだ。直々に鍛えたいが、焦って稽古をして千代のように武芸嫌いになるのも困る。眞莉には、じっくり取り組むようにと命じる。
◇
平八郎お爺さんと弁慶父さんは平日でも早朝から稽古をしているが、休みの日は本格的に稽古をしている。
二人とも体格が良いし挙措に迷いがなく気迫に満ちているので圧倒的だ。俺が相手をしたら、風圧だけで飛ばされそうだ。
それに、剣術だけでなく槍術と弓術の稽古も行っている。
前世の戦国武将も槍の又佐といわれた前田利家、蜻蛉切の名槍で有名な本田忠勝、それに賤ケ岳の七本槍の福島正則など、槍の
実際の戦いでも戦死者も鉄砲や弓が多く、次に槍傷で刀傷は一割もいなかったそうだ。賤ヶ岳の戦いでも7本槍が有名だが、三振り太刀といわれ、太刀で武功を上げた石河兵助、伊木半七、桜井佐吉は戦の怪我で死んだそうだ。
嶋家は武門の家だし、嫡男の俺は騎士団に入るのが慣習だ。そうなると将来は槍術や弓術も習う事になる。
俺も前世では先手組弓頭だったので、弓術もできるし槍術も並み以上にできるので、そちらの稽古も始めたほうが良いとは思うが、今の稽古に槍と弓を加えたくない。
とりあえず俺には前世の経験と、千代母さんゆずりの優れた記憶力と優秀な頭があるので、見稽古だけで見聞を広げることにする。
◇
剣術の修行を始めて一年たち俺は三歳になった。弁慶父さんの体格と才能を受け継いだためか、幼児とは思えないほど体力がついた。
素振りは毎日五百回。持久走も四キロは走っているが、さほど疲れないし風邪もひかなくなった。いくら祖父と父の血を継いでいるとはいえ、ちょっとありえない三歳児だと思う。
そして、眞莉とは試合稽古をするようになった。体格が違いすぎるので勝つことはできないが、俊敏な眞莉に真っ向勝負で挑み、多少は打ち合うことができるようになった。
千代母さんから稽古を見るなと釘をさされている平八郎お爺さんと弁慶父さんも、こっそり覗いているが、眞莉との立ち合いを見てあきれている。
そして眞莉と千代母さんのお許しを出たので、平八郎お爺さんと弁慶父さんが千代母さんの監視付きで稽古をつけるようになった。
最初に祖父と立合うが、ただでさえ勝ち目がないのに、手の内をじっくり見られるわけにはいかない、開始そうそう勝負をかける。
しかし、いきなり接近戦をしかけられても、平八郎お爺さんに落ち着いて対処され攻撃できなくなる。
ただ、俺も稽古をただ見ていたわけではない。
剣筋を見切り、隙あれば反撃しようとするが、覆いかぶさるように攻撃され手も足もでなくなる。
途中で弁慶父さんに代わる。わざと隙をつくっているが危なくてとても攻撃などできない。
ならばと攻撃に転じてくるが、俺が剣筋を見切るのがわかったようで不規則な攻撃をしかけてくる。
なんとか対処しようとするが、されるがままになる。
稽古が終わった後、これからの稽古内容を相談する。
眞莉は平八郎お爺さんの部下と結婚し、懐妊したのだ。本人は今まで通り嶋家に仕えたいといっているが、妊婦に無理はさせられない。
俺は型稽古であれば妊婦にも出来ると思うので続けて指導して欲しいが、試合稽古は無理だと思うのでお爺様と父上に稽古をつけて欲しい。
そして、弓と槍にも興味があるが、剣術の稽古に加えて弓と槍の稽古はしたくない。
曜日を決めて、その日は決められた武術だけを稽古したいとお願いする。それを聞いた平八郎お爺さんと弁慶父さんに眞莉は相談していたが結論がでたようだ。
「普通なら槍や弓の稽古を同時にやっても器用貧乏になるのでやらせないが、お前ならできると思う。
眞莉は弓と槍の心得もあるので基本の形稽古はやらせるが、後は左近のいうとおり私と弁慶が教える事にする。
しかし、左近の剣術には驚いた。大人を相手にしているようだったぞ」
「お爺さまと父上の稽古を見ていたのです。見稽古でもとても参考になります」
「「わが息子(孫)ながら末恐ろしいな」」
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