3.怪談

1


「ねえ、本当に入るのぉ」

 玄関まで来て、脚がすくんだのは竹野だった。その声変わり中のガラガラ声のせいで、びびっているのが滑稽に見える。

「幽霊を逆に驚かせてやろう」

 と西井が笑顔で言うが、このセリフは元々、今朝竹野が言ったものだ。

「上岡、お前が最後尾な」

 竹野が震えて言う。力だけは強い竹野に強引に最後尾に動かされて、上岡は溜息をついた。びびりが。

「俺先頭なー」

 西井はウキウキしている。これもこれで。上岡には理解できない。

「もう、九時だし、早く行こ」

 早く家に帰らないと親に怒られるので、上岡はせかした。

「では、空き家の幽霊探索隊、出発」

 西井が懐中電灯の灯りをつけ、胸を張って、入って行く。竹野がおぼつかない足取りでそれに続き、上岡はどきどきしながらも、気持ちを落ち着けて着いていく。

 西井の懐中電灯だけが明かりなので、その明かりを見失わないよう、ピッタリ後ろにくっついていく。暗くて、殆ど周囲にあるものは見えない。

 西井は先頭で、足元に何があるのかわからないので、転ばないように先に手足で軽く一歩前を突いてから進む。そのため、後ろに続く二人は足元の心配はなかった。

 ガチャ、という音がした。

「うわあああああ」

 咄嗟に竹野が悲鳴を上げる。上岡もそれに驚いて二歩後退する。

「俺が扉開けたの。それだけ。ビビりすぎ。奥にリビングっぽいスペースがある。行くぞ」

 西井が力強く言って、前に進む。

 その時、上岡の斜め後ろで何かが光った。上岡は驚いて短く悲鳴を上げる。

「どうした」

 西井が驚いて、前方から声を飛ばした。

「何かが、光った」

 上岡がそう伝えた瞬間、また同じ光が。今度は別の場所から。これは、西井と竹野にも見えたようで、竹野は驚いて尻餅をついた。西井も悲鳴を上げる。

「やっぱり逃げた方がいいって」

 竹野は消え入るような声で言う。

「逃げたくても逃げられない。俺らは逃げるために来たんじゃない。空き家の霊に会いに来たんだ。それなのに、こんな所で引いてどうするんだよ」

 西井は空元気で言って、奥へ奥へと進む。取り残されたくない上岡はそれに続き、慌てて竹野が上岡の後ろについた。

 とっとっとっとっとっとっと。軽快な足音が何処かから聞こえるが、音の発生源はわからない。

「なんなんだこの音」

 竹野は涙混じりに叫ぶ。

 とっとっとっとっと。足音がまた別の方向からも。

「絶対にいる。やばい、ここ。逃げよう、早く」

 竹野が早口で大騒ぎする。

「呼びましたかぁ〜」

 西井は懐中電灯で自分を下から照らして、振り返り、声を震わせて、幽霊のふりをして竹野を揶揄う。竹野は、金切り声をあげて、また尻餅をついた。

「驚かすなよ」

 上岡は笑う。竹野もそれに釣られるようにして作り笑いを浮かべた。

「幽霊なんてやっぱいないんだ」

 西井は懐中電灯を一回床に置き、しゃがんで、励ますように、竹野の右肩を叩く。

「そう考えるとビビってたのがアホらしくなってきたわ」

 竹野の顔に段々笑顔が戻ってきて、緊張した雰囲気が一気に溶けていく。

「さっきの光も見間違い。この足音も外から聞こえてる音だとしたら? なんも怖くないだろ」

「そうだな」

「お化けさんよ、いるなら出てこいよ」

 西井は立ち上がって叫ぶ。

「そんな大声出したらまずいだろ」

 竹野がまた震えたので、上岡が竹野の肩に優しく手を置き

「お化けなんていない」

 と声をかけた。

 その時、不意に、上岡の手の上にもう一つ手が重なった。

「どうした西井」

 上岡は笑って西井に言うが、西井は懐中電灯片手にリビングを探索している。となるとこの手は竹野のものか、いやそんなはずはない。となると、この手は。

「出たぁぁぁぁぁぁ」

 上岡は悲鳴をあげた。そして、一目散に玄関へと駆け出す。上岡がいなくなったことで、幽霊の手が竹野の肩に置かれる。

「ああああああああ」

 竹野も悲鳴をあげて、上岡の後を追うように駆け出した。西井はそんな二人を馬鹿にするように見ていたが、足元を照らす懐中電灯に白い布切れのようなものを羽織った足がが写って悲鳴をあげた。

 懐中電灯を放っぽり出して逃げ、三人は空き家から少し離れた場所で合流した。

 幽霊はいた、少なくとも三人は幽霊を目撃した。


2


 僕は馬鹿なんじゃない。勉強ができないのでもない。勉強をする意味がないのだ。別に勉強をしなければいけないという義務はない。有名な国公立を卒業しないと、将来はいい職につけないとか知ったことじゃない。僕の将来は既にどうしようもないんだ。お先真っ暗な今どれだけ勉強しても苦労するのは目に見えている。それにも関わらず、なぜ親は僕に勉強をさせるのか。こんな平凡な高校に通う高校生が、国公立に合格することがどれほど難しいか親はわかっていないのだろうか。こんなに勉強への士気の低い僕を塾に通わせるだけ、お金の無駄となぜわからないのだろうか。ここまで塾に行って努力はした。親の期待にも添いたいし、勉強をサボる道理もないから。しかし、成績は全く伸びず。志望校判定は第一、第二ともにE判定。そのままもう高二の冬。もう僕に伸び代はないのだ。塾の講師も言っている。このままじゃ厳しい。志望校を二段階下げざるを得ないと。親も塾の月一個人面談で、その話を聞いたはずだ。それなのに、馬鹿みたいに金を塾に貢いで、変わらない僕の成績の上昇を祈る。見たらわかるだろう、成績のグラフは横一直線、伸びる兆しも落ちる兆しもない。成長限界、補償点に到達したのだ、飽和したのだ。飽和すれば、そこからの成績の変化はもうほとんどない。人間の成績だって飽和する。飽和という言葉を知ってるだけで、僕は充分賢いだろう!

「くっそがぁ」

 僕は教科書を放り投げた。

「五分で飽きてるじゃん」

 幸太がテレビを見ながら言った。

「勉強なんてやってられるかよ」

 僕は幸太に悪態を吐く。

「文句はお母さんに言いましょう」

 マザコンが。お前は成績がいいから親からも愛されてるんだろうな、と言いたいところだったが、別に幸太が悪くないことはわかっているからぐっと堪える。堪えたはものの、表情にはつい妬みが出てしまう。

「テレビ変えていい?」

 僕は幸太の横に転がっていたリモコンを拾った。

「だめ」

「こんなアニメもっとちびっ子が見るぞ。もっとバラエティーとか見た方が楽しいって」

「兄ちゃんと僕は違う」

 お前のように優秀な子になりたかったよ、と僕はまた心の中で悪態を吐く。康太は顔立ちも良く、頭もよく、性格もいい。運動神経もいいので、モテ男の四拍子を揃えている。一方の僕は、顔はだめ、だらけやで、ばかで、運動音痴。対照的だ。同じ親の子とは思えない。

「お笑い番組見よ。その方が面白い」

 僕がチャンネルを変えようとしたが、幸太にリモコンを奪い返される。

「暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇」

 僕は赤ん坊のように手足をバタバタさせて言った。

「十回クイズかよ」

「おもんな。見返りになんか面白い話して」

 と我儘を言う。どっちが兄で弟なのかわからない。

「面白い話なんてない。あ、興味深い話なら」

「interesting繋がりね。ぜひどうぞ」

「最近噂されてる霊の話知ってる?」

「ああいうのは全部嘘。霊なんて信じてるの」

「僕も実際に見た」

「嘘つけ」

「ほんと。目撃者は僕だけじゃないし」

 幸太はムキになって言ってくる。

「何言ってるんだか。もう中二だろ。それともあれか、厨二病か」

「厨二病の症状こんな感じじゃない」

「そういう問題じゃなくてな」

「じゃあ、いないって証拠出してみろよ」

「恐怖心がそういう幻影を生み出すんだよ。幼い頃、トイレに行くのが怖かっただろ。あれみたいなもん。そもそもこんな都会な関東に、お化けなんていない」

 僕は嘲笑うように言った。ただ、幸太は真剣な様子で

「ここら辺からちょっと外れた場所に古びた一軒家があるの知ってる? 東海内区の」

 と話し始める。そもそも、暇暇と喚いたのは僕なので、一旦話を聞くことにした。

「ああ、そういえばあるな。あの蔦ぼうぼうの。廃墟みたいな家屋。塾の行きに通るからわかる」

「そうそう。あそこは空き家で、小中学生がこっそり遊び場として利用していたらしいんだけど、一ヶ月前ぐらいから霊が出るようになったらしい。誰もいないのに足音が聞こえたり、変な声が聞こえたり。電気が壊れてるのに、突然何処かが強く一瞬光ったり。そして、幽霊も目撃された」

