01-05話 お頭、図書館を知る

 怪我で療養していた乳母の佐竹伯爵夫人が戻ってきた。それで千代母さんの乳母はお役御免になるはずだったが、信秀様が千代母さんに懐いているので、今から離すのは不憫だと静香様がいいだしたそうだ。


 本当は元同級生で気心がわかっている千代母さんが傍にいると、安心できるし色々と相談もできるからだ。

 そのため異例ではあるが、乳母もたまには家族や自分の子供にも会いたいだろうし、休みも必要だと見直しが行われ、当分は二人体制で続ける事になった。


 また俺も王宮に泊まり込んでいる。俺がいると信秀様の機嫌が良いし手もかからないので、千代母さんが乳母の時は一緒に信秀様の相手をしているのだ。


 千代母さんは夫や家の世話から解放される為か、俺が聞きたがる転生者についても話してくれるようになった。

 なんでも転生者は数十年に一度、前世の記憶を持ち黒目黒髪で産まれる場合と、そうでない場合もあるうえ、静香様のように先祖帰りで転生者の血が濃い者が生まれることもあるが、詳しいことはわかっていないようだ。


 転生者は前世の経験や知識があるため、女だと有力貴族と婚姻を結ぶことが多いが、男は新たな貴族家の当主として引き立てられたりと優遇されるらしい。

 しかし権力者に利用され非業の最期を遂げた者も多いので、転生者だと公にしなかった者も多いうえ、前世の記憶もないのに転生者を騙った者もいて、歴史には真偽のわからない転生者が溢れているそうだ。


 そんな中でも、四百年前に現れた人物は自ら転生者であることを公言しただけでなく、果断な戦の采配で国内の争乱を収拾したうえ、優れたまつりごとで民草も信頼した偉人だ。

 この転生者こそ本能寺で死んだ織田信長公で、信秀様は数えて十三代目の子孫になる。新たな王朝を立ち上げた信長公は色々と改革を行ったが、前世で比叡山や本願寺に悩まされたためか、まつりごとに口をだした宗教勢力は徹底的に弾圧したようだ。


 また、信長公は前世の政も継承したようで他国の国境以外の関所を廃しただけでなく、特定の集団が独占していた特権も廃止し、楽市楽座を全土で実施させている。

 それに大奥のように金がかかる後宮を制限しただけでなく、無駄な格式や仕来りも取りやめ、王宮の使用人も制限するなど、贅沢を戒める家訓を残しているのだ。


 それだけでなく名前が長いのは面倒だと、前世で名乗っていた右府だとか上総介などの官職名や肩書を名乗るのもやめさせ、家名と名前だけにした。その名前も仮名けみょう(通称)といみなのどちらかを名乗るようになり、幼名も廃止させている。


 たしか信長公は嫡男の幼名に奇妙丸、次男は茶筅丸ちゃせんまる、その他の子供達も大洞おおぼら小洞こぼらしゃく良好りょうこうなど変な名を付けているので前世で俺もあきれたが、ひょっとして名前で遊びすぎたという自覚があったのだろうか。

  

 ちなみに転生者は、優れた才能が数代にわたって子孫に伝わるだけでなく、美しい容姿になる事が多いうえ老けるのも遅く、五十代でも三十代の見かけと膂力りょりょくを維持できるそうだ。

 睡眠も二刻ふたとき(四時間)眠るだけで十分な体質になり、といわれるらしい。


 優れた点が多い転生者やその子孫には縁談が殺到し、静香様も赤子の頃に王太子様の許嫁に決まったそうだ。

 王家も多くの転生者の血脈を多く取り込んできたため、容姿端麗でいつまでも老けない家系になり、今の陛下も四十代なのに二十代に見える。しかし、それでは貫禄がないので髭を蓄えるようになったそうだ。


 千代母さんは黒目黒髪ではないし前世の記憶もないが、麗しい姿で聡明なうえなので、今までにない転生者だと思われているようだ。俺も転生者なうえ千代母さんの血を継いでいるので夜中に目が覚めてしまい、暇を持て余してしまう。


