見えない戦争
山碕田鶴
第1話 見えない戦争
「それにしても、戦時中だというのに全く実感がわかないものだな」
Aは、昼休みの職員食堂でテレビを観ながら呟いた。
「全く同感。こんなお笑い番組を普通に流している。あえて緊張感をなくすためなのかねえ。すっかり慣らされてしまっている。あはは、コイツの決めポーズ、何度見てもくだらなくて笑っちまうな」
番組の中の笑い声につられてバカ笑いする同僚のBも、戦時中だという意識は薄い。
「昨今の戦争は、サイバー攻撃だ情報戦だと一般市民には見えないから、学校で習った民間人の悲惨な犠牲なんて過去の話かもな」
「でも、個人や企業の情報漏洩は各省庁で頻発するわ交通網は停電するわ、銀行も証券取引もシステム障害だらけで、どうしてくれるんだか」
「見えない敵に攻撃されたと言われると怖いな」
「何しろ相手は国際テロ組織だという。攻撃を未然に防ぐために作戦は極秘だし、詳細はいっさい公表されない」
「戦費がかさんで財政がますます苦しいとは報道されていたな。我々のような特別に選ばれたエリート公務員はいいが、一般市民の生活水準はダダ下がりだ」
「自由を侵害する敵とは断固戦う。我々には停戦も休戦協定も和解もありえない。これは人類が自主独立と自由を希求することを証明するための戦争だというのが政府の公式見解だ。いつになったら終わるのやら」
「失業や飢えや貧しさは戦争中だから我慢しろということか」
さて、仕事に戻りますか。そう言って椅子から立ち上がりかけた二人は、テレビの臨時ニュースに目をやった。
『……昨日到着したZ国からの亡命希望者八名の記者会見がまもなく始まります。Z国は政府一元管理の統制社会国家で、彼らは圧政を逃れ……』
二人は顔を見合わせた。
「またか。どこから見ても裕福そうな美男美女ばかりだな」
「実際の亡命者はもっと多くて、テレビ映りの良さそうなのを毎回厳選しているともっぱらの噂だ」
「これで何度目の会見なんだ? こっちは戦争中で移民を養う余力はないぞ。どれだけ移民が増えるのやら……それが今の世論だ」
Bが呆れたように言う。慣れは怖いな、とAは思う。どんな状況でも、気づけばそれが日常になっている。国民は、見えない戦争より目の前の移民を問題視している。
テレビでは、八名の男女が口々に祖国の悪政を訴えていた。
統制された社会に自由はない。決められた仕事を全国民の適性に合わせて割り振られ、食料は配給制で一日三食カロリーまで計算されている。
住居は職場までの距離や家族構成などライフスタイルに合わせて全国民分が詳細に規定され、選ぶことができない。
教育は徹底して義務で能力別に細かく管理され、それぞれのレベルで一定水準を達成するまで進級もできない。
街中の防犯カメラと個人識別システムは、治安だけでなく人々の日々の生活リズムまで管理していて、お見合い写真が勝手に送られてくるほど個人を把握されてしまっている。
年金、医療、介護のために現役世代の収入はほぼ税金で消え、強制貯蓄までさせられるのは許せない。もしもの安心のために今を犠牲にするなんてやり過ぎだ。
我々の祖国は牢獄のようだった。真の自由はこの国にある。だから、我々はこの国で生きていきたい。
テレビの効果は絶大だ。
記者会見を見た人たちは、次々とZ国へ移民申請を始めた。
Z国なら生活が保証されている。自由は飢えを満たさない。
日々刻々と変化する人口の増減をまとめながら、AとBは溜息をついた。
「Z国への移住希望者は予測値よりだいぶ多いな」
「あーあ。自由の戦いのためなら飢えても我慢するはずだなどと、誰が言い出したんだ。亡命記者会見を放送するたびに国を棄てる者が続出だ。次は、少数精鋭の愛国者が残ればいいとか言い出すのか? この国は本当に破綻するぞ。それでも会見放送は続けるのか?」
「全て国会で決めることだ。表現の自由のない我々選ばれし公務員は、ただ塔の高みから管理者としてこの国の行く末を記録し、見守るのみだ」
「おいB、知っていたか? 亡命してきた美男美女はやっぱりディープフェイクらしいぞ。最近のAI技術は本当に精巧だ」
「俳優が演じていた頃よりリアルだな。だが、あれでは国民を刺激し過ぎだ。Z国がユートピアに見えてしまう。大量に移民を押しつけたら、さすがにZ国と揉めるぞ」
「あちらは労働力不足だから、多少のオーバーは許容するさ。これまでだって、あんな捏造映像を黙認してきたんだ。Z国の理念に賛同して入国するのだから大丈夫だろう。内閣は異次元の人口削減策で国を立て直すと決めたんだ。仕方ない。何しろ架空の敵との戦争をでっち上げて、失政による財政破綻と国の衰退を国民に隠すくらいだからな」
<完>
見えない戦争 山碕田鶴 @yamasakitadu
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