「まさかぁ」

 最後まで聞いて後悔した。よくある心霊話の類のものだ。似たような話をテレビや雑誌やらで見たことがある。

「勘違いじゃないの」

「でも、結構目撃が相次いでるんだ。その結果、あそこは今となっては心霊スポットになった。小中学生の間ではかなり有名。んで、先週塾の帰りに友達と行ってきたんだ。午後七時ぐらいかな。そしたら、やっぱりいたんだ。幽霊が」

「本当?」

「謎の光も二、三回、確認できた。足音や不気味な声も。そして、白い服で長い髪の女の人もいた」

 またベタな。

「普通に人間じゃないの」

「あそこは空き家だから人は住んでない」

「悪戯好きの子供だろ」

「いいや。あれは人間じゃない! もし、人間だったとして、なぜそんな空き家でお化け屋敷をするのかわからないし」

 それはその通りだ。だが、幸太の話は子供騙しに聞こえて仕方がない。

「わかった。自習サボる口実にもなるし、僕が幽霊の正体を探ってきてやるよ」

 肝試しで、自習時間を潰せるなら十分だ。


3


「阿呆らしいな、おっちゃん」

 この話を友人の小田憲にすると、彼も同様の反応だった。彼は僕のことをおっちゃんと呼ぶ。別にこんな変なあだ名をつけられるのは僕に限ったことではなく、彼のつけたあだ名はデカや、ばばあや、じいじなどと自由でメチャクチャだ。彼によるとあだ名は、おかしいはおかしいほど覚えやすいらしい。相当な変わり者だ。

 僕がおっちゃんと呼ばれている原因の一つは自分の気怠げな普段の様子からだろう。

「霊なんているわけない。ちょっとしたデマ情報だろ」

「僕、それの調査を弟に約束しちゃったんだけどさぁ。お前も一緒にやらない?」

 小田ならこういった話にはすぐ乗ってくるだろうという予想通り彼はノリノリで

「おおおお、ぜひ!」

 と塾の自習室で声を上げる。彼に相談した理由の一つはこの好奇心。もう一つは彼がよく格好つけて言う

「危なかったり、面倒だったりしたら俺を呼べ。俺と一緒に挑もうぜ」

 というセリフへのささやかな皮肉。

 彼が騒いだので真剣に勉強してる人たちから冷たい目で見られ、僕は

「早速調査しようぜ」

 と彼に自習室から出るよう誘導した。


「まずは小中学生に事情聴取だな」

 小田は肩を鳴らしながら言う。

 塾の隣にある小さな公園、ここなら騒いでも周囲に冷徹な目では見られないだろう。

「突然聞いたら不気味に思われるかもよ」

「大丈夫大丈夫。おっちゃん心配しすぎ。子供は皆フレンドリーよ」

 どこから来る自信なのか。

「知らないぞ」

「わかった。じゃあまずは作戦を立てよう」

「作戦とは」

 僕は特に意味もなく地面を蹴る。

「まず、問題の空き家に行くことができるのは一回だけだと思う。そもそも空き家に入ることが、不法侵入だからな。何度もやるのはまずい。前々から準備をしておいて、一回で全容を明かさなければならない。幾つか仮説を立て、ある程度の結論を出してから行った方がいいのかもなぁ。とりあえず、小中学生に聞いてある程度推理してみるしかない」

「推理って。気取った言い方しやがって」

「推理小説とか、推理作家とか、そんな単語のせいで推理という工程が難しいことのように思われているけど、推理っていうのは意外と簡単で、身近だぞ。推理とはある事実を元にして、他を推し量っていくこと。そういうふうに見れば、数学の問題もある意味推理だろ。公式や問題にある条件を元にして、様々な数字を出していく。国語だってそうだ。勉強に関わらず、頭を使うときは大体皆推理をしている。人間が行動するときだってそこに推理がある。何か出来事があって、それを脳内で瞬時に吟味した上で、自分の中の最善策が答えとして出てきて、動く。他にも...」

「とりあえず、近くの公園を回って話聞くぞ」

 最初は黙って聞いていたが、どんどん話が伸びていき、呆れた僕は小田の話をシャットアウトした。

「今六時か。早くしないと帰ってしまうかも」

 我に帰った小田は慌てて、この公園でキャッチボールをしていた二人組の中学生のところに駆けていく。突然、彼が駆け出し、僕は戸惑いながらその後を追った。

 その二人の中学生は二人とも大柄で岩門ストロングスのユニフォームを着ているところから、野球少年だと推理...推測できる。

「ちょっといいかな」

 あんなに元気よく駆けて行ったのに、二人の中学生のすぐ横まで行ってから人見知り発動の小田に代わって、僕が話しかける。小田を見る中学生の不審な目からうっすら警戒心がなくなったようだ。

「ん?」

 まだ声変わりの終わっていない可愛らしい返事が返ってくる。

「北二高校の者なんだけど、学校の社会の授業の実習の関係でインタビューを行なってて。五分ぐらい時間もらっていいかな」

 咄嗟に思いついた理由を並べる。

「あー全然大丈夫ですよ」

 もう片方の中学生が応じた。声変わりの真っ只中なのかやや掠れた声をしている。

「ありがとうございます。早速インタビューしていくんだけど、まず、空き家の幽霊の噂は知ってるかな? 東海内区の」

「あー、うん、知ってるよ」

「行ったことはある?」

「これ、高校で発表するんだよね。もし行ったことがあったとして、あるって答えたら不法侵入がバレちゃうじゃん」

「ちゃんと言わないようにするよ」

 僕は宥めるような声で言う。

「わかった。もし言ったら二人のこと不審者として訴えるから。このずっと黙ってる人、突然俺らに走って近づいてきて、もごもごなんか言って突っ立ってたんだ。これを不審者と呼ぶこともできるよね」

 小田を指差しながら快活に喋る声変わり前少年を見て、最近の中学生とはこんなものなのか、と僕は弟と比較してしまう。弟は真面目でしっかりしてて礼儀があって、うーん、よくできたものだ。