 ちなみに転生者を誘拐して他国に奴隷として売りとばす輩もいるので、騎士爵家の三女で武芸の才がある眞莉が護衛兼学友となったそうだが、学院に通っていたときは言い寄ってくる男子学生を追い払うので大変だったそうだ。


 また、千代母さんは俺が転生者だと疑っているらしく、時々「左近も話したくなったらいつでも話してね」といいながら転生者の事を話してくれる。

 転生した人の能力は様々で、いくさや学問にすぐれていたり、文芸の才があったりするが、真名(漢字)や仮名、鉄砲や日本刀だけでなく、稲作や醤油味噌をもたらして食生活を一変させた者もいるそうだ。

 また大量の楽譜や書物のほかに楽器を伝えた人もいて、貴族の女性はそんな楽曲を演奏できるよう楽器を嗜むのが一般的で、千代母さんも巧みな演奏をするので呼ばれる事も多いそうだ。


 食事でも箸と同じようにフォークやナイフという物も使うし、南蛮の食物だけでなく米や蕎麦なども食べ、鰹節や昆布に味噌や醤油それに豆腐や米もある。

 祖父と父の晩酌を見ても、ワインと醍醐チーズという時もあるが、蒲鉾かまぼこ山葵わさびを肴に米酒を飲んでいたり、醍醐と胡瓜と塩昆布の和え物の場合もありとても洗練されている。


 ただ困惑したのは四つ足の動物を食べる習慣だ。前世では古来より禁止されていたが、江戸市中にもという獣の肉をだす店があった。建前は薬喰いと称していたが、精がつくので俺も通った事があるし、美味かったという記憶もある。この世では薬喰いをするしかないようだ。

 

 そんな日々を過ごしながら、俺はなぜ転生したのかを考えるようになった。

 前世では火盗改で悪人を取り締まったし、人足寄場のように罪人を更生させる施設も作った。そんな俺が転生したのに意味があるのだろうか?


 治安や貧民を救うためなのか、或いは新たに王家を打ち立てるためなのか?いくら考えても答えが出ないが、とりあえず転生者を名乗るのはやめる事にする。


 ◇


 転生者の事を知りたがる俺に、千代母さんが転生者がでてくる書物を薦めてくれる。そんな書物は読みやすかったが疑問に思う事も多く、俺はまわらない舌で質問するようになった。


 「おかしゃま おうじ は なんでこんなところで こんやくはきをいいわたしゅの」


 「そうよね、婚約者に非があったとしても大勢の前で婚約者の令嬢を糾弾したあげく、婚約破棄するなんて変よね。でもこうやって大げさにしないと、あとでざまあ展開が痛快にならないのよ」


 「ゆうしゃ しょうかんって かどわかし誘拐でしょ そんな あくとう のために まおう をたおしにいくのは へんでしゅ」


 「そんな奴らの事を素直に聞いて、怖い相手を倒しに行くっておかしいわよね。でもそんな設定でないと話が進まないのよ」


 「それに このほんにでてくる おとこ は どんかん しゅぎます」


 「自分に好意を寄せる女心がわかっていないわよね。でも鈍感じゃないと決まった相手ができるでしょ、そうなると美少女を集めたハーレム展開にならないのよ」


 「しゅきる や しゅてーたすおーぷん は しゅかえないのでしゅか」


 「そんな事ができたら素敵だし、面白いわよね。私も新手の転生者といわれたから「ステータスオープン」だとか「メニュー」や「ファイヤーボール」とか色々と試したけど、まったくダメだったの」


