第二章 迷い道 4
「所であなた方は、どこへ行くつもりだったんですかな。この辺りに温泉など聞いたことがないんじゃが」
老人が改めて訊いて来る。
「茂野延村という所です、ご存知ですか? さっきペンションの人からはそう離れていないから、すぐにわかると言われたんですが」
大輔が村の名を言ったとたん、老夫婦が顔を見合わせた。
「確かに茂野延村なのですか?──」
「間違いありません、ほらチラシもあります」
ジーンズのポケットから、折り畳んだ紙を取り出し差し出す。
そこにはペンションと温泉施設の写真が載っており、茂野延村の住所が記載されていた。
「ふうむ、ここからその村までは一本道です。車なら十五分もかからないと思う、〝
智司は、この〝村の入り口のはずじゃ〟という所が妙に引っ掛かった。
「へえ、じゃあすぐに着けますね。もう道に迷いようがない」
老人、直太朗の説明を聞き雄太が安心する。
「お若い方々、どうしてもそこへお行きなさるのか。あまりお勧めはせんがなあ・・・」
老婆、里子がなにやら言葉を濁すように口ごもる。
「ここへ来る前に立ち寄ったドライブインでも、同じようなことを言われました。いったい茂野延村というのはどんな所なんでしょうか」
智司が訊く。
「どんな所と言われてもなあ、一度も行った事がないから答えようがない。逆にあちらの村の者もここへは来たことがない。どんな場所で、どんな人たちが住んでいるのかも、皆目見当がつかんのです」
「ええっ、隣の村なのに行き来がないんですか? そんな馬鹿なことって」
珍しく涼音が言葉を発した。
「本当の事です、先祖代々一切の関わりを持たずに暮らしてきた。わしらの村の人間にとっては、東京どころかアメリカに行くのよりも遠い存在です。絶対に足を踏み入れてはいけないし、あちらの者をここへ入れてもいかん。これはなににもまして重要な約束事です、それを守るためにこの集落とわたしたちは存在していたのですから」
なんとも奇妙な説明に、五人の頭がついて行かない。
「おかしいじゃありませんか、隣にある茂野延村を通らなきゃその先の白馬には行けない訳ですよね。逆に茂野延村の人もここを通らなきゃ、保寺沢や鬼無里へは行けないじゃありませんか。それとも、わざわざ遠回りする道でも別にあるのですか」
智司が疑問を口にする。
「いいや、道は一本だけじゃ。わしらにも不思議なのですが、そこを通らなくても白馬へは行けるのです。白馬へ行こうと思えば行けるのですよ」
直太朗の言葉は、増々頭を混乱させる。
「あなた方はここへ来るまで、散々道に迷ったと仰ってましたな。そもそもここへ来る必要のない者は、この集落にはたどり着けないのです。ここへ来たというのは、あなた方の目的地が茂野延村そのものだったからです。なんらかの意味を持ち茂野延村へ行こうとすれば、この平坂を通る以外に方法はない。また、その逆も同じです。ただの商売のための行き来や、必要のない通りすがりの場合は迷う事もなく道はすんなりと通じる。それこそ保寺沢辺りからじゃと二十分もかからずに着くはずです。道も一本しかないからそのまま通り過ぎれば、白馬へと行ける」
「それはなんの話しです、ぼく等には理解できない。説明して下さい、ここはいったい何処なんです」
「まあそんなに慌てずに、ゆっくりとお聞きなされ」
興奮気味な智司に、里子がお茶を勧める。
「すいません、熱くなってしまって──」
つい熱を帯びてしまったのを反省するように、ペコリと頭を下げながら出されたお茶に口をつける。
「ここは一種の、異界のような場所なのです。もちろん日本の測量地図にも記載されておるし、行政上も確かに実在する土地です。それが証拠にわしらはちゃんと戸籍もある、ごく普通の人間です。しかし、なにか不思議な力で歪められた場所でもあるのです。現実であり非現実でもある、その仕組みはわしらにも分からんことです。現にあなた方は、一本しかない道を何時間もかけてここへとやって来た。通常であれば十分もあれば着ける距離をです。神代のむかしからここは、そういう土地だとしか言いようがない」
