第一章 出発 3




 飲み会はそれから三十分ほどでお開きになった。

 明日に備え恒例のカラオケボックスによる二次会もなく、みなそれぞれ家路に就くことになった。

 その時にはもう、智司の妙な感覚はだいぶ小さなものになっていた。


 会計の際に、小さなトラブルがあった。

 入り口の外で待つ涼音が、これから店に入ろうという数人の男性客に声を掛けられたのだ。

 みな二十代前半の、サラリーマンのようだった。


「ねえお姉さん、もう一度俺たちと飲もうよ。そっちの綺麗だけど派手なおばさんもどお?」

 おばさんと言われた怜子が、即座に言い返す。


「うるせえぞガキ、行儀がなってないみたいだね。幼稚園から出直してきな」

「なんだとこのクソばばあ。ちょっとくらいいい女だからって、調子こいてるとわしちまうぞ」

 そこへ会計を済ませた男たちが出て来る。


「俺の女を輪わすって言ってるのは、一体どこのどいつだ」

 いきなり大輔が、二人に脅しをかけた男の頭の毛を掴む。

「いてててっ」

 掴んだまま、大輔がその頭を乱暴にグラグラと揺さぶる。


「ふざけんなてめえ、やっちまうぞ」

 中でも一番質の悪そうなやつが、目を細めて一歩前に出る。

 その男へ髪を掴んでいた奴を突き放すように押しやり、大輔がにやりと嗤った。


「相手してやろうか?」

 大輔が身構える。

 実にその恰好が様になっていた。


「兄さんたち、止めといたほうがいいよ。こいつ総合格闘技のアマチュア大会で優勝した事あるんだよ、いわゆる地下格闘技ってやつ。大怪我しても知らないぞ」

 緊張感のない声で、雄太が警告する。


「総合か、道理で構えが堂に入ってる。俺はボクシングのインターハイ準決勝まで行ってる、どっちが強いか試そうか」

 そういって、ファイティングポーズをとる。


 その脇の締ったクラウチングスタイルは、言葉通りにボクシングの経験者らしい。

 インターハイがどうだと言うのは眉唾ものだとしても、かじっているのは本当のようだ。


「あんたらいい加減にしてくれないか、店先で揉められちゃ迷惑だ。警察呼んだからね」

 店長らしい中年の親父が、店内から出て来て大声を出す。


 警察と聞いて若手サラリーマンらしき集団は、そそくさとその場から立ち去った。

「いやア店長さん、機転の利いた助け舟ありがとうございます」

 笑いながら雄太が親父に頭を下げる。


「機転? なに勘違いしてんの。本当にすぐ警察来るからおとなしく待ってな」

「おいやべえぞ、マジで警官呼んだみたいだ。逃げろ」

 大輔が麗子の手を取って、真っ先に階段を降りる。


 咄嗟のことにどうしていいのか分からずにいる涼音の腕を掴み、智司も二人の後を追う。

 この瞬間で、智司の既視感を伴った違和感は綺麗さっぱりと消えていた。

 消えたこと自体気が付かないような、緊急事態だったのだ。


「おい、俺を残してくなって。あっ、今日はご迷惑おかけしました」

 最後に雄太がもう一度親父にぺこりと頭を下げ、狭い階段を駆け降りた。

 根っから人の良い男らしい。


 

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