 千代母さんが薦めてくれたという書物は、奇想天外で面白く読めるが、いろいろと突っ込みどころが多く千代母さんを質問攻めにしてしまった。

 なんでも、異世界の書物をこの世で再販された本なのだが、転生者の話がたくさん出てくる。

 内容は異世界に転生するときに、神様から特別な能力を授けられ、その力で新しい世界で無双するという話や、悪役令嬢が王子に婚約破棄され復讐するという展開が多い。


 俺はを読み続けたが、前世の書物とは表現が違うので、最初はだいぶ面食らった。

 イメージとかエネルギーにモフモフやらチートなどの謎の言葉だけでなく、文化や文明に科学や物理、それに経済や分配など知らない漢語が大量にでてくる。このため最初は苦労したが、慣れると表現が平易でとても読みやすいし、自分でも使うようになった。

 それにしても、この読み物はわかりやすいので平民でも読めると思う。

 そして気がついたのだが、にでてくる転成者は平成や令和という進んだ世界の出身者が多いようだ。


 その時代は、俺が生きていた時代の二百年以上後の日ノ本のようで、その世界の進んだ文物や知識を持っている。なのでライトノベルで定番ともいえるリバーシやマヨネーズそれに唐揚げやトンカツなどは、本を読んだ人が色々と試行錯誤したためこの世でも普及している。

 

 俺は自分にも便利なスキルがないかと試してみたが、そんな物もないし進んだ世界の便利な知識や記憶も無いため、いささか気落ちするが千代母さんの血を継いでいるためか、恐ろしいほどの記憶力がある。

 一度目を通した物はすべて覚えるし、集中すれば景色も細かいところまで覚えることができ、記憶だけで正確な絵を描くことができる。

 どうも、千代母さんの子として生まれたことが大きな転生者特典になっているようだ。


 それに性格も変わったと思う。前世の俺は山師ごうのものといわれるくらい口八丁手八丁で、同輩との争いも多かった。

 仕事は出来たので、老中の田沼様は俺を引き立ててくれ番方(武官)最高位の先手組組頭に推挙してくれた。しかし、あんな男が組頭になるなんてと散々陰口をいわれたし、女遊びも盛んにやったので嫁は泣いていた。

 しかし、今はとても冷静な自分を感じるし、無理に自己主張する気にもならない。


 生まれ変わったからかと思いながらだけでなく、王国の歴史、紀行文、軍記物なども読むようになった。

 すると、俺だけでなく他の転生者も性格が変わっているのに気がついた。

 とくに信長公は苛酷さがなくなり東照大権現様のような我慢強さや、秀吉公のような人誑ひとたらしの才もある老獪な人物になったうえ、前世の経験を活かし巧みな戦やまつりごとをおこなっている。

 能力を発揮しやすいよう、性格もより良い方向へ変わっているのかと思ったが、転生者は貧しくとも愛情豊な家庭に育っているようだ。俺の新しい性格も千代母さんに似ている気がする。どうもこの体の元々の性格で、俺は記憶だけをもってこの体に転生したような気がする。


 ◇

 

 その後も本を読み続けていたが、俺が生まれた敷島王国は大きな大陸の一部で、複数の国と国境を接しているので、あちこちで戦が絶えない。そして戦に負けないよう他の国と切磋琢磨したためか、色んな制度やからくりも進歩しているし、俺が読んでいる書物も前世とはだいぶ違う。

  

 木版摺りだった前世の本とは違い挿絵は精細な銅版画だし、文字も木活字版ではなく金属活字を使っているので文字が小さくとも鮮明だし、木版のように刷り切れないので同じ本を大量に出版できるようだ。


 そんな在り様を見るに、この世は前世より進んでいると思い濫読を続けていたが数カ月後には屋敷内の本を読みつくしてしまった。

 前世だったら屋敷に貸本屋が訪ねてくるので、新しい本を読むことができたが、この世ではそんな商売はないので、千代母さんは俺を連れて図書館にでかけるようになった。

 この図書館なる所には膨大な本が集めれられていて、保証金を払うと借りる事ができるのだ。


 幼児がそんな本を読んでいると目立つので、個室を借りて歴史や治安や法律に農業などの本を読んでいる。その場で読み切れない本は千代母さんに借りてもらい屋敷で読んでいるが、俺の読んでいる本を見て千代母さんも呆れている。