「じゃあ、質問に移ろう」

 突然、ずっと黙ってもじもじしていた小田が会話に入ってきた。さっきまでもごもごしてた不審者の、元気な声に二人の中学生は狼狽えている様子である。

「まず、君たちが空き家に侵入したのはいつだ」

「一週間前? 二週間前? 多分一週間前ぐらい。幽霊の噂は学校でも塾でも聞いてたから、肝試しってことで行った」

 と説明したのは声変わり中少年。

「で、出たの、霊は」

「出たよ」

 今度は声変わり前少年が自慢げに語り出す。

「いや、正確には霊が出たというより心霊現象を体験した、なのかな。めっちゃ不思議なことが起こった。めっちゃ不気味だったし、あそこは本当の霊がいる」

 声変わり中少年も横でうんうんと頷く。

「具体的に何が起こったんだ」

「怪しげな物音。あれは足音なのかな。うーん、よく覚えてないや。でも一番覚えてるのは、怪しい光。真っ暗の部屋だからよくわかった。どっかが光るんだよ、定期的に」

「どっか、っていうのは具体的に?」

「わからないけど、部屋の壁でなんか光ってた。あれは多分オーブってやつなんだと思う」

「オーブ?」

 僕は首を傾げる。RPGゲームなどで、アイテム購入に使える石のことだろうか。

「ネットで調べたら出てきたんだけど、心霊現象の一種。丸い光った玉...人魂みたいな感じかな。それがオーブ」

「そのオーブがあったんだ」

「あった。あったというかいた。これは本当に。それで、怖くて逃げた」

「そのとき一緒だったのは?」

「タケノ...ああ、こいつのことです。それと、ニシイの三人かな」

 声変わり中少年はタケノというらしい。漢字は竹野とでも書くのだろうか。

「成程。霊自体は見てないんだね」

「うーん、多分いなかったなぁ。な?」

「うん」

 タケノ少年が頷く。

「時間帯としては、何時ぐらいに侵入したのかな」

「侵入って言い方なんか罪悪感湧くな。午後九時半ぐらいかな」

 思っていたよりも早い時間だ。

「なぜその時間に?」

「その時間にしかいないらしい。十一時とか一時とかに行った人はいなかったって言ってるから。九時代が一番会えるって噂で聞いた」

 小田はそれを聞いて不思議そうに首を傾ける。

「因みに、あの空き家には曰くが付いてたりはするのかな」

「曰く?」

「背景、みたいな。空き家の前の主人が自殺した、とか、不審死している、とか。そういうやつ」

「あーそれならあるよ。確か、若い女性の不審死だったと思う。お前はフシンシ、じゃなくてフシンシャ、だけど」

 としょーもないことを言って二人でけたけた笑い出す。それがつまらないことが嫌いな小田の癪に触ったようで

「とりあえず、今日は色々ありがとう」

 と小田は強引に会話を終わらせて、足早に公園を出て行った。僕は慌てて付いて行く。

「とりあえず、俺らが今探るべきは空き家で起こりやすい怪奇現象と、空き家の伝説だな」

「伝説って。大層な言い方で」

「おっちゃん、幽霊退治だぞ。大層な遊びだろ」

 小田はにやにやと笑う。

「東海内の空き家に霊なんて出るかね」

 僕がそう呟くと、小田とは違う声の返事が返ってきた。

「霊の話を知ってるんですね」

 声の主は、最近、ここら辺の交番に赴任してきた若い警察官だった。

「霊の話知ってるんですか」

 小田が興味津々で彼に話しかける。

「当然。警察官として働くからには色々把握しとかないと」

「えっと、お巡りさん...ええと」

「浦津です」

 小田がどう呼ぶべきか迷っているのを見て、浦津さんは僕らに名前を教えた。

「浦津さんはこの話信じてます?」

「一応、実際にそういう出来事があったんだからな」

「知ってるんですか」

 小田は身を乗り出す。

「知ってるよ。そりゃあ、警察官なんだから。ここらのことは把握しとかないと」

「話してもらえますか」

「おい、無理頼むなよ」

 僕は小田を抑えたが、浦津さんは胸ポケットから手帳を取り出して、空き家の曰くを話してくれた。

「まず、亡くなったのは二十六の女性だ。職業、名前は個人情報なので控えておこう。あの空き家には一人で住んでいたらしい。その女性、仮にA子としよう。A子の親とA子で暮らしていたところ、A子の親が両親共に相次いで病気で亡くなった後、A子は一人になった。その後何があったのかは詳しく知らないが、色々あって事故で亡くなったらしい。鉄道の事故だったかな。自殺か事故かはややはっきりしていない。だが、警察としては事故として処理した。それ以降あそこは空き家になったというわけさ」

 内容としてはよくある都市伝説の類のものだろう。だが、警察官の口から話されると説得力は変わってくる。

「こんにちは、浦津さん」

 通りかかった小学生が浦津に挨拶した。浦津は快活に

「久しぶり、イイタくん」

 と挨拶を返す。

「この前、交番に赤白帽の落とし物が届いたんだけど、その時に知り合ってね。今日は遅いし早く帰るんだぞ」

 浦津さんがイイタ少年にそう注意するのを見て僕が時計を確認すると時計の短針と長針は六で重なっていた。

「イイタくんも例の空き家の件に興味を持ってる子なんだ」

「今度、あそこに冒険しに行きたいんだけど、ダメかなぁ」

 イイタ少年が浦津さんに駄々をこねる。

「まあ、本当はダメだけど。今は所有者もいない、廃墟だしね。ただバレないようにこっそりいけよ」

 優しいのか緩いのか、少なくとも警察官がこうでは、不安で仕方がない。

「え、じゃあ今度、俺らと一緒に行こうぜ、廃墟」

 小田がガッツポーズをして行った。いい歳した高校生が不法侵入するのは、流石に許せないのか、浦津さんは嫌そうな顔をした。それを察知せず、小田はイイタ少年と楽しそうに空き家の霊について話し合っている。

「そろそろ帰るんだ」

 浦津さんは時計を確認してキッパリと言った。それでも交番の前で会話を続ける二人を僕は引っ張り、浦津さんに頭を下げて交番を後にした。

「オダっていうんだ。いいなぁ。戦国武将と同じで」

「羨ましがることでもないだろ、少年」

 小田は笑う。早速少年と彼のことを呼び始めている。

「小田兄は幽霊、信じてるの」

 イイタ少年は満面の笑顔を浮かべる。綺麗な顔をしたイイタ少年の純粋な笑顔に僕は少し癒される。別にそういう趣味があるわけではないけれども。

「俺は信じてないな。幽霊。あれはまやかしだな」

「同じく」

 会話に置いていかれそうになったので、僕は強引に会話に参加する。

「幽霊の正体はわかってるの。目的は。怪しい光や怪奇現象の謎は。浦津さんの話してたA子についてはどう思うの」

 イイタ少年に質問攻めにされても、小田は困った表情ひとつせず、順番に質問に答えていく。

「正体は完全にわかってる。ただ根拠なく言って誤った噂が流れても嫌だし、今は公言しない。目的もわかってる。正体がわかれば目的なんて、なんてこともない。光や怪奇現象は別に好きなように作れるしね。A子の話はちょっと調べてみないと。ま、これも大体の憶測ができてるけど」

「はいはい、焦らしですねすごいすごい」

 僕は気のない拍手をする。

「根拠はまだ薄いからなぁ。焦らさざるを得ない。間違い言ったら恥ずかしいしな」

「腑に落ちん言い方やな」

「ただ、多分悪い人はいない。誰も悪意はない。存在するのは善意だけ。いや、無邪気と善意、かな、おっちゃんも少年も考えたらわかる」

 またわけのわからないことを言い出す。そうやって格好をつけるからクラスで浮くんだ。

「とりあえず、明日、続きを捜査しよう。集合場所はそこの公園。よろしく、少年」

 小田はイイタ少年の肩をパンパンと二度叩いた。まるで兄弟のようだ。

「幽霊を絶対逮捕するぞ」

 イイタ少年は拳を振り上げそう言うと、足早に去って行った。

「頼もしい味方だな」

「そうかぁ? ただの小学生だぞ」

「側から見たら俺らは不審者なんだぜ。小学生に話を聞いていくにしても、俺らには限界がある。いずれ、空き家のことを聞いてくる変な高校生がいるって噂されかねない。そこで、少年の力が生きてくるだろ」

 つまり、僕らの両手両足として動いてもらう、ということか。大昔に読んだシャーロックホームズの冒険の少年探偵団が思い浮かぶ。

「本当にわかったの。一日で」

「お前もそれ聞くの。一応わかった。けど、それが事実だと保証はできない」

 彼が意味ありげな隠し方をするのには理由があると、とりあえず納得して僕は彼にこれ以上は聞かないことにした。もしかしたら、わかってもいないのにわかったと偽りを吐いているだけかもしれない。

「じゃ、俺は夜ご飯の時間そろそろだからダッシュで帰るわ」

「おっけい。ではまた明日」

 僕が挨拶を返し終えるか終えないかの間に彼は走り始めていた。いちいち行動が慌ただしい。


4


 僕が帰宅すると、母が頬を強張らせて玄関に立っていた。

「塾はどうだった」

「どうって。ただの自習だし」

「じゃあ、自習はどうだった」

 何を言いたいのだろうか。

「普通に英語の塾の課題終わらせて、単語帳と文法問題集やってた。英語特化の日」

「どこでやったの」

「普通に塾の自習室」

「塾の近くの公園で友達と自習したってことはないと」

 段々、母の語気が強くなっていき、言いたいことがわかってくる。公園で小田とぶらぶらして自習をサボったことがバレたのだ。

「高校二年生やねんからしっかりしなさい」

 母が金切り声を上げた。

「勉強していい職業に就かないと、将来どれだけ苦労するか。ちゃんとわかった上で勉強しないと、本当に将来...」

 話がループする。

「今より就職は難しくなり、安定しなくなると言われているのに。お母さんたちの払ってる塾の授業料も全部無駄にしてるのにそれも自覚してないの。それなら払うのやめます。自分で働いて稼ぎなさい。バイトしなさい」

