第二章 迷い道 1
「なんだこのトンネル? 地図には載ってないぞ。どこかで道を間違えちまったか」
助手席の大輔が頭をひねっている。
車の行く手に、かなり古そうなトンネルが現れたのだ。
よく心霊スポットとかのサイトに出て来るような、不気味な雰囲気をしたトンネルだった。
トンネルというより〝隧道〟と言った方が似合いそうな風情だ。
「でも道は一本なんだろ、どこにも分岐らしい所はなかったぜ。間違いようがないよ」
智司がそれに応える。
智司の言うように、間違えそうな分かれ道は一切なかった。
「とにかく進んでみるしかないだろ、しばらく行っても駄目だったら引き返せばいい」
大輔の言葉に従い、車はトンネルに突入して行く。
それなりに長さのあるトンネルだった。
照明が暗く車幅も狭いため、智司は時速三十キロほどにスピードを落としゆっくりと薄暗い中を進む。
なんだか同じトンネル内を、無限に走行しているような不思議な感覚を智司は感じていた。
一分ほど走った頃、車はトンネルを抜けた。
その先の風景も、いままでとなんら変わらぬ山の中だった。
それ以降もこれと言った分岐はなく、ただひたすら一本道を走り続ける。
周りの景色は一層山深さを増し、道もやや狭くなって来ている。
「ねえ、おかしくない。さっきのドライブインを出てからもう四、五十分は経ってる。三十分もかからず着く予定だったんじゃないの」
後部座席の怜子が訊いて来る。
大輔はスマホで時間を確認した。
「そうだな、もうじき五十分経つ。やっぱりどこかで道を間違っちまったみたいだ。しかし地図でいくと道は一本、分岐らしい枝道もないんだ。間違いようのない状況なんだよ」
「そんなこと言ったって着かないじゃないの、あんたの案内が悪いのよ。しっかりしてよ」
不機嫌な口調で、玲子が大輔の後頭部を叩く。
「馬鹿、叩くんじゃねえよ。ならお前が地図を見ろ、どうやったって道は一本しかねえんだ。間違いようがないんだよ」
ほかに車が来る心配もないため、智司は車を止め自ら地図を確認する。
さっきのドライブインのあった所は、保寺沢地区の手前の道を左折してすぐの場所だった。
その左折した交差点には、右側にガソリンスタンドがあったのをみな覚えている。
地図にもそのGSは記載されていた。
だからいま走って来た道は、茂野延村へと続く一本道に間違いがなかった。
地図を見る限り、どう大目に見ても三十分は掛からない距離だ。
うまくすれば十二、三分で着くかもしれない。
この道は茂野延村を通り、そのまま行けば白馬方面に到達する事になっている。
白馬まで行っても三、四十分といった所だ。
「どう考えても変だな、大輔の案内は間違ってない。間違いようのない一本道だよ、それにトンネルらしい表記もない。一体どうなってるんだか」
「気味悪いな、引っ返そう」
いつもはお気軽な雄太が、真面目な声で言う。
「よし、あのトンネルの手前まで戻って、ペンションに電話をかけて道を確認しよう。もうじき日も暮れそうだし、先方も心配してるかもしれないからな」
智司はそう言って、車をユーターンできる所まで走らせ、もと来た道を引き返し始めた。
どのくらい戻っただろうか、とっくにトンネルのあった場所まで来てもいいはずなのに、一向にあのトンネルが見えて来ない。
「絶対におかしいぞ、こんな所通らなかった気がする。俺は記憶力がいいんだ、絶対にここは初めて見る景色だ。少しづつ上り坂になってる、さっきは平坦な道だったはずだ」
大輔が焦ったように叫ぶ。
「大きな声出さないでよ、涼音ちゃんが怖がるじゃない。とにかく道はひとつなんだから、走り続ければどこかの町に出くわすはずよ。進むしかないじゃん」
不安気に俯いている涼音の肩を抱きながら、玲子が大輔を注意する。
「おい、スマホ通じないぞ。圏外だ」
三列目シートから雄太が声を上げた。
慌てて怜子もポーチからスマホを取り出す。
「あっ、あたしのも圏外」
「俺のもだ」
大輔も舌打ちする。
「俺のも見てくれないか。胸ポケットに入ってる」
運転している智司のシャツのポケットを、大輔がまさぐる。
「やっぱ駄目だな──」