 千代母さんも赤子の頃から本を読んだらしいが、最初は小説だったようだ。

 

 しかし俺が本を読むのは、前世の経験を生かしてなにか出来ないかと思うし、罪を犯した者を取り締まるのではなく、罪人を生み出さない仕組みが必定だと思うからだ。

 そのためには農民の渡世が安定し、商人の生計たつきがたつよう新しき産物や物流も整備しなねばならぬ。


 また、読み書きができ世のなかのことわりを学べれば、人の道を踏み外す輩も減るはずだ。

 俺が解決できるとは思っていないが、少しでもなんとかならないのかと思い本を読んでいるのだ。


 そんな事を続けていると、千代母さんと顔なじみの司書が、転生者書物という大量の書物を見せてくれた。

 転生者書物という名前なので転生者がもたらしたようだが、詳しい事はわかっていない。それに転生者書物は読んでもさっぱりわからないという事で放置されている。

 そんな物は廃棄してしまえという意見もあるが、歴代の王家と教会から廃棄する事は禁止されているので、分類も整理もされていない状態の物が大きな倉庫十棟に収められている。

 そして千代母さんの子供の頃から、読みやすい物は図書館でも閲覧できるようになったそうだ。ここには書物だけでなく楽譜もあるうえ、楽器を作れる者も転生したので貴族の令嬢ともなると楽器の一つも演奏するのが習いだそうだ。 


 千代母さんはここに通って転生者の本を読んだそうだが、架空としか思えない事が多いし、書いてある文字の意味を調べるれば調べるほどわからなくなるので、今では存在すら知らない人が多いと教えてくれた。

 そんな転生者書物だが内容は多岐にわたり、書物の絵も精密な書物が多い。なかには漫画という御伽草子のような本がある。


 千代母さんの勧めるので読んでみると、貴族令嬢が男として育てられ近衛騎士として活躍する話だった。

 時代はこの世と同じような感じだが、王族の贅沢や無理な国家運営のため民が革命を起こし、主人公も王族も死んでしまう話で前世の仏蘭西なる国の実話をもとにしているようだ。

 その他にも七つの宝玉を集めると竜がでてきて願いを叶える物語や、海賊が主人公の物語もある。

 最初は漫画なんてと思ったが、試しに読んでみると面白くて夢中になる。しかし子供に読ませたくない本もあるようで、千代母さんが選んだ物しか読ませてくれない。


 そんな漫画ほど面白そうなので上目遣いでお願いすると。渋々読ませてくれた本がとても興味深かった。

 平成という御世から幕末に転生した医師が なる薬を作る話だ。遊郭がでてくるので読ませたくなかったようだが、薬をつくる場面は絵空事とは思えない。

 千代母さんも有益な薬になるのではと薬師に相談したらしいが、相手にもされなかったらしい。

 

 それは残念だ。なんとかならないのかと思いながら他の本を探すと〇リー〇ッターなる書物を見つけた。魔法を自在に使いこなす種族がでてくるし作品構成が緻密でとても面白いが、この本を読んで本当に魔法が実在すると思いこみ、不毛な努力を数世代にわたって続けた家もでたそうだ。


 そんな危ない本もあるのかと注意しながら転生者の本を濫読していると、速読も身に付くようになり、厚めの本でも三十~四十分で読めるようになった。

 