 ヒステリックだ。

「将来は公務員にならないとやっていけない世の中が来ると言われているのに。いいの? そんな態度で」

 どうせ、昼の主婦向けワイドショーで見て焦っているのだ。将来就職が難しくなるのは事実だろうが、そこまで厳しくもならないのではないか、と僕は言い返したくなるのを堪える。

「勉強しなさい。将来のためを思って言ってるのに。ここで変わらなかったらもう、後悔することになっても、誰も助けてくれないのよ」

 突然、涙を啜り始める。こうなると手がつけられない。

「今後どうするのか言いなさい」

 はいはい適当に言ったら許してくれるんですよね。

「今後は勉強に精を出し、ちゃんと成績をとります」

「それを前も言って何も変わらなかったじゃないの」

 じゃあどうしろっていうんだよ。僕は苛立って壁を叩く。

「ちゃんと明確に目標を立てなさい」

「目標の大学に受かります」

 僕はわざと適当に言う。

「お母さんは本当にちゃんと将来苦労してほしくないから言ってるのよ」

 散々聞かされたこの言葉で僕はキレた。

「だからなんだよ。どうせ僕は将来苦労するんだから、別に頑張っても何も変わんねえよ。勉強していい大学行ってもどうせ無理な人は無理だ。そんな世の中だろ。お前らの時期より大変なんだよ。そもそも、何が公務員だ。公務員だったら絶対に幸せで快適で安定した生活ができるってそれ本当かよ。何が根拠だよ。適当なこと言って、お前の理想に僕を作り上げるためだろ。お前のために奉仕する道具じゃないんだ、僕は。お前話にならねえし。幸太はいいだろうな。賢いから。理想通り。そりゃあ可愛いもんだ。僕は失敗作。邪魔者。邪魔者だからほっとけよ。勉強みたいなつまんないことで、自由で快適な生活奪うなやカス」

 捲し立てると一気に快感が来て、すぐ居心地の悪さに包まれた。僕は足早に母の横を通り過ぎていき、リビングを通って自室に籠る。リビングでゲームをしていた幸太が僕のことを不安そうな目で見てくる。僕はその目が無性に憎たらしく見えて睨み返して部屋の扉を閉めた。

 いつからこうなってしまったのだろうと冷静に考えてみる。始まりは僕が中学生になった頃あたりだろうか。もっと最近だったような気もしてくる。弟と自分の間で明らかに頭の出来の差が生まれてきた時、僕は勉強が極度に嫌になり母との関係もギスギスし始めたのだろう。

 それとも、僕が将来のことを考え始めてからこうなったのだろうか。将来の就職先、やりたいこと、どんな生活がしたい、などなど。それに関する方針が、母と合わなかったからだろうか。

「空き家の幽霊、調べてみたんでしょ」

 幸太が僕の部屋に入ってきた。僕は幸太に怒っていわけではないので、怒鳴って追い出したりはしない。

「お母さんも別に怒りたくて怒ってるんじゃないし、心配なだけなんだよ、兄ちゃんが。心配性なところはあるけど、優しさだし。どっちも悪くない。でも、ちゃんと勉強はするべきだと思う」

「仲裁しに来たなら出てってくれ」

 僕は喚く。

「お父さんも帰ってくるし、その態度は一旦やめたら。仕事終えて疲れてるのに、家の空気悪かったら多分不快」

 ああ、こんな気の利いた頭のいい子供だったらなぁ。

「偉そうに言うな」

 僕は舌打ちしてそっぽを向いた。

「別に仲裁しに来たんじゃない。幽霊のこと聞きに来た。どう? 進展は?」

「あったにはあった」

「正体はわかった?」

「わかった。ただ、間違えていた場合に申し訳ないし、噂されたら困るのでまだ言わない」

 僕は大嘘をつく。小田の発言を拝借しただけだ。

「霊ではない、という結論が出たんだ」 

 幸太は興味津々。

「ま一応。ここから先は企業秘密だ。僕は風呂入る。おやすみ」

 これ以上追求されると嘘がばれかねないので、僕は逃げることにした。それにしても、本当に小田はわかったのだろうか。ほんの数人への事情聴取で本当に事件の全体像が見えるなんて。


5


「んで、今からは何を調べる」

 翌日、高校の休み時間、小田に尋ねる。

「そうだなぁ。俺の仮説がどれぐらい正しいか、そこを固めにいきたいところでもあるけど、そろそろ幽霊退治の準備を始めてもいいかもしれないなぁ」

 小田は窓枠に腰掛ける。

「その仮説はどうやって確かめるのさ」

「ずばり、確かめるにはリスクが大きすぎる」

「じゃあその仮説を頼りに、空き家に侵入する? それで、その仮説に合うものを空き家で探す? そんな時間がかかること、リスキーすぎる。しかも、仮説が間違いならば、その侵入は無駄になる。もっとちゃんと仮説を考えるしかないだろ」

「その意見はもっともだけど、仮説は仮説だからな」

「いい加減教えてくれよ」

「わかった、確証している部分だけおっちゃんに教える」

 確証してない部分も教えてくれよ、と言いたい。

「幽霊の出現する時間に妙な法則がある。絶対に遅すぎる時間には出ないなんてよくよく考えるとおかしいだろ。いつも九時台に出現する幽霊? 少なくとも俺らの考える幽霊とはイメージが違う」

「じゃあなぜ九時台に」

「多分、犯人のターゲットは子供なんだ。それも俺らのような年齢ではなく、小中学生。小中学生が空き家に侵入できる時間帯で、できるだけ遅く。そう考えて、九時台を選んだんだ」

 小田の推理は理屈的で、どこか正解に近いように思えた。

「犯人の意図通り、空き家には小中学生が集まった」

「そういうこと」

 小田は親指を立てる。

「でも、誰が」

「それはわからない」

「けど、事態は一刻を争うんじゃないか。ターゲットが小中学生、絶対に犯人は誘拐を企んでる。小中学生の誘拐を企んだ犯人が、小中学生がよく集まると噂されていた空き家で、幽霊を演じて、小中学生を怖がらせ、最後に誘拐する。今はまだ様子見の段階で、誘拐は行われていないけれど、確実に誘拐は起こる。早く止めないと...」

 僕は早口でそう言ってから、一刻を争う、などと普段使わない物言いをした自分が恥ずかしくなり、途中で言葉を切る。

「うーん。実は寧ろその逆だ」

「逆っていうのは」

「ただこれも根拠がなくて、絶対合ってるとは言えないし、あくまで予想、妄想だからなぁ」

 小田は曖昧な言い方をする。僕はその曖昧で、探偵小説の主人公のような物言いがいい加減うざったらしくなって来て

「そんなこと言って結局は本当に幽霊がいる、とかじゃないの。実際に事故物件であるわけだし、目撃情報もあるわけで。いや、まあ幽霊はいないとは思うけど、そもそも、お前のその憶測ってやつも合ってるかわからない想像なんでしょ。ならそんなもの当てにならないんじゃないか」

 と捲し立てた。小田は肩をすくめて頷く。

「僕は別に幽霊がいると信じているわけではない。ただ、幽霊がいないと断定はできないから、どうとも言えない」

 小田は何か言いたそうに口を開いたが言葉を発さず、そのまま口を閉じる。

「幽霊がいないと証明する必要があると思う」

 二人だけの作戦会議とはいえ、自分が喋りすぎたような気がして僕は黙った。それを見て、小田がまた喋り出す。

「じゃあ逆を証明しよう」

「幽霊がいることを証明すると」

「背理法っていうんだっけ。数学でやったやつ。反対が正しくなかったら元の事象も正しいみたいな。だから、幽霊の存在条件を考えたら幽霊ではないことを証明できる」

「まず、幽霊が出現する理由があることだよな」

「幽霊捜査はそこでおしまいです」

 甲高い声が会話に参入して来た。僕が驚いて振り返ると、ポニーテールの女子が立っている。

「土屋?」

 土屋...ああ、顔と名前に見覚え聞き覚えがある。他クラスの同級生で、僕と同じクラスになったことはないはずだ。

「幽霊捜査はそこでおしまい。幽霊はいません」

 土屋は手を二度叩く。

「絶対いないとは言えないだろ」

 僕は不服な表情で言う。

「いいえ、実は言えます」

 断定系が異常に苛立ちを誘う。

「まさか、空き家に探索に行ったのか」

 小田が興奮して素っ頓狂な声を上げた。

「静かに。ここ、教室です」

 土屋は顔を顰める。彼女のぎこちなさすぎる口調は僕からすると気になったが、小田は気にしていないようだ。

「で、いない理由は」

 僕は尋ねる。

「偉そうで、馴れ馴れしい物言いね」

 彼女は一瞥した。この程度の発言で馴れ馴れしいと言われては、会話することもできない。

「結局幽霊がいないと断定した理由は何なの」

 小田が僕に代わって改めて尋ねた。彼女はさらっと

「侵入して確かめたから。全部子供騙し。どっかのタチの悪い高校生の悪戯でしょう」

 そう言いながら彼女は僕の方を軽蔑した目で見る。

「僕はやってねえよ。というか、空き家の侵入ってそれ違法だろ。お前一人で? それとも他にも女数人と一緒?」

 と僕が尋ねると、追加でカウンターパンチが入ったのか、彼女は呆れて目を見開き

「気持ち悪い。一回黙ってて。空き家に入ったのは私一人。理由は二人と一緒だと思います。簡単に言うと幽霊探し、肝試しです。ですが、あれはひどい。ひどい子供騙しの数々」

