01-04話 お頭、王宮で暮らす

 「ほら、さーちゃん おっぱいよ」


 「おっぱいは しゃまのもの だめ」


 「大丈夫よちょっとだけだから、それに賢いさーちゃんを、家の子の乳兄弟にしちゃうわ」


 さーちゃんとは俺の事だ。そして俺は信秀様の乳母から授乳されているのだ。

 こんな事になったのは千代母さんのせいだ。


 もともと千代母さんは静香様の親友というだけでなく、歌舞音曲に秀で、や書も瑞々しく新しい表現をするので静香様の芸事の師匠だった。出産のためお休みしていたのだが、復帰の話があり稽古事を再開したのだ。

 千代母さんは見た目も麗しいし温和な人柄で会話も機知にあふれているので、王太子様と陛下に王妃様だけでなく王宮に務めている人たちにも評判が良かった。

  

 ただ王家のお稽古事の師匠は大変なので、俺は乳母にでも預けられて留守番だと思っていると、千代母さんと眞莉と一緒に王宮にむかい、信秀様の遊び相手にされてしまった。

 静香様の命のようだが、赤ちゃんの遊び相手に赤ちゃんがいても役にたたないと思う。


 それに信秀様の乳母をしている佐竹伯爵家夫人は優しい賢婦人と評判なのだが、いくら温厚でも信秀様のお世話で責任重大なのに、赤子がさらに増えるなんてと思っているはずだ。


 そのため俺は良い子でいるようにした。いわれた事もよく聞き、我儘もいわないし泣いたりぐずったりもしない。言葉も話せるのでいろんな事も眞莉に頼むようにしている。


 「まーり しーし」

 

 「はい、左近様おしっこですね」


 そして、赤子になったとはいえ皆の前で御襁褓おむつを変えてほしくない。そのため催して来たら眞莉にいって用を足しているが、それを見て佐竹夫人と侍女たちは驚いている。

 

 「あの、左近ちゃんってもう話せるんですか」


 「ええ話せるだけでなく、文字もわかるようです」


 皆はそんな俺を見て「こんな赤ちゃん見た事がないわ」と呆れている。


 「私も最初は驚きましたが、嶋家の先代様によると千代様も赤子のころからこんな感じだったそうです。それに左近様は皆さんの事もわかっているはずです」


 皆が本当なのかと俺を見るので、佐竹夫人にむかって「うーば しゃたけ ふじん」というと絶句している。


 「泣いたりしないし、おとなしい赤ちゃんとは思っていたけど……」


 どうやら感心するよりも珍妙な生き物だと思ったようだ。

 しかし、俺も暇だしいつまでも珍獣扱いはいやだ。そこで佐竹夫人や侍女の機嫌や様子をみながら、無垢な赤ちゃんの振りで王家や王宮の事を聞くと色々と教えてくれるようになった。


 静香様は側室ではなく正室で、実家も由緒ある侯爵家との事だ。夫婦仲はとても良いし嫡男も産まれたので王太子殿下は「これで側室をことわることができる」といっているそうだ。

 また、王家の家督は長子相続なので信秀様も生まれながらにして王太孫殿下おうたいそんでんかという尊称がついている。

  

 ちなみに王宮も昔は王城として城壁や堀に囲まれていたが、まつりごとには不便なため、今の場所に王宮を建てたそうだ。

 昔の王城は弁慶父さんが隊長を勤めている近衛騎士団が使っていて、いざという時は王家もそこに立て籠もるそうだ。


 そんな事をしていると俺は乳母や侍女たちに受け入れられようになった。千代母さん似の容貌なので、天使という神の使いのようだといわれている。さらに、さーちゃんと愛称をつけられ、抵抗する俺に佐竹夫人が強制的にオッパイを飲ませるようになったのだ。


 ちなみに乳母の仕事は家族から離れて王宮に泊まりこむし、寝る時も信秀様に添い寝をして面倒を見るので大変だ。

 俺は屋敷に置いてきている子供に会いたくないのと聞いてみた。


 「じぶんのあーちゃんにー あえないのー? あいたーい」


 「屋敷に置いてきた赤ちゃんに会いたいって事?もちろん一緒にいたいわ。静香様は自分も信秀様に授乳させるから、子供を王宮に連れてきたらとおっしゃるの。

 でも、しょっちゅう泣くし目を離すとなんでも口にいれる。どこに行くのかわからないから、信秀様の世話が疎かになるので無理ね、だけどさーちゃんのような赤ちゃんだったら連れてきたわね」


 そんな話を聞いてしまったが、俺はやることもないので、信秀様と一緒に遊んでいる。しかし、中身は五十歳の俺が赤ちゃんと遊ぶのは辛い。そこで、言葉を教える事にした。


 最初は名前だと思い俺は信秀様の眼を見ながら、自分を指さして「さこん」というと舌ったらずだが「さこ」というようになった。

 自分で教えておいてなんだが、俺だけでなく佐竹夫人や侍女達も驚いている。ついでに皆の名前を教えると上手く発音できないが、ほとんど一度で覚える。それに自分の名前も信秀だとわかっているようだ。


 さすがに転生者の血が濃い王家の子だ。それに俺と同じように信秀様もあまり泣かない。

 乳母や侍女が話しかけたり絵本を読み聞かせすると、なんども聞いた話はすぐに意味がわかるようになり、そのうち片言で話せるようになった。

 俺の時は呆れていた乳母と侍女達は、こんな賢い子だったら王家も安泰だと感激している。


 そんな生活に変化が訪れた。屋敷にいた千代母さんに王宮から俺も一緒に来るようにとの使いが来たのだ。なんでも佐竹夫人が怪我をしたとの事だ。


 「うーば だいじょうぶ?」


 「どうやら階段を踏み外して、骨にひびが入ったみたいなの」


 王宮に着き部屋に通されると、静香様がやってきた。


 「あなたたちも聞いていると思いますが、佐竹夫人はしばらく療養が必要です。そこで急な話で申し訳ないけど千代に臨時の乳母になって欲しいの。もちろん左近も一緒でいいし、弁慶にも話をとおしているわ」