小さく呟き、かぶりを振る。
道はどんどんと狭くなってゆく。
「見ろ、分かれ道だ」
智司が前方を指差す。
いままで一切なかったはずの分岐地点が出現した。
「どうする、分かれてる道の方が広いぞ。曲がってみるか」
「このまま進んでも狭くなる一方みたいだし、思い切って曲がってみるか」
辺りは薄暗くなって来ている。
分岐手前で停まっている車の中で、五人の男女が互いの表情を確認し合っている。
みな不安で一杯なのだろう、顔が強張っているのが分かる。
「よし、曲がろう。少しでも広い道の方がいい、とにかく人家のある所まで行かなきゃ。固定電話まで使えないような田舎じゃあるまいしな」
大輔が決断する。
「みんな、それでいい?」
智司の言葉に、残りの三人が無言で頷く。
「じゃあ曲がるよ」
智司はフットブレーキを解除し逆時計回りへとステアリングを切る。
とにかく車を前方へと走らせるしかない。
行けども行けども民家はおろか、人っ子一人出くわさない。
やがて完全に日は沈み、夕闇から真の夜へと世界は変化している。
時間を確認すると、すでに七時を大きく過ぎていた。
肉体的な疲れに精神の疲れが重なり、運転手の智司以外はうとうとし掛けている。
それを横目で見ながら、多少の不満は沸いたが彼はただ黙々とステアリングを握り続けた。
田舎の山道だからなのか、街灯ひとつ点いていない。
真っ暗な闇の中を、車のヘッドライトだけを頼りに車は進んで行く。
エンジンの音だけが現実を思い出させ、智司の心を勇気づけた。
いい加減うんざりとし始めた頃、やっと前方に人家の灯りが浮かび上がった。
人口の光を確認した智司は、眠ってしまっている四人を起こす。
その明かりの点いた家の前で車を停め、五人は車外に出る。
道路から二メートルほど高い土手の上に、家は建っていた。
見るからに古そうなその家は、周りになにもない山中の一軒家だった。
遠くから見えた灯りは、玄関外に取り付けられた屋外灯であった。
家の中には灯りは点いていないようだ。
「寝てんのかな」
「まさか、まだ八時半だぜ」
雄太の言葉を、大輔が否定する。
「わかんないわよ、年寄所帯だったらもう寝ててもおかしくないって」
怜子が言う。
恐るおそる玄関へと近づく五人の足元に、なにかがまとわりついた。
先頭の大輔がギョッとしてそれを確認すると、雑種らしい犬が尻尾を振りじゃれついていた。
鎖でつながれている所を見ると、この家の飼い犬なのだろう。
玄関脇に、小さな犬小屋があり〝タロ〟と書かれている。
〝クーン、クーンッ〟と甘えた鳴き声を出し、必死に大輔の脚に身体を押し付けている。
「なんだお前タロってえのか、それじゃ番犬の役に立たないぞ。知らない人が来たら吠えなきゃ駄目だろ」
犬好きの大輔はしゃがみ込み、中型の犬を撫でてやる。
一層犬は歓び、頭を振りながら大輔の手を必死で舐める。
「なにしてんのあんた、さっさと玄関叩きなよ」
横から怜子が文句を言う。
「見ろ玲子、可愛いなこいつ」
じゃれついて来る犬に、大輔はすっかりデレデレになっている。
「しょうがないわね・・・」
そう呟き、玲子は自分で玄関の戸を叩いた。
それは昔ながらの、硝子がはめ込まれた横引きタイプの扉だった。
〝がしゃん、がしゃん〟
「すいません、夜分恐れ入ります。どなたかいらっしゃいますか」
〝がしゃん、がしゃん、がしゃん〟
二度目は少し強めに叩く。
「すいません、どなたかいらっしゃいませんでしょうか」
大き目な声を掛ける。
しばらくしても、なんの反応もない。
「誰もいないのかな」
智司が目を細め再度戸を叩こうとした瞬間、室内に明かりが灯った。
「はい、どなたさまですか」
年老いた女性の声がした。
「すいません、旅行者なんですが道に迷ってしまいまして。よろしかったら道を教えて頂けませんでしょうか。それに電話もお借りできれば助かります」
「まあまあ、道に迷ったですって」
〝がらがら〟
戸が開き、そこには背の低い八十を越えていると思われる老婆が立っていた。
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