 僕の方から体を逸らしたが、一応質問には答えてくれた。女とは難しい生き物だ、と僕はまた思い知らされる。

「子供騙しというのは例えば」

「足音は明らかに人間が出したものです。あと、小中学生の間で噂になっている人魂も嘘。あれは、ただのカメラです。古いカメラをフラッシュにして定期的に焚く、或いは、子供騙しをして楽しんでいるタチの悪い高校生が壁や箱に開けた小さな穴などからカメラを覗かせてシャッター音を切って撮影しているか、方法は何であれ、カメラが二、三台あるのは確認できたし、それが定期的に炊かれているのもわかりました。これで幽霊はいないとわかったでしょう」

 彼女はそう強く言う。小田は何かが腑に落ちない、といった表情で悩んでいる。

彼女の自身ありげな様子と小田のいまいちはっきりしない様子が同時に視界に入ってきて、僕には滑稽に見えた。

「でも、まだ幽霊は捕まえていないんだ」

「だから幽霊はいなかったって言ってるでしょ」

 彼女が怒りを露わにする。

「言い方が悪かった。幽霊を演じている人間、はまだ捕まえていないんだよね」

「それはまあ」

「なら、俺らでそれを捕まえよう」

 小田は拳を高く掲げて言う。

「捕まえるっていうほどのものでもないでしょう。ただのやんちゃな学生。私たちが注意しなくても、いずれ誰か大人が注意します」

「違う違う。注意じゃなくて、確保」

「勝手にどうぞ」

 彼女は最後に、侮蔑する目で僕と小田を睨め付けて、立ち去った。小田は彼女のそんな目など気にせず

「怖い女子」

 と僕に笑う。

「言葉遣いに厳しい方で」

 僕は先程の言葉遣いの指摘がトラウマで小声で、丁寧に言った。

「まあ、あれに関しては彼女が真っ当だけどな」

「そうかぁ?」

「兎に角、幽霊はいないとはっきりした。後は捕まえるだけ。いつ行こうか。明日にでも行く?」

 小田がハキハキと喋る。

「でも、もし明日幽霊が出なかったらどうするの」

 幽霊が出る日付は決まっていないだろう。当然出ない日もあるはずだ。

「そうだなぁ。もう少し小中学生に話を聞くしかないかもなぁ。いつ幽霊が出るのかを調査するために」

 小田は犯人を指名する時の探偵のようにゆっくり教卓を往復しながら喋る。

「イイタ少年の力を借りるってことか」

「少年に幽霊の出現する日付、あるいは曜日の法則を調べてもらう。その法則が分かり次第、おっちゃん含む俺らで空き家に乗り込み、幽霊を捕らえる」

「日付や曜日に法則はあるのかなぁ。日付曜日に法則がある幽霊なんていう滑稽な話はなぁ」

「土屋の話で、幽霊はいない、誰かが幽霊を演じているとはっきりしただろう」

 小田は僕に向かって指を突き付けて言う。

「幽霊を演じているにしても、日付や曜日に法則があるような気はしないんだけど。だって法則をつける意味がない」

「と言いたいところだが、多分法則はある。根拠も俺の中ではある」

 小田は自信たっぷりだ。逆に不安なぐらいに。

「お前の推理の中には法則があるんだか知らんけど。まあ少なくとも、出現する日付、曜日を調べないことには何もわからんしな。とりあえず、調べてみるべきか」

「ただ、俺らは死ぬほど暇」

「なんかやること探して、少しでも活動するしかないだろ」

「やることがない」

「それは探すしかないだろ」

「今日は少年に計画だけ話して、俺らは塾の自習室で受験勉強です」

 それじゃあ、意味がないじゃないか。サボりたくてやっているのに。

「昨日自習サボって公園にいたのバレてるだろ。俺もちょっと怒られた。だから、安全のためにも今後はできるだけ猫かぶって、謙虚にしといたほうがいい」

 それじゃあ、意味がないじゃないか。

「怒られちゃあ、空き家侵入なんていう更に挑戦することはできない。俺らの空き家侵入作戦の成功のためにもここは活動を控えるのがいいだろ。空き家捜査の前に捕まったら元も子もない。言ったら悪いけど、少年がいい駒になる」

 それじゃあ、意味がないじゃないか。さっきから、同じ言葉が点滅している。

「でも、イイタ少年を完全に信頼することはできないから、やっぱり僕らも」

 この程度の反論しかできなかった。

「信頼してやるしかないだろう、それは。そろそろ休み時間も終わるし俺は教室戻るわ。んじゃ、また放課後」


「ほら、な、おっちゃん、言っただろ」

 小田は一人で体の移動と、足を使って、シーソーで遊びながらドヤ顔で言う。

「少年はできる少年なのよ」

 そう言ってイイタ少年の肩をぽんと叩く。イイタ少年は、可愛らしい笑顔を浮かべて頷いた。

 イイタ少年は一時間ほどで、十数人の目撃情報を集めてきたのだ。小田の頼み通り、日付、曜日含めて。

「これで大体決まったな」

「この法則から考えて、まず日曜日は確定で幽霊に出会えるな」

 僕はイイタ少年のメモ帳を見ながら言う。そのメモ帳には事細かに、目撃情報が書き込まれていた。時間帯も含めて正確に。

「俺らとしても日曜はとても助かるな。少年も来るだろう」

「勿論」

 イイタ少年は首を大きく縦に振る。

「日曜ね成程」

 小田はまるで自分の憶測通りだったかのように一人で頷いている。

「今日が金曜日だからあと少しで日曜だ」

 イイタ少年が楽しそうに言った。小学生にとっては冒険となると心が躍るものだろう。一方で、僕はバレたらどうしようという緊張に苛まれている。

「明日中にやっておかないといけないことがあるな」

 小田はウキウキした様子だ。

「大体準備は整ってるよ」

 イイタ少年は胸を張る。

「いいや、肝心なことを忘れている。どうやって、幽霊を演じている者に対抗する? 少なくとも高校生以上。大人の可能性だってある。もし力が強ければ負けてしまう可能性だってあるだろ。だから、ちゃんと武器を調達をしないと」

「もしかしてスタンガン」

 少年の目は輝いている。

「そんな危ないもの使ったら、俺らがお縄にかかっちゃう。もっと安全で、相手を降伏させられるものじゃないと」

「猿轡!」

 少年の口からそんな言葉が飛び出してくるとは思っておらず、僕は吹き出す。

「猿轡を使うにしてもまずは相手を捕まえないといけないだろ」

「そうかぁ」

 少年が残念そうにしているのが、また僕にとっては恐ろしくて仕方ない。

「人でいいんじゃないか」

 僕は言った。

「柔道やってる人とか、野球部とか。わからんけど、力の強い同級生呼ぼうぜ。強い人が一番合法で攻撃的だ」

「そうだな。んじゃ、頼むわ」

 小田はさらっと言って、僕の肩を叩く。

「お願いします」

 イイタ少年も深々と頭を下げる。

「ちょっと待て。お前も手伝えよ」

「俺はそういう人に縁がない。おっちゃんよろしく」

 そう言われては言い返しようがない。

「はいはい、頑張って一人誘うわ」

「おし、じゃ、怒られる前に自習室に戻りましょうかね」

 小田はあっさり塾の方向へと駆け出す。僕は、イイタ少年に別れの挨拶だけして、塾へと戻った。


6

 