 図書館には小説や漫画以外にも専門的な事を説明した専門書といわれる書物も大量にあるが、これが何度読んでもさっぱりわからない。

 その分野のことわりを知っていることを前提に書いているので、異国の書物と一緒でまったく理解できないのだ。

 これを読み解くのは解体新書に取り組んだ杉田玄白や前野良澤でも至難だと思う。そのため、転生者の書物は荒唐無稽で学問の対象とは見られていない。


 それに比べると漫画の方は荒唐無稽な物も多いが、わかりやすく書いてある。それに身近で役にたつような内容も多く、料理は千代母さんも参考にしているようだ。


 ◇


 本を読む生活を続けていると思いもしなかった事を知った。徳川幕府は十五代を最後に途絶えていたのだ。

 蒸気船なる新しい戦船で破落戸ごろつきのように開国を迫る亜米利加アメリカに、戦わずに屈服したため幕府の権威が地に落ち、騒乱の末に二百八十年で途絶えているのだ。


 幕臣だった俺はなぜそんな事になったのかと幕末の本を集中的に読むようになる。なんでも弱腰の幕府に愛想をつかし、異人を打ち払うべしといった者達が日ノ本から沸き起こるだけでなく、徳川家ではなくみかどを国の中心にすべきという輩が京にあつまり、まつりごとが江戸から京都に移ってしまう。


 そして藩自体が先鋭的になりすぎた長州藩を幕府軍が圧倒的な兵力で攻める事になった。

 追い詰められた長州側は村田蔵六なる者を召し抱え軍事の責任者にした。かの者は蘭学教育で有名な適塾塾頭だったそうだが、出身は百姓身分の村医者だったそうだ。いくらなんでもと思うが長州側としては能力で選ぶしか道がなかったのだろう。


 村田蔵六は坂本龍馬という浪人の仲介で異国から新しい兵器を購入し装備させただけでなく、戦い方も変えた。そして出で立ちも軽快な物に一新し、兵の主力も武士ではなく百姓兵とした。


 俺は百姓上りとはいえ蘭学に通じていれば装備くらいは何とかなるが、戦の軍配までできるのかと思うが、幕府軍は戦国時代と変わらない鎧甲冑に火縄銃や槍で戦い、村田蔵六率いる百姓兵に連戦連敗したあげく藩主や御三家が先頭で逃げ出す始末となった。


 各方面から批判をうけた大樹(将軍)は、だったらお前達がやってみろと大政奉還で政事を主上(天皇)に返上したが、それでも収まらず鳥羽伏見で戦いになる。

 徳川方は三倍の兵力差がありながら敗れただけでなく、錦旗が揚がり朝敵になった元将軍慶喜公は兵を見捨て船で江戸に逃げだしているのだ。


 そして江戸にもどると老中たちを罷免し恭順の姿勢を見せるが、徳川家中は再度戦うべしと争論になる。

 この時、歴史のある旗本は口では色々というが、実際には戦う気概も能力もなかったそうで、長州征伐の時も動員がかかると家督を五六歳の息子に譲って、当主は年少なので出兵できませんと申し出る者が続出したそうだ。


 旗本八万騎の情けなさに俺は呆れてしまうが、結局徳川家は勝海舟なる者を陸軍総裁とし、実質上の責任者としている。

 しかし幕臣だった俺は勝家と聞いてもそんな家は知らない。なんでも小身の旗本で無役の者が入る小普請組だったそうだ。

 勝海舟の曽祖父は銀一という盲人で高利貸しで儲けた金で検校(鍼医や按摩などを生業としていた盲人の最高役職)の地位を買官し、ついで三男に旗本株を買い与え海舟はその者の孫になるそうだ。

 海舟の父親である小吉は銀一の三男が養子に入った男谷家で妾腹の三男として産まれ、跡継ぎがいないまま当主が亡くなった勝家に末期養子として入っている。


 小吉は子供の時から喧嘩や道場破りに明け暮れ、町火消しで侠客だった新門辰五郎から「喧嘩で右に出る者なし」といわせるほどの剛腕だったそうだ。

 そんな子吉だが窮屈な武士の生活を嫌っていたようで二度も出奔し、そのため家族から何年も座敷牢に閉じ込められたうえ、武士なのに四十ぐらいまで読み書きもあまりできなかったそうだ。