「じゃあ茂野延村というのは、なにか不思議な場所なんですね。恐ろしいなにかが起こるような」
怜子が恐るおそる尋ねる。
「いいや、意図のない人間にとっては単なる平凡な田舎の村に過ぎません。毎日生活物資を届けるトラックは来るし、郵便配達も欠かさず回っている。普通に村人以外の人間が外から職場に通っているし、色々な所から人が行き来している。白馬地区からゴミ収集車も、週に三回は来てるはずじゃ。今流行のチェーン店もあれば、車のディーラーもある、なんの変哲もない田舎の村落です。しかし、この平坂から入った人間は別です。そこでどんな事が待っているのかは、わしには分からん。ただ言える事は、あなた方は選ばれて来た者だということです。ここ三年来、千曳の岩を通る人間はいなかった。最後にそこを通った人はまだ村に残っておるはずじゃ、再び村を出るにはこの平坂に戻って来るしかないのです。それ以外に村から出る道はない、その人を見てないということはそう言うことなのです」
五人は固唾を飲んで、直太朗の言葉に聞き入っている。
柱に掛かった時計は、もうじき十二時になろうとしていた。
「ご主人、つかぬ事をお聞きします。この土地は四方津郷の平坂だと言われましたが、まさかあの古事記の──」
智司がなにかに気付いたようだ。
「ご存知でしたか。そうです、ここは日本神話の
「そのヨモツヒラサカってなんだよ。イカイだの歪んだ土地だのって、さっきから話しが難しくって全然わかんねえよ。なんか都市伝説になるような、変てこな場所って事でいいのか」
雄太がお手上げだと言った顔で、智司を見る。
「黄泉比良坂というのは、古事記の中に出て来るこの世と死人の国との境にある場所のことじゃなかったっけ。たしか伊邪那岐尊が桃を投げて、黄泉から追って来た化け物を追い返したっていうお話しの」
記憶を思い出しながら、涼音が古事記に出て来る有名な話しをする。
「じゃあ爺ちゃんらは、地獄からの怪物を見張ってる〝魔界の番人〟ってやつか。恰好いいじゃん」
「ちょっと黙ってなよ、雄太。あんたが話しに加わるとなんか軽くなっちゃう、馬鹿なんだからおとなしく聞いてなさいよ」
苛ッとした口調で、玲子が注意する。
「古事記神話の冒頭部の、国生みの章の一番のクライマックスシーンだ。追って来た〝黄泉国の軍勢〟に桃を投げて追い返すんでしたね」
「その通りじゃ、そうして最後にイザナキを追って来るのが愛しい妻だったイザナミ自身じゃった。それを押し留めるためにイザナキは、千人で引くほどの大きな岩を黄泉比良坂の麓に置きなんとか黄泉の者が現世に来るのを防いだ。それが〝千曳の岩〟じゃ」
「えっ、自分の奥さんが怪物になって追っかけてくんの? なにそれ、夫婦喧嘩? 最悪じゃん」
「夫婦喧嘩か、ははは、そう言われりゃそうじゃな」
直太朗が、思わず吹き出す。
雄太が喋るのを注意した怜子も、軽さでは負けていなかった。
「なんだよ玲子、お前だって馬鹿じゃねえか。ひとのこと言えねえぞ」
すかさず雄太がチャチャを入れる。
「喧嘩すんな、どっちもどっちだ。おい智司、なぜそんな事になったんだ。二人は夫婦なんだろ」
大輔の言葉に智司が頷く。
「そうだね。じゃあ話しを最初っからしなきゃなぜこうなったのかが分からないのはもっともだ。少し長くなるけど聞かせよう。ご主人、間違った所があったら訂正してください」
直太朗が無言で笑っている。
「いいか、話すぞ──」
智司は国産みの部分から説明を始めた。
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