「んで、結局俺は何すればいいんや」

「幽霊に扮した人間が出てくるから、それを適当に捕まえてくれたら」

「説明不十分」

 富田が腕を組んで、顔を顰める。ラグビー部の彼は堅いが良いため、妙に緊張感が走る。

「空き家の霊の話は聞いた?」

「聞いた、こいつから。突然。一ヶ月ぶりに話しかけられたと思ったら訳わからん話を」

 富田は僕のことを指差す。

「霊確保は僕らの力じゃ無理だから、富田のような力の強い奴に頼みたかったんだよ」

 流石の小田も、関わりのない人間のことをあだ名では呼ばない。小田が猫撫で声で言うが、効果はなく

「ガキの遊びに付き合わされるとはな」

「小六だし、ガキじゃないし」

 すかさずイイタ少年が反論する。

「幽霊なんているわけないだろ」

「いや、だから、幽霊じゃなくて、幽霊に扮した人間。人間が、子供を怖がらせるために幽霊になりきってるの。で、それが迷惑だから今から捕まえようっていう」

 小田が両手を大きく使って説明する。

「九時からは見たいテレビがあったんだが」

「許してください、報酬は払います」

 小田は頭を下げて必死だ。

「報酬はいらん。そもそも、俺は興味があるから見たいテレビも放棄してここに来た。参加はする」

 意外な反応に、小田が歓声を上げる。

「つまり、幽霊っぽい変装をした人間を捕まえるのだろ。簡単な仕事だ」

 富田は腕をぶんぶん振って、やる気満々の様子だ。誘う相手を間違えなくてよかった、と僕も胸を撫で下ろす。

「あのーすいません、何してるんですか」

 突然背後から声をかけられた。

「いや、別に」

 僕は咄嗟に警察だと思い、言い訳を考えたが、振り返って立っていたのは三人の中学生だった。懐中電灯を手にしている子がいるので、彼らも目的は僕らと同じだろう。

「もしかして、今からこの空き家に入ろうとしてる?」

 小田が尋ねると、三人のうち一番背の低い子が

「はい、肝試しで」

 と頷いた。

「ならやめといた方がいいぞ。ここに入ることは元々違法だ」

「大丈夫です、過去にも来たことがあるんで」

 別の子が返事をする。

「そもそも、皆さんは何してるんですか、こんな所で」

 一番賢そうなメガネをかけた子が、厳しい口調で言った。

「通りかかっただけ通りかかっただけ」

 イイタ少年が言う。しかし、眼鏡の子の口撃は止まらない。

「ならその懐中電灯は何ですか」

「正直に言おう」

 一瞬で、小田が負けた。

「正直に言うと、俺らは今からこの空き家の幽霊を捕まえようとしている。これ以上子供達を驚かせて楽しむ愉快犯をのさばらせておくわけにはいかないだろ。遊びに来たなら帰りなさい」

「僕らも同じです。幽霊を捕まえに来ました」

 と言ったのは、別の子で鞄から縄を取り出して見せる。

「よし、じゃあこうしよう」

 と切り出したのは富田だ。小田は返しに困り黙りこくってしまった。

「俺らは今から幽霊を捕まえるべくこの中に入る。だから、お前らはこの家の外で待っておいてくれ。もし幽霊が逃げ出した時に、捕まえてくれ。それでいいだろう」

 パワー系のイメージが強い富田が交渉に出たのは意外だったが、交渉はあっさり成功した。

「じゃあ僕ら三人と、そこの小学生の子とで、外で待っておきます」

 と纏めたのは眼鏡の子。イイタ少年は一緒に行きたいと喚いたが、安全のためにも家の外に残すことにし、高校生三人で家の中に乗り込んでいくことにした。

 先頭に富田が立ち、その後ろを僕と小田が並んで続く。富田は恐怖心など一切なく、懐中電灯片手にずかずかと家の奥へと進んでいく。僕も小田もわくわくはしていたが、その反面、恐怖の割合も高く、足はつい震えて、すくんでしまう。

 光った。これが例の光だ。

「光ったぞ」

 僕は声を上げる。

「どこだ」

「あそこらへん、懐中電灯当てて」

 僕は指を差してそう言ったが、よく考えると暗くて差した指も見えないので、僕は富田から懐中電灯を受け取り、光源を照らす。

「箱?」

 そこには箱があった。

「土屋が言ってた通り。多分この中にカメラが入ってるんだ」

 そして、その通り、カメラが入っていた。

「よし、奥進むぞ」

 僕が富田に懐中電灯を返すと、また富田が前進を始める。

「確かに、結構カメラあるなぁ」

 夜目が効いていて、スマートフォンやカメラが部屋にあるのがぼんやり確認できる。

「問題は、やつが現れるかだけど」

 小田はぶつぶつとよくわからないことを言っている。

「静かに」

 前を歩いていた富田が突然立ち止まった。僕と小田は富田にそのままぶつかって反動でややよろける。

「足音がする」

 言われてみれば、確かに足音が聞こえる。僕は、昔、祖母の家で天井裏にネズミが出た時のことを思い出した。母が大騒ぎする中で、弟が天井裏に上がってネズミを捕まえてきたのだ。その時のネズミの足音に似た、軽やかな足音が聞こえる。また、祖母の家に家族で行きたいな、とぼんやり考えながら前に進む。

「右だ」

 富田が突然走り始めた。慌ててそれを追うが、暗いこともあって、中々追いつけない。

「いたぞ」

 富田が叫んだ。遅れて僕と小田が辿り着く。富田が照らしているその先、僕らがいる場所から大股数歩先に、死装束を纏った長髪の女性が立っていた。これが問題の空き家の霊だ。

「三人で捕まえるぞ」

 富田が突撃する。まるで野生の猪だ。その特攻をひらりと交わし、霊は素早く玄関の方へ走っていく。小田がそれを止めようと、霊の足に飛びかかった。霊の足をがっしり掴んだが、霊の方が力は強く、小田は弾かれてしまう。肉付きのいい足だ、男性の変装だろうか。と推理する余地もなく霊は逃げ出す。

 富田が再び、霊に飛びかかった。しかし、暗闇でうまく相手の位置を把握できなかったのか富田の攻撃は空振りに終わる。走り逃げていく霊を僕は必死で追った。玄関では、イイタ少年たちが待機しているとはいえ、彼らにどうにかできる相手ではない。力が創造していた数倍強いのだ。まだ僕なら、うまくやれば捕まえられるはず。

 玄関の輪郭がぼんやり見える。そこに向けて幽霊はさらにスピードを上げて走っていく。右脇で何かが光った。多分、例のカメラだろう。僕は見向きもせず走っていく。

 霊は玄関の扉を開けて、外に出て行こうとした。もう無理かもしれないと思いながらそれでも僕は追う。不意に、霊の姿が視界から消えた。僕は慌てて立ち止まり、やや視点を下げると、霊がいた。どうやら何かに転んだらしい。そして、角砂糖に群がる蟻のように、霊に群がるイイタ少年らの姿が見える。

「捕まえたぞ!」

 笑顔でイイタ少年が言った。

「よし、よくやった」

 僕は早口で言って、霊の方に向き直る。しゃがみ込んで、うつ伏せになっている霊の顔を見た。その長髪が覆い被さっていて、よく見えない。僕はその長髪を霊の顔が見えるようにずらした。すると、長髪はあっさりと取れた。どうやらカツラだったようだ。そんなことより僕を驚かせたのは、長髪のカツラの下にあった男の顔だった。

「浦津さん?」

 最近、東海内の交番に赴任した若い警察官、浦津さんが幽霊の正体だった。


7


 少年たちには夜も遅いので先に帰ってもらい、一度公園に移動して、僕、小田、富田で浦津さんをぐるりと囲んだ。

 富田は、浦津さんが霊の正体だと分かった時は相当驚いていた。また、遅れて出てきた小田も驚いている様子ではあった。

「何でこんなことしたんですか」

 僕は純粋に疑問として投げかけた。浦津さんは黙って、罰の悪い顔をする。

「何でこんなことをしたんですか」

「それは俺の口から説明しよう」

 浦津さんに答える意思がないと捉えた小田が言った。

「なぜ、警察官がこんなことをしたのか」 

 小田はそう問いかけて、僕と富田、そして浦津さんの顔色を伺う。浦津さんは気まずそうに目を伏せた。

「分かりやすく考えるために、浦津さんの気持ちになってこの事件を最初から見ていく。まず最初に何があった?」

「幽霊が出た」

 僕が答える。

「いいや、もっと前。一番最初」

「一番最初だったら...あれか、空き家に住んでいた人が事故死したっていう」

「そうだな。作られた物語も全て含めば、それが原点だ」

「空き家の住民の事故死? 何だそりゃ」

 何も知らない富田が、その大きな頭を傾ける。

「あの空き家に住んでいたA子さんが自殺、あるいは事故死する、という事件があったんだ。いや、正確にはあったという設定だったんだ。つまり、この事件は実際に起こった事件ではなく、浦津さんが、空き家の霊の信憑性を増すために作った作り話だ」

「成程」

 霊の正体が浦津さんだと分かった時から、僕の中でもそんな気がしていた。

「しかし、警察官の語る話というのはやっぱり信憑性が違う。浦津さんの語った嘘を多くの小中学生は信じた。だが、俺はその時点でやや疑問を抱いていた」

「そういえば、A子の事件の話を浦津さんから聞いた後に、お前事件の中身がわかったみたいなこと言ってたな」

「多分言った」

「でも、焦らして教えてくれなかった。理由は間違えていたらいけないから」

「多分そう言った。あと、この幽霊事件に悪意はない。全部善意から生まれたものだ、とかも言ったと思う」

 確かにそう言っていた気がする。

「俺はこの事件が善意から生まれた事件だと思っています。わかっています。だから話しては貰えませんか、浦津さん」

 小田はそう言って、様子を伺うような目で浦津さんの方を見つめた。僕らも返事を待つため、浦津さんの方を見つめる。善意が、こんな幽霊騒動を起こした? そんなことあり得るだろうか。なぜ、善意のあり、良識のある大人が、幽霊を演じたりしたのか。

 浦津さんは黙ったままだった。小田は見かねて、語り出した。

「分かりました、なら俺の口から言わせてもらいます。実は、あの空き家には大前提がある。その大前提は、子供たちが遊び場としてよく使っていた場所という大前提だ。子供たちの遊び場に、幽霊が現れるようになった、というのがこの事件の構図だった」

 僕は、小田の言いたいことがぼんやりわかったような気がした。

「なぜ、子供たちの遊び場に幽霊は出現せねばならなかったのか」

「不法侵入」

「そう、不法侵入」

 小田はパチンと指を鳴らして僕の方を指差す。だが、指の鳴らせない彼から鳴ったのは、スカッという空振った音だけだったが。

「つまり、空き家に不法侵入してそこで遊ぶ小中学生を注意することが目的。ただ、普通に注意するだけでは聞いてもらえないかもしれないし、今の小中学生は反骨心も強い。どうすれば聞いてもらえるだろうか。そう悩んだ挙句、浦津さんが選んだ手段が、空き家に霊を出現させることだった。空き家に霊が出現すれば、小中学生は気味悪がって近付かないだろう。そう考えて実行した」

「浦津さんは直接注意せず、間接的に注意する方法を選んだ、と」

 富田がまだよくわからない様子で言う。

「そういうこと」

 小田が親指を立てた。

 浦津さんは子供をとても大事にしているから、直接注意して、子供に嫌われたくない、と考えたのだろう。その結果として、この行動。確かに小田の言う通り、浦津さんに悪意はない、善意からの行動だ。

「浦津さんが空き家の霊の正体って、いつ気付いたんだ」

 自分が全く気付かなかったことを恥ずかしく思いながら僕は尋ねた。

「正直断定はできなかったけど、A子の話を聞いた時ぼんやり。んで、毎週日曜日に出現すると分かった時、幽霊はいないということは百パーセントの確信になった。毎週日曜日ってことは、学生や社会人の休日だからな」

 言われてみればその通りだ。

「すまなかった」

 浦津さんがポツリと呟いた。

「浦津さんは悪くないだろ」

 富田が腕組みして言う。

「寧ろ、悪いのは僕らの側だもんな。子供のこと考えてくれてる浦津さんには感謝だな」

 僕も頷く。

「しかし、方法は良くなかった。立派な公務員としてあるまじき行動だった。子供を驚かす以外の方法があったはずだ。ちゃんと注意すればよかった。責任をとって、今から空き家に持ち込んだものは片付けよう。すまなかった」

「僕らも手伝います」

 自然とそんな言葉が漏れた。だが、浦津さんは首を振って

「自分のやったことの後始末は自分でする、それが大人だ。もうすぐ十時だ。君たちは家に帰りなさい」

 と言って立ち上がり、空き家の方にとぼとぼと歩いて行く。

「浦津さん、どこに行くんですか」

 小田が尋ねた。

「空き家の後片付けだよ」

「もしかしたらその必要はないかもしれないです」

「え?」

「まだ僕の話には続きがあります」

 小田はきっぱりそう言った。


8


「浦津さん、このデジカメとスマホを取りに行くんですよね」

 小田はポケットから取り出して見せた。

「ああ、既に回収してくれていたのか、ありがとう」

 浦津さんはそう言って笑ったがどこかその表情は引き攣っている。それを見てとってか、小田はにやりとして続ける。

「中身見させていただきました」

「ん?」

 浦津さんの顔が一瞬で曇る。

「小中学生の写真が沢山入っていました」

「ああ、それは肝試しに来た子たちの写真だ。ある一定時間ごとにシャッターを切るように設定することで、火の玉を演出したんだけどね」

「いいえ、もっと昔の写真です」

 浦津さんはかっと目を見開いた。僕は恐ろしくて一歩後退り、困惑して二人の顔を見比べる。

「小中学生の裸の写真が、ね」

 小田はとどめを指すように言った。

「浦津さん、こんな地方に左遷されたのは、前の赴任先でこのことが発覚したからですよね」

「そんなバカな」

 富田が目を丸くする。

「ちょっと最初から疑問だったんですよ、俺的にはね。何でこんな若くて賢そうな警察官がこんな地方の交番に。もっと都会の交番に配属されるべきじゃないのか、と。いやー、これが理由だったんですね」

「そんなわけないだろう。そのカメラは、そう、俺が友人から借りたやつだ。多分俺の友人にそういう変な性癖があったんだろう」

「浦津さん、子供のことが本当に好きですよね。まるでアニメの警察官のようにフレンドリーに話しかけてくれる」

 小田は浦津さんのことを無視して喋る。

「よくよく考えたら違和感なんだ、光を作るのにカメラを使ったことが。もっとべつの方法があるだろう。懐中電灯とか」

「でもどうして」

「カメラっていうのは写真を撮るためのものだ。その目的通り、浦津さんは使った、それだけさ」

 小田は皮肉な言い方をする。

「そのカメラとスマホを渡せ」

 突如、浦津さんの声色が変わった。僕は冷たい声に背筋を震わせる。

「渡しましょう」

 小田はすんなりと頷いて、浦津さんに渡した。富田が慌てて

「おいおいおい、ダメだろ。これは然るべき警察に」

 と止めるが、その時点では既にデジタルカメラとスマホは浦津さんの元にあった。

「しかるべき警察がこうなんだ。信頼できないだろ。しかも、別に俺らは警察じゃない。浦津さんを裁くことはできないだろ」

「そういう問題じゃねえ。こいつは変態だぞ変態。このままのさばらせておけばまた同じような犯罪をするかもしれない。犯罪者だ、危ない奴だ」

「だからなんだ。俺らに被害は被らないから別にいいだろ」

「最低だな」

 僕も流石にかっときて応戦する。

「おっちゃんまで何をいう。夜も遅いですし、浦津さん、ではおやすみなさい」

 小田は丁寧に頭を下げて、帰路についた。僕と富田は慌ててそれを追う。浦津さんは小田とは反対方向に逃げるようにして去っていった。

「おい、何やってんだ」

 富田が小田の前に通せんぼをする。

「折角取り押さえられたのに」

 僕も突っかかる。

「おっちゃんも富田もそんな怒るなって。逆にあのまま浦津さんを捕まえておくの? そんなことしたら、夜が更けてしまう」

「でも、逃しちゃだめだろ」

「逃すって言ったって、あの人は、明日はまた交番に勤務しないといけないんだ」

「いや、どこか遠くに逃げるかも」

「かもねぇ」

 小田は飄々としている。その態度が癪に触った僕らは更に詰め寄る。

「逃げられちゃだめだろ」

「いや、逃げられた方がいいんだよ、寧ろ。だって、この町からあの変態はいなくなるんだろ。それなら、この町に平和が戻ってきてめでたしめでたしだ。また新しく警察官が派遣されてきて、交番の方もどうにかなるだろ」

「でもあいつが何の罰も受けないっていうのは割に合わない。しかも、デジカメとスマホはあいつに返しちゃったじゃないか。そしたら、あいつは撮った写真も持ち帰れて、何の損もしてない。なんなら得したぐらいだろ。んなずるい話あるかよ」

 富田が吠える。

「撮った写真はあっても、あいつはもう職がないだろ。これが最大の罰だ」

「別に家族を頼ればいい話」

「既に家族には見放されてるんじゃないかな。過去にもこういった事件を起こしているなら。つまり、あいつはのたれ死ぬ。死ぬとまではいかないかもしれないけど、苦労するだろ」

 富田は言い返せず黙る。僕も、最もな小田の意見に反論はなかった。

「因みに、何で最初に嘘の推理を語ったんだ。浦津は子供を空き家に行かせないために幽霊を演じたとかいう」

 仕方なく、僕は別の疑問をぶつける。まさか、彼のような合理的な人間が探偵小説チックにわざと振る舞うことはないだろう。

「その可能性も否定できなかったから」

「でも、デジカメの写真を見たらわかる」

「けど、最初から目的が小中学生の撮影だったとは限らない。最初は、小中学生の撮影ではなく、子供が空き家に行かないようにすることが目的で、段々、目的が変わっていった、というパターンなら、もう少し軽い罰を与えるべきだからな。ただ、俺が浦津にこの事件の目的は善意だったのではないかと聞いても、浦津は何も話出さなかった。もし、善意ならすぐに言い出すはずだろう。でも、言い出さなかった。それで、俺は、ああ最初から目的は撮影だったのかと察した」

 軽い罰...僕らに大人の裁量権はあるのだろうか、と不意に思ってしまう。

「ま、夜遅いし今日はお疲れでした。おやすみ」

 小田はあっけなくそう言ってそそくさと帰ってしまった。僕と富田はとりあえずの事件解決を喜ぶべきか、浦津を取り逃したことを悔やむべきか全く分からず苦笑いをして、別れた。

 警察官という立派な公務員である浦津のこの行動。そして、ただの調子に乗った子供によって与えられた重い罰。僕には全てが毒々しく、憎たらしいものでしかなかった。ただ、公務員という絶対的立派な職業へのイメージに傷がついたのは確かだ。


9


「ただいま」

 僕が家に帰った頃には時刻は十時を回っていた。

「いい加減にしなさい」

 リビングルームで母と目を合わすなり、母が怒号を上げた。父と弟はまだ家に帰ってなかった。仕事と塾だろう。

「ごめん、遅くなった」

「どこ行ってたの」

「普通に塾」

「村田くん知ってる?」

 母の質問の支離滅裂さに僕は何とも言えない狂気を感じた。

「村田くん?」

「中学一年生。メガネをかけてる子。その子のお母さんから、うちに連絡があってね」

 ちょっとずつ状況が脳に刷り込まれていく。

「空き家に遊びに行ってたの?」

 母は僕のことを睨んでくる。僕は引くことはできないと察して頷いた。

「何で勉強をちゃんとしないの」

 母は怒鳴った。僕の頭には幾つかの言い訳と、幾つかの事実が、返事の候補として瞬時に上がった。しかし、返事を返す間もなく母は続ける。

「高い塾の授業料を払ってまで塾に行ってる理由がまだわからないの? 将来、苦労してほしくないから。公務員になれば、将来幸せに暮らせる。私は幸せに暮らして欲しいの。立派な職業について欲しいの。楽しく暮らして欲しいの。お母さんの我儘かもしれないけど...でも...本当に不安で...お願いだから」

 わざとらしい様子だった。涙を拭いている仕草も腹がたった。僕は母を無視して自分の部屋に閉じこもろうとした。それが一番、この場を納めるベストなやり方だと思ったからだ。足早に部屋に入ろうとする僕に母が優しい口調で

「勉強頑張ってね」

 と言った。それが完全に僕をキレさせた。まだ勉強のことを言うのか、こいつは。僕はリビングの机の上にあった文鎮を手に取ると、母に向かってそれを投げつけた。母が小さく悲鳴を上げて避けようとしたが、それよりも早く、文鎮は母の元に着弾した。母が避けようとしゃがんだその仕草が余計だった。母の腹に向かって投げた文鎮はしゃがんだ母の頭に直撃した。母は言葉にならない音を口からもごもご発して、倒れた。ほんの数秒のことだった。

 僕は我に返り、悲鳴を上げた。そして、母に抱きついた。急いで脈を確認する。だが、脈はない。死んでいた。打ち所が悪かった。

 あの机の上に文鎮が無かったら。あの文鎮は弟が習っている毛筆で使うためのものだ。毛筆の課題をそこの机でやったのだろう。もし、あれがなければ。僕は母を殺していなかった。

 僕は部屋の中で暴れ回り、そして、力尽きて倒れた。意識が遠のいていく。ただ、そのまま眠って、全てを忘れることは許されなかった。父が帰ってきたのだ。まるで僕をせき立てるように次々と。

 僕は咄嗟に台所に駆け込み、包丁を両手で強く握った。本当に本能的な行動だった。父は母の死体を見つけるなり、絶叫し、母の右手を握って、しゃがみ込み、黙ってしまった。僕はその父を一刺しにした。背後から迫り、背中を刺した。父は、最後の力を絞って振り返り、僕の方を見た。そして、驚きと困惑の表情のまま母の体に重なるようにして倒れた。

 後悔。なかったわけではない。しかし、二人の人間を殺した状態で正気を保つことはできなかった。

 逃げないと。幸太が帰ってきたら、また幸太を殺すことになる。もうこれ以上は、だめだ。だめだだめだだめだ。自分が壊れてしまっているのは自分でわかっていた。もうだめだ。逃げないと。僕は玄関に向かって駆け出し、そこで浦津のことを思い出した。小田が浦津に与えた罰。職にありつけず、衣食住に苦しむという罰。このまま逃げたら、僕も同じことになってしまう。できるだけたくさんの金や、金になるものを持って逃げなければ。

 無心になって、強盗のように母のネックレスや、指輪などを盗んだ。そして、自分の貯金箱と財布を持つ。ただ、これじゃあまだ足りない。せいぜい一ヶ月生きられるだろうか、というレベルだ。僕は両親のへそくりがないか、箪笥や棚をひっくり返して探した。探した結果、大金の入った封筒が二つ見つかった。「大学受験用」と書かれ、札束の入った封筒と、「祝い用」と書かれた封筒。どの程度のお金が入っているだろうかと僕はそれをひっくり返す。万札が数枚と、手紙が一枚出てきた。手紙の中身を読む余裕はなかったのに、僕は中身が気になってそれを読む。

 

 受験お疲れ様。ずっと勉強、本当にお疲れ様。勉強のことばかり言ってごめんね。それでも頑張ってくれてありがとう。高校一年生の時に書いたものなんだけど、絶対に渡せると信じてた。本当にお疲れ様。


 両親との思い出が一気にフラッシュバックし、僕の目には涙が溜まった。視界がぼやけて焦点が定まらない。僕は発狂したくなる気持ちを抑えてポケットにその手紙を突っ込んだ。

 そして、僕は、金になりそうなものを全て、母の高級鞄に投げ込み、家を出た。自分の非情さに情けなくなるが、もとより僕は冷たい人間なのだ。そう奮い立たせて(まだ心残りしかなかったし、すぐに自首したかった...ような気がする)。

 迷ったけれども、幸太の貯金箱は盗まないでおくことにした。両親を失った幸太のここからの苦しい生活を悟っての同情だったのだろう。

 幸太は家に帰って、両親の死体と対面し、どうするだろうか。僕が殺したのだろわかるだろうか。いや、賢いやつだ、僕が殺したとわかるだろう。そして、絶対に、僕を恨むだろう。どれだけ逃げても、いずれ、僕の居場所は幸太にバレるだろう。そして、幸太は僕を殺しにくる。僕はその時、どうすればいいのだろうか。僕にはわからない。

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