 そんな旗本が役に付けるはずもなく、禄高四十一石取りという貧乏ばまま生涯無役だったため、刀剣の売買や街の顔役として生計を稼いでいたようだ。


 俺も前世で家を飛び出し喧嘩に明け暮れていたので同じような境遇になっていたと思う。

 そんな親を見て育ったためか、海舟は学問に取り組み蘭学の知識で軍艦奉行並に出世しているが、幕臣で蘭学を物に出来た者は勝くらいしかいなかったそうだ。

 蘭学塾では田舎者は這い上がろうと努力するが、旗本や侍は地位が保証されていたため根気がないので、入門自体を断られていたらしい。


 ともかく海舟は蘭学のおかげで出世するが、金で旗本になった家系だとか陰口をいわれたうえ、時局にも翻弄され何度も失脚する。しかし、鳥羽伏見の後で他に代わるべき人材もいないため、官軍との折衝に当たる事になる。

 そして紆余曲折があったが江戸城を無血開城しただけでなく、火だねになりそうな連中は言葉巧みに江戸より遠ざけることにも成功した。

 結局、徳川慶喜公の助命や徳川家を存続させる事には成功し、これを契機に徳川三百年の治世は終焉した。


 俺は書物を読んで思ったのは、活躍したのは敵も味方も下級武士か百姓や商人上がりの者たちばかりで、数百年も昔の先祖の功績で暮らしていた者は、役に立たなかったという事だ。


 俺は人や武士の在り様に思いを巡らし放心していたが気を取りなおし、その後の事を知りたくて他の書物も読み始めた。

 幕府が滅んでから、新政府が政をおこなう明治の御世になった。

 

 四民平等の世となっただけでなく異国の文物も取り入れ、明治五年に授業料が有償の教育が始まった。その後義務教育になり、村々にも学校ができただけでなく、最低でも八年は学校に通うようになり、授業料も無料になったそうだ。

 教育だけでなく、国民皆兵になり地位や元の身分に関係なく一定の年齢になると兵役に就く事になるが、元の身分に関係なく優秀な者は立身出世できるようになる。


 明治三十七年には露西亜と戦い、総数で二倍だった敵の艦隊を順次撃破し、日本海海戦では空前の大勝利で敵艦隊を殲滅させ、陸戦でも勝利し列強の列に入るようなったそうだ。

 露西亜は皇帝という絶対権力と、世襲に胡坐をかいた貴族が国や軍隊の中枢を占めている旧態依然な体制だったため、体制を一新した日本軍には敵わなかったようだ。


 ただそれで調子に乗ったためか、昭和という御世に世界中を相手に戦をしかけ、日ノ本は国中が焼け野原になる大惨敗を喫し貴族制度もなくなったが、その後は復興し大いに栄えたそうだ。

 読み進めていくうち武士や貴族などの特権階級はある程度必要だが、社会が成熟していくと民草すべての力を発揮できる社会になるという事だ。


 俺はこの世の事も考える。王侯貴族の体制を変える事はできないが、学校などはできるかもしれない。

 この世にも学校があるが王都学院など十二歳から十六歳の四年間しか学ばない。通っているのは貴族か裕福な商人の子弟だが、そんな家では六歳くらいから教師をつけ、勉学だけでなく社交上の作法やお茶などの稽古事も習わせるそうだ。


 王都以外にも貴族家の領地にも小規模な学校や塾があり、教会も読み書きを教えているそうだが、ひらがな、片仮名、漢字が数百、あと基本の計算くらいしか教えていない。しかしそんな学校でも通っているのは少く、農民だと読み書きできるのは一割もいないとの事だ。

 前世だと江戸の寺子屋は大きいところが数百、小さいもの入れると数千もあったはずで、前世の方が進んでいたと思う。


 学校は大事だし、この世でも学校を増やすといえば賛成する人も多いはずだ。しかしそのためにお金を出す人はいない。俺が人足寄場を作った時もそうだった。

 将来に何かやるにしても、先立つ物がないとと思ってしまう。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る