 本来であれば王家の乳母は子育てに慣れた温厚な者が選ばれるので、初産を済ませたばかりの千代母さんに役目が回ってくることはない。しかし、信秀様もよく顔をだす千代母さんに懐いているので、代理は千代母さんしかいないと皆が思ったそうだ。


 千代母さんは家の事が気になるようだが、夫にも話が通っているので代理を引き受け、俺も一緒に王宮に泊まりこむようになった。

 

 静香様は信秀様と俺が乳兄弟になったと喜んでいるだけでなく、俺にも乳を与えるようになった。

 王太子妃直々の授乳など畏れ多いので断りたいが、赤子の身ではそうはいかず美味しくいただいてしまった。

 高貴な身分で臣下の子に乳を与えるないと思うが、静香様は「授乳させないと乳が張るのよ」と気にしていないようで、王家は思ったよりも自由な家風だと思ってしまう。

  

 ともかく千代母さんの乳母の仕事も順調のようなので、俺は邪魔にならないよう屋敷に帰ると思っていたがそんな気配はない。それだけでなく、静香様は信秀様や俺が我儘をいわないし聞き分けも良いので、や書の稽古のときも俺達を横で遊ばせるようになった。


 信秀様は話せるようになったので、俺と同じように色々と質問するが、千代母さんがわかりやすく説明するので、さらに懐いているのだ。


 静香様も信秀様や俺にも話かける。学院時代の話など笑ってしまう事が多いので、そんな俺を見て二人とも楽しそうだし、国王夫妻や王太子様も信秀様や俺の事も可愛がってくれる。


 「乳母が怪我をしたと聞いて心配したが、千代がいてくれて助かった」


 「代わりの乳母は千代だとわかると、日ごろからうるさい連中も納得してくれた。これも千代の人徳のおかげだな」


 千代母さんを気に入っている国王は「左近が女だったら信秀の嫁にできた」ということもあり「次は可愛い娘を産んでくれ」と千代母さんにいっている。


 国王陛下の人となりを千代母さんに聞くと、穏やかだが人を見抜く才があり治世も安定していると教えてくれた。

 王太子様も内政の一部を担当しているが、貴族の体面やしがらみにとらわれない政策を実施し、贅沢を戒め、行き過ぎた虚礼や貴族の特権を徐々に廃止し、平民の力を活性化させているらしい。


 確かに王宮にずっといると、過剰な格式にはとらわれていないし、合理的に物事を進めているように思う。

 領地持ちの貴族も年に一度は貴族会議にでるため王都に集まるが、大名行列のように大勢の供回りを連れて行き来する事もない。

 また有能な貴族は中央で役職に就く事が多いので、領地は代官に任せさらに商業を盛んにするためか大井川のように橋を架けないという事もない。そのため全領土の流通も盛んだし、一朝事が起きた時も軍も素早く移動できるようだ。


 それと、王宮には大奥に相当する後宮という部分があるが、王様や王太子様も信秀様や静香様と一緒に暮らしていて側室もいないので実質的に使われていないない。

 また、王家が暮らしている場所は男子禁制でもないし清の朝廷のように宦官もいないので、男の騎士団員や側近に男女の使用人も出入りしている。そして、政務を行っている場所にも侍女がいるそうだ。


 江戸城で将軍が執務をおこなっている表御殿は女人はいないので、坊主衆が色々と仕事をしていたのでその違いに驚くし、王家のお世話する侍女や使用人も前世の将軍家と比べるととても少ない。


 大奥などは将軍家の家族や側室の世話をするだけでなく、上臈や御年寄おとりしよりにも世話をする者がつき、御半下おはしたまでいれると眉唾かもしれんが三千人もいたそうだ。そのため本丸御殿のなかでも大奥は最大の大きさだった。


 たしか、女性に興味を示さなかった三代将軍家光公のため美女を大奥に集めたのが、肥大化の始まりだったはずだ。しかし世継ぎのためとは言え、あれ程の人数はいらないだろうと誰もが思っていた。

 財政を圧迫するだけでなく、大奥を差配する御年寄おとりしより御台所みだいどころ(将軍の正室)や御部屋様(男子を産んだ側室)に御腹様(女子を産んだ側室)などの権威を笠に政事にも口をだしてくるのだ。

 

 それに比べると、敷島王家の王宮は男女合わせても使用人は数百人しかいない。初代国王が贅沢を戒め、使用人の数も増やすなと遺言を残しているそうだ。


 また男が威張っていた前世と違い、夫婦や女性同伴で行う事も多く、貴族は女性に優しく接するのが礼儀で、そうでなく威張っている男は嫁取にも苦労するそうだ。

  

 俺は興味深く王宮生活を見ていたが、千代母さんが王宮にいるため、弁慶父さんも近衛騎士の務めが終わると顔を出し、ついでに王太子様と将棋を指している事も多い。

 弁慶父さんは王太子様と学院の同期生で、当時から親しかったうえ一緒に近衛騎士団に入団。他国との戦争では、ともに戦い戦場の飯を分け合った仲なので信頼されているようだ。


 千代母さんは王家の方と懸案事項を話合っている事も多く、弁慶父さんも頭が良いので相談される事がある。しかし武人としての分を守り、聞かれないかぎり政治的な事には口を出さないのだが、いらざる口出しをしない二人を王家は信頼しているので、嶋家は思った以上に重要な地位にいるようだ。


   


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