第二章 迷い道 5



『天地初発』この文章で古事記は始まる。

 世界中の神話は、創造主たる神によってこの世界や人間が創られるのが常套だが、日本の場合はこの世がどうやって誕生したかについては語られていない。

 もちろん神様が創ったとも書かれてない。


 同じように人間をお創りになったのも、神さまではない。

 人間はそこに存在していたのである。

 日本神話に限っては、この宇宙も地球も人間もすでにそこに在ったのである。

 この世を覆っていたなにやら訳の分からないものが晴れたら、すでに天と地は存在したことになっている。


 次々に神さまが生まれ、最後にイザナキとイザナミの男女二神がお生まれになり、いまでいう日本という国をお生みになることとなる。


 お二人は『天の浮橋』にお立ちになり『天の沼鉾』でどろどろとした地上をかき混ぜ、その滴り落ちた〝塩〟が固まり『淤能碁呂島(オノゴロ島)』が出現する。

 この島は自凝島ともいわれ、〝自ずから凝り固まってできた島〟という意味がある。


 お二人はこの島で〝目交まぐわひ〟子をお生みになった。

 そのとき産まれたのが足腰も立たぬような不具の『水蛭子ヒルコ』と『淡島アハシマ』である。


 これは〝目交ひ〟のときに先に女神であるイザナミから、お声を掛けられたためだとされている。

 ヒルコとアハシマは、お二人の子のうちには数えられずに〝葦舟〟に乗せられ海に捨てられてしまう。


 次からは男神であるイザナキから声を掛けられたため、立派な島々が生まれた。

 淡路島・四国の国々・西ノ島、知夫里島、中ノ島・九州の国々・壱岐・対馬・佐渡島・大倭豊秋津島(本州)の順である。


 この『大八島国』に次いで、数多の神々をお生みになる。

 自然や文化の神々である。


 しかし〝火の神・迦具土カグヅチ〟別名・火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)・火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)などとも言う、をお生みになった際に女陰ほとを火傷され、臥せられてしまう。

 このときイザナキの排泄物や嘔吐物からも、数々の神がお生まれになった。

 しかしご回復される事なく、イザナミは死んでおしまいになった。


 怒ったイザナキは、十拳剣・トツカノツルギ(天之尾羽張・アメノオハバリ)でカグツチの首を切って殺してしまわれた。

 切られたときに飛び散った血から八柱、遺体から八柱、合計十六柱の神がお生まれになったという。


 妻であるイザナミは黄泉の国へ旅立ったが、夫であるイザナキは忘れることが出来ない。

 ひと目妻に逢いたい思いで、彼は〝黄泉国よみのくに〟へと追いかけて行く。

 黄泉の御殿の扉を開け出迎えてくれた妻へ〝愛しい妻よ、まだわたしたち二人で創る国は完成していない、どうか帰って来ておくれ〟とイザナキが頼むと彼女はなぜもっと早く迎えに来てくれなかったのかと悔しがった。


 わたしはもう〝黄泉つ戸喫〟をしてしまったと答える。

〝黄泉つ戸喫〟とは、黄泉国のかまどで煮た食べ物を、食してしまったという意味である。

 一度黄泉国の食べ物を口にしたら、黄泉国の一員になった事になり、もう元の世界へは戻れないのだ。


 それでも懇願する夫に〝黄泉神よもつかみに、戻れるかどうかを掛け合って来るから、決して覗いたりせずにここで待って居て下さい〟そう言い残し、黄泉国の御殿へ入って行ってしまった。


 いくら待っても出て来ない妻を訝しがり、イザナキは〝みづら〟(髪を頭の中央で左右に分け、耳のあたりで束ねて結んだ髪型のこと)から櫛の歯を一本折って火を灯し、暗い御殿の中へと入って行く。

 そこでイザナキが見たのは、おぞましい姿に変わり果てた妻の姿であった。


 暗闇の中横たわっている身体には蛆が湧き、その皮膚を喰い破り旋回しながら体内へと入り込んで行く。

 頭、胸、腹、女陰ほと、左手、右手、左足、右足には、八体の雷の神が宿って居た。

 あまりにも恐ろしい姿に、イザナキは慌てて黄泉国から逃げ出す。


 その事に気付いたイザナミは怒り狂った。

「決して見ないでと言ったのに、覗き見をしてわたしに恥をかかせたわね」

 そう言って〝黄泉醜女よもつしこめ〟に夫の後を追わせた。


 イザナキは逃げながら〝黒御縵・クロミカヅラ〟(被っていた冠)を投げると〝葡萄葛・エビカヅラ〟が生え、その実(葡萄の実)を黄泉醜女が食べている隙に逃げた。

 しかしまた追いつかれると、今度は〝右のみずら〟から〝斎つ爪櫛(ゆつつまくし)〟の歯を折り投げ捨てる。

 そこからはたちまち筍が生え、それを追手が食べている間にさらに逃げる。


 イザナミは体についていた八体の雷神に、黄泉の国の軍勢を率いさせ後を追わせる。

 イザナキは後ろ手に剣を奮いながら〝黄泉比良坂〟の麓まで逃げ、そこに生えていた〝桃の実〟三つを捥ぎそれを投げつけると、やっと追手は黄泉国へと帰って行った。


 古来〝桃〟には邪気を祓う力があるとされ、祭祀跡の遺跡からは〝桃の実〟が多数発見されている。


 とうとう業を煮やしたイザナミ自身が追って来る。

 そこでイザナキは、千人がかりで曳くほどの大岩を黄泉比良坂の麓に置き妻と対峙する。


「愛しい夫よ、あなたがこんな仕打ちをするのなら、わたしはあなたの国の人間を一日千人殺しましょう」

 腹を立てたイザナミが呪いの言葉を発する。


「愛しいわが妻よ、お前がそうすると言うのなら、わたしは一日に千五百の産屋を建てよう。(千五百人の子どもを産もう、という意味)」

 そう言って、二人は永遠の別れをする。


 これ以降イザナミは『黄泉津大神よもつおおかみ』となった。

 黄泉国の穢れを祓うために、イザナキは水に入った。


 そのときに脱ぎ捨てた着物や装飾品から、様々な神が生まれます。

 禊のために水を被ると〝災いをもたらす神様が二柱〟〝災いを打ち消し、災いに勝つ神様が三柱〟生まれました。


 そうして最後に左目を洗うと最高神である太陽神「天照大御神あまてらすおおみかみ」が、右目を洗うと月を象徴する「月読命つくよみのみこと」が、次に鼻を洗うと「建速須佐之男命たけはやすさのおのみこと」の三貴神がお生まれになった。


 イザナギは天照大御神に「高天原たかまがはらを治めなさい」と命じます。

 月読命には「夜の世界を治めなさい」と命じました。

 末弟のスサノオには「海原を治めなさい」と命じる。



「ここまでが古事記神話の〝国生み〟の部分だ」

 智司が一気に語り終えた。


「うひゃー、なんともぶっ飛んだ話しだな。やっぱりどう考えたって夫婦喧嘩じゃん」

 雄太が感想を言う。


「化け物になって怖いけど、なんか少しイザナミっていう女神さまも可哀そうになって来る」

 怜子が女らしい思いを口にした。


「じゃあなにか、ここがその黄泉比良坂って言うわけかい」

 大輔が訊く。

「ううーん、伝承では島根県八束郡の東出雲町揖屋平坂が現地だとなってるはずだ。いまじゃ観光地だよ、昔行った事があるんだ。その千曳の岩も存在してる」

 智司が、上目遣いに直太朗を見ながら答える。


「出雲、ここから全然離れてるじゃない。どっちが本物なの」

「さ、さあ。俺には分からないよ」

 怜子の問いに、智司が口ごもる。


「ははは、ここにある千曳の岩を見ればどっちが本物かはすぐにわかる。あなた方の目で確かめればいい」

「お爺さん自信満々ね、きっと凄いんだわ」

 怜子が期待するように、直太朗の顔を見た。


「でも、そんな変なとこ行きたくないわ。どんな事になるか分からないじゃない、無理に行かなきゃいけない訳じゃないんだから引き返しましょうよ。なんだか怖い」

 涼音が小さく震えている。


「お嬢さんの言うとおりよ。行くのはお止めなさい、きっと悪い事が起こる。今晩ぐっすり眠って、明日東京に帰りなさい。迷わないようにお爺さんの軽トラックで先導するわ、すぐに保寺沢の町につける。そうしなさい」

 里子が丸い背中をさらに丸めながら、引き返すことを勧める。


「どうするみんな、ここまで来て残念だけど帰るか」

 大輔がみなの顔を見回す。

「そうだな。レンタカー代とガソリン費が無駄になったけど、こんな親切なお爺さんとお婆さんに逢えたんだ、それで良しとするか」

 珍しく雄太がまともなことを言う。


「よし、明日の朝帰ろう。今日半日で十分ドキドキしたし、もうおかしな事はこりごりだ。な、そうしようぜ。怜子、お前もそれでいいだろ」

「あんたがそう決めたんならそれでいいよ、あんたの勘って意外と当たるからね」

 怜子が賛成したことにより、これ以上の旅は諦めることに決定した。


「すいませんお爺さん、ご面倒ですが車の先導お願い出来ますか。また迷ったら大変だから」

「ああ構わんよ、ほんのそこじゃからな。ついでに婆さんも乗せて行って、食料や日用品の買い出しでもして来よう」


 話しもまとまり、五人は八畳の客間に枕を並べて就